25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

久しぶりの感動

2018年11月30日 | 文学 思想
 貧乏のどん底から這い上がってくるとか、生い立ちの異常性が芸術創作への強い動機になるとか、この負の面がエネルギーとなって成功に至っているということはよく目にし、耳にしたことである。
 そんな差異が目立った時期があり、流行のようにもなった。しかしそんな時期がもはや通りすぎたのではないかと思うのはぼくだけだろうか。

 大相撲で優勝した貴景勝の家庭環境を見ていても食費だけでも30万円かかったといっている。卓球の伊藤美誠も母親が特訓をするほどの経済的余裕はあるように思われる。

 美術や文学の世界ではどうだろうか。村上春樹に経済的貧困はなかったようである。ただ父親との関係があまりよくなかったということぐらいは伺える。乳幼児期のことはこころの内に置いておくものだから分かりにくい。しかし太宰治や三島由紀夫のような生い立ちは多くはないような気がする。離婚が増え、母原病も増え、こころのトラウマから起こる事件もときどきあるが、芸術や文学の世界も作品出処は違ってきているように思う。

 昨日テレビで、カナダのトロント出身の若い板前の修行の様子をトロントにいる家族がテレビを通して見るという番組があった。父親はワインの輸入をやっていて、母親は公務員の共働きである。姉はニューヨークでメイクアップアーティストをやっている。
 いわゆる普通の家庭である。父親は料理をするのが好きで息子に料理の話をよくしていた。やがてこの若者は包丁に興味を持つ機会をトロントで得た。日本では食材によって使う包丁が違うことに驚嘆した。そして日本で日本料理を学びたいと思うようになる。
 日本の料理学校に通い、やがて日本料理はカナダにあるものとはずいぶんと違い、奥の深いものだとも知るようになる。1本20万円もする包丁をお金を貯めては買う。もう十本以上の包丁を大事にして持っている。姉は車一台帰るんじゃないの、とテレビをみながら冷やかすが、彼は未来への投資だという。京都の老舗京料理で修行ができるようになった。会社の寮に住み込み、毎日包丁を研ぐのが一種の瞑想のようだ。ハモも切る。スッポンも捌く。ハモもスッポンも難しい。
 ある日屋形船の焼き鮎をメイン料理としてして出す仕事を任される。出すタイミングがとても難しく、船を並列させておもてなしの料理を作るのである。
 トロントの家族たちは息子の日本での生活、仕事ぶりがわかり、母親は20代、30代でしか身に付かないことがある、息子はいまがその時なのだろう、とこころの内を吐露する。
 ぼくは小一時間のこのレポートにひどく感動した。
 日本からフランスやイタリアに料理を学びにいく人がいる。日本にも来る若者がいて、懸命に修行して、一流の腕をもつ人がいるのだ。
 この若者は親から離れたくて日本に行ったのではなかった。自分が追究してみたいことを自分の力量でやったのだった。豊かさの中からやりたいことを追求する若者が育ったのだ。
 ぼくはいつも病気めいた小説のつまらなさを堪能してきたので、こんな出自の話の方が好きだ。

砂漠緑化のための小さな実験準備2

2018年11月29日 | 社会・経済・政治
 今日は昼から実験。より正確度を得たいためなんども繰り返して試験する。特に25%苛性ソーダを作り、Ph7を作るのがなかなか難しい。
 昼食に美味館に言った。通遼出身の人と連絡がとれた、とぼくは伝えた。えっ、そこは夫の家から車で一時間、とナミさんは言った。その夫出てきて、通遼はこんなところだとスマホで写真を見せてくれた。航空写真からここは畑、ここは砂漠と言い合いながら通遼付近を探索した。日本内蒙古経済文化協会の会長の話では通遼も砂漠化が進行しているという。
 美味館の夫婦はこの辺は草原だという。草原の次は砂漠化だぼくは言う。
 ぼくは今通遼にいる会長にメールをして、帰国しだい会おうと連絡した。クブキ砂漠の農地化の国家プロジェクトを進言したい。
 新疆ウィグルからは綿くず。セメントは内モンゴル。砂はいっぱいある。これらの組み合わせで培養土ができればよい。 

内蒙古経済文化交流会

2018年11月28日 | 社会・経済・政治
 この冬は帽子を被ろうと思い、帽子を買った。少々気持ちも高揚したのかもしれない。
 日本内蒙古経済文化交流会の方に昨日メールを書いた。内モンゴルで砂漠を緑化する実験をしたいのだが、助っ人してもらえないか、という内容を書いた。夜、早速返事がきた。協会の会長をしている。世界に200ほど協会があるらしい。彼は内モンゴルの通遼出身で日本でIT企業を起こして、日本と中国を行ったり来たりしている。通遼も砂漠化が進行しているらしい。
 翌日お礼のメールを書き、さらに詳しいこと、動画も送った。
 するとすぐに返事が来て、12月24日に日本に帰るので、日本で会いましょう、ということだった。内容にはとても興味をもっていた。彼の経歴も書いてあった。高校生のとき、日本に留学し、一度帰り、再び日本の大学で美術を学んで卒業した。デザインが得意なのだろう。会社を起こしたのだから起業家精神ももっているのだろう。
 日本で内蒙古出身の人を探していた。この2、3日は本気だして探した。
 次の実験道具ももうすぐ揃う。この12月中にやることをやって春を待ち、春にまた種を蒔きたい。そして5月か6月頃には砂漠で試験がしたい。
 協会は表側の顔である。裏というわけでもないが、日中内モンゴル商会という起業家の集まりもあるらしい。これ世界中にあるようだ。日本に住む在日内モンゴル人は2万人いるのだそうな。

 新しい扉が開けたみたいで気持ちも高まる。たった一人での大いなる挑戦だと思っている。砂漠が大土木事業で農地化できれば。あるいは農家の人がコツコツと農地を増やしていければ。それには綿くずが必要なのだ。この産業廃棄物は川や池、湖を汚していたが、今は政府の管理下にある。中国は大規模綿花栽培をする国である。綿くずを大地に戻す方法が最大のテーマである。
 農地開拓の市場性はどうなのか。もっとよい技術がすでにあるのではないか、と思っているところで、やはり、12月24日を過ぎて、会って話してみる必要がある。

日本人のもつ潜在的なもの

2018年11月27日 | 社会・経済・政治
 高千穂も惨殺事件もいわば一家心中事件のような感じで、この潜在的な無意識は何であるか、まだ日本人の中から払拭できないものかと思ってしまう。柳田国男が集めた「山の人生」に、一家が食えなくなって、男が妻と子供らを殺し、自分も死のうとするが死ねなかった話がでてくる。今年の前半にも、去年もまさに同じような事件があった。
 この日本的一家心中に、異論を挟んだのは宮沢賢治だった。「グスコーブドリの物語」で、食えなくなった一家は父親、母親があるだけの食糧を残して家を出て行く。兄と妹が残されるが、やがて他人と出会うことになり、その男によって養われ、火山学者になる。
 両親の身を捨てての慈愛と他人との縁による人生を言い、子供は我が子と言えども殺されるべきではない、と物語では主張したにちがいない。
 グリムの「ヘンゼルとグレーテル」は子供らが家から追い出されることになる。子供は社会に入っていき、いろんな経験をして一人前になっていくのだと、言っているようである。つまりは早く自立させる、という意識なのだろう。
 
 ぼくには一家心中というような潜在的な無意識もないように思う。子供は別の人格であり、別の人生をもつ存在である。
 高千穂の事件は中上健次の小説「火祭り」に似ているような雰囲気がある。村落の中で生きる若者に村落の強い血の関係や息苦しい空間が一人の猟銃をもった男に憑いたのだった。

 日本の殺人事件の半分は家族内だという。日本人のもつ貧困な心根が出てくる土壌を家族が作っている。
 高千穂事件では殺人者と見られる次男も自殺に成功したが、日本人の多くは警察も、検察も、裁判所も一家心中には同情的であるような気がしてならない。死にきれなかった男に、つい「可哀想に」と思ってしまうはずだからである。

 春でもなく、蠢くものも眠ろうとしている秋の空の下で、何があったというのだろう。

貴乃花、山尾志桜里、三島由紀夫

2018年11月26日 | 文学 思想
 貴景勝の優勝は嬉しかったが、元親方貴乃花のメッセージはひどかった。これじゃあ、新興宗教のなにものでもない狭さを感じる。深さを感じない。彼は黙っているべきであった。
 徹底して差さない取り口だった。突くということをこれほど絶妙にやれたのはこの力士が初めてではないか。ぼくには記憶がない。
 突いても、相手の様子を見た。この慎重さに感心した。阿武咲はこの点、突進し過ぎる。

 テレビでまたこの頃報道されている山尾志桜里衆議院議員はエリートであり、オンナであった。週刊誌記者から、エリートとオンナの間を突っ込まれた。すると答え方はどうしようもなくあたふたとしていた。人が何かを支持するというのは思想だけではなく、振る舞い方重要であること世に知らしめた。

 三島由紀夫の自殺も、要は思想ではない。生い立ちである。乳児期の頃の
母と子の関係ほど重たいことがあろうか。彼の腹切り自殺に何か意味あることがあろうか。もう戻れないところまで我々は進んでしまっている。

 今日の尾鷲でとれた鯵は旨かった。30センチほどあったのではないか。鯵という魚は焼いても、生でも旨い。脂がほどよく、コリコリと旨かった。ぼくは生姜で食べた。

 

三島由紀夫 二つの謎 2

2018年11月24日 | 文学 思想
 三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地での演説のあと、自害したのは1970年の11月25日であった。同じ浪漫派であった小説家、文学評論家である村上一郎が三島由紀夫の後を追うように刀で頸動脈を切って自害した。「あとを追うように」と書いたのは、ぼくの記憶のなかで三島由紀夫が死んで、さきにやられたと思ったかのようにすぐに自害したとすっかりそう思っていた。東大闘争など全共闘が革命の最前線に立ったときに、三島由紀夫の楯の会はその阻止への先頭に立つだろう。自分はそのときに三島と斬り合いをするのだ、と村上は言っていた。当時、ぼくは吉本隆明の主宰する同人誌「試行」を読んでいて、村上一郎もそこに文を書いていた。それで、かれの単行本「志気と感傷」を買って読んだことがある。1943年には海軍に入隊している。「北一輝論」を書いたとき、三島は絶賛したらしい。
 しかしながら昭和の2.26事件の捉え方も三島は青年将校らの純粋性を重くみるが、村上はあの事件が成功していたら日本はどうなっていたか、と考える事件と捉えた。村上一郎は三島由紀夫をどこかよく似た、しかし決定的に違う好敵手であった。ぼくはそのくらいのことしか知らない。
 彼の自害は1975年(昭和50年)3月29日だと、今になって確認した。ぼくは1971年くらいの自害だと思っていたのが、三島の自害から4年半も経っていたことに驚いたのだった。あの頃の時系列がうまく整っていない。思えばぼくはその間にイギリスに一年行っているし、帰ってから大学の留年もしている。外にでることも少なく本ばかり読んでいた。この頃は難解なものを読んでいた。マルクーゼ、ベルグソン、吉本隆明・・・。すでに社会に存在するレールからは外れていた。

 三島由紀夫が死んでから、1971年の新入生が入ってきた時期は学生の雰囲気もガラリと明るく、カラフルにもなった。ぼくの友人たちは2年生を終えてスペインへ、オランダへと留学をした。学生も三島由紀夫も巻き込んだ政治の季節は終わっていたのだ。ぼくは一年間結構危険なアルバイトをして、旅費をかせぎ、3年生を終えてからの留学に備えた。学生運動家も、長い髪を切って企業戦士となっていった。その団塊の世代がその後の日本経済を牽引し、今もその人口の多さから良かれ悪しかれ、日本社会大きな影響力を持つ。
 政治の季節の終わりの始まりのとき、三島由紀夫は自分の生い立ちも、自分の思弁も、自分の美意識も、自分の筋肉も立ち切った。村上一郎は資本主義の成熟で行き場所がないように56歳で死んでしまった。
 ぼくのような人間がロンドンで勉強ができたのも円が高くなったためである。日本はすでに三次産業が60%以上を占める社会に変化していた。一億総中流社会はほぼ達成されていた。

 三島由紀夫は達観していればよかったのに、と思う。学生などと論じあってもしかたのないことなのに、と思う。遅れて肉体を発達させた三島は言葉はすでに熟成しきっていたが、筋肉をつけ肉体を改造することで、学生とよく似た気分に駆り立てられた。脳のマトリックスが換わったように思える。その新しい脳で若者を近くから見てきた。東大闘争は興奮に充ちていた。豊饒の海最終巻、老成した本多繁邦の最後を書き終え日付を記し、彼は仲間と集合し、市ヶ谷に向かったのである。これには自分は「文学的に死ぬ」ということも意識されているようにも思える。三島の乳児期は母を奪われ、病床の祖母に溺愛されたのだった。頭脳は言葉の面だけで早熟であった。それらも全部含めて、自死、心中。決行は1969年では早く、1970年の安保延長を待ち、若者の純潔性が終わった時期と重ねたのではないか。
 大澤真幸の三島論を読みながら、ぼくはそう考えてしまう。
 


カルロス・ゴーンの欲望

2018年11月23日 | 社会・経済・政治
 カルロス-ゴーンルノー会長の事件を聞いていると、人間の欲というのは限りがないものだ、と不思議に思う、お金なら一億円ももらえれば上等ではないかと、ぼくなどは思うが、そうもいかないらしい。お金とともに権勢や名声も欲しかったのだろうか。そうであるなら、報告を誤魔化したり、日産の事務所もないのに豪邸を日産の子会社に買わせるなど、欲といおうか、ケチいおうか、なんなんだろう。
 数パーセントの人の富が30億人を食わせる力をもつなどと、ホモ-サピエンスはどうなってしまったのだろう。成熟した資本主義社会の次の段階は社会主義であると、分析したのはマルクスであった。先進国の資本主義は中央銀行の動きなどを見ていると、相当政府がコントロールしている。これは社会主義への移行の段階と言ってもよい。
 現実に、ヨーロッパでもアメリカでも若者には大きな政府を望んでいるものが多い。アイディアで大金持ちになる者もいるが、その数はほんのわずかである。
 おそらくこれからの社会はビッグデータの寡専化が進み、AIもそうなることだろう。巨大なグローバル企業は国営化される可能性もあるかもしれない。

 だいたい1日は24時間で、そのうち7時間ほどは眠るのだ。あとの時間を贅沢三昧してもたかが知れている。化学工場の肝臓の機能も、濾過装置の腎臓の機能にも、いやいや胃袋にも門脈に異常でもない限り食物をいれるには限度がある。
 高価な食べ物を毎日食べても飽きがくる。人間の個体は贅沢ができないようになっているのに、人間はなぜ、必要以上にお金を欲しがるのか。そういう人がまだいるのか、と思ってしまう。

 たぶん同じ思いをもってカルロス-ゴーンのニュースを見ていた人は多いだろうと思う。欲望の構造は分析されなければならないと思う。

 
 
 

貴景勝と貴乃花

2018年11月23日 | テレビ
背は高くないが、横幅と厚みがあって、まるで鞠のようである。相撲の取り口は速く、慎重に見て、突き、様子を見る。いけるとなったらそのままいくし、行けないとなったら、間を置いて突くのを止める。止めたと思ったらまた突き、相手がこらえて、棒立ちになったところから前かがみになったところをすかさず、身体を躱して手で相手の肩を押し込む。
新しい相撲である。
 貴景勝のことである。正直、このくらいの体で、組み相撲はやらない突き一本の取り口では横綱にはなれないと思っていた。しかし背の低さが下から突き上げる武器となり、丸い体はボールのような速さを持つとさらにそれも武器となっている。
 高安の相撲の取り口と貴景勝のそれとでは圧倒的に貴景勝の相撲がずば抜けている。考えを改めなければならなくなったようだ。阿武咲の取り口とも違う。彼には用心深さが足りない。隙ができてしまう。よく似たタイプの体なのでつい同じように思ってしまうが、貴景勝は一枚上手である。

 貴乃花はこの弟子を育て、万が一にでも優勝したならば、駆けつけ、祝意を述べたいところだろう。しかし千賀ノ浦親方にお渡ししたのである。陰からおめでとうを言うしかあるまい。

 どうやら大相撲はオリンピック後辺り、白鵬と鶴竜、稀勢の里の引退あたりで大きな転機を迎えるような気がする。まずは怪我対策である。それと力士の大型化対策である。
 相撲が面白いのは小錦のようなものばかりでは興ざめもよいところで、妙義龍あたりの体型と体重、慎重がよいように思う。それでも妙義龍は怪我で十両まで陥落し、現在前頭で復帰している。彼の体でも膝への負担はあるのだろう。
 相撲は足の親指、足首、膝への負担が大きいようだ。次に股関節、腰、肘となるのだろう。

 貴景勝の相撲は組まない相撲で前に進むのと一瞬に引き倒しの相撲であるから怪我はしにくそうである。悲壮感もなく、一番一番に集中している姿が見える。肚も座っているように見える。あと三日。
 三日で崩れてしまうことだってあり得る。確か貴乃花は小結で優勝したのではなかったか。親方であれば経験から物が言えることもあるだろうに、と思う。

 それにしても「日馬富士暴行事件」。貴ノ岩がやられ、貴乃花もやられ、土俵上では日馬富士、稀勢の里戦で稀勢の里に大怪我をさせた。もうこの事件が終わりなら、相撲協会もひどいもんだ。かたや引退断髪式まで許可してお金を稼いでいる。とまた思い出して胸くそ悪くなって、「貴景勝頑張れ!」とテレビの前で応援している。柔和な千賀ノ浦親方もさぞかし嬉しく、忙しいことになるのだろう。



三島由紀夫と筋肉

2018年11月22日 | 
 「三島由紀夫 二つの謎」で、初めて知ることが多い。ぼくは彼の小説しか読んだことがなく、三島由紀夫という作家に興味があったわけではなかった。知っていることは誕生から乳児期、幼児期についての母親の手記や吉本隆明の寸評くらいのものである。
 それでも「豊饒の海」はまさに豊饒な美しさをもつ若者たちと醜さを伴ってくる老いの病的な観察と思念も織り込まれていた。
 へえ、と思ったのは三島由紀夫は先の戦争に興味なく、徴兵検査で合格しなかったことも喜び、天皇へ尊崇もなかったことである。
 まさに彼は幼児にこの国のことや天皇のことを言ってもわからないように、多感な青春期を幼児のように過ごしていたのだった。小説をすでに書いていた。日本浪漫派だと言われたが、浪漫派の底に流れる皇国思想などは全く持っていなかった。

 彼は肉体に過剰なコンプレックスをもっていた。華奢な体の三島由紀夫は、昭和30年、金閣寺を書き始める3ヶ月前からなにをおいても肉体の鍛練をするようになった。それは徹底して真面目に取り組んだ。しかし運動神経はどうにもならなかったらしい。たいへんな運動オンチであった。
 言葉から生まれて来たような男が遅れて「筋肉」に気づいた。気がつくまで30年かかっている

 思念の男が筋肉の美しさを価値とする男になった。しかし彼のこころの病はそんな鍛練で解消していくものではなかった。筋肉を医学的に言えば、代謝を高めるとか、体温、免疫にも関係することなどには関心もなかった。ただ「美」としての筋肉があり、「潮騒」を書いたのも、筋肉たくましい男子と彼を好きになる女子の文部省推薦のような小説をわざと書いたのだった。

 やがて運動神経のない、戦うことになればすぐに殺されてしまうような三島由紀夫は「楯の会」を作り、自衛隊にも参加訓練し、若者たちと威風堂々、行進をしていたものだった。
 問題は「筋肉質の肉体」が作られていく中で、なぜ独自の天皇観、天皇直属とする軍隊という思想を誤っていると知りながら、それでいく、という開き直った思想になってしまったのか、ということだ。どうしてなのか。筋肉作りには何か微妙な陶酔性や誇示性、優越性を持たせてしまう人間原初の力というかエネルギーのようなものがあるのだろうか。
 読書はまだ途中なので、メモ程度に止めておきたい。
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二日酔い

2018年11月21日 | 日記
 もう、若い頃教えた生徒は50代である。昨晩、生徒でもあり、社員でもあったK子が相談があるとやってきて、手にはワインボトルがある。あれ? これは長丁場になりそうである。ぼくはウィスキーを飲み、彼女と細君はワイン。ほとんどを彼女が飲んでしまい、のみ終えると、ウィスキーをください、ロックで、と言い、鯨のごとくのみ始めた。
 彼女は大きな声でいっぱい語った。過去のことから現在のことまで。ときどき相槌を打っていると12順を過ぎ、1時を過ぎ、2時を過ぎた。3時になりかかった。いろいろと溜まっていることがあって、吹き出したかのようだ。 最後は支離滅裂になってきて終わった。
 登記簿を読み込むというのが相談だったので、その役目は果たしたが、もうこのくらいにしようや、と言えなかったもが翌日の二日酔いに表れた。
 3時まで飲んでいたとは。寿命が1年くらい縮むのではないか。ただでさえ、γGTPは高く、カロリーが多めなので、その余分なのが中性脂肪やコレストロールになっているというのに。

 やれやれ。今日は仕事にならず。事務所にいくのは取り止め。
 ビニールコップ実験(実験1)では、ひとつは保水層と人工土にサボテン。もうひとつはネギ。
サボテンは生きつづけ、水無しで2ヶ月と20日。サボテンの脇から何か芽が出始めた。
 もうひとつコップではネギの芽が出ている。おお、これはこれは。クレストも元気である。まだ腐ることも、枯れることない。フリージャの球根からはまだ芽が出ていない。
 

  


小説を読んで語る会

2018年11月20日 | 
 今日は「よもやま話の会」でテーマは「西遊記」だった。話は中国の古代から現代まであちこちに飛んでいく。ウィグル新疆自治区の人たちはまるで西洋人である、とか漢民族はどうして漢民族としてありえたか、と言えば、それは漢字を筆頭にして優れた文化を持っていたからだ、と誰かが言う。すると、江戸時代の公文書もすべて漢字だった、と言う。女性の一人が中国高級ホテルでの掃除の事件をテレビで見たらしく、あんな国には行きとうないよと顔を歪めて中国人のマナーの悪さを言う。ひとしきり女性たちはそれを嫌そうな顔して言う。ぼくも言った。言わしてもらうけど、日本人もそんな時期があったで。モスクワからロンドンへの飛行機に乗ったとき、日本人はうるさく、ステテコ一枚で酔っぱらい、喧しかった。まだ22歳だったぼくはその先輩日本人たちにふざけんなよ、と言いたかった、と。あの頃日本人が言われていたことを今、そのままそっくり日本人が中国人に言っている、と。えらそうなこと言えんよ。
「豊かさが底上げしてきたら、だんだんとマナーも良くなってくんやで」と誰かが言うと、その通りだと、みな頷く。

 この会は昭和27年からあるらしい。「あんた入ってくれて、会も元気出てきたよ」とずっと会を引っ張ってきたMさんは言った。「文学」を入口として社会、経済、個人について語り合う、またはそんな語りを聞きたい人はいると思いますよ。
 ということで、地元新聞に会員募集の記事を書いてもらおう、と記事の内容を検討した。
 次はぼくが担当なので、「千年の愉楽」の中の第一番目「半蔵の鳥」をテーマにすることにした。
 どんな感想をもつものなのか知りたい。ぼくは荒くれた男、白い肌から出る汗に酒が混じっているような匂い立つ若衆がもつ死との親近感が醸し出す美しさに魅了されたのだった。このような美しさを描ける中上健次はすごかった。 

保水層、空中井戸など

2018年11月19日 | 社会・経済・政治
あれ、もしやと思い、炭酸カリウム、硫酸第二鉄、塩化アンモニウム、塩化カルシウム、25%苛性ソーダをアマゾンで検索してみた。実験用に使うのに各品を25kgも買うのは高いし、容量も多すぎるからで、薬局に頼むと25kgのものが最低の量だと言ってくる。するとアマゾンでは硫酸第二鉄だけがなかったものの、それぞれ500gのものがある。硫酸第二鉄も試験薬として500gで売っているところがあった。よかった。やれやれ、と気分がよい。やはりアマゾンは便利である。
化学はほとんどわからないが、それぞれの利用法を読んでいると、人間もこんなものをよく調べ、開発し、利用してきたものだと驚いてしまう。

 これは来年のための準備である。ぼくはどうしても、砂漠を農地に変えることの実例を示したい。縁あって、民間の故老研究家が尾鷲を去る前にぼくに頼んだ。試験を継続し、完成させることを。
 現在はその故研究家の頭の中を覗いている感じで、頭の中の理屈をぼくの頭の中に、ぼくの納得の仕方で移すことをボチボチとやっている。だいたい整理がついてきて、砂漠の砂の性質。土壌というもの、混和物である土の特徴的なこと。保水層に溜まる水質の栄養のこと、つまりは植物にはどんな栄養がいるのか、ということ、砂漠における砂防提が必要な理由。砂漠を開墾するための簡易道路建設のこと。保水層を作ったとして何を植えるのがいいのか、いくつか植物をピックアップしてみることなど、ポツポツを思いを巡らし、時には調べ、頭の中だけで構想を練っている。

 自宅でやっている実験から実際の内モンゴル黄土高原でやってみる必要がある。あるいはやってみたい企業なり農家があれば、やってもらいたいが、そういう企業や人を見つけるのは困難なことで、面倒臭いから、実際に村に行って、一坪ほどをお借りしてやってしまうのが一番早いと思っている。

 懸案のことだったので、このことは失敗するにせよ、成功するにせよ、来年で決着させる。気分もよい。魏の国を復活させるのだ。砂漠を緑化できれば、中国政府も大開墾事業を始めることだろう。上空からいくら種や苗を蒔いても、どれほどの成果が上がっているものか、実際に視察もし、その効果のなさを実際に見た。

 砂漠化は北京市に迫っている。
 農民は都市生活者と同等の生活が保証されなければならない。都市で貧窮な暮らしをする農村出身の若者も農村に帰り、開墾すればよい。葡萄でも作れる。それをワインにすることもできる。
 日本からいくボランティアの人達がやっているのは苗を植えて待つ、というものだ。水が地下にあるらしいところしか成功できない。

 こんなアイディアもある。ビニールハウスを作り、室内を太陽光で温め、室外との温度差を作る。氷が入ったコップの外側には水ができる。これと同じだ。この水を自動的に集まるようなものにして、農地には点滴のようにその水をやればよいのだ。

 この原理なら井戸を掘っても重金属などが出てくるような地域は保水帯を作り、小便もそこでし、気化させて再び水滴を作って取水する空中井戸を作る方がよい。

 ふむ、と一人で考えている。 

 

三島由紀夫 二つの謎

2018年11月18日 | 文学 思想
 一昨日、朝日新聞の広告で、「三島由紀夫 二つの謎」という本が集英社新書ででたことを知った。早速アマゾンで注文したら、翌日にはここ三重県の紀伊半島の端っこでも、夕方には届いていた。
 三島由紀夫について論じるのが難しいのは、大衆小説、純文学小説と書き分けながら、戯曲も作る知性の持ち主だったのが、なぜ、1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で、あのような愚行をやったのか、その知性と愚行の落差をどう解釈したらよいのか、という困難さがいつもつきまとってくる。三島由紀夫の成育歴からみれば、病気の絶対的権力の祖母からの偏愛、母を祖母に奪われた生い立ちからみれば三島由紀夫はいずれ死ぬしかないだろう、という感想をもってしまう。
 著者の大澤真幸は三島由紀夫の事件を小学生のときの職員室での重苦しい教師たちの雰囲気で知ったという。そして小説の方は高校生のときに「金閣寺」を初めて読んだのだという。

 ぼくの場合、これまで読んだ小説の中で、三島由紀夫の「豊饒の海」を一番に挙げる。つづいて中上健次の「千年の愉楽」であり、津島佑子の「夜の光に追われて」を挙げる。
 ぼくは、三島は「切腹した」と言われ、切腹が強調されるが、自殺したことのほうに重きをおいてみている。彼の知性からしてみれば、あのバルコニーからの演説で自衛隊員が決起するはずもないことはわかっていることである。ぼくは小説と彼の最後の行為を一応分離して考えている。
 さて、小説は自殺決行の日の朝の日付にして第四巻(最終巻)を脱稿している。
 漸くに四巻まで読みすすめたぼくは、最後の1ページで驚愕の虚無の穴に落ち込むことになる。
 輪廻転生など夢幻であったのではないか、輪廻転生した若者たちを見続けてきた本多繁邦の人生とは何であったか。
 ぼくは相当なショックと小説の圧倒感でしばらく声もでなかったことをおぼえている。読むときにあの切腹した三島由紀夫だと思って読んでいない。

 大澤真幸はこのラストを謎だとしている。ラストを「それはないだろ」と読んだらしい。切腹自殺も切腹に力点が置かれていて「それはないだろ」と判断している。そこからこの2つの「それはないだろ」の謎を解いていくのが彼の挑戦である。二つの謎はきっと繋がっていることだろうと仮定して論をすすめている。
 この時期世の中でなにがあったかというと、70年安保、全共闘運動が大学をわたってあり、下火になりかけた頃であった。やや若者たちが急速に既存の社会に吸収されていくのだった。前年に三島由紀夫も東大にでかけ、学生を前に演説し、「君らが天皇陛下万歳とただ一言言ってくれたら、ともに闘えるのに」というようなことを言ったのをぼくはおぼえている。ぼくは三島由紀夫らの事件を大学の食堂で知ったのだった。
 吉本隆明は「掘り下げて勉強しよう、学問しよう」と言っていた。「自立の思想」を宣言した頃であった。

 ぼくは心情的に、「楯の会」のような活動を嫌い、吉本が言うような掘り下げて勉強していく姿勢の方に寄った。
 48年経って、対峙するには難しい三島由紀夫作家論が出てきた。
 楽しみにして読むつもりでいる。どうでもいいや、とは彼の小説を読んでいて言えないのだ。その感想はまた書こうと思っている。 

ロヒンギャ問題の難しさ

2018年11月17日 | 社会・経済・政治
 ひと動きすると汗が出る。不慣れなことをすると汗が出る。さっさとやり終えてしまいたいと思うと汗が出るのだ。汗って本当に新陳代謝の代物だろうか。神経のような気がする。
 それはともかく、一応床張りを終えた。ざっくりと。あと細かいところがあるので、それはやる気をみて。たいしたことではないとぼくは思うが完璧症の人なら、さぞかしイライラすることだろうと思う。
 汗をかくとすぐに急速に体が冷えてくるので油断してはならない。汗を拭き取り、下着も替えよう。
 テレビをつけると、アウンサン・スーチーミャンマー最高顧問女史がいろいろな賞を剥奪されている、とあった。ロヒンギャ民族への迫害、虐待により、彼らはバングラデシュに逃げて、難民キャンプにいる。ミャンマーは帰って来いよ、というが誰一人帰らないそうである。ミャンマーの大方の人は仏教信者で、ロヒンギャはイスラム教徒である。宗教対立である。スーチー女史もどうするこもできない。軍事政権ならなんとか抑え込めたかもしれないが、統制が緩み、急速に民主主義となると、難しいのだろう。
 こころを救済するということでは仏教もイスラム教も、キリスト教も同じだ。宗教とはそういうものだ。それが喧嘩、対立、殺戮となるのだから、この共同幻想恐ろしい。人類はいつになったら宗教共同幻想を抜け出ることができるのだろう。宗教を否定するつもりはない。集団のあり方であり、宗教という共同幻想の自己コントロールの仕方の獲得が必要なのである。この問題が解けない限り、宗教的対立はなくなるはずもない。
 共同幻想の構造と自己幻想、対幻想との関係。吉本隆明が明らかにしたが、彼の考察はまだ普遍化していない。共同幻想論を易しく読み解ける具体的テキストがほしいくらいだ。
 ロヒンギャはミャンマーには戻れないだろう。周辺のイスラム教国が面倒みるしかなかろう。
 宗教とは罪なものだ。まったく個人の中で共同幻想と自己幻想が一致と逆立が同時起こっている。大矛盾である。

 

移ろい

2018年11月16日 | 日記
 朝起きて、朝ごはんを食べ終えて、さてと、「大根菜」を見にいくか、と立ち上がったら、テーブルの上に財布がない。はて、車の中に置き忘れたのか、と外に出て車の中をチェックする。ない。再び、居間やら階段やら、玄関外の金魚周りやらを丹念に調べる。昨日の最後の買い物は? 確かイオンだった。サービスカウンターに行ってみるか、と車のドアを開けると、右側前方に自転車が見えた。もしかして、前の籠に? と思い、近寄ってみると、財布はあった。一晩を過ごしたのか。ホッとした。財布にはいろいろと大事なものが入っている。キャッシュカードやらワオンカードやら、死んだら面倒臭そうな物ばかりだ。そう言えば、相撲を見ている最中に急に思い出したことがあって、セイムスに自転車で走ったのだった。
 気を取り直し、まず、ミヤケにいくと、棚に柿やらミカンやらが並べられていない。手伝いのおねえさんがいたので、今日は休みなん、と訊くと、やっとんやんな、と答えたので、蓮台寺柿と大根奈はないかと訊いた。大根菜はくたびれていて、葉もちらほら黄色い。安うしとくさか、黄色い葉っぱは取ったって・・・。オジサンまだ入院しとん? 店先にいるのを見てから二ヶ月ほど見ていないような気がする。おじちゃん死んだんさ。いつう? 月曜日。あらまあ、なんで? 癌やったんさ。通夜は今日で、明後日が葬式。いよいよ来たか。なんとしてもこの店は続けてもらわないと困る。金魚、メダカ話もできなくなるかあ。

 また気を取り直して、家に戻り、大根菜を洗い、外に干した。
 主婦の店にひの菜がないか見て来ようと思い、国道42号線沿いの主婦の店に行った。このての地のもの野菜はイオンにはない。ひの菜はなかったが、大根菜の新しいのがあった。二週間前に買ったときはしっぽの大根は小指程度だったのに、今日のは親指2本くらいの太さだった。あれが二週間でこんなに大きくなったのだろうか、と感心してしまった。2束買った。冷蔵庫に入れて置こう。

 居間の床がボコボコしてきたので、ひとつ自分で床張りをやってみようかと思案している。コメリにいけば材料は揃っている。
 コメリをウロウロして決断しようか。家も年をとる。
 昼、ハオハオ飯店でチャーシューメンを食べよう、と行くと先に知り合いのUさんがいた。ぼくより2つほど年上であるが、ファッションが若い。太る体質でもないらしい。主の野菜一杯の辛い味噌ラーメンにプラス餃子をとっていた。近況を伝えあって、静かに食べてお先に失礼した。先輩にはあまり話すことがない。
 家に再び戻り「まんぷく」を見て、コメリに向かった。

 コメリに向かう途中で海岸道路から突堤を見ると内山さんらしき男性が釣りをしている。車を止めて、見に行った。スズキを狙っているのだと言う。しばし話す。ここに鉄蟹がおってな、こんなんさ、とサイズを手で示し、これは旨いしな、と言った。鉄蟹などという名前を初めて聞くので、驚いた。それから指を差して、あそこで、60センチくらいのヒラメ釣ったどな、と言う。本ゴチはやっぱ小ちゃいキスが餌によいな、ヒラメはアジで釣ったけどな。我々は贅沢な、良いとこに住んどるな、と言って互いに笑った。内山さんはご近所さんである。彼の義母さんからよくなにかといただく。昔はこっちの川も汚かったけど、きれいになったな。ボラですごかったけどな。川に目をやるとモズク蟹が歩いているのが目に入る。今日は少々風がきつい。風きついで、風邪ひくない、といって失礼し、再びコメリに向かって床板を買った。ついでに、バラス20キロ袋を2つ。庭の水溜まりを補修するつもりだ。

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 現在砂漠を農耕可能な大地にするための実験準備をしております、なにせ素人です。
やっていることに大きなミスや知識の無さがあるかもしれません。実験で植える植物であるとか環境作りであるとか、いろいろあるのでしょう。まずは保水力を確認し、保水層の水だけでどれほど成長できるか、保水層のセルコンまで根が張ってくるものか、みたいと思っています。
来年には中国の黄土高原で実験と思っています。
この混和剤は透水性のコンクリートができます。興味あるかたにはお分けします。
実験準備動画はこちら