25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

橋下がまたつくる政党のこと

2015年08月30日 | 社会・経済・政治
橋下大阪市長と松井大阪府長が「大阪維新の会」を国政政党を立ち上げるという。僕は橋下の内政的な改革に賛同することもあったが、「太陽の党」と組み、次に「結いの党」と組み、都構想実現がならず、政治家を辞めると発言するまでに至ったときで賞味期限は切れていると思う。「太陽の党」は日本の自主独立を理念としている。アメリカにも追従せず、中国にも毅然と対応していく。それが方針であり、その延長には「核武装」も視野に入っているはずだ。「結いの党」は行政改革と財政改革に重きをおいている。外交政策は民主党と変わりはない。
「日本維新の党」を作った男の矛盾が見える。安倍首相とも気脈が通じている、と言われている。安倍首相は強固なアメリカ追従、つまり日米同盟の強化を目指している。
こうなってくると、橋下の思想というものが僕にはよくわからない。
彼はどんな国政をしたいというのか。政治家を辞めるとまで言った男が、どんな日本像を内政的にも、外交的にも描いているのか、よくわからない。
多くの国民はそう思っているのではないか。二重行政をなくしたい、道州制を導入したい、というところまでの意見は知っている。
僕はもっと国政政党をつくるのなら、それ以上の考え方を知りたい。アメリカの大頭領は二枚舌を使ってでも、狡猾であっても、世界の体勢のバランスを保ち、自分の国に利するようにすることを求められる。橋下の三枚舌はどう評価されるのか高見の見物である。

宗教、アメリカ

2015年08月29日 | 社会・経済・政治
ちょっと必要があってイスラム教についての本を、2冊読んだ。最終預言者と言われ、神の子ではなく、人間だとしたムハンマドの個人的な歴史や、イスラム教の発展の仕方、教義の内容を知ることができた。

産業革命をなし、ヨーロッパの帝国主義が世界にまかり通った時代に、アラブ諸国はオスマントルコの崩壊とともに、西洋の植民地となった。第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、近代国家へとイギリスやフランス、ロシアなどが国家の境界線を決めた。それは民族というものへの配慮に欠いた線引きであった。このことが今もアラブ世界に混乱を与えている。

その後はアメリカとソビエトの冷戦体制に組み込まれていった。ソビエトが崩壊すると、 10臆人イスラム教徒の1割を占めるシーア派はイランで、ホメイニ師を指導者とした革命を起こし、国王を追放した。
イスラム法にのっとったムハンマド以降300年間の領土に戻したいとするのがイスラム原理派である。イランは成功した。9割を占めるスンニ派は、過激派と国民国家を受けいれ、政教分離を容認して信仰心厚く、個人的生活において神の教えに敬虔に暮らし、西洋のよいところも受け入れて生きる人たちがほとんどである。
ムハンマドは商人であり、戦士のリーダーだった。砂漠のオアシス都市での戦国時代の最中に神の啓示を受けると、コーランは神の言葉そのものであり、これに絶対的に帰依(イスラム)して暮らすことが理想であるとした。

宗教の共通点は、仏教とて、キリスト教とて、イスラム教とて来世があると言うことである。神道はおもしろい。死んだものは神となるのである。この考えと唯一絶対の神を信じる宗教と折り合えずはずもないと思うが、日本では、仏教も、神道も、キリスト教も天理教も、金光教などの様々な宗教が寛容にも存在している。国民国家とはそのようなものであるが、別の側面から言えば、国民国家教のようなものもあり得る。アメリカは植民地だったから帝国主義の否定者であったが、いつの間にか、多分アメリカ人も大頭領も気づかぬうちに帝国になってしまった感がある。共和制でありながら、帝国主義的に海上ルートを制覇し、世界での生産量は25%にもなり、アメリカの経済関係は無視することのできないものとなっている。この国は本気で戦争などしたら負けるはずもないのに、テロを恐怖だと思っているのもおかしな心情だと思う。アメリカを滅ぼす戦争を仕掛けたわけでもないのに、膨大な資源を使い、アフガンとイラクを中途半端に攻めた。そのツケをオバマ大頭領、次の大頭領が背負わなければならず、やっと成果がでたのがイランとの和解であり、キューバとの和解である。
と、今日は僕の目から見た、世界情勢の一部を述べさせてもらった。



政府なんかなくても生きていける

2015年08月25日 | 日記
株価が下がり、円が上がっていることで、中国経済の減速だと騒いでいる。上がれば喜、下がれば憂慮するような賭け事の人生は楽しいものなのだろうか。中国の上海の個人投資家の話を聞いていると、政府が下支えすべきだ、などと、言っている。市場経済というものをしらないのだ。政府が守ってくれると思っている。
これは日本の国民も同じで、早速、自民党の谷垣幹事長が補正予算をくまないといけないかもしれない、などとコメントしている。
政治家の生きる道はいかに票をとるかであり、そのためにはいかに政府からお金を出させるかにある。そのために、政府の借金は増えるばかりで、民主主義というのは借金主義かと言いたくなってくる。ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアと続く借金での苦しみも、日本では10年先には目に見えて実感してくるにちがいない。
とくに日本はなんでも政府や自治体のお金、つまり税金に頼ろうとする風潮が強い。
一方で愛国心教育をおこなう、と言うと、これはまさに、お上におんぶに抱っこの助長であるといえる。責任感ある強い個人や、民間の逞しさを作っていったほうがよいと思うが、ちぐはぐさが目立つ。
アベノミクスの第三の矢も中途半端だといわれる。これまで安倍政権がもってきたのは、実態の伴わない株価の上昇と、輸出企業優遇策であった。それがずっこけるのか、なんとか保つのか僕には知るよしもないが、言えることは政府なんかなくても生きていけるよ、ということだけである。

日本人にはできなかった

2015年08月21日 | 社会・経済・政治
人のこころを読むということは僕にはできないので、一体何が本心でなにが嘘なのか、読み解くことはできない。
 数人と会話をしていると、黙ってしまう場合がある。そういうときは自分を振り返れば、本心を言うと、時間がかかったり、荒れてしまったりするとか、相手にそんな話をくどくどと話をしてもどうせわかりっこない、などと勝ってにこちらで思ってします。

 フランスではいくら意見が違っても意見を尊重しないが相手を尊重する。日本もこうありたいものだが、日本の場合は声が大きく、頭が粗雑にできている人ほどその場を制圧するような雰囲気がある。

 頭の粗雑な人は、中国政府という国家と中国人を同じようにみる人がいる。韓国政府とい国家と韓国人を同じようにみる。違うことはわかっていてもいざ、尖閣列島だ、南シナ海だ、となってくると、「中国人嫌いさ」などと平気で言う。「中国政府が嫌いだ」と本当は言いたいと思うのだが、それが言えない。中国人観光客のマナーの悪さをあげつらうテレビ報道もある。
 僕が40年ほど前にモスクワからロンドンへの飛行機に乗ったとき、飛行機の中の日本人のマナーの悪さといったらなかった。ステテコになって座席に立ち、前の仲間に話しかける、飲めや歌えの大騒ぎをする。
 今でも路上に痰を吐くものもいるが、経済が豊かになってくるとマナーもよくなってくるものなのだ。同様に、経済が発展してくるといま中国で起こっている要人の賄賂も、次には合法的な天下り法人みたいになるのである。

頭の中にもってしまっている偏見、あるいは癖。これはなんとかならないものか。選挙になっても自分で考えない人がいる。血縁だから地縁だから、頼まれたから、まだ日本はその程度の国のように思える。近代化で失ったものも大きく、得たものも大きかったのだろうが、前近代をそのままひきついでいる精神というのもある。個人主義や自由主義、議会制民主主義や三権分立。まだ馴染んでいない。一家心中とてまだ残っている。

米国の進駐軍がこなかったら、おそらくは農地解放も、財閥解体もできなかったに違いない。これも頭の中にもってしまっている偏見や癖と同じようなものだ。日本人ではできなかった。

年をかさねる鬱陶しさ

2015年08月19日 | 日記
ウチのヤタ(犬)はすでに17歳でいよいよ行動がおかしくなっている。右の後ろ足が使えなくなって、ゴロリと倒れてしまうので、必死こいて壁を支えにして歩く。そして、穴に入りたがるのである。何度かバックできない家具の裏に入ってしまい、鳴いて騒ぐ。時に起き上がれなくてもがき、どうしようもないと鳴く。死に場所を探しているのかもしれないが、家には死に場所はない。同じところをなんどもなんども歩いては穴のところで止まり、じっとしている。好きだったヨーグルトやミルクに自ら反応せず、指でもってコーヒー用のミルクをヤタの口に持っていくと、上手く舌でつかめないのかガブリと僕の指まで噛む。耳も聞こえないようだし、目も見えないようである。時々、死んでしまったのかと肺のあたりをみるとかすかに息をしていて、今日も無事かと安堵する。猫を可愛いと思ったことがないのは、猫を飼ったことがないからなのだろう。
僕が2歳ぐらいの写真があって犬と一緒に写っているのだから、犬との歴史はながい。しかし、この黒芝犬のヤタでおしまいだろうと思う。

この前岡田さんとスーパーの前であったら、自転車で「魚跳」まで泳ぎに行ったという。ずっと坂道で、道は舗装もされていないところもある。距離もある。歳が5つ違うだけのことではない。彼は体を常に鍛えているのだ。僕なんかは常に座っているのだ。だから、もう川の冷たい水に入るのはおそろしいことだ。心臓マヒが起こったり急性の低体温症で気を失うかもしれない。
僕は岡田さんのアグレッシブな行動にすっかり感動してしまって、運動でもするか、と思っていたら歯が痛くなって、食べることも容易ではない。歯肉がかたまってから歯科医にいこうと思っているが、なんとも、年を重ねるというのは鬱陶しくてしかたがない。

我々が失ったものはいろいろある

2015年08月19日 | 文学 思想
渡辺京三の「逝きし日の面影」という労作がある。それは江戸時代の末期、日本が開国してから、外国人たちがやって来て、日記や手紙などの残っているものを集めたものである。ほとんどの外国人がおとぎの国にのような農村風景、日本人の清潔感、人なつっこさと好奇心、それと笑顔に感銘をうけていて、この国を西洋のようにするべきではない、と書いている。
もちろん、その頃は見苦しい電信柱も電線もなかった。僕の嫌いなテトラポットなどはあるはずがなかった。
渡辺京三は江戸期までの日本をひとつの文明だととらえていた。その文明の終わりを残念がっている。
昨日は岡田さんと食事をして、もっぱら、明治の近代化によって、日本人は何を得たか、というより、何を失ったかのほうに力点をおいて、話し合った。彼は、剣道7段の男で、最高位まで、あと少しというところにいる。20日から「骨ストレッチ」の最終上級講習にいくという。
明治の初期の写真で、60kgの米俵を5つ、ーつまり300kgの米俵を背負う女性たちの写真を見たことがある。現代のような便利な機器があるわけではない。日本人の身体操作はなるべく力をださなくても、むしろ力を節約することを身につけていた。
こういう研究は甲野善紀などがやっている。
日本人は西洋人と比べて、カンナに使い方が逆のように、力を出しきる発想と力を節約する発想が逆なのと同じである。
日本が近代化していくにつれて、オリンピックにも参加するようになり、真逆の発想をやめ、とにかく筋力を鍛える、という方向に走った。柔道がよい例である。今や柔道は体躯に大きさと筋肉の勝負になっていて、テレビをみていても、おもしろくない。現実的にみて、体の小さな柔道家と体の筋骨たくましい柔道家が日常の場面で勝負をするようなことはない。
インドはそんな西洋文化を拒否し、独自の文化を深化させ、精神性を保っている。ヨガを極めたり、音楽は徹底してインド音楽にプライドをもっている。僕はバリ島でもそうだと思う。不浄の海は外国人観光客に譲り、自分たちは内陸部の村で暮らす。聖地の山、アグン山を崇める。そういうバリ人(この人々は南インドから移住してきたにだが)たちもオリンピックへの参加など考えていないように思える。バリ舞踊を通じて姿勢は村人から伝授される。歩き方が悪いと、供物を頭に乗せて歩けない。

明治の近代化、富国強兵策によって、便利な世にはなったが、身体能力という面ではほび退化してしまっている。
そんな話を2時間以上も話したのだった。力で押し通していくアメリカ。正義を振りかざすアメリカ。日本はその金魚にフンみたいにくっついていることはない。アメリカのよいところもいっぱいある。アメリカを馬鹿にしているのではない。関係の持ち方を言っているのだ。

そこで、オリンピックなど、必要?とも言いたくなってくる。1050兆もの借金があってするような情勢ではないだろう、と言いたくなってくる。責任者ぐらい決めておいてほしいとも思う。

食事は、酒も肴も美味しかったが。それでも店は周到に無駄を省く努力をしているように思えた。


戦争および加賀まりこ

2015年08月16日 | 日記
また「戦争」の、特に「玉音放送」についてである。何度この放送をこれまで聞いたことか。僕には意味が全くわからない、というしかない。しかも一度切りである。普通の日本語で「戦争は終わった。戦闘を停止せよ」となぜ分かりやすく人々に言わなかったのか、僕にはわからない。あの玉音放送を聴いたとき、「何をいってるのかわからん」と怒って言う人はいなかったのだろうか。
本土決戦を唱える人達もいたという。彼らに広島や長崎の爆弾にことが伝わっていたのだろうか。
それにしても、なぜ、ーあれほどまでに分かりにくい日本語で「ポツダム宣言の受諾」を言ったのだろうか。そのために、どれだけの人が敗戦を信じず、抵抗をしたことか。そして北からはソビエトが樺太を占領し、北海道をうかがっていた。日本の陸軍も海軍も、ぐずぐずした。しかしアメリカからしてみればソビエトの進軍は憂慮すべきことであった。

このことは戦後70年においても、ぐずぐずした、あいまいな日本および日本人を象徴している。
このバカバカしさを僕らは学ばなくてはならない。
もうひとつものすごいバカバカしさがある。空襲などで命を落とした民間人に、戦後何の補償もなかったことである。軍人として死ねば、残った家族は補償金をもらえた。空爆で死んだ100万人以上の人には、今になってもなお、政府は知らんふりである。
これもまた、戦争の総括をしていない結果のことである。
全部片付けてしまえ、と叫びたくなってくる。

ところで、今「加賀まりこ」への関口宏のインタビューをテレビでしている。どちらも72歳だそうである。加賀まりこの両親は、世間体を気にせず生きろ、とよくいったらしい。ああ、こんな家族もいたんだ、と思う。今この人たちは昔ばなしだけでなく、この社会をどう思っているのだろうかと思う。ずっと見ているが、なんだか昔ばなしばかりである。「加賀まりこ」と言えば僕は「泥の河」を思い出す。船を家にした少年の母親役で、娼婦のようなことをしていた。彼女は今、「純情に生きた」と言う。それはなにを意味するのかわかりにくい。「個性的に生きた」ということを含むのか、女優として純粋に生きた」という意味なのか、わかりにくい。 女優というのは比喩的な存在なのかもしれない、と思ったのだった。

境界は幻想ではないか

2015年08月15日 | 日記
安倍内閣の戦後70年談話をテレビで見て、翌日は朝日新聞で読んだ。
僕には、安保法制で内閣支持率がさがったことで、このような文言にしたとしか思えなかった。阿倍首相は意外だったのかもしれない。彼は集団的自衛権こそ、戦争の抑止力になると信じこんでいる。一方、学者、インテリ、普通の人々は、アメリカへの後方支援が戦争に加担し、巻き込まれるだろうし、テロに標的になるかもしれないと思っている。その数が圧倒的に多い。

息子達家族が7月31日から8月4日まで尾鷲の実家にきた。すると、息子は安保法制反対の抗議に行くという。自分たちのやり方で抗議するのだという。
やってみたら反応がなく、人は通り過ぎるだけだった、という報告を僕は妻からまた聞きしたのだった。
テレビや新聞は戦争のことだらけである。息子たちはこんどは方法を変えて、シールズのデモに参加したようだった。
小さな子をもつ主婦達のデモ、高校生達のデモ。僕は中学生も小学生も「反対」をいいはじめたらよいのに、とか、自分はいつに時点で抗議にいけばよいかを思いながら、今日の15日を迎えたのだった。
天皇陛下が追悼式で、初めて「反省」という言葉を使ったとテレビが報じた。それが大きな意味をなすものならば、政治家は天皇陛下の中国や韓国へのお詫び訪問をなぜセットしないのか解せない。子々孫々まで謝罪の宿命を背負わさないためには、天皇が行く。それがなんとしても難しいことであれば、総理大臣が出かけて行って徹底して謝り、そこで両国民に、友好へのリセットを宣言したほうがよいと思う。

おそらく、15日が過ぎればテレビは先の14年戦争と植民地支配の報道をストップさせるだろう。そして国会ではいよいよ参議院での論争が再開される。すでに、自衛隊は、集団的自衛権が決議されることを見込んで、準備を始めている、というところから始まる。
アメリカへの後方支援が始まれば、自衛隊に入隊するものも減少するだろう。そして、自衛隊に入れば、大学にいけるように計らうとか、アメリカが今しているような方法で、貧困家庭の子供たちを勧誘するだろう、というところまでは見えている。可能性として、今後あり得ることは目に見えている。

中国もちっともよくはないけど、アメリカもよくはない。アメリカのよくない点は、みずからの戦争を「正義」とするところだ。「同盟」などという古い概念で、国々は縛りをつけるものではない。

こんなことをここ数日思っているのだが、今日市会議員である方と偶然喫茶店出会った。「尾鷲も消滅都市の候補に挙げられている。何か手立てはないか」と問われた。
あるはずもない。「それではダメだ」と叱られた。彼は真摯に尾鷲を思う人なのである。
僕は今やもう、尾鷲も紀北町も、熊野も松坂もという風に、それぞれの地域が、という発想がない。ヨーロッパでは国境を取り払ったように、尾鷲や紀北町という境界線はないと思っている。もうそんな地域主義の時代ではない。多くの人はもう知っているように思う。ここで生きられなかったら、生きられる場所に行こうとおもっているように。

戦争の総括

2015年08月13日 | 社会・経済・政治
 8月のテレビは戦争特集が多く、今年は戦後70年という節目であるということと、安保法制や安倍談話があるということで特に多いのかもしれない。
 100歳になる元朝日新聞の記者だった男性が、自分が従軍記者でインドネシアのジャワ島で見た日本軍兵の強姦、殺戮の様子を語っていた。新聞も当時は自主規制が始まり、二人だと自由に意見を言えたが、三人となるとみな黙った、と言っていた。二人だけの会話ならそれが漏れれば、誰だとわかる。三人だと疑心暗鬼になる。戦争に関する情報は秘密保護法によって、徹底的に隠され、大本営発表を書くしかないようだった。戦争反対を言えば、逮捕される時代を誰が作ったか。国民も作った。マスコミも作った。政治家や官僚、軍人も作った。
 この元新聞記者は8月15日で朝日新聞をやめ、週に一度の新聞社を作った。本当は辞めるべきではなかったと後悔していた。本当はあの戦争の検証をしていくべきだった。なぜそうなったのか、誰に責任があるのか。
 終戦になるとまず電灯が点いた。それからがみな食糧を確保するのに必死だった。慌ただしい戦後復興の過程で。あの戦争の総括を日本人自らしてこなかった。
 彼は「反省するということは自虐ではない」とはっきり言っていた。

 どうしてすぐにポツダム宣言」を受け入れると8月6日以前に言えなかったのか、何を遠慮することがあったのか、と思う。陸軍幹部らによる「本土決戦」「政権の奪取」が恐れられたというが、日中戦争以来、本来は天皇の鶴の一声で済んだのではないか、とも思う。
 ポツダム宣言を即刻受け入れていればソビエトの満州侵攻も、北方領土も、広島や長崎に原爆もなかったのではないか、と思う。

 彼は、今は戦争の前の雰囲気によく似ている、と言う。秘密保護法は成立し、集団的自衛権も成立しようとしている。政治家を縛る憲法が政治家によって解釈を変えられる。マスコミも特にNHKも自主規制をしているように思えてならない。読売新聞はもはや政府御用達新聞になっている。朝日新聞や中日新聞がかろうじて踏ん張っているところか、と思うが、どのマスコミも、例えば朝日新聞には朝日新聞の権力があり、奢りもある。

 何度も言っていることだが、戦争に正義の戦争などというのはない、戦争は「悪」なのだ。
 しかしアメリカは正義の戦争といつも戦争を解釈する。その正義の戦争につき合わない、勇気。それこそが「戦争の反省に拠るものであること」を示したいが、残念ながら日本人はこの70年間、国家を上げてそんな取り組むをしなかった。

 それがずっと尾を引いている。エコノミックアニマルとかつて呼ばれた日本人。その間に後世に残すためにも、先の戦争の総括と反省と謝罪を徹底して行っておくべきだった。  

百田尚樹の小説

2015年08月10日 | 文学 思想
小説を書いているとあっという間に時間が過ぎる。書いていないときはあれこれと書いたものを思い起こしたり、文に不自然さがないかとか、あの部分は余分かなとかいろいろ考えている。
 風景や情景の描写は難しい。もちろん比喩も難しい。比喩ノートでも日々作っておかないといけないのではないか、それも仕事のひとつだと思うようになる。
 もちろん僕は素人で、これからいろいろな賞に応募しようと思っている。年の差もある。
 例えば、百田尚樹は作家を廃業してしまった。僕から言えば、良い時期だったと思う。「永遠のゼロ」「ボックス」のデビューあたりの作品は構成上も、文も相当に練れていた。
 それが「海賊と呼ばれた男」や「錨をあげろ」あたりではもう文に筆力がなかった。ただ出来事とストーリーを書いているだけだった。週刊誌に連載しているものも目にするが、指示言語の羅列で文学の深みもなかった。だから小説家としては引退するべき時期に来ていたのだと思う。
 そして「つまらぬ」発言を繰り返した。普通、小説家の発言は思想的に十分に考え抜かれたことを発言するものである。それは死んだのちも残るのだから、十分に論拠を示して発言するか、沈黙かである。彼は沈黙も言葉だと考えている節はなかった。テレビにでる。政治の勉強会で講師を務める。NHKの委員になる。小説で自分の存在を示し、現在を掘り下げ、読者に共感を与えていればよかった。彼は書く力を削いでしまった。
 「幸福な生活」のようなあっと驚かす現代というものの不気味さもう書けないかもしれない。調子こき過ぎたのだと思う。
 と人のことを言っていてもしかたがない。世阿弥の能の言葉に「老いて花」という言葉がある、不思議なもので、日本の音楽も40代はまだ丁稚みたいなもので、歳を重ねれば重ねるほど、技能が冴えてきて、60代や70代は極みの時期である。西洋は反対のように思える。僕も「老いて花」になりたいものだと願うのだが、こころの持ち方こそが深みを増すものだと思ってやっている。成功するかどうはどうだってよい。

小説2編

2015年08月06日 | 文学 思想
 初めてプロになった気持ちで「小説」を2編書きました。客観的に評価がほしいので、そういうところはないのか、探しました。するとあるのですね。どれほどの批評眼をもっているのかわかりませんが、妻は読まないというし、何か感想がほしいので、小説公募のエージェントにお願いしようと思っています。エージェントというのがあるんですね。

 ひとつは「決闘」といいます、19歳の女性が主人公です。 もうひとつは「理想のバー」といい、33歳と30ぐらいの女性が主人公です。自分では案外面白く描けたと思っているのですが、情景描写は十分かとか心理描写に不足はあるかとか、会話はどうかとか、ストーリー性はどうか、と自分が書いたものになるとよくわからなくなってしまうのです。
 Mくんと酒を飲んだときに、「バーの小説あったらよいのに」とか言ったことがインスパイアされて「バー、ウィスキー の小説を書き始めたら、どんどん想像が膨らんでいったわけです。それおぞ原稿用紙130枚ほどの短編です。
 何が不足しているのかとても知りたいと思っているところです。