25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

Simpatico

2015年04月30日 | 音楽
 渡辺貞夫の「Come Today」をずっと探していた。ブックオフにいってもないし、タワーレコードに行ってもなかった。「アマゾン」にあるじゃないか、と言われたらそれまでだが、見つけるのが楽しいのだ。店で買い物をするというのは一種の快感でもある。
 渡辺貞夫はすでに81歳である。ところがますますサックス奏者としては腕が上がっていると本人が言っていた。「Come Today」の中に「Simpatico」という曲がある。僕はこういうポルトガル系のというかブラジル系の哀愁漂うサウダーデの思いが好きなのだ。うっとりとしてしまう。こころがとろけるようになってしまう。
 名古屋の近鉄ビルに入っているタワーレコードにはなくて、大阪の難波の店でもなかった。すると、名古屋栄のブックオフにあったのだ。一昨日はカサゴの穴場を発見したのに続いて、今日はこのアルバムを発見し、大喜びだったのだ。
 いいことなんて、長くは続かないよ、と思っていながら、こう続くとやはり嬉しい。
 娘たちは東京に帰った。
 また静かな生活に戻った。
 はて、どうしたものか、と一瞬、楽しさとは何か、と考えてしまう。娘たちといると楽しい。音楽を聴いているのも、本を読むのも楽しい。
 人それぞれに楽しみ方があるだろう。楽しいことは短い。苦しいことは長い。
 今度は何が起きるやら、脇を締めて、慎重にと思うのだが。
 

日本

2015年04月29日 | 社会・経済・政治
 日本はアメリカのあとをついて戦争に参加することを国民の合意もなく、アメリカで発表してしまった。はじめにアメリカありきがこの国だと思うと戦後民主主義や国の自立というのはなになのかとまたかんがえざるを得なくなる。
 自衛隊員の不戦地域での活動ですら、帰国後の自殺が21人になっている。
 地球規模で、アメリカについてまわるなら、後援活動であれ、戦争である。自衛隊員はどう思っているのだろう。これから自衛隊員は集まるのだろうか。専守防衛、災害救助として徹底できないものなのか。世界はアメリカのあとを追わなければならないほど不穏なのだろうか。テロが問題とは言い難い。念頭に中国への牽制がある。なぜ中国を牽制しなければならないのかもよくわからない。仲良くすればいいだけの話だ。領土の問題については徹底的に話し合い、それでも共同統治をすればいいことなのではないか。

 小渕優子議員にしても辞職しなければならない。マスコミのインタビューを避け、涼しい顔をしているわけにはいかないだろう。
 日本は急速に旋回した。

 株価上昇のなかで、輸出企業のない地方はますます沈んでいくように思える。
 尾鷲には高次産業を起こすことが必要だ。
 有能なインテリジェンス人材が必要である。
 やがて戦後のような時代がまたやってくる。国債金利の上昇だ。どうなるのやら日本。おボッチャマ政治家だらけの日本。
 どうにも、不快である。

カサゴ釣り 過去にない成功

2015年04月28日 | 日記

 ガシ、一般にはカサゴという根魚。これが美味しい。この辺のスーパーでは小さなカサゴが3匹一パックで売っているがずいぶんと高い。気軽にいけるところで、カサゴが釣れないものか、ずっと思っていた。それが今日当たったのである。昨日いった松本に、今日狙いを定めて
いったのだった。娘たちはアサリとりの潮干狩り。その間に、僕はカサゴを狙いに行った。スーパーに生のイワシがなかったので、カツオの切り身を餌用に刻み、いざ出陣した。
ちょっと危ない丸太の渡しがあって、用心して渡った。
 第一投目で、ガツガツときて、びっくりしたが瞬時に喜びに変わったのだった。20センチはあるカサゴである。気分よくして、要領も得たような気になった、また同じところを狙った。するとそこではもうアタリはない。別の石と石の間を狙って、竿をだす。するとまたヒット。一時間ほどで釣ったのは12匹。
 Mくんに電話報告すると、「穴に一匹だけですから、全部穴にいるのを釣ってしまってはだめですよ。10匹釣ったら3匹はリリースしたら、そこに居付くようになるので。20センチのガシだったら5年物くらいじゃないですか」
 僕は、穴にいるカサゴを釣ってしまうと別のカサゴが来て住み着くのだと思っていた。

 自分だけが知る穴場はないものかと常日頃から思っていた。11月のハゼ釣り。春から夏のカサゴ釣り。危ない磯物は止めたので、もうあと残るはアジかキスくらいしかない。尾鷲はメバルが少ない。ヒラメもありかもしれない。ヒラメの穴場も知りたいものだ。僕の知り合いはマゴチとヒラメを船でいってよく釣ってくる。きっと堤防あたりの潮通しのよいところにはいるはずだ。 

ウキウキした日だった。釣りはあらゆることを忘れさせてくれるし、食べるのも楽しみである。
 また日の光を浴びたので、ほどよく疲れた。娘たちは潮が悪く、アサリはあまりとれなかったらしい。滅多にない経験を久しぶりにした。一度イガミをホイホイ釣ったことがある。父が生きていたころのことだ。二人であまりにも釣りすぎて、市場に揚げたことがあった。正月前の寒い日だった。


腰方形筋が痛む

2015年04月27日 | 日記
 昨日起こした釣り場の事故で左腰に炎症を起こしているようです。
 娘がいたので、どこが痛いかを自分で探しました。娘は私の指示にしたがって、するだけです。
 まず、本当はふくらはぎ揺らし、足指まわしとか、足首まわし、座骨神経の緊張とる、をまずやるべきですが、
 最初に仙腸関節の開くのと、上げるのをしてもらいました。次に両膝横倒し、両膝よこたおし(腰幅)をしても痛くありません。
 膝押し、引き寄せも痛くありません。次に股閉じをしてもどうもありません。お尻ストンをしても大丈夫です。今度は脚上げをしここにちょっと脚を45度ぐらい上げると激痛が走りました。
 ということは深部の腰方形筋が炎症しているのです。ここを緩めないといけません。それで脚上げを4,5回し、横になって骨盤の中央、一番上のところぐさりを親指を入れてもらいました。5秒押します。それを何度か繰り返します。完治はしませんが、とても楽になりました。また夜やってもらい、明日もやってもらつもりです。

 今日は網戸の張替えを娘がしてくれるというので、なんだか申し訳ない有様です。

過去のブロクは
hhttp://yaplog.jp/25jikanme

釣りにいく、またもや失敗

2015年04月26日 | 日記
 昨日に続き、今日も良い天気だったので、娘と孫を連れて岸壁に釣りにいきました。まだ五月晴れとは言えず、うっすらと霞がかかったような空の下、潮の微風を感じながら釣りをしているとちょっと疲れます。おそらくセロトニンがいっぱいでているはずで、昨日の晩はぐっすりと眠れました。今日は松本の岸壁に行きました。アミエビを撒くと、魚がいっぱい寄ってきます。最初にあたったのが結構大きなメジナでした。こちらではグレといいます。

 しばらく数匹のグレを釣って、手を洗いに、岸壁の下にいくと、花崗岩が波消しに使われています。その石の間に、な、なんとチャンぽこがへばりついています。ついいつもの癖がでていくつかのチャンポコ(巻貝の一種です)を採ると、胸ポケっとにいれていたタバコが水の中に落ちてしまいました。それが僕の無用心さです。タバコを拾ったところで、左側の腰に力が入ったのでしょう。とkろが左の腰の力が全く働きません。それで、これはいかんと思い、反動を利用してからだごとゆっくりと倒れたのです。牡蠣の殻が石にいっぱいついています。それで手のひらの小指下をざっくりと切ってしまいました。またもや、釣りで怪我です。一度目は死が間近に迫るほどの危険性があって。今度はそれを用心していたらふいに大きな波がきてメガネをさらわれ、今度は手の怪我となりました。つくづく筋肉系が弱っていることを思い知ります。

 22日の夜中にスナックをでると、道の中央に男が仰向けになって倒れていました。みなびっくりして「救急車!救急車!」と騒ぎましたが、脈をとってみたり、呼吸をみていてもただ酔っ払って歩けなくなってそのうち道の上で寝てしまったようです。泥酔者というのは重いものですが、僕はみなさんに教えるキツネコンコンの技で、ひょいと起しました。それから僕は彼を道路の脇にまでズルズルと7引張ったのです。この引っ張り方がうかつでした。重心を落として、これもキツネコンコンで胸を挟むべきでした。しかいもう起き上がっているんで、簡単だと思い、いつもの腕のと腰の力で、引っ張ったのです。すると左の腰がピリッとしました。その男性はやがて立ち上がり、よろよろと歩いて北の方向にいきました。
 そのときはあれ、ピリッとしたなあ、と思っただけでしたが、今日になると、全くその周辺の筋肉が痛くて、力が入らなかった、痛みが走ったというわけです。
 今日は娘がいるので、ボディチューニングをしてもらうつもりです。完全に筋肉か筋膜に炎症が起こっているはずです。原因のわからない腰痛ではないため、放っておいてもやがて治っていく種類のものです。

 さて、切った手は案外深く、これは水で禁を洗い流して放っておきます。軟膏などは」使いません。

 話は違いますが、そういえば、今日テレビでお医者さんは、芸能人であるベティは靴下を10足重ねて履き、ベッドに入る、ということを聴いて、「それは絶対だめです」と言っていました。寝る前は若干身体の温度は低いほうがいいのだそうです。それで布団の中でだんだんと温まっていくのがよい、絶対彼女に言っておきたい」と言っていました。寝る前に体の血液を温めて、ぐるぐる身体にまわしてしまうと、それだけ心臓に負担がかかるでしょう。
 僕が思うには、ベティは冷えを感じてそれをするわけですから、ちょっと栄養不足なのかもしれません。毛細血管にまで酸素と栄養素が行き渡らないのかもしれません。やせていうことを気にすればどうしても栄養失調になります。テレビはどうしてもふと目に見えますから、女性のモデルやタレントはその辺が気をつけるべきところです。

 それにしてもまたもや今日はガックリの大失敗となりました。

 

青葉

2015年04月25日 | 日記
 首相官邸を狙った「ドローン」。この名前はおそらく全国の人々の記憶となっただろう。
 なぜ、こうも中途半端なのかと思うが、原発政策に抗議」とあるからにはただ単なる「抗議」4なのだろうと思うばかりだ。

 不思議なものだ。そんな7ニュースを午前中に聞く。それから僕は母を乗せて九鬼の診療所にいく。帰りがけ、スーパーで母の買い物を手伝う。
  昼ごはんを食べて、今度は娘と孫と魚釣りにいく。前の魚市場を試してみた。アミエビを撒いてもアジはこない。それでも娘はギラを4匹釣った。娘の子供(孫)は母の餌つけをしていた。市場には四日市からの夫婦も来ており、キスを釣っていた。
 あまりのいアジがこないので、2時間ほどであきらめた。次回は松本にしようと思った。
 アミエビを撒いてもどんな魚も来ないというのはよほど場所が悪いのだと思う。

 山手の方に目を向けると、山の雑木林には新芽がでている。ヒノキ林は全くだめだが、雑木林、照葉樹林はだんだんと勢いを増している。青葉。あと数日で、山はもっと美しくなる。山の美しさは桜と紅葉だけではない、青葉、この頃が一番美しいのである。

自問する

2015年04月24日 | 日記
 バタバタと午前中、仕事を済ませて、午後はのんびりとした。
 バリ島のウダヤナ国立大学に日本語学校を作るということで、僕がそのテキストを作ることになった。enomoto method という名称にして、介護と看護に特化した日本語と日本語検定N4レベルまで、速攻で教えるテキストと教授法が求められる。自負するが、僕のメソッドは全く先端だと思っている。
 明日からテキスト作りを始める。資料も収集した。できたら6月20日の誕生日までに終えたい。
 このテキストが成功したら全インドネシア、フィリピン、ヴェトナムに広がることになろう。

 これが終われば、コンクリートのことに精を出しつつ、文学の世界へと進みたい。まだまだやらなければならないことがある。死ぬわけにはいかない。

 体のことと心のことは、ボディチューニング1・2と理論1・2にまとめられ、心のチューニングは「+α認知行動療法」と「心のチューニングテストと解答」にまとめられた。それに対する資料も加えた。

 日本語テキストは介護・看護と検定N4までにまとめるつもりで、日本にやってきた外国人研修生が早く介護福祉士や看護師の資格がとれるようにしたい。
 そのために、リスニングは昔作った TPR(身体を通して言語を聞き分ける方法)と現場で使う日本語と、文字の練習の3項目に毎回収めたものにしたい。

 1つのことを徹底的にやるには早くて10年、場合によっては15年かかる。
 ああ、僕も残る時間が少なくなっている。何ができるか、と自問する。
   

サザンの「葡萄」

2015年04月23日 | 音楽
サザンの「葡萄」限定版(CD+DVD+インタビュー冊子)を買って、熊本ではそれをかけて寝た。サザンは桑田佳祐の曲作りもよいが、ちょっとくすぐるのはパーカッションの野沢である。絶妙はところで合いの手を打ってくる。それがサザンのアルバムを豊饒にさせている。「天井桟敷の怪人」はチャチャチャのリズムで、ブラスも4+4+4で強力である。そんなブラス音にパーカッションが入ってくる。ドリフターズのおふざけもオマージュしている。
 安倍晋三をちゃかしたと文句を言うものもいたが。そういう人はよく歌詞を読むとよい。どこに安倍をけなしているところがあるだろう。本当のことを言っているだけだ。隣りの人と摩擦があるのは本当だし、学校教育では現代史は一番最後になるので、なかなか教えてくれないのも本当だ。

 ザ・ピーナッツに歌わせれば、もしくは高田みずえに歌わされば素敵だろうなと思わせる原由子の「ワイングラスに消えた恋」もストリングスがきれいに仕上がっている。原由子の声は低すぎるので、やっぱりピーナッツだろうなと思う。
 「葡萄」は昭和時代と平成時代を織り交ぜていて、どちらかと言えば、昭和時代の色が濃い。「青春番外地」などはあきらかに高倉健がまだ若かった頃のオマージュである。「天国オンザビーチ」はクレージーキャッツである。しかし「祈り」は真剣である。平和を願っている。
 とにもかくにも楽しいアルバムである。現代っ子も取り込めるだろうと思う。

 サザンが復活してよかった。桑田佳祐も病気が治ってよかった。これからまだまだ曲を作ることだろう。
 桑田の歌を聴いていて、やっぱりこの男が日本で一番上手い歌手だろうと思う。 

男たち

2015年04月20日 | 旅行
 今日はとても愉快な夜だった。僕にしてみれば、20代、30代、40代の男性と話をしたのは18年ぶりのことだった。この18年間はほとんどが20代から50代の女性と仕事で話をしていたのだった。講習3日後の意見交換会、いわば飲み会での話である。

 講習時、男性たちの体と女性たちの体の違いに、特に男性たちの体の硬さや歪みが、女性たちと比べてこんなに違っているのかと思ったのだった。男性の方の体が傷んでいるのである。これは特別に感じたことだった。女性たちの体はしなやかで、筋肉も柔らかかった。
 ところが女性たちのビジネスセンス、というか、サロンを経営していくうえでの甘さが特異だった。僕はいつもイライラしていた。
 女性と男性が話す言葉が違うのである。語彙も、語句も、さらrに言えば文脈も全く違うのである。
 これはこのイデアスという会社のスタッフだからなのかもしれない。

 翻って、尾鷲でこれまで見た男性たちは、とてもつまらないものだった。(もちろん、素晴らしい人もいる)。バリ島に来る女性よりもつまらないものだった、という印象が強い。悪口、噂話、愚痴のあれこれ、世間体、周囲の目を気にする心。僕は男というのはこんなに女々しいものなのかと思っていたのだった。特に気にするのは政治をチェックする市会議員だと思う。ほとんどの人が世間を気にしている。これにはうんざりする。そうなるとよそのことを模倣するか、他所から人を呼んできて話してもらうかしかなくなる。

 今夜の席は率直に言い合う雰囲気となった。仲間内での発言で、そこに創業者たちがいるのだから、本当のことは言えないかもしれない。しかし、人が本当のことを言っているか、ウソをついているかというのは目の動きや顔の表情でわかるものだ。
 さて、ここは勘だ。

 この会社を信じていいうのか、どうかという問題だ。社員の能力のありなしではない。社員の能力を開発し、突破していく意気込みがあるかという問題だ。そして、それが真摯であるかどうかという問題だ。

 男たちの世界を18年ぶりに思った。久しぶりに新鮮さを感じたのだった。もう20代、30代、40代の世代とはテレビドラマの世界でしかみれなかったのだから。

バルセロナ~リスボン~パリ

2015年04月19日 | 映画
 今日の講習が終わって、ホテルでTVをつけました。すると、スペイン、バルセロナのサグラダファミリアがいよいと2026年に完成するということです。ガウディの作品が、死後、いろいろな彫刻家によって引き継がれ、現在の主任彫刻家は日本人です。

 画像を見ていて、サグラダファミリアの前で、見上げていた自分を思いだします。グエル公園を歩いたことも、ガウディが作ったというアパート カサミラも見ました。バルセロナはガウディだらけです。既成の価値観にとらわれることのない建築・彫刻家ですが、彼が作ったベンチや椅子は人間のお尻というものをしっかり考えられたものです。形だけにこだわっていません。
 アパートもきっと住み心地がいいのだろうと思います。つまり機能面でも優れた独創者だったのだと思います。

 僕は本当はバルセロナに行く気はなかったのです。インドのニューデリーを経由してドイツのフランクフルトに行き、ドイツを旅行してからポルトガルのリスボンに、そしてパリにいる恭くんと会って、それで帰ろうと思っていたのです。ところがフランクフルトに着いたのはご前時頃で、なんとなくフランクフルトでホテルを探すのも面倒な気もして、急に気持ちが変わって、僕はドイツ旅行を止めて、バルセロナに行きました。バルセロナは海の町です。地中海の料理もあります。大通りをぷらぷら歩き、観光案内などを見て、サグラダファミリアなども見にいったのです。その時の旅の一番大きな目的はリスボンのアルファーマ地区で「ファド」を酒を飲みながら聞くことでした。ファドとはポルトガルギターとギターで伴奏される演歌のようなものです。切ない歌唱と明るい歌唱のファドがあります。
 酒場で、「コインブラ」が演奏されると、ほどよい酔客たちがみな歌い始めるのです。それほど有名な歌です。

 アルファーマの路地を歩きました。夜も歩きました。昼には洗濯物が干してある風景も、夜になるとひっそりと明かりが灯る窓になっています。まさに、船乗りの夫が遠くに出かけ、妻が夫の無事や帰ってくることの思いや、その逆の夫の遥か遠くから故郷や家庭をなつかしく思う気持ち(サウダーデといいます)をファドは心の底から歌います。
 リスボンで数日過ごし、列車に乗ってマドリードへいき、そこから飛行機でパリに行きました。パリの空港で、地下鉄の時刻表を見ていたところ、荷物を全部盗まれました。狐につままれたようでした。何かのマジックのようでした。ほんの30秒ほどのことです。買ったばかりの素敵な黒革のショルダーバッグも、スーツケースもすべて盗まれました。現金、パスポート、クレジットカード
、全部です。
 恭くんの住所さえおぼえていませんでした。やれやれ、と思い、空港の警察に行き、恭くんの住所と電話番号を聞き出し、電話をかけてもらいました。
 恭くんが迎えてくれてから、パスポートの再発行、クレジットカードの使用差止め手続き、とりあえず使える新カードの発行などをしました。
 翌日からは印象派のオルセー美術館とか、ルーブル美術館などをめぐりました。恭くんらとヴェトナム料理も食べに行きました。もちろん恭くんのレストランにも行き、彼の料理も食べました。彼は今や雑誌でも紹介される有名なシェフになっています。

 バルセロナの映像からいろいろなことを思い出してしまって、僕の不用心さをまたあらためて思い知ったのでした。なんだかいつも脳の核心の周囲がぼんやりしているような感覚があるのです。この前も岡田さんに酒場で指摘されたことです。「社長、バリ島行きも注意せなあかんで。どこぞぼんやりしとるからなあ」と笑って言うのです。その通りなので反論もできません。おかげで、注意を払うことになりました。現在いる熊本でも注意を払っています。

芸能人の work shop

2015年04月18日 | 映画
 若い30代の男性社員に「からだ」のことについて僕のアプローチで講習した。
  「週刊新潮」ではたまたま「フランスが痩せすぎ女性モデル禁止令」がでたこともあって、Body Mass Index、とまりBMIの数値の出し方から話を始めた。BMI は 体重÷身長の2乗で計算する。僕の場合だと体重は68KG、身長は173cm(これをm にすると)1.73m である。すると僕のBMI(体脂肪率とか、体格指数ともいう)は23.529となるので、合格となる。18以下は栄養失調、25以上はメタボとなるわけだ。

 やせて、ほっそりしていることが至上の美だと勘違いしている女性が多いのには気がついていた。エステを習いにくるのである。そういう女性はまず手が冷たい。力がない。全くエステテシャンには向かない。行き過ぎると摂食障害となる。外見のことばかり気にしているのである。

 北川景子は「花のあと」という映画では素晴らしかったが、着物ではなく洋服となるとあまりにも脚の形が悪く、O脚で曲がっている。しかも細い。日本でも禁止令がでたら俳優ができなくなるかもしれない。

 とにかく日本の女性は脚の形の悪い人が多い。
 米倉涼子ももう少し足先を外に向ければ脚の形はもっとよくなる。

 そこで日本の芸能人や希望の人たちに、栄養のことや、スタイル、歩き方のことを教える専門の work shop を開いたらどうかと明日、この会社に提案するつもりである。

 と今日は講習を行い、くたびれた。


 

BMI ダイエットには気をつけろ

2015年04月18日 | 日記
 今日から熊本です。4日間びっしりの講習をします。しかも男性ばかりとあって、これは初めてのことです。
 招聘してくれた熊本の井出尾さんが経営する「馬桜」という店で馬肉を食べました。
おもしろいのは、馬の肉の脂は舌の36度ぐらいの温度ですっと溶けていくのです。豚肉はアグー豚以外はそうはいきません。

 馬肉は牛肉よりも赤いのですが、これはおそらくきっとタンパク質のアルブミンが多いのでしょう。アルブミンは血管を丈夫にするタンパク質です。
 血管と言えば、アルブミン不足の栄養失調があります。菜食主義の人に多く、若い「スリム」を意識している女性にも多い栄養失調です。こういう人は早く死にます。人は血管から老いていくのですが、その血管が栄養不足のため弱いのです。フランスではやせたモデルを使う禁止令がでました。

 自分の体重÷身長の2乗で、18以下の場合、モデルになれないのです。「痩せすぎモデル禁止法」です。日本だと、北川景子、河北麻友子、桐谷美玲、あびる優、鈴木えみ、坂口杏里、菜々緒、戸田恵梨香、高橋みなみ、蛯原友里。水原希子、道端アンジェリカ、藤井リナ。

 僕が思うに、ここにあげた人はアンポンタンなのです。外形しか気にしていないわけです。テレビ画面はどうしても膨らんでみえます。そこを意識しすぎてもっと痩せよう、という根拠に彼女たちは「栄養」という知識が足りないのです。

 アメリカ人のようなデブも困りますが、せめて18以上の筋肉も脂もある体が望ましいと、どんなところでも言われていますが、やせ傾向はなかなか変わりません。自分が死ぬときまでわからないのかもしれません。

 惨めなものです。痩せすぎは不妊症、貧血、骨粗鬆症などになる恐れが大です。自律神経の中枢である視床下部をも悪影響を及ぼします。

 エステテシャンはそういう傾向に迎合するのではなく、ちゃんと助言できなければなりません。

今、世に流行るもの

2015年04月15日 | 文学 思想
今、世に流行るもの

コラボ、絆、キラキラネーム

今、世で許せないもの

ウソの小出しの東電、
戦争したがる政府

今、世にそっとある大切なもの
 
地方裁判所の判決、戦争を経験した人たち、原爆の被害者、
ひめゆりの人たち、もう失くなってしまっていきそうな声。

親の七光り

2015年04月12日 | 社会・経済・政治
 親の七光りで有名になり、選挙の地盤、看板を継ぐ。そういうものにすべてが寄せられるかのようになる。小泉進一郎もそうだ。阿部晋三もそうだ。多くの政治家は世襲制のようになっていて、それで、民主主義だ。公平な選挙だという。
 選挙といえば、「地縁」「血縁」や「義理」を言い出し、裁判となれば「個人」を主張する。
 例えば学校の先生が何かの罪を犯したとする。しかし出てくるのは校長だの教育委員会だのである。
 おかしかあないか、この日本の社会。民主主義といいながらそれはちっとも根幹ではそうでなくて、自由と個人主義だと言えば、責任を転嫁させる。
 今日も統一地方選挙があった。結果はまだ知らないが、相変わらずなのだろう。真摯な選挙と言えば前回の沖縄県知事選挙であった。沖縄は争点がはっきりしているからだ。

 アメリカとキューバが国交回復に向かって前進している。イランとも前進している。アメリカには中国とロシアとも仲良くやってほしいものだ。オバマ大統領は宥和路線である。
 話し合えば、辺野古基地移転の問題での沖縄県民の気持ちはわかるはずである。とことん話し合ってわかってもらえなかったら日米同盟などやめればよいと思う。日本は中国や韓国、ロシアとも仲良くすればよいと思う。両者が主張する尖閣や竹島、北方領土は共同の統治でいいのだと思う。
 国の領土を争うなどという考えは古い国民国家の考えだと思う。人は行き交い、交わり、やがて純血種なおというものは(今でもないと思うが)なくなっていく。それが大衆というものの力である。

 教育の貧困さだけは作ってはならない。教育の格差や機会の不平等だけはあってはならない。
 土地などというのは本当は個人のものではない。自然のものである。それはみんなのものである。司馬遼太郎を出すまでもないが、僕はそう思っている。

 ちょうどテレビでは黛敏郎の「G線上のアリア」に振り付けをした現代舞踊をやっている。若い人たちは素晴らしい。彼らの演技に国境もくそもない。おそらく別の国に行っても絶賛を浴びると思う。日本人のダンサーのスタイルも断然よくなっている。そんな芸術は自ら這い上がってくるものだ。しかしながら、「習える」という機会は平等であってほしい。

 するとそれが終わり、画面は「関口宏」と「梶芽衣子」の対談に変わっていた。思い出すのはキル・ビルででてきた「修羅雪姫」の歌を思い出す。梶芽衣子は「鬼平犯科帳」では「おまさ」をずっと演じていた。神田の生まれだそうな。「さそり」ではほとんどセリフがなかったような気がするが、今日の対談ではよく喋っていた。彼女とて、時代劇はやるものの国という強い意識があってやっているわけではないだろう。芝居も国境を超えるものである。

 とりとめもなくなったが、どんなに制度が変わろうと70年やそこらで「変わらない意識の底のほう」と大いに変わった「目に見える外見上の装飾的なもの」があって、実は、責任とか反省とかは国をあげてやっていないのが奇妙なことである。
 天皇陛下がパラオにいくのはいいが、中国にも韓国にもこの際、行ってほしいと思う。行かすわけにはいかないのが政治家なのだろう。
 

春がいく

2015年04月11日 | 日記
 バリ島から帰ってきてから天気が悪く、花見をする気分にもなれず、その間に花は散っていくのだった。吉野の金峯山寺で蔵王権現の の開帳があると妻君がいう。吉野の山桜を見るのが僕の主眼で妻は蔵王権現を見るのが主眼である。だから行こうかとなったのだが、天気予報が悪い。気分もあんまり乗らない。
 やらなければならないことがあって、なんだか出不精になっている。大事な仕事を早く、慎重に準備しておきたいと思うので、気持ちが遊山の気になれないのである。麓の桜はもうみな散っている。
 今日、曽根町に用事があっていったら、曽根の桜はほぼ散って、1割ほどが残っているという状態だった。今年はしっかり桜を目に焼け付かなかった。惜しい気もするが、しかたのないことではある。山々を見ていると、すでに若葉がもこもこと芽吹いている。

 4月16日に娘と孫二人が来るという。僕は17日の夕方から熊本に5日間行く。帰宅しても娘たちはいるののではあるが、僕はやっと3歳になった孫娘とチャンポコを採りに行こうと思っているので、月齢が気になる。
 東京という大都会で育っている孫娘二人と孫息子1人が気になる。
 学校らはどうでもいいから仲間と一緒に「遊べ、遊べ、野山、海辺、川辺で遊べ」と言いたくなる。
 それで、自然の生き物を怖く、神経質にならないようにとどこそこへ連れていこうと思ったりするのである。行野の磯にいって、貝をとり、これは何、あれは何と触らせたい。ついでにタコでもつれないかと思ったりするので、釣竿を用意しておこうと思う。しかしどうも僕が帰る22日ぐらいからは潮の都合が悪いのだ。う~ん、と唸っている。
 僕は、海辺で育った人間なので、海辺に関しては強いのだが、山のものは皆無にちかいほど植物の峻別ができないのである。
 どうしようか、とこころのひとつの部分では思う。熊本での仕事は今一番大事な仕事である。そして、次の仕事への準備もスタートさせなければ、遅れてしまうかもしれない。
 悩ましいことだ。