25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

鬱陶しいこと

2016年03月31日 | 日記

 姉が二年前に生カキにあたり、緊急入院した。母親が事故を起こし集中治療室を出たあとのことだったが、同じ部屋だったのには驚いた。結局一ケ月ほど入院して、命をとりとめた。ところが後遺症というべきか、トラウマというべきか、以後、貝類が食べられなくなった。さざえを食べれば、下痢をする。

 姉の友人が「タカノツメ(亀の手)」を茹でて食べた。すると、彼女の体は倦怠感に被われ、病院に行くと、やはり、タカノツメにあたったのだそうだ。じっとしている貝には特殊なウィルスがついているらしく、それな熱にも強い、ということだった。本当なのか、わからないが、姉はあの美味しいタカノツメももう生涯食べられないのか、と思うと、今度は自分のことを思ってみる。

 齢をとることで、食と関係するのは歯であり、胃である。もちろん、膵臓からの消化酵素やタンノウからの消化酵素などである。

 僕はまず残念にも今食べられないのはホルモンの腸やミノ、それにあわび、なまこである。食べたいけど、食べられない。歯がもたないのである。

 胃酸が出すぎるので、胃酸を抑制するガスターを時々服用している。すると胃の粘膜が薄く、弱くなってしまうというので、粘膜保護をする薬を同時に飲む。漱石は胃潰瘍で死んだが、今だったらそれで死ぬことはない。胃潰瘍は医学の進歩で完全に克服されたようだ。自分の適量を越えて食べると胃酸が出すぎる。うまくできているものだと感心する。

 ところでタカノツメや生カキで食当たりするとは、やはり内臓の機能が齢とともに弱っているのだろう。姉の友人は診察で、肝臓は言うに及ばず、腎臓、脾臓、それに肺に水が溜まっているとも診断されたらしい。肺の水、と言えば、僕もこの頃「飲み違え」が多くなったので、徐々に肺に水も溜まっていることだろう。齢をとると頭の中はさっぱりしてくるし、嫌いなものはしなくてよいけど、個人の身体の変化に鬱陶しいことが多くなる。耳、目、歯、筋肉、内臓、今のところ、歯が鬱陶しい。

 

 

 

 


白鵬 貴乃花 千代の富士 北の富士

2016年03月30日 | 日記

  しつこく相撲のことについて書く。相撲協会の八角理事長は千秋楽の白鵬の相撲を「いなし」とみなしていた。審判長の旭富士は日馬富士の立ち合いが早すぎたことを挙げていた。どちらも「さすが」だと僕は思った。「堂々としていない、横綱らしくない「変化相撲」とは言っていなかったことに僕は安堵している。「白鵬」についてネットで検索すると、ブーイングのコメントが多い。日刊ゲンダイなどはムチャクチャな書きぶりである。相撲がわからんものが相撲の取り口について書くな、と言いたいが、彼らは観客側として書いているつもりなのだろう。僕も観客であるが。

 ネットで「白鵬」を検索していると、「貴乃花」の写真が出てくる。頭を丸刈りにしている。頬がこけている。精彩がない。どこか悪いのだろうかとも思ってしまう。しばらく八角理事長の時代が続くのだろうから、貴乃花は弟子を育てることに専念すればいいのである。貴乃岩などは育て甲斐があるのではないか。

 先場所の大相撲中継で14日目には「元千代の富士」が解説者として出ていた。北の富士のような豪放磊落さはないが、解説は厳しい。なぜ負けるのかをきっちりと説明する。初期膵臓癌になり、噂によると肝癌と苦労が続いているようだ。テレビで見る限り、やや顔色が優れないと思ったが、まだ筋肉もしっかりついているように思えた。なぜか親方衆から人気のない千代の富士。八百長の代表格とも噂される。なかなかうまくいかないものだ。噂話ばかりで申し訳ない。

 相変わらず、元琴錦(現朝日山親方)の解説は上手い。よくわかる。取り口をしっかり説明してくれる。この頃は愛嬌も出てきて、こういう人が解説者となってほしい。北の富士はやや記憶力に衰えが目立つようになってきた。それにあまり勉強というか下調べをしていないように思える。おもしろく、ズバッと言って、いつも楽しみなのだが、先場所あたりから「もうろく」が目立つようになった。

 


蕪と鰯

2016年03月29日 | 日記

   野球やサッカーをあまり観ない僕にとっては、あまり嬉しくない季節となった。自然界は青葉が雲のようになってくるので、五月あたりは気分も高揚してくる。

    今年は毎日、毎日イワシと蕪を食べた。飽きることもなくもうすでに一ヶ月は続いている。イワシの脂がそこかの時点で変わるかと思ったが、今年も去年と同じで少々の脂もなかった。 がっかりするがこんどのこそ、と思いながら、買って食べ続けた。

   ところで、スマートフォンにはヘルスのアプリが入っていて、昨日は歩いた時間が1分だとでてきて、59分足りないとでてきた。そう言われればそうで、パソコンの前で指だけ動かし、酒を飲むときに腕と指だけを動かしているだけある。いかんなあ、と思う のだが。

  


白鵬

2016年03月28日 | 日記

 白鵬がだらしのない日馬富士の額に手を当て、よこに躱した。先場所栃煌山戦と同じ取り口であった。僕に言わせれば、あれは「りっぱな技」である。逃げの技」ではない。「魔法のような技」なのである。額に手を当てると、相手力士は「あれ?」と思い、止まるか、突っかけるかしなければならなくなる。すると体を横にするだけでよい。失敗する場合もあるから、白鵬はそれにも備えていた。大阪場所の観客の半分は見る目がない。「ブーイング」「やじ」を飛ばし、白鵬の優勝を台無しにする。責められるべきは「日馬富士」や「鶴竜」である。白鵬の圧倒的な強さを13日間は堪能したはずだ。それでも白鵬は千秋楽の相撲を謝っていた。謝る必要もないのに、謝らなければならないような雰囲気がある。横綱だから。36回の優勝力士だから。

 今の相撲をおもしろくしてくれているのは「白鵬」である。相撲協会はこの大横綱に一代年寄りを国籍に関係なく与えた方がよいと思う。相撲界への貢献度は群を抜いている。

 それにしても白鵬は強い。朝青龍がまだいたら、36回の優勝は無理だったかもしれないが、現在では同じ横綱でも圧倒的に強い。表彰式の前にブーブー言って帰っていく大阪の客を観ていて、少々腹も立った。相撲は興業だから客も「優勝決定戦」や「横綱どうしの熱戦」を観たかったというのはわかる。だからと言って、優勝をたたえずに、帰ってしまうのもいかがなものかと思う。

 来場所は「正代」「御獄海」が上がってくる。「大砂嵐」、「遠藤」が戻ってくる。十両でも「宇良」が上がってくる。「石浦」も楽しみである。逸ノ城も出稽古に励み、体重をもっと落とせるだろうか。

 二週間がさっと過ぎてしまって、今日から夕方にみるべきものがない。テレビももっと、剣道の試合や、相撲稽古の風景などやってもらいたいものだ。芸人が出てきてちゃらちゃら話をしているのと、どこのチャンネルでも同じようなニュースををしているのを見ると、テレビの斜陽もうなずける。


Falling Down

2016年03月27日 | 映画

  「スーパーマン リターンズ」を期待して観た。地球を救ってくれるのはいいが、ビルが次々と壊れ、そこには人もいるだろうにと思うと、いわゆるメチャクチャな映画であった。

 それに比べて、マイケル ダグラスの「Falling Down」 は、ムチャクチャではあるが、面白かった。

  主人公は小銭がないので、フィリピン人の店に入って、両替を頼むと、何かを買え、と言われる。しかたなくコーラを買うと、ぼったくりの値を言う。主人公は娘の誕生日に娘と会いたいのである。それがぶちキレる。コーラ代は払う。バットで店をメチャクチャに壊してしまう。こんなところから始まって「怒り」は不運にも続いていく。歩いていると、不良の一団に金を脅しとられようとする。これにもぶちキレる。ナイフを手に入れる。そうやって、だんだんと、武器が拳銃となり、機関銃となりロケット砲になる。自分はなにも悪くはないのに、事態はどんどんと悪い方に進んでいく。

  嫌なことは続くものである、ということを極端に描いていた。

 さて、白鵬は断然強い。現在十両の相撲を見ている。石浦もおもしろい。幕下の宇良もおもしろい。どちらも運動神経がよい。あっという間の二週間であった。


若さと美のヒミツ

2016年03月25日 | 日記

 NHKでの「若さと美のヒミツ」を見て、また目からウロコが落ちた。ちょっとの間に研究は進んでいるのである。

 一日に7000キロカロリーの食事を摂っても太らない人、太ってしまう人の差は何か、と言えば、ひとつに腸に「腸の痩せ菌=ビフィズス菌、バクテロドスなど」が多いと太らないらしい。そしてこのやせ菌を育てるのは水溶性の繊維質だということだ。食事で言えば、ひじき、ごぼう、納豆、らっきょ、オートミルなどをしっかりとることだという。そして腸の筋トレをすることだという。どうやって筋トレするかと言えば、消化の悪いものを食べるのだそうである。

 腸は最も大事なところだと認識していた。セロトニンが90%あり、ビタミンが作られる。栄養の吸収と排泄を行う。腸内100兆にも及ぶ菌はセロトニンなどを運ぶ役目もする。アレルギーにおいても、腸内の環境はきれいすぎてもいかないし、悪玉だけでもいけない。そう認識していた。腸の筋トレとは消化の悪いものを食べることによって、腸の蠕動運動を活性化するということだった。すると縄文人らの食べ物は優秀だということになる。

 「若さと美のヒミツ」のもうひとつは血管であった。特に毛細血管である。齢をとってくると血管から老いると言われる。その血管の老い方を顕微鏡写真で見ていたら、なんと血液が十分に巡って、酸素と栄養素を行き渡らせている毛細血管がやや齢をとると曲がってくる。そしてやがて歯が抜けるように消失してしまう。

 これをストップするにはやはり軽い運動である。静脈・リンパマッサージもよい。

食べるものでは毛細血管にピタッと貼り付く壁細胞を減らさないことに貢献する沖縄の香辛料 ピーヤシ、それにシナモン、ルイボスティなどがあるらしい。

 僕も足が冷えるようになったし、頭の毛が細くなっているので、毛細血管がずいぶん減っているのだろうと思う。なにせ、60歳になると毛細血管は4割ほど減ってくるのだそうである。間伐された山のようなものを思い浮かべればよい。

うん、まあ、厄介なことだ。


待ち遠しく 響

2016年03月24日 | 日記

  毎日、気分が明るく、調子よく、楽しいというわけにはいかない。毎日がルンルンなどという人はいるのだろうか。調子にも波がある。月の形が変わっていくように規則的であれば調子も予測できるが、人間の場合、そういうわけにはいかない。

 こころと体はリンクしている。一体であると言ってよい。

また人間の多くの病気は免疫力も含めて「人間との関係性」によるものだと思う。最近、腰痛でさえ、脳を含めたこころが起因するものが多いこともわかってきている。それほど、こころと体は微妙なバランスのうえで、人間は出来上がっている。

  どうも僕は「事故」にかきまわされている。バリ島の爆弾テロで被害を蒙った。母親の事故で、その後の介護や見守り、裁判への準備、話し合い、調査、となんとなく調子が狂う。

  やれやれ、終わったぞ、と美味しい「響」でも飲みたい。そんな日を待ち遠しく思って暮らしている。

 


殺気だつ白鵬 相撲協会

2016年03月23日 | 社会・経済・政治

 人間との関係は七面倒くさい。

 ある人は七面倒くさく、頼むにややこしく、ああだこうだと理屈うぃ述べる。

同じ立場で同じ効力を発揮する人で、その人は七面倒臭くなく、頼んでもすっきりと快く、理屈も述べず、その通りだ、と言って証明書にサインしてくれる。

 だいたいよくよくこころがけておかないと七面倒臭い人間になってしまうかもしれない、物事に億劫になるなどということはその予兆かもしれないなどと思ってしまう。用心、用心。

 この二、三日、裁判のための証明書を頼まなくてはならないことがあって、どうしようもなく七面倒な人にうんざりしたのだった。今日は、その七面倒臭い人よりも同じように証明をしてくれる人に気がついて、その人に頼んだ。まったくすんなりと協力してくれたのだったので、ひとつの問題をクリアした。それで気分もよくなった。また3月31日締め切りの小説の応募にも、原稿を送った。

 今は「相撲取りになるど」の後編を書いている。結局この相撲小説は長編となってしまった。前編を「現代小説新人賞」に応募したので、その評価も楽しみにしている。だめであればだめでいい。そういう割り切り方をしておかないとこの齢になってやっていられない。

 さて、大相撲のことだが、白鵬は「殺気」だっている。恐ろしいほどだ。琴奨菊に頑張れと声援してきたが、昨日で横綱への可能性はなくなった。次は稀勢の里の声援をしたいところである。それほど白鵬は強い。腹が立っているのではないか、と思うほどである。

 モンゴル力士を招聘したのは相撲協会である。国籍が違うからと言って年寄りになれないなどというのならば初めから外国人力士に門戸を開かなければよかったのに、と相撲協会の規定の矛盾を感じる。アウンサンスーチー女史が大統領になれないのと似ている。規定は変えることができる。そろそろ規定を見直すべきときではないか、と僕は思う。白鵬がずっと相撲界を牽引してくれた。その恩を返すべきときに来ている。


寝る

2016年03月19日 | 日記

 乾燥してか、頭が痒いので、痒み止めのシャンプーで頭を洗い、ついでに、スッとするバリ島で買ったヘアートニックを振った。すると頭が冷えてしまって、その夜鼻がグスグスした。ヤバいと思った。翌日は咳が出てきて、ちょっと体も怠かった。それでも本格的な風邪の症状ではないので、翌日になれば治っていくだろうと、007の映画を遅くまで見ていた。翌日は母親を早くから病院に連れていかなければならないのに、寝入りが悪く、ピュッと押せば小さな線虫のようなものがでてくる夢を次々と見て、不眠感覚のまま朝になった。すると体の怠さは進行していて、咳も激しくなった。

 それで、今日はしっかり寝るぞ、と思い、8時には床についたという次第である。8時から眠れるわけもなく、その辺にある本を取り出しては、見て、また別の本と 、いうふうになんだかだしている。これも思いきりがないなあ、と思っている。寝るなら、 存分に寝るである。


男と女

2016年03月17日 | 社会・経済・政治

  日本の世の中は男に女のようになれ、と化粧品などを勧め、女に男のようになれとスポーツを勧める。化粧品とスポーツは例であるがこのふたつにはまるものは多数ある。育児と仕事であってもよい。美容師と整体師でもかまわない。女はサッカーもし、やがてラグビーもやり、ついには相撲をとる。男は料理を作り、育児をし、ついには精子の数を減らす。

 男と女は法的には平等であるし、それは良いことだ。ところが男と女は性的に違うように役割も違う。母と父は子にとって決定的に違う。女と男は永久の対幻想でもあり絶対性の関係でもある。

 本来、男と女の問題に、女も働くことが当然だ、というような幻想をもたせる政策にぼくは違和感をもっている。法的に平等であれば、あとは放っておくのがよいように思える。子供を犠牲にしてまで、この消費社会に女性を動員させなければならない社会がよいとは思えない。女性が2年仕事を休める環境を整えるのがよいと思う。老人には手厚い社会であるから、ちょっと老人への給付を若い世代に移行するか、公共工事を減らして女性への支援に使うのがよいと思う。 


また相撲のこと

2016年03月16日 | 日記

 大相撲三月場所が始まって、毎日楽しみにしている。取り組みの中では完璧なよい取り口をする力士がいる。

 大型化した力士の身長と体重とBMIを調べてみたが、小さく見える妙義龍でも187センチ、147キロ、BMI で37ある。

 初代若乃花は177センチで103キロ、栃錦も177センチで120キロほどである。大鵬は大きく見えたが 187センチで153キロである。柏戸で188センチで、143キロである。大鵬あたりから大型化し、それに続いてハワイからの巨大な力士が出てきた。貴乃花 183センチは正統的な相撲で、よくやった横綱だと思う。

 力に対して技。力と技を合わせもつのが白鵬のように思える。白鵬で192センチ、152キロである。

 今場所は、琴奨菊の稽古の成果が横綱をとれるものかどうか、楽しみにみている。白鵬が初日に負けて、エンジンがかかったような感もある。

  今場所から全国的な三大アマチュア相撲大会で8強に入れば三段目付き出しが可能となった。相撲界もちょとづつ変わりつつある。


卵子の問題

2016年03月15日 | 社会・経済・政治

 保育園が不足し、統計以外の数を合わせれば5万人を超えるという。団塊の世代や団塊の子供の世代のときにはこの不足問題はニュースにもなっていなかった。現在は子供の数も減っているはずである。なのになぜ不足するのか。たぶん理由は三つある。

 両親とも仕事をしたいという人が増えたこと

 若い世代が共働きをしないと現在の生活も将来の生活も不安であること

 生活の水準を下げたくないこと


 考えられるのはそのくらいである。堤防や高台移転やら、オリンピックの国立競技場だのデザインだのエンブレムだの聖火台だのとやっている間にも保育園に入れない子供がいる。

 僕は「一億総活躍社会」など、死ぬまで働け、女性は卵子を傷めてまで働けと言われているようで「まっぴら」である。まっぴらであるが、おそらく日本は夫婦が共に働かないと生活や消費の維持ができていくにくいのだ。

 婚期を逃してしまうということは「卵子」の問題でもある。障害をもつ子どもの急増は女性の労働や晩婚化とも深くかかわっている。とりあげにくい話題なので、テレビなどでなかなか紹介されない、逆に40歳で元気な赤ちゃんを産んだ、というほうが明るいニュースとなる。そして40歳でも産めるのか、ということになってくる。この延長には赤ちゃんを子宮に着床させるのではなく、体外で受精させ、体外で育てる技術の登場ということになるのだろう。おそらく女性はそれを求めていくことだろうと思える。

 50年もすればどうなっているのか。その時は僕はもういないからわからない。iPS細胞で120歳まで生きているかもな、と思ったりもするが、その兆しはすでに出ていることから間違いのないところなのだろう。するとそういう子どもの心の問題はどうなるのだろうと考えてしまう。

 


せせら笑うぜ

2016年03月14日 | 社会・経済・政治

  女性が進歩的で、などと思っていると、女性の方が超保守だということもある。男を漁って 、男なしではいられないと噂される女性政治家もいる。

  男と女は法的には平等であるが、性としては違う。性としては子を産み育てるという2年ほどが決定的に違っている。その点がもっと啓蒙されるべきだと思う。

  今日、東京都では2万人の待機児童がいるという。自分の息子たちもこの状況の中にいるのかな、とふと思う。長女は無事保育園に行けた。もし次の子ができたとしたら、同じ保育園にいける保証はない。するとどうするのか。どうできるのか。

 この国は土建業ばかりに力を入れている。そしてたった一人の女性のつぶやきで、「死ね」と言われてあたふたと国会答弁をして、待機児童0にする、という。本当は0にすることなどはとっくにできていたはずなのだ。

 原発の災害事故のプロセスを見ても、誰がみても原発再稼働などあり得ないのだ世界基準とは、この地震列島をもって、何と比較するのかわからない。政府から任命された学者たちは嘘ツキばかりだ。僕はどんな学者しかみたことがない。

  優れた研究者は個人になって学究している。

  せせら笑うぜ。

 

 


舟越桂(かつら)展

2016年03月12日 | 日記

  三重県県立美術館に「舟越桂展」を見に行った。人間の木彫である。素材は楠。眼だけは大理石であり、楠と大理石には色彩が描かれている。

 男像、女像 、あるいはひとつの体にふたつの女性の顔というのもあるし じ上半身が女性で下半身が男性というのもある。像の顔の目と視線を合わせようと、いくぐににもこちらの目の位置を変えてみるのだが、目線が外される。表情はひとつだけど 、見ているのは作為ある作者の意図のように思える。観る順に見ていくと、だんだんと普通の人物像からデフォルメされた 、あり得ない人物像となってゆく。

  人の作品をじっとみる時間。久しぶりの展示会で、別世界に行ったような気になる。

 舟越桂は僕よりひとつ下である。賞を取り続けている。楠の木と出会ったことが大きかったらしい。鉄やブロンズや石膏よりもずっと質感がよい。

 物と出会うという偶然もあるのだ。楠の木が舟越桂に才能を呼び起こしたとも言えるし、舟越の才能が、楠の木を感じとったと言えるのだろう。

  東北大震災から5年。四次産業のものたちが新しい一次、二次、三次産業を牽引しているニュースが多い。なにか驚き、感動させる芸術家も出てくるのだろう。不思議な余韻が今日一日揺れている。

 


高い堤防は必要か

2016年03月11日 | 日記

 常々思うことだが、東北の大津波が起こってから、復興ということで、高い堤防を作っている。千年に一度といわれるこの自然の現象に堤防だけでも1兆円使う。このような馬鹿げたことがあるか、と思う。これまで何兆円使ったか知らないが、もとの場所にさっさと住宅を建てたほうがよいと思う、土建業での経済的波及は小さい。それに比べて住宅建設はあらゆる業種に及ぶ。津波は逃げるが価値でいくら堤防を作っても、それは想定外のことと考えざるを得ない。それよりも逃げて命を守り、政府は高台移転で土木を住所録するよりも、さっさと元の場所に家を建てればよいと思う。

 高い堤防は景観を悪くする。どうして行政や市民はこのようんsことを求めるもかわからない。

 妻の実家の両親も津波で死んだ。家も流された。跡地だけが残っている。そこへ、高い堤防を作るということだ。するともう行く気になれない。

 原発事故も髪の毛ほどの差の偶然の東日本崩壊の危機回避であった。おそらく東電はやがて溜まりに溜まった汚染水を海に流すことだろう。最終始末もできない技術を使うなどというのはとんでもんし暴挙である。僕は大いに憤るのである。

1兆円あったら家は10万棟できる。1000年後のために高い堤防は本当に必要だろうか。