25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

経済をどう判断するか

2018年01月31日 | 社会・経済・政治
今回で経済の話を終わりにしたい。計六冊の本を読んだ。ネットでも調べてみた。結局、経済学とは科学ではない、ひとつの思想であると感じた。現在のデータの読み取り方を重視するもの、過去のデータから読み解くもの、政治行政改革を促そうとするもの、期待を膨らませようと意図するもの、デフレマインド脱却を強調するもの、実にいろいろである。
 ぼくが読んだ本には
 1)アベノミクスはすでに失敗している
 2)アベノミクスは道半ばである
 3)アベノミクスはやがて大きな成長を促す

 経済本は資料が多いのと複雑なことから、ワイドショーや普通のニュースでも詳細な報道がされない。
  安倍首相は簡単に、「株価が上がっている」 「失業率が低い、有効求人倍率がよい」といい、支持派の高橋洋一は不安を消すように、換金できる資産も多く、実は財政危機は脱しているという。
 一方アベノミクスは失敗だったという人は、景気のよいのは一部の金持ちだけではないか。円安でみ輸出企業の生産高はのびておらず、もっぱら為替差益で儲け、それを内部留保しているという。それが賃金上昇に結びつかず、実質賃金は少しの物価上昇と消費税で下がっているという。
 さらに、日銀の異次元緩和の副作用を心配する向きもある。物価上昇2%達成後の日銀の出口センリャクを間違えればハイーパーインフレが起こると予想する人もいる。

 まとめれば上記3つの意見があるということである。科学であるならば解答はひとつである。経済学の本をまともに読んでみて、やはり人文系のものなのだと思ったのだった。そうして考えた。自分で経済を見るにはどうしたらいいのだろうかと。
 そして、尾鷲という過疎化の町にいる自分の家庭、東京で出版社に勤める息子らの家庭、大手データ企業で働く娘らの家庭、彼らの親家庭、友人、友人の仕事など、身辺から感じるほかにないだろうと今のところ思っている。それに大衆新聞情報をプラスしてもよい。
 新聞を開くと株価と為替レートが載っている。息子たちに何か必要なものがあるか、と聞いてみる。友人に仕事はどうかと聞いてみる。そんなところから、大方は「買いたいもにはすでに持っている」という状態である。ほぼ物は飽和の状態だということだ。
 このような状態は長く続いている。当然銀行貸し出しが減り、企業の設備投資は鈍くなる。お金が市中を巡る速度も遅くなる。
 この状態を脱するためには、買いたいと思わせる物やサービスが出てくることである。
 それが現在、及び未来の日本列島人ができるかどうか、ということになる。なんだかそんなところに落ち着いてしまって、これ以上経済論議をするのも、もうよいわ、という気分になった。
 それにしてもよく勉強した。

 並行して、様々なアクション映画を1990年あたりから201年あたりまで100円となります。で借りることのできるDVDで見た。ほとんど20年ほど遠ざかっていた世界である。これあのことはまた折をみて書きたい。
 

若い世代

2018年01月30日 | 日記
 相撲も終った。栃ノ心には勝てる型ができていた。すぐに左上手をとる。あるいは突いて出て機をみて左上手をとる。これが必勝パターンである。それに重心の取り方がうまくできているいは膝が思うように曲げられるのだろう。重心低かった。
 この相撲を取れば、来場所も優勝するにちがいない。相撲は完全な横綱相撲である。
 当然、簡単に左上手を取らせないように対戦相手はしてくるだろう。
 相撲を知らないで入門した栃ノ心は入幕のころ、力だけで相撲をとっていた。技という技もなかった。柔道着と締め込みとではずいぶんと違ったことだろう。幕下に落ちてから復帰してくると、だんだんと彼のとる相撲は相撲らしくなってきた。今は誰にも負ける気がしないのではないか。来場所が楽しみである。怪我だけがおそろしい。
 次々と若い力士がでてきた。十両では、水戸龍、貴源治。幕内では新入幕の阿炎、竜電。三場所めの朝乃山。小結から落ちる貴景勝と阿武咲。
 楽しみである。
 白鵬は暴行事件後、墜落してしまった。貴ノ岩の復帰、活躍も期待している。

 話を変えて、十代の若者についてである。卓球が十代が群を抜くようになった。フィギアでも突然のように十七歳の坂本花織が現れた。将棋界でも藤井聡太が話題になっている。もっとも身体や脳が働く頃なのだろう。共通するのは幼い頃から練習を始めるということもあるが、「憧れる先輩」がいることも重要である。野球界では長嶋や王なのだろう。卓球界では「愛ちゃん」なのだろう。藤井には羽生善治なのだろう。こういう人物が人気を集めると後に続く者が現れる。
 彼らはひたすら向上に励んでいるが、貴乃花が若い頃マスコミにいいようにされたことがある。出る釘を打つ、というのが「妬みや嫉妬.噂好きの人間のある脳のホルモンの働きでもある。十代の若者にはそのホルモンが向かわないから、清々しい姿をマスコミは伝える。

テレビワイドショーはタチが悪い

2018年01月29日 | 社会・経済・政治
 タクシー相乗りが許可されるようである。ついでに地方における白タクを許可してほしい。JRの料金をヨーロッパ並みの3分の1程度に下げてほしい。高速道路は無料がよい。財源は公共工事と防衛費の削減でできることだ。無駄な堤防や涙消しブロックよりもよほどの人の移動による経済効果があるだろう。ニューデールではあるまいし、公共事業にお金を投下する効果は一時的である。ない、と言ってもよい。アクアラインが良い例である。

 尾鷲でも無駄な公共闘投資残骸が残っている。大曽根の野外コンサート、椿公園、文化会館、海洋深層水施設、夢古道、熊野古道センター。箱ものをつくれば実績だと思うような首長。次の時代に必要な企業、人材の育成を怠ってきたことは、尾鷲も日本という国も同じである。

 タチの悪いマスコミ。文春砲で飛びつき拡散させ、騒ぐのはワイドショーである。みずからの特ダネではない。後追いで、騒ぐだけだ。茂木大臣のことは文春砲でもあったが、テレビでは取り上げない。佐川長官を追うのも週刊誌であるがテレビは取り上げない。政権に都合の悪いものはテレビも自粛しているように思える。GDPの基準計算方法が変わったことも言わない。加計孝太郎についてもやらない。幾人かの安倍政権の側近政治家の浪人生活を加計が学園教師として迎えていることも報道ぢない。竹中平蔵が人材派遣会社の役員であり、大企業の要請に応えた人物であり、非正規社員が増える規制緩和をやった人だということもテレビはやらない。

 アベノミクスは金持ちと輸出大企業のみを優先する政策であることも、テレビでは論議されない。
 だが国民の多くは賃金が実質的に下がっていることに気がついているだけで十分だ。どの経済学者も言わないのは、「国民の手のひらに政府がある」ということと、「懐の締め具合」で政権を倒す無意識の力があり、無自覚であっても、防ぎようもなく「懐具合を調節する」というものだ。この懐具合を日銀が操作したがっているができないでいる。これを擁護する人々は所得が200万円以下になれば身をもってわかるはずだ。
 
※ぼくは尖閣諸島は中国との共同統治でよいと思っているし、北方領土も共同統治で仲良くやればいいと思っている。
※国家について言えば、開かれていく方がよいと考えている。強烈に国家が個人や家庭よりも大事だとは考えない。

美脚、姿勢、心、日本の進展の遅さ

2018年01月28日 | 文学 思想
 TSUTAYA に行くと、一等置き場に美容と健康のグッズが入った本が平積みにされている。
この頃は「美脚」ものが多い。姿勢と歩き方に注目だ集まっているのはよいことだ。グッズでよくなると思えないが、意識が出てきたことはよいことだ、あまりにも日本の女性の脚はひどい。O脚はまだいいが、XO脚本の複雑さには現在の若い女性の特徴である。
 
 これを直すには普段の歩き方を30度にし、内くるぶしと足指2番目のところから線を伸ばして交わったところが重心点であるから、そこで立ち、そのポイントを意識して歩くことである。そのときの足先は15度から30度である。
 
 若い人なら意識して歩いていれば2週間もすれば脚の形が良くなってくる。だからこのポイントが意識できつ中敷きグッズがあった方がいいのかもしれない。
 正しい歩き方ができるようになれば、背筋も伸び、骨盤も安定し、一番は膝を傷めることがない。日本人に膝を傷める火とが多いのは足先物を内側に捻るからである。
 ウォーキングをやっていて、常に膝を捻っていると思うと、やめとけよ、と言いたくなる。

 ひと頃は「骨盤矯正」、その前は「エクササイズ用の長いバンド」のようなものが置いてあった。おそらく、今後「外反拇趾に」やサンダル履きが多い人にある「浮き指」、それから生じる足首のこうか用グッズが出てくると思う。「ヒールでの正しい歩き方」も出てくることだろう。ぼくは約十年こういうことを講習してきた。それがグッズとなって現れていることに感慨深いものがある。
 また誰で気楽に美容と健康のエクササイズや美顔マッサージなどができる施設を作ってはどうかと、講習生によく言っていた。
 ファミリーマートがコンビニの二階を使って、この分野参入するという。
ここまで来るのに、十年かかるのか、という思いである。
 
 ぼくは1997年から、介護の問題はいずれ施設のハード面から介護する側のソフトの面に移ると予想していた。その過程で、副産物として生まれたのは「心のチューニング」という膨大なカウンセリング本を書いて、講習を行った。介護施設で介護するものが精神的病に陥る事例がでてきたので、やっとその時代がきたか、と思っているが、まだまだ、介護分野はそこまでに至らず、介護労働者の不足とか賃金値上げのところで停滞している。
 
 世の中の移りははやいようで遅い。新サービスなどいくらでもある、とぼくは思う。
 長年エイビーシーとアルファベットを教えてきた英語教育も、ぼくが提唱した音素読みであるフォニックスがNHKに登場するまで、30年かかったのである。ベネッセも同様である。日本は時間がかる。英語雑誌は古い、権威だけを振りかざす大学の教師達が利権のごとくばっこしていたのを思いだす。
 

祝優勝 栃ノ心

2018年01月27日 | 日記
 栃ノ心を応援していた。怪我で幕下にまで落ちたジョージア出身の力士である。今場所、彼の膝は相当良くなったのか、彼の相撲に彼独自の型が出来上がっていた。突っ張って、左上手をとる。とにかく廻しをとれば絶対的に強い、といすごさみせつけた。それに姿勢の角度がよい。
 まさに横綱のような相撲で、この型が続けば、なかなか負けないだろう。ここは一気に大関にまで昇ってほしいものだおもう。横綱夢ではない。
 兎に角、取り口がよかった。応援していただけに胸にジーンと来、目頭が熱くなる。
 今日優勝するかと思い、シャンパンを用意しておいた。そして美酒を味わったのだった。

財務省を目の敵とする高橋洋一

2018年01月27日 | 社会・経済・政治
 高橋洋一という財務省出身で、財務省憎しの大学教授がテレビなどに出て、アベノミクスを擁護する発言を繰り返している。

 その理由は政府の借金が1000兆円あっても、政府の比較的換金可能な金融資産が600兆円あるから、差し引き400兆円の借金で、先進国では優秀だということだ。
 だったら、赤字国債を発行せず、資産を換金すればいいではないか。
 そもそもそんな考えがでてくるのは政府と日銀は親子であり、政府の借金は日銀が買い取るればいいだけのことだ、と言っているようなもので、とどのつまり、日銀はお金を刷りまくればいいんだ、と言っているようなものである。

 お金をもっていて、それを使わず、借金をするという論理は、銀行を潰し、日銀を潰すものだ。銀行が買う国債を日銀が買う。銀行は額面より安い金額で国債を買えたとしよう。利息を0.1としよう。額面100万円の国債を90万円で手に入れれば、銀行は101万円入ってくることになる。これを「利まわり」という。元手は90万円だから、11万円のもうけである。裏を返せば政府は利息付きで11万円多く払うことになる。それを返す資金がないから日銀に買ってもらうことを前提にまた借金をして国債を発行するのである。日銀は親の政府に利息と元金を返してもらわなければならないが、親もことだから家計は同じだよ、と借金を被ってやるよ、となり、日銀に買い取るお金がなければ日銀券(札)をすればよい。高橋洋一はこれを永久に繰り返せばいい、と言っているということだ。

 日銀は直接に国債の買い取りができなうのは、第二次世界大戦の経験があるからだ。政府と中央銀行が一体となってお金を刷りまくった。ナチスがそうであった。物価は何億倍にもなった。紙くず同様になったおである。国民の貯金は当然何億分の1となった。
 この教訓から中央銀行は政府から独立したものであるべきという現在の常識となった。高橋はそれを崩そうというわけである。
 
 実際アベノミクスで物価上昇があったが賃金は追いつかなかった。民主党政権期の方が確実に経済は成長していた。
 財務省を目の敵としている高橋は、財務省よりも経産省を重んずる安部政権と相性が合うのだろう。自信をもって国債は暴落しないと断言している。
 
 なんだか経済論議は床屋談義のようである。フンフンと聞いておいて、ぼくは事己防衛に入る。1997年の金融危機のとき、痛いめにあった。
 日本では一度失敗したものは這い上がるのは難しい。アメリカでは、3、4度失敗している方が信用を得られる。いいなあと思う。

 どんな経済談義があろうとも、物やサービスが成熟しきった社会で家の中にあるものをガラリと代えるほどの物がないと、人口減の中、生産性の向上は難しい。スマホが登場したときのように、欲しいと思う物、必要と思う物やサービスを生み出す知恵と技術が必要なのである。
 そして、戦後の荒れ地から再出発した日本国民は素早く成長させたが、停滞の時期となってからおかしくなった。西洋化の流れの中で日本の伝統と文化のような性格がこれを乗り越えられるか、という問題にも直面している。教育しかり、一律採用制度しかり、様々な規制しかり、いっぱいある。

 

水道管破裂

2018年01月26日 | 日記
 尾鷲もマイナスの気温になるというので、金魚とメダカの水槽に蓋と四面に発泡スチロールを巻いた。水道管の対策も思ったが、その知識がないので、放っておいた。運よくその日は破裂することはなかった。水道管のが破裂のニュースをテレビで見ていたら、水道工事屋さんが、水道をチョロチョロだしておけばいい、と言っていて、なるほどと思い、天気予報を見てこれからそうしようと思ったのだった。それから友人の岡田さんのブログを見たら、京都の家の水道管が破裂したと書いてある。
 このことを伝えようと思ったが、すでに、破裂してしまったことだし、今日は口ださずにおこうと電話するのを止めた。チョロチョロだすのは京都では効かないかもしれない。その辺のことに自信がなかったのである。彼がうんざりとして破裂対策をする姿が浮かぶ。
 ここまで書いてやっぱり電話しようと思った。すでに床にいるかもしれないと案じたがやはり寝入りばな電話してしまったらしい。水道管のチョロチョロ流しについては知っていた。どうも水道管が外壁にあるらしく、今度は本格的に防御する工事をするらしい。やはりうんざりしていた。凍ぅた道の上を尾鷲から京都まで走るのだからよくよく気をつけてと言い、長い電話を切った。
 なんだかだとあるものだ。
 明日の尾鷲はマイナス2度だという。金魚もメダカもいよいよ正念場である。

葉唐辛子、JR、栃ノ心、旭大星

2018年01月26日 | 日記
 ヤーヤ祭の2月初旬頃が尾鷲では一番寒い時期である。今年はそれが早まったような感がある。天気予報を見ていると、それでも尾鷲は温暖なのだと、自慢したくなってくる。
  完全不漁だったサンマが獲れだしたらしく、斜め向かいの干物屋さんの軒先に、少量のサンマが干してある。カレイはとれなかったらしく、網にのっていない。毎日その状況を確認する。家の冷蔵庫にはあと一回分のカレイが残るだけで、しばらくは手に入らないかも知れない。
 尾鷲の店から姿を消したものに、大根菜っ葉の糠漬けがある。「プライスカット」で去年まで売っていた。これがうまかった。「おとと」でも売っていた。向井の人が作っていたらしい。それが糠漬けをやめたらしい。高齢になったのか、死んだのか、採算が合わないのか、なぢと想像する。きゅうりやナスの糠漬けはほとんどスーパーで売っているが、高いわりに美味しくない。やはり向井の方が作るのが美味しい。
 テレビで、「葉唐辛子の佃煮」を白ご飯で食べているのをみて旨そうだった。それで尾鷲にあるスーパーをみな探してみた。なかった。無駄な物、売れ筋でない物、あまり売れない物は置かない合理化が図られており、葉唐辛子の佃煮などは人口規模が大きいスーパーでないと置かれないのだろう。

 このところ、妻とよく話すのは、JRの運賃が高すぎることだ。これでは国民に移動するなと言っているようなものだ。得するのは株主だけで、競争がない、独占状態だから、値下げもない。高速道路も高い。民主党政権の時、一部無料化していた。だが残念なことに東北大震災でやむなく無料化を廃止した。公共投資は経済成長に寄与しなくなった。作ったものがお金を生まなくなり、一時的に建設業が潤うだけである。その点、高速道路無料化や値下げへの補助投資は人の移動を活発化し、経済活動よい影響を与える。政府も公共投資をするなら、JRの運賃に行った方がより経済的に、消費を押し上げるはずだ。
 日本の動脈であるJRについてもっと考える必要がsると思う。同じ距離でヨーロッパrの3倍高い。

 話題を相撲に変える。ぼくは栃ノ心のテレビ応援者である。もう一人応援している力士がいる。真夜中のドキュメントで見た北海道旭川出身の少年だ。ようやくに十両にまできて、そこにとどまり、今場所は十両筆頭である。あと一番勝てば、来場所は幕内である。ようやくここまできた。テレビを見たときは18歳だった。今は結婚もして、26、7歳のはずだ。もう少年ではない。
現在旭大星である。
 栃ノ心は一度怪我で十両か幕下まで落ちたのではなかったか。それが復帰してきた。その気合いにたいしたもんだ、と思い、ぼくは「頑張れ」といつもテレビの前で声に出して応援してきた。
 栃ノ心の今場所をみると、怪我からおおむね立ち直ったように見える。かれの相撲の形が出来上がってきている。ぼくは5日めあたりで、栃ノ心は優勝するのではないかと妻にいい始め、昨日もいい続けた。あと三日。今日の逸ノ城に勝てばぐんと有利になる。
 黒海のへりにあるジョージア。上にロシアがどんと押しつぶすようにある。栃ノ心は注目されているだろうか。テレビは映るのだろか。赤ちゃんを産んだばかりの奥さんがいるジョージアに滞在していると聞く。
 やれよ、怪力栃ノ心、旭大星。

一万円札が廃止される?

2018年01月25日 | 社会・経済・政治
 一万円札を廃止することが検討されているという。このことで、アメリカでの生活を思いだした。アメリカのシアトルではスーパーで物を買っても銀行小切手であった。もちろんクレジットカードも使えた。あれから二十年以上過ぎて、いまでは100ドル札を受け付けない店がほとんどらしい。100ドル札は町中では使われず、もっぱら輸出に使われるらしい。
 中国のシンセンではキャッシュレス化の成功していることをニュースで見たことがある。
 さて日本でのキャッシュレス化も進んではいるが、まだまだである。現在の銀行貯金をのぞく現金の発行は106兆円で、そのうちの40兆円がタンス預金らしい。この49兆円は銀行への不安や、マネーロンダリングや、裏金などいろいろな理由があるだろう。一万円札を廃止して銀行ー日銀で一元管理しようというわけである。
 日本では戦後、政府の借金が多すぎて、物不足からハイパーインフレが起こり、政府は貯金封鎖をして、さらに、普通の人からはその貯金の内25%を徴収し、所得の多いところからは90%の課税をして、政府借金を劇的に減らした。政府が得することは国民が損をし、ついでに命まで取られたのだから、ときに政府というのはワルガキの権力者になってもみせる
 さて、一万円札の話だが。40兆円を銀行に戻せば、税から逃れることはできないし、40兆円が銀行に入るので、銀行はお金を貸せば創造的信用が大きくなり、また国債で儲ける利回りも大きくなる。経済の活性化にもよいのではないか、という判断なのだろう。こういうことが検討され、実施は6、7年後だという。

 アベノミクスは大失敗であることはリフレ派がなりをひそめた感があることでもわかるが、各種データからも明らかで、株高が実質経済の成長を意味してわけではない。現在は実質賃金が下がるうえでのインフレという最悪の状況である。いろいろな方面から、こっちに予算配分をと我も我もと要求がある。すると、選挙を意識して、予算を計上する。また赤字国債を発行する。それを銀行に買わせる。それを日銀が買う。こんなことが続いても経済は思うような成長をせず、町中では利息が安くてもお金を借りる企業や個人は少ない。
 一万円札も苦肉の策で、アベノミクス失敗の延長にある。悪事をただすと言えば聞こえがいいが、余裕がないのである。
 政府はインフレによって借金の価値を減らそうとしたが、うまくいかず、5年が過ぎた。現在日銀はどうやって国債買い入れや株式への投資を引き上げようかと検討しているだろうが、今の状況はいつ何が起こるかわからないということである。最終的には超インフレになり、貯金封鎖でもされて、そこへ税金かけられるという事態にもなりかねないのである。
 危機を煽ることはよろしくんないが、国民は魔術にかからず、きちんと考え、判断するべきである。マイナンバーもできたことだし、反対するものには共謀罪もできている。軍備にはお金を使う。
 無駄使いも含めて日本政府が貯めてきた借金は、結局国民が払うことになるという基本だけは知っておくべきことだと思う。実質賃金が上がらず、物価だけ上がるとい現象も、政府側は得することである。国民は損する。どちらが得でどちらが損などと言わなくてもすむ社会が望ましいのだ。

株価上昇、異次元緩和継続

2018年01月24日 | 社会・経済・政治
 おいおい、いいのかよ、と思うこと2つ。
 株が上がっていくこと。これには下げを抑え、上げを期待させる日本独特の株操作がある。日銀ETF(上場投資信託)とGPIF(年金積み立て金管理運用独立行政法人)が買い支えしていることだ。円高になれば買い支えをする。ところがこれにつぎ込んだ資金は大きすぎて、手を引いてしまえば大暴落となることから、プロはその気配をしっかりみているし、強気の投資家は公的機関がもっているのだからいいだろう、と株高を期待する。
 日銀ETFもGPIFも、現金に換えたわけではないから、この運用で儲かっただの言えない。(安倍はその成績のよいことを自慢している)つまり実際の年金額が増えたわけではない。もう引くに引けない状態に来ているのである。

 次いで、昨日日銀は「異次元の金融緩和を維持する」とアナウンスした。これも出口戦略が見つからず、先延ばしするしかなく、着地点も見いだせないまま、お金が日銀準備当座預金に積まれて、市中では貸す法人や人がいなくて、物価が上がる程度に賃金は上がらないものだから実質賃金は目減りする一方である。春闘で3%の賃金値上げを、と経団連までもが言っているが、連合は全労働者の5%ほどに過ぎない。5%の労働者まで目減りしているというのに、他の95%は一層目減りしている。

 円安だから輸出業はいいだろうと思っていると大間違いで、彼らは輸出量は増やさず、これまでの値で商品を売り、企業成績がよいというのは為替のマジックである。要するに生産をして実質経済が成長して設けたのではない。為替差益をもらっただけである。

 安倍政権以前の民主党政権の時の方が経済は良好だった。安倍晋三、彼を支えるブレイン、群がる人々は一体何を考えているのだろうと訝しく思っていたが、昨日の「維持」発表で、「これはオリンピックまで、まあ次に任期切れ」まで引っ張って、金持ちだけをより金持ちにさせて「逃げる気だな」と思ったのだった。

 株価は毎日発表するので、数字だけ見ていれば景気が上向きのように見えるが本当は「ウソ」である。もう打つ手がなく、「憲法」「北朝鮮の脅威」などと言って国民の不景気感から目をそらそうとしている。北朝鮮のどこが脅威なのか、そんなことは数年前から日本に向かってミサイルは設置されていた。それは核をもつ国はどこもである。

 真正保守を自認する元ブント、元全学連委員長で、のちに保守に転向した西部邁が自殺した。ほぼ小林よしのりと考え方が一致している。彼は経済学者であったが、経済について述べることはなくなり、大衆というものの馬鹿らしさを言い、天皇は男系でなくてもよい、と言い、核をもて、アメリカへの追従はやめろ、と言っていた。西尾幹二とよく似たようなところがあった。日本独自の伝統や文化をよりよくしながら守っていこうと言うのが保守の基本的な考え方である。「朝まで生テレビ」に西部が出ると、好んで彼の主張を聞いた。ぼくとは考え方を異にするが、彼の意見を聞くのは価するものであった。意見は意見として論理的であり、鋭かった。元生長の家原理主義者たちとも一線を画し、いわば孤立無援の思想家であった。病もあった、という。第二次安倍政権が始まって、安倍首相と会食する日があり、安倍のアホさに嘆いていたという。大衆にもさらに幻滅し、政権にも幻滅し、身体的にも幻滅したのだろうか。
 安倍昭恵と安倍首相でこの国はどうなっていくのだろう、と昨日は「株価上昇」「異次元緩和の維持」でまた思ったのだった。ちゃんと経済のことを説明してみろよ、と言いたい。
 年金がパーになったらあなたは責任とれるのですか、と。

何が意味ある成長に必要か

2018年01月22日 | 社会・経済・政治
 今日はいつになく冷たい日になった。金魚もメダカもじっとしている。コメリにいくと、植物のコーナーからパンジー、クリスマスローズやシクラメンが消え、梅の花が咲いた鉢が並んでいる。そう言えば、2月には蕗のとうが出て梅が咲く。28年ほど前、国道の路肩でカニを売っている販売車がいて、友人と二人でカニを買って、白石湖近くの梅林で、カニを食べながら梅見物をし、友人と未来を語っていた。そのうち彼は転勤となり、さらに転職し、中国に渡ってしまった。ぼくのほうにもいろいろあり、音信が途絶えたと思っていたらバリ島のぼくの事務所に突然びっくりさせようと思ってか、やってきた。また交流が始まった。
 この前の知らせによると会社を立ち上げたという。同じ場所にいたらぼくはきっと役立つだろうと思う。しかしそうはいかない。母親の面倒見がある。
 ぼくは今やものを書きながら半分解決屋のようなことをやっている。助っ人屋と言った方がいいかもしれない。

 尾鷲市にバイオマス発電所ができるというニュースを妻から聞いた。それができるとよい、と小説にも書いたことがある。ただし、それは水素発電所のための電源としてであるとぼくは書いた。一万キロワットなら、将来の水素発電所十分なのだろうか。現在の火力発電所は老朽化で稼働しなくなるらしい。その場所に水素発電所がほしい。
 アベノミクス効果がないのはもっぱら消費意欲がないからであり、企業は設備投資をしないからである。車も中国のEV車攻勢で、日本側もいっそ水素車で対抗していけばいいと思う。規制を破り、白タクを合法化するとか、規制を緩和して、あらたな産業、新技術を早急に育てないと日本には時間がない。それを思うとアメリカは、アップル、マイクロソフト、アマゾン、グーグルなどとよく育てたものだ。
 日本ほど閉鎖的で、保護主義の国はないのだが、成長産業を育てることに開放的でなければならない。既得権益団体に遠慮していたら、なにも動かないし、進まない。
 アベノミクスの第三の矢は成長戦略である。つまりは規制緩和と新産業の育成ができる環境作りである。
 

不倫

2018年01月21日 | 社会・経済・政治
 不倫、不倫と週刊誌ネタをそのまま使ってテレビのワイドショーは一大事のように話す。司会者もゲスト出演する人も「私は絶対しません」と言っているようである。そうはうまくいくかい、というのがこの人間世界である。恋というものは突然に起こるものだし、性欲というのも人間の共通の衝動的なエロスである。不倫はだめだと、マスコミがいかにも共同幻想かのように言い立てる。笑い話のネタにして不倫当事者を叩く。
 共同幻想と個人幻想はたがいに齟齬をきたすことがある。対幻想とて相手の自分で齟齬を起こす。法律は共同幻想であるが、ワイドショーではいかにも姦通罪でも作りたいのだろうか。ゴシップもきわまれりで、有名人には困ったことだろう。
 週刊文春の記者も何をこころの支えとしてそんなスクープ記事をとりたいのだろう。馬鹿馬鹿しいことをやっているとは思っているだろう。記者が清廉潔白などと信じられるはずもない。つまらぬ事をやっていると自己卑下さえしたくなってくるのではないか。
 芸能人もおとなしいもので、復讐を成し遂げたニュースを聞いたことがない。
 人間の精神世界は複雑怪奇で、それは経済の複雑さよりも複雑であるように思える。一刀両断にスパッと切って良い悪いを決められるものではない。
 善いことを言っているということは悪いこと言っているかもしれないぞ、という絶えず、後ろから自分を眺める視点や内省も必要である。
 上沼恵美子は不倫にたいして、どうでもいいと思っているが、ネタにして笑いこけさせようとする。ゴゴスマの司会者もやや近いところがあり、漫談にしてしまう。両者とも、自分がテレビで発言することは悪いことだと思っていない。つまりふざけている、視聴者を楽しませたいのである。それがいかにゲスなことかはわかっていない。芸能界や政治家や有名スポーツ選手などのゴシップはしかたのないことだと思っている節がある。つまらぬことだ。わかっていることだろう。

校長とはなんだ?

2018年01月20日 | 文学 思想
 ずっと思ってきて、書き忘れていたことがある。話題になった日馬富士暴行事件の席に教育関係者、特に校長がいたという話だ。石浦や照の富士が通っていた学校の校長で、白鵬の内弟子石浦の親でもあり、教育者でもある。
 白鵬が礼儀、礼節をきちんとやれと説教しているのを聞くのはいいだろう。頷いていたのかもしれない。それが突然日馬富士の暴力が始まった。最終的には鶴竜や白鵬が止めたということである。校長は何をしていたのか。本来教育者なら、しかも年上の年配者であれば、日馬富士という横綱であれ、すぐに止めるのが役割だろうと思う。教育者の矜持がないのかと思う。このことについてマスコミの取材はなかった。
 ぼくだったら、「止めんか、バカモン!」と大声で叱責すると思う。横綱であれ、まだ30そこらの若者である。人生先輩でもある。すぐに止める度量がほしい。しかし校長は一切口を閉ざすバカぶりであった。
 人間というのは、このような想定外の事が起こった場合、どのような行動をとるか、その時に本質がでてしまう。常日頃、相撲を教えていて、監督としても指導者らしき振る舞いをしていることだろう。それは表面上の化けの皮なのだ。地位や肩書きというつまらぬ衣類を着ているだけなのだ。
 彼らも記者会見をして、教育者いや人間として見たことと、それへの意見を言うべきだった。
 ぼくにはどこが不満であった。

ぼくの経済分析論

2018年01月19日 | 社会・経済・政治
ぼくの考えで、経済を消費者の立場から述べると、こうなる。
 消費には絶対消費(食料やエネルギー、家賃や家の修理代など生活の欠かせない消費)と選択消費(生活に欠かせないものではなく、自分の好み、意思で買いたいと思う消費)がある。データやグラフや図は専門家ではないし、また面倒なことなので、省略する。

 経済が停滞していると言われて久しく、名目賃金が上がったのは2010年から12年で、まさに民主党政権下であった。ただ東北大震災で狂ってしまった。
 安倍政権になってからインフレターゲットを定め、異次元の金融緩和を行った。お金がじゃぶじゃぶと世に回っているはずなのに、回っていないのが現状である。
 そもそも物が高くなれば名目賃金の価値は下がる。ゆえに選択消費を加減する。つまりサイフのヒモを締める。貯金にまわす。物が高くなるということは輸入が高くなっているということである。輸入の主なものは石油である。石油から様々な製品が出来上がる。現在はやや円安だから輸入には不利であるが、運のいいことにアメリカのシェールガスが背景にあるため、石油価格を上げられないという状況だから、円安でも物価は上がらず、イオンなどはさらに値下げをしている。
 消費者から言えば、物は安く手に入った方がよい。デフレは歓迎するべきことだ。賃金も据え置かれるか下がることになるが物価も下がるのだから名目賃金は上がるか、同じままである。物価が安くなり、名目賃金が下がらなければ、その差額は消費にまわるだろうから、経済は成長する。

 一方、インフレになれば、貯金や現金の価値は物価が上がった分だけ減る。その代わり政府の借金の価値は下がるから政府はインフレを歓迎する。賃金の価値が下がるのだから賃上げをしおてほしいというのは労働者の意思である。ところが政府が春闘に介入して、大企業が賃金をいくらか上げても、中小企業や零細企業に波及していかない。
 大企業にはトヨタのような輸出企業が多い。例えば、米ドルで1万ドルの車を売っていて、円安になったからと輸出企業は値下げをしていない。1ドル80円だったのが100円になったら1万ドルの車は8000ドルになってしかるべきなのにそれをしていない。だから輸出企業の生産量は上がっていない。
 輸出企業は差額の20ドルをため込む、つまり為替の差益がある、ということであり、別に車の売れる台数はほぼ横ばいであり、生産量は上がっていないのである。釣出企業にお金が内部留保されているのはつまり実質的な経済活動びよるものではない。為替変動によってもたらされたいわば不労所得である。これはいつ変わるかわからないから、退職まで払い続ける給料、特に基本給に反映させることに慎重である。下請け企業にはその恩恵はない。

 安倍政権は民主党時代に株価は上がらなかったではないか、安倍政権えは株価が上がり、それによってトリクルダウンが起き、下々までその恩恵が及んでいく、と自慢気に言っていたが、それはあり得ない。株の7割が外国投資家が買っている。3割の投資家は株高によって儲ける。いわば不労所得を得る。その3割の人は贅沢三昧する人もいるだろうが、絶対消費に差はあるかもしれないがたかがしれたものだ。そうすれば選択消費を行うか、と言えば、する人もいるだろうが、また株購入やファンドへの投資に向けることは予想できる。つまり下々までまわってこない。

 結局日本は輸入を安定してできる環境があれば安定した生活ができるようになるということだ。そのためには石油価格が安定することが望ましい。
 異次元の金融緩和は日銀にお金が積もっていくのは実体経済が成長しないからである。つまり利息が安くても借る企業、個人がいないからである。それは新しい成長産業を見いだせていない現在の日本の状況である。成長戦略は資金を使う産業を応援するもののはずだった。それが機能していないのは加計問題でもわかるはずだ。

 さらに国民の将来不安がある。団塊世代が75歳の後期高齢者になると、膨大な医療費が発生してくる。物価が上がると年金の価値も下がる。ところが年金生活をする老人が自民党を支えてきたという矛盾がある。日本はこういうところがあるのだ。

 100円ショップに行けば物はこんなものまであるのか、と驚くほどある。100円ショップの商品はほとんどが選択消費対象である。どれを買うかは消費者の心理である。100円ショップは依然と100円ショップを続けている。消費者は安い方がありがたいからだ。得した分を貯めれば将来の不安への防御ができる。
 またこれはぼくの意見だが、資本主義は新しい段階に入っていて、高度経済成長期のように投資が投資を呼ぶ、という時代ではなくなっている。何が変わったかと言えば、消費者のサイフのヒモが経済を左右し、政権が左右される、交代させる「無意識の力」をもってしまった、ということだ。ところが国民の個々はそれを意識化していない。これが〈大衆の原像〉でもある。

 これに国債だ、金利だとなってくると頭が相当ややこしくなるので、今まで勉強したことをぼくの視点から述べた。




ため息が出る

2018年01月18日 | 日記
 村上春樹の「トニー滝谷」や「レーダーホーゼン」のような小説が書けたらもう死んでもいいや、と思う。これらの短編小説は「回転木馬のデッドヒート」にある。政治や経済とは何の関係もない。普通の日常なかでふと襲われた感覚を題材にしている。
 村上春樹の長編小説や中編小説は僕には「1Q84」以外はあまり納得できていない。
 もうひとつこんな小説がかけたらいいなあ、と思うのは、漱石の「それから」と「明暗」である。
 自分の才能のなさに溜め息をつく毎日である。

 今年になってすでに18日経っているが読む本は経済の本ばかりである。おかげで、現在の経済の状況や財政政策、金融政策のことがよくわかった。読んでいるなかで、古代から戦後までの日本や世界の経済史を知るというオマケもあった。
 トランプ大統領誕生、小池百合子都知事話題、大相撲のこと、そして北朝鮮、その隙間には有名人のトラブル、文春砲にテレビがのっかるという形でニュースを賑わせた。今年はもっぱら北朝鮮話題につきているかと思っていたらまた文春砲が炸裂した。
 なにもこんなことで騒がなくてもよいと思い、その執拗さがあるなら加計孝太郎や安倍昭恵や安倍政権に群がる人物を追いかけてほしいと思うがマスコミにはその気配もない。
 確定申告のとき、佐川長官の例を出されて困る税務署職員の姿が浮かぶ。嫌みの一つや二つは言うだろうし、税務調査では記録の提出を拒む人でてくることだろう。
 マスコミも含めた浮き世は何か大事なことが隠されながら地下水は流れているように思えるのはぼくだけなのだろうか。
 それにしても、ロシアのマイナス67度という気温は酷過ぎる。これではロシアの発展も困難に思えてしまう。
 白鵬休場。稀勢の里不調。相撲界も世代交代らしき兆しが見える。納谷の前相撲、水戸龍、朝乃山、貴源治らが阿武咲、貴景勝、北勝富士に続いて出てきた。これは嬉しいことだ。栃ノ心の強過ぎるのには、もしかして優勝かとも思えてくる。これも嬉しいことだ。