25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ラグビーと柯さん

2019年09月30日 | テレビ
 ところで、Ko さんに関係するラグビーの話である。ぼくはこの競技をよく知らないので、する人の心情のようなものを汲み取れないところがある。相撲や柔道だったらわかるのである。相撲や柔道は一対一の競技いおうか、闘いである。ところがラグビーはチーム戦である。今日はパソコンで書いているので、柯さんと書く。柯さんの協会での仕事を見ていると気さくで、たいへんな人脈持ちであることがわかる。それにこまめでもある。荒くれたところもなければこすっからさもない。柯さんの人格はラグビーによって形成されたのかもしれない、などと思う。
 ラグビーで人との関係のあり方を学んだのだろうか。ぼくなどは相撲を選んだ性分だったから、どうも一人でやってしまうぞ、と思ってしまうのだろうか。
 スポ-ツの好みもそう言えば見るのは、剣道、バドミントン、卓球、テニス、柔道、相撲である。チーム戦のものをあまりほとんどみない。野球、サッカーを見るのは特別なときだけだ。

 ラグビーは面白かった。初めはネアンデルタール人の名残くらいに思っていた。ただルールを知ればもっと面白くなるだろうし、あと数十回も見れば、細かいところもわかってくるような気がする。強い者が滅ぶ、というのが地球上の原則である。
 ラグビー。まるで肉弾戦である。グランドに倒れ、走れば倒され、横になったらボールは手放さないといけないらしい。いろいろな役割があるようで、その辺もまだよくわからないが、持続できる体力を作り、敏捷性を作り、果敢にタックルして相手を倒し、スクラム組んで押し合う。相当きつい格闘技系スポーツだ。アングロサクソンが生み出したスポーツであることがわかるような気がする。人類は集団を作ってこそ生き残ってこれた。槍や石槌はもたないが、それをどこへ跳ねていくかも知れないような形のボ-ルを作りだして、ゲームとした。
 相撲なら「おっつける」「密着する」「前裁きの良さ」とか、観るべきポイントは多くある。ラグビーの場合は知らないので、ぼんやりと見ているのだが、スクラムにはスクラムのコーチがいるようで、どの角度、どの足の位置で押すのが一番力が出るのか、を徹底練習させたのだそうだ。あきらかにアイルランドの選手の方が体格は大きかった。でもスクラムで負けてはいなかった。デンフェンスもたいしたものだった。

 アイルランド戦が面白かったので、次の試合も見ようと思う。
 日本でもラグビーをやる子供たちが増えるのかも知れない。新宿でウェールズやオーストラリアの若者たちがラグビー熱に浮かされてゴールデン街あたりでスクラムしたりして大騒ぎしていた。大興奮だ。電車の中でも大騒ぎだ。ぼくなんかはちょっとわからないのだ。そんなことでどうしてそうなるの? とテレビ報道を見ていて思ってしまう。
 

KO さん

2019年09月29日 | 日記
 ko さんからラインで連絡が来た。写真が6枚もついていた。どれも超シニアのラグビー同窓会のような写真だった。以前ラグビーの世界大会の日本開催に尽力した元森首相と一緒に撮った写真を送ってきたことがある。Ko とは木へんに可能の可と書くのであるが、スマホで書いているものだから、その一字がだせないので、Koと書く。Ka にちかいKoである。
 なぜか彼と気が合う。彼は少々日本語を話す。台湾にいくといつも付き合ってくれる。
 11月に東京に来るという。ラグビーの交流会があるのだという。台湾のラグビー代表選手であった。日本と台湾が国交を断絶してから、台日協会をつくり、そこでこれまで通り、日本と台湾の往来ができるようにすることに尽力した。今彼は協会の幹事をしている。
 そのときはぼくも東京に行く。いろいろ話もある。
 いずれ、台湾も混乱の時期がくる。台湾の蒋介石の国民党は中国に帰るもが党是である。中国共産党が許すなら、国共合作とはいかないまでも、二大政党制にならないものか。
 しかし時が経つにつれ、台湾の独立を志向する人が多くなってきた。Koさんもそんなひとりである。政党で言えば民進党である。香港の問題は台湾の問題でもある。もちろん大陸中国には十四億の人々がいる。台湾のビジネスマンから見れば、巨大なマーケットが広がっている。
 友、遠方より来る、である。酒を酌み交わし、時事を語り、商機を探るのである。楽しみなことだ。

事故というもの

2019年09月28日 | 文学 思想
 捜索にあたっていた自衛隊が任務を終えて去って行った。警察、消防、ボランティア、仲間がさらに引き続いて捜索する。美咲ちゃん。7歳。我が孫娘と同じ年齢である。
 よく通っていた料理屋のご主人が旅の宿で、姿を消した。同じように捜索したがすぐに見つからなかった。見つかったのは一か月も過ぎた頃だったと思う。風の噂で聞いたのだった。美咲ちゃんは生きているかもしれない。以前少年が生き延びて助かったことがあった。

 人の身におこる不条理な事故は想定外のことばかりなのだろう。自分には起こるはずもなかった事故。父の妹はお腹の子とともに、扇風機に感電して死んだ。亡くなった妹は二人の長女と長男がいた。長女の子供は幼児の頃、鉄道事故に遭って、死んだ。
 事故。通り魔殺人も事故に遭ったのと同じようなことだ。

 大事な人を失うということも、突然に失うよりも、徐々に知って、徐々に覚悟を決めていけるほうがよい。突然の事故はショックが大きくて、喪失感よりも巨大なショックだと思う。そしてやがて深い喪失感がくる。
 周囲の知り合いを見渡しても順風満帆で人生を歩んでいる人など数少ないような気がする。なにかとある。
 毎日のテレビでの考えないられない悲惨な報道を目にする。旧約聖書にあるヨブ記のようだ。それでも我々は生きてゆく。

Carlo カーロ

2019年09月27日 | 日記
元社員だったカーロと1時間ほどの打ち合わせをした。打ち合わせというより、提案をしたのだ。「ぼくの企画で執筆者、録音者にならないか。とりあえずは『リンキング』だ」。
 リンキングというのは get up を ゲット アップ ではなく ゲラップ と言うものだ。これには法則性があって、これを中学英語あたりから教えておくと、アメリカ英語を聞くには便利だと思う。
 「カーロの英語はカナディアン英語かい?」カーロは明るく「トロントはニューヨーク英語に近い」 「なるほど、それじゃリンキングするの?」「する、a lot of は アララブ ってね」
 「これ法則の一覧なんだけど、カーロは文を作る。a lot of だったら、a lot of が入った文2つだ。録音はボイスレコーダーでいい。教科書読みとリンキング読みだ。
 こういうライターをして、お金を稼げばいいじゃないか。日本語訳とかは手伝うよ」

 カーロはすでに尾鷲に来て25年。53歳になる。今日初めてカーロの家に行った。
 部屋は畳一枚ぐらいはありそうなテレビ、ゲーム、パソコン、もうひとつモニター画面まである。
 まったくのマニアック、オタクという感じである。松阪の方にでも越したら、英語教室の需要があるんじゃないの、と、と細君は聞いたらしい。すると、もう20年以上も住んでると、無精になって、ここが居心地がいい、って。
 車の免許ももっていない。一向に日本語が上達しない。漫画が得意なので、元社員だった名古屋にいるデイビッドの児童英語教材作りのイラストを手伝っている。少々、マンツーマンの英語指導もしている。死ぬまでここにいるのだろうか。病気のときどうしているのだろうか。

 だったら、稼げる財産を作っておけよ、とぼくは言いたい。
 「リンキング」のものはニーズがあると思う。さらに入試英語が「トッフル」「英検」を採用する。すると、リスニング力はますます必要になる。
「だから、カーロ、中学生、高校生、そしてトッフルとトイックに的を絞った教材をカーロが作ってみたらどうかい。ぼくが監修するから。女性の声が必要だったら、いくらでも募集できる。

 こんな調子で説得に行ったのだった。「I'll try. But I'm busy now. OK?」「自分のペースでやればいいんだから」

 やってみることになった。やってみて様子を見ればいいのだ。
 「何がどんなことで当たるかわからんもんね」
 「ヘヘヘ、今はビザが降りるか心配」
 「尾鷲は一か月で最低でも20人減っていくんだ。大人や子供で英語を習う人の数も徐々に減っていくだろう。もっと他所からでも稼げることも考えないと。カーロには英語があるんだから」

 カーロはマンツーマン英語指導のパンフをぼくに渡し、「あと5人、必要なんだ」

 パソコンの知識が今いちわからないところがあるので、昨日入ってきたコンピュータ教室のチラシを見て、教室に通おうかと思ったのだった。テーマを決めて、英語の練習をするのもいいな、とも思ったのだったが、気分はパソコンの方に向いている。

 
 



 
 

お墓のこと

2019年09月26日 | 文学 思想
次の仕事までに合間があるので、自分の榎本家用のファイルを整理しておいた。ぼくはこのファイルにして One Drive(Cloud)に残し、SDとPCに置いておくつもりである。
 墓は要らないと考えているし、墓というものは人があまり移動しない時代のもので、祖先を象徴するものであるが、墓よりもすぐに祖先の敬意やつながりを感じたいとか、親に対して敬虔な気持ちでありたいのなら、パソコンやタブレット、スマホのようなもの

でよいと思っている。自分の家の墓が寺の裏山にあるが、仏教僧侶の世話にもなりたくないので、墓には入れるな、と細君には言ってある。
 宗教については個人の救済という面ではりっぱなこともあるが、おおむねぼくは宗教教団は限りなく善にも近いと言いたい人もいるだろうが、ぼくは限りなく悪に近いと思っている。キリスト教やイスラム教、仏教のしてきてことをなぞるだけでおぞましい。それで「個人の救済」ということを考えれば、カウンセリングもあるし、グループに参加することもあるし、宗教も出入り自由、教団への忠誠や縛りがないならそれでよいと思う、という考えを持っている。

 というわけでぼくの場合のお墓はパソコンにあるファイルなので、そこにぼくの父や母、妻、娘、息子、孫、友人など折々の強い印象のある写真を選択して放り込んでいる。そこで、母が持っている古い写真はスキャンしてこれも残して置こうと思い、スキャンした。
 自分としては 
  乳幼児期、小学時代、中学時代、高校時代、1年の浪人期、大学時代(途中ロンドン期間)、山海塾時代、カーネル出版時代(途中シアトル期間)、BBT(Bali Book Tree) 時代、その後の時代とある。すべて自営なので、雇用されるということはなかった。
 仕事を起こすとういのは性分に合っているらしいが、完成してしまうととたんに次のことがしたくなるという塩梅で、この性分が困ったものだった。しかしまあ、ここまでやってきた。
 これからはアプリのバージョンアップを図りながら、販売をしていくという仕事がある。さらに砂漠の緑化という目標がある。ブログの整理は毎日コツコツと校正している。
 
 保存された写真を見ていると、実に多くの人と会っている。元気でいるだろうか、と一枚、一枚を画面に出して見た。PCが普及するまでの写真はない。何枚かアルバムから取り出してスキャンしておこうかと思っている。

 骨? 砕いて海にでも捨ててくれればよい。他の物は断捨離しておこうと思っている。

 別に、ぼくの気持ちが老いたわけではない。もうすぐ死ぬという予感があるわけではない。意気軒昂である。覚えなければならない歌も。読まなければならない本も、観なければならないものも、山とある。

無責任国家 日本

2019年09月25日 | 社会・経済・政治
 今日は天気があまりにもよく、急にBook Off にこの2年ほどの間読んだ本を売ろうと思い立ち、段ボール2箱に積めて、松阪に出掛けた。新書は20円から50円。単行本は500円から350円。総額約7000円で買い取ってくれ、古本が鰻に化けてしまった。
 今年と来年とで、捨てるべきもを決めて、ごみに出すもの、業者に頼むものをきちんと頭の中で仕分けして、処分しよう、と思ったのだった。
 
 現在三度めの「昭和史」を少しづつ読んでいるという報告をしたが、ひとつ言いたいことがある。それは国民についてである。昭和の満州事変あたりから、軍部、新聞、雑誌、国民がだんだんと戦争の方向に向いて行った。日清、日露戦争で勝った日本は驕っていた。
 国民も、中国一撃論、ソ連脅威による満州フロントライン論などが入り交じり、多くの情報がないまま興奮していった。国民も馬鹿だなあ、と今では思う。けれど、馬鹿なのは政治家であり、軍人のお偉方であり、マスコミ幹部である。結局ツケは国民が払う。青年、その家族一同、最後には少年兵まででてくるが、その責任は死んだ兵士だけでなく、その妻や子供、親も払う。興奮し、煽られ、煽ってもツケは自分で払わなければならないのが国民である。死刑となった政治家や軍の幹部は少数いるが、大方の政治家、官僚、軍幹部、マスコミ幹部は責任もとらず、戦後を生きた。かれらには命というツケは払えないのである。払えるのは国民国家の国民だけである。
 ヨーロッパは第一次世界大戦でこれからの戦争は国民もともに戦う総力戦になること知った。そのことを知った軍人たちは、日本も総力戦体制をつくらないと戦争には勝てない、と考えた。軍部にたてつくものは殺すことまでした。5.15事件、2.26事件でのテロで、学者、文化人もだんだんと口を閉ざし始めた。

 日本は被害者に冷たい社会だ、と先日書いたが、日本は上にいけばいくほど、無責任となる。東電の裁判で、3人の大幹部も責任をとらない。とらせない。原発事故を起こしただけでアウトのはずだ。福島がどうなっても、かれらは無実なのだ。
 たまりにたまった汚染水を海に流すことも徐々に言い始めている。
 この頃そんなニュースが出てくる。トリチウムは安全だという学者と安全ではなく、細胞の核にも入り込むという意見もある。この場合も、原発建設に賛成した地元の人もそのツケを払わされている。そして払っている。東京に住居がある大幹部らは地元民ほどのツケも払わない。
  
 この国は無責任国家なのだ。政治家が世襲制になろうとしているのもその極みである。これにも国民も絡むが、国民だけは責任をとるはずだ。愚かな国民になりたくないが。
 




バージョン1の完成

2019年09月24日 | 日記
  あと一歩というところでバグが出る。よしこれでバージョン1はあとひとつの解決で終わりだ、と思い、アプリが送られてくると、動かない。最後になって動かず、停止してしまう、という事態となって、今日は動画でのやりとりで朝から事務所にいる。
 昔、印刷がコンピュータ化する転換期の頃、印刷会社のデータ保存管理がうまくできず、テキストのミスの部分を校正する。それを印刷会社に渡す。するとそのミスの部分は修正されているが、前のミスを修正したところが前のミスに戻っている。こんなことを社員総出で夜遅くまでやっていた。結局、これは裁判となった。出来上がったきたものにまた大量のミスがでたからである。
 これは保存の問題だと思うが、プログラミングの場合はどうなっているのだろう。なぜこれまでアプリを開くことができたのに最新版は開くと「SLPは停止しました」と出てくるのだろう。

 そんなやりとりをしている。

 プログラマーがそばにいたらこんなこともその場で処理できていくにちがいない。離れていると、理解に齟齬が起きる。一緒にいたらその齟齬は早く解決される。

 こんな日々が続いている。そしてついに完成した。今日はスクリーンショットを撮り、ホームページの最終原稿を尾島くんに送った。明日は動画にして限定公開で尾島くんに送る。ドメインも取ったので、ぼくは今日新しい、「英語指導のコツ」という指導者向きのブログを設定した。これは以前に書いたものを小分けにして連載にするつもりである。

 ホームページができあがると、Google play google storeにアップできないのである。審査がある。お金の振込もある。

 現在検Google の検索エンジンは世界の90%の人が使っている。Anndroid も世界では群を抜いている。Androidが世界では多いので、まずはAndroid からにした。様子をみて、iosもつくろうかと思っている。じつはこのアプリ、歌をおぼえるのにも威力を発揮するのだ。聴きたいところを何度でもリピートしてくれる。聴きたいところの犯意設定もできる。

 頭の中はすでにバージョン4まで出来上がっている。いやはや、なんと便利になり、安くなったものか。Windows 95 の開発が終わったメンバーがぼくらのオーサリングソフトを作った。しかし、それをつくっても今度はそれからコピーする機械が必要だった。挙げ句の果て、これを掛けるプレイヤーが必要だった。1995年から24年。
 いまはPC.スマホ、タブレットでなんでもできる。アメリカに巨大企業群マイクロソフト以外にも GAFAが誕生した。中国が追随している。
 

被害者に冷たい国

2019年09月23日 | 社会・経済・政治
交通事故に遭うとする。台風の被害を受けたとする。あるいは盗まれたとする。殺されたとする。大損をするのは被害者側である。交通事故の場合で言えば、加害者側は保険に入っている。保険会社は多くを払いたくないからなんとか支払いを低くしようとする。ぼくはこのことについては母の交通事故裁判でよく知っている。加害者は何の苦労もない。良心の呵責程度である。裁判には出席せずともよい。ぼくから電話はしてはいけない、と保険会社の弁護士から知らせがくる。

 結局、母は事故の後遺障害が残り、不自由な生活を強いられることになった。動かなくなった。すると医者が言ったように認知症が進んできた。
 千葉の台風被害でも決して元に戻るのではない。ゴルフ場の倒壊で被害にあった家は被害者であるが、元のままに戻れるとは思えない。加害者がすんなり払えるとも思えない。市や県や国がそっくりそのまま建て直してくれ、それまでの居住費も出してくれるとは思わない。

 日本は加害者に有利な国である。保険が発達しているからである。その保険会社も厳しいもので、旅行保険にしても3000万円までは補償します、とか書いていても、そうならない。低く、低く、なんたらと理屈をこねてくる。特に裁判になるような大きな事故や事件ではなおさらだ。被害者が間接的にいじめられる。

 「殺される」のは最大の大損だ。加害者はそれほどのお金なんかもっていないだろうし、生命保険に入っていたとしてももらえるのは本人ではない。本人に家族がいれば家族は少々救われる、というものだ。

 この国は被害者には冷たくあたる国だとぼくは思っている。

 千葉のゴルフ場倒壊の被害者だけでなく、台風被害で、ぼくは国や県がさっと出てきて、鉄塔をどけ、家を建て替えてあげる。屋根が飛んでいった家も全部立て直してあげればよいと思う。アフガニスタンには8000億円出している。イージスアショアには兆単位である。MMTの論者ならば、自国通貨をもつ日本はいくら国債を発行してもつぶれないというのだから、それをすればいいのだ。民事介入せず、という原則があるなどと言うが、政府の二人ほどの官僚と県の役人が間に入って、采配すればいいではないか、とぼくは思うのだ。
 とりあえず、全部建て直す。修理で済むものは修理をやってしまう。それから事後のことは災害の保険に入っている人もいるだろうし、いろいろだろうから、話し合っていけばよい。

 地球環境を守ろうとヨーロッパの子供たちが立ち上がった。トランプ大統領がこの地球で存在するのは十年くらいかもしれないが、子供たちは何十年も地球で生きるのだ。 もしも気温がさらに1度上がろうもんなら、大雨、台風、竜巻、海水温による魚、植物への影響も大変なことになってくる。これもなんとかしないといけないが、アホな政治家一人、二人いるだけで物事が進まなくなる。

 




南風に行ったら

2019年09月22日 | 日記
  尾鷲市内に新しい料理屋さんができたので、岡田さん夫妻とぼくと細君の四人で行ってみた。このところ尾鷲では魚が揚がらないらしく、刺身関係については申し訳なさそうだった。馬刺しは美味かった。他の料理も相当美味かった。冬になればフグもやるそうだ。
 トイレにいくのに、座敷の戸を開けて、カウンターを見ると、ご老人が一人で座って食べている。誰かと思ったら南くんだった。小学の頃の同級生で3年一緒のクラスだった。
 小学校を卒業してからはクラスも変わったことで、付き合いすることもなく、ぼくは相撲部でひたすら稽古をしていた。

 「久しぶりやなあ・・・。57年ぶりやない?」
  と驚いて言ったら、
 「ちゃうで、ほらピエロで逢うたやないかい」
  そういえば 10年くらい前に偶然出逢ったことを思いだした。
 「めちゃめちゃ、よい肌しとるんやん。しみのひつつもないな。この白髭もええやないか・・・あれ、南風、この店、南くんの息子さん?」と板前の男を見ると、安心感があったのだろう。嬉しそうな顔をした。息子さんであった。オープンしてまだ1週間である。
 今一番緊張しているだろう。どんなメニューがあるか、美味しいか、値段は、店内は、とすぐに尾鷲市内の噂になる。今来ている客は偵察隊のようなものだ。ぼくらだってそうだ。 

 「冬はフグもやりますんで、よろしくお願いします」
 「そうかい、あんたの息子かい。長男かい?」
 「三男の末っ子さ」
 大分で修業をしたということだった。奥さんは熊本から来たらしい。それで馬刺しの仕入れルートがあるのか、と思ったのだった。

 やがて、トイレに行き、戻ると、南くんはワインと酒を差し入れしてくれた。今後とも息子をよろしくということだろう。ぼくもすっかり馴染みの店のような気持ちになってしまった。

 最後のシメは宝来へ行こう、と言うので、よしよし宝来のあの旨い焼きそばを食ってみようと注文したのだった。ところが前ほどに美味しいとは思えない。自分が何度か作ってみた味と同じである。えっ、こんなもんだったか?腹いっぱいだからか?

 家に帰ると11時近かった。「昭和史」を読みながら眠ってしまった。愉快な晩だった。



 

愛の夢とか

2019年09月21日 | 文学 思想
 ぼくは男で、女の人が妊娠して、子供がお腹の中で大きくなっていくときや産んでからの女性の心情とか、感覚、こころの具合はよくわからない。
 川上未映子の「愛の夢とか」を読むと、女性が思ったり、感じたりすることが、<男>と絶対的に違うんだと思わせられる。つまり川上未映子はそこに拘り、女性にしかありえないようなことを小説にしているように思える。だから読んでいくうちにわからなさが出てくる。同じ人間なのに、違うのである。これは個性が違うというのではない。女性がもつものと男性がもつものは共通するものがあるが、異なるものが根底にあるのだ、と言っているようだ。川上未映子の作品は今頃純文学と言っていいかどうかは別として純文学的だ。

 女性の書く小説で女性のわからなさをこんなに感じたものはなかった。宮尾登美子にしろ、有吉佐和子にしろ、山崎豊子にしろ、大小説家の小説の男女の描き方はワンパターン化していて、ごく普通に読めていける。ワンパターン化しているというのは男にも出てくる女性がわかるし、想像もできるということだ。
 実は女性というものがどんな生き物なのか、女性が女性の心情を掘り下げて、巧みな文にして、小説にしたいんだ、と川上未映子の気持ちはよくわかる。

 「文學界」で川上未映子の特集をやっていて、対談を読んでいた。やはり「女性」がテーマで、ぼくは対談の感覚も、出てくる言葉もあまり実感がなかったのだった。
 ようやく女性が本格的に文学をやりだした。男には未知の世界を描き始めたのだ。それも自由に。世間の眼も気にせず。

 ぼくは言語の芸術は吉本隆明の「言語にとって美とは何か」でよく納得したことがある。それは言語とは縦糸と横糸の織物のようで、「指示表出」言語と「自己表出」言語の織り合わせだと納得した。

 「 静けさや 岩にしみいる 蝉の声 」 を例にとれば、「しみいる」が松尾芭蕉の自己表出言語である。この人しか書けない。そしてこの言葉が言語芸術としてキーワードになっている。他の言葉は「指示表出」言語である。
 指示表出言語ばかりの小説は読めてもすぐに忘れるし、感動も少ない。川上未映子の文は「自己表出」言語が多い。だから短編であってもとてもよく印象に残り、なんだか考えてしまい、忘れることはないと思う。こういう小説家が出てきたんだ、と改めて思ったのだった。

権力の言うことなど

2019年09月20日 | 社会・経済・政治
 7月の末からまず息子家族が8日ほどいて、帰ると娘家族も10日ほどいた。大いにビールを飲んだ。しっかり美味しい物を食べたら、ダイエットのことをすっかり忘れていて、せっかく2kg痩せたのに、元に戻り、それ以上になってしまったようで体重計に乗るのが怖い。昔二十代まではどれほど食おうが太らなかったのに、代謝が悪くなったのだろう、つまり老化ということだ、飲み食いしたものは身体が完全消化できない。その分が脂肪になる。
 麦芽67%以上のものをビールといい、以下の物を発泡酒と言っていたが、この頃、発泡酒よりも安く、ビールと味はほとんど変わらないという「第三のビール」とやらが出てきている。これらはアルコール分が6%である。これが絶妙である。スーパードライは確か5%だった。
麦芽以外に穀物をブレンドしているらしい。だから税率が安くなる。いろいろな穀物からブレンドする技術はウィスキー会社が詳しいだろう。この技術が第三のビールに応用されているように思う。各社外国のウィスキー会社を買収している。
 例えば500ml缶のスーパードライと 同じ会社の「秋の宴」を飲んでみて比較すると断然 「秋の宴」の方が旨い、とぼくは思う。スーパードライとイオンのバーリアルはほとんど同じ味である。スーパードライは500ml で270円。バーリアル(紺色)は110円である。イオンの バーリアル(オレンジ色)は500ml 110円で、麒麟の「大麒麟」は150円だが、全く同じ味である。多分マックスバリューがOEMで麒麟に製造を依頼しているのだと思う。
 政府の高い税率が新しい商品を生み出すというのは皮肉な話だ。携帯電話を安くできると菅官房長官が言っても、結局は安くならない。

 政府が言い出す要求に巧妙な方法でくぐり抜ける。ビール類も同じようなものだ。
 この逞しさがあればよいと思う。
 昭和8年、ゴーストップ事件があった。赤信号を無視して軍人が横断歩道を渡った。それを警察官が注意した。軍人は怒った。警察官も軍人のその態度に怒った。これがその後大事になった。軍隊対警察の争いになった。この頃まだ警察官は軍人に物申したてる気概があったのである。この頃はまだ軍隊によるファシズムはまだ弱かったのである。しかし本格的日中戦争まであと4年。太平洋戦争までさらに4年である。我が身を振り返れば8年など、あっという間である。8年のあっという間にあっと死にたくないが。

暖簾

2019年09月19日 | 映画
今日は涼しく、良い天気である。明日からまた雨が降るそうなので、当たったこともない天気予報に従い、今日のうちに九月に入ってからの草刈り第2弾をするつもりでいる。
 午前中はホームページの原稿作りやイラスト、写真などを選ぶ作業をした。
 小田原に尾島さんという友人がいて、彼にならなんでも気兼ねなく言えるので、彼にホームページ作成の依頼をした。
 さてどんなのができるのやら。
 この前から言っているぼくの発案のアプリ。実は語学だけではない。カラオケ練習にもいいのだ。あれ、ここのところ難しい、なんども聞きたい、という時にはすごく便利である。テレビやラジオからちょいと音源をとればよい。あとは練習だ。

 今回の仕事については失敗ということはないので、気楽である。22年前は重大事であった。今はたった一人でやり、外注するだけである。以前のように何億もいるものではない。
 販売力も要らない。使ってもらえなければしかたがない、という余裕もある。いずれわかる日が来る、と確信をもっている。最後に話し言葉を文字にするAIを搭載するつもりだ。

 昨日森繁久彌の「暖簾」という大昔の映画を観た。森繁久彌が老人と若者の二役だった。山田五十鈴が奥さん役で強気の女性を演じ、音羽信子は森繁久彌が本当は結婚したかった女性であったが、音羽信子の方は身を引いた。大阪での昆布屋の話である。中村雁治郎演ずる昆布屋の旦那に拾われて丁稚に入った森繁はよく仕事をこなし、旦那の教えを忠実に守って生きる男だった。旦那は早めに暖簾分けをする。森繁は独立する。商売もうまくいき、勢いに乗って昆布を加工する工場を作るのだが、室戸台風で工場はやられる。銀行から再融資を受けるのも暖簾があるからである。
 次は長男、次男とも戦争で徴兵となる。大阪の店も向上もすべて焼け、長男までも死んでしまう。森繁はこの長男に期待していたのだった。ラグビーの好きな次男は戻ってくる。これも森繁が演じている。この次男はラグビー仲間の協力もあって、機転と行動力で店を大きくしてゆく。東京にも進出していくのであるが、親父は文句ばかり言っている。しかし息子はどんどんやっていく、という話だ。川島雄三の作品
 昔の映画を見ると必ずしもその当時の風景に目がいってしまう。惹かれてしまう。尾鷲とは違う風景のはずなのに、共通した何かがあるのだ。
 それにしても、鴈治郎の奥さん役で、ちょっと意地悪なしっかりものを浪花千栄子が演じていた。ぼくの母方の祖母は浪花千栄子にそっくりで、小さい頃から同じような顔ってあるんだと思ったのだった。ネットで調べてみると66才で死んだとある。あんなにばあさん役だったのに、たった66才で死ぬとは。幼いときから見える初老の大人は遠い遠いところにいる人間に見えてしまう。
 川上未映子の短篇を二篇読んで寝た。これについてはしっかり考え、「よもやま話の会」で発表しなければならない。

諦めずに

2019年09月18日 | 日記
 アプリ開発が99.9%まできた、修正すべきことがわかり、操作性も今や特に問題はない。
 一時停止機能をつけることになって、機能アイコンの名称を変える作業だけが残っている。大一安心している。1996年から開発を始め、頓挫してから22年になる。
当時はハードについてはソニーのものを利用するしかなかった。またぼくらが発想した教材テキストと音源はすべて自分達でつくるしかなかった。これらの便利な教材を使おうとすれば、学習者はソニーのCDリピーターを買う必要があり、さらに便利ではあるが手間のかかった教材を買わなければならなかった。
 あれから22年。環境は大きく変わった。まずハードはスマホやタブレット、OCに替わり、こちらは教材を作る必要もなくなった。このアプリで教材会社が売っているCDをかけたり、ラジオやテレビの外国語番組を録音さえすれば、一文ごとにすづんだり、後退もする。聞きたいところを何度でもリピートできる。範囲の設定できるのである。
 ぼくの考えているのは最終的なバージョンとしてはAIを搭載して、テレビやラジオ、普通も周辺での音を読み取って文字にだせればこのアプリは真に終了である。おそらくそれはバージョン3くらいではないかと思っている。
 ホームページができあがらないとGoogle Play に登録、アップデートできないので、それも進行中である。捲土重来とはこのことだ、とぼくは思っている。
 言語習得で悩むがいこくじん技能労働者の方にも使ってほしい。世界のすべての国にアップする計画でいる。

📱スマートフォンとタブレットを考えだしたスティーブ・ジョブズはたいへんな人だと思うが、一方で、根気よく粘り続けてきた google の創業者 ラリー・ペイジとその友人セルゲイ・ブリンらの先見性もすごい。
 22年経って今のぼくはその技術の恩恵を受けている。諦めなくてよかった。

 いずれ何十年か先には外国語を学ばなくてもよくなる。相手に向かって喋れば瞬時に通訳してくれるだろう。それがとてもスムースになることだろう。

 これもかつては神の領域であった。
 

よもやま話の会

2019年09月17日 | 社会・経済・政治
サウジアラビアの石油施設がドローン爆撃機に破壊された。半分ほどの施設がやられたというからたいへんなことだ。時速240キロで飛ぶドローンらしい。こんなことが常態化すればどうなるというのだろう。原子力発電所とて狙える。軍事基地や国の主要な重要施設も狙えるだろう。

 イランの関与をアメリカやアフガニスタンは言う。イランは知らない、という。困ったことだ。深刻な事態である。
 サウジアラビアがイランを攻めたら、第三次世界大戦になる恐れがある。

 関わらないことだ。戦争をさせないことだ。もし戦争になったら戦争中止の仲介をすることだ。被害を受けるものは国民なのだ。

 日本では千葉の台風被害、電気の問題をどこもテレビでやっている。災害列島の日本だからいたしかたないが、そんな騒動の裏で「サウジとイラン問題」にどう対応するのか政治家たちが話し合っているのだろう。有志連合に参加する、と言い出さないだろうな。もし言い出せば、自民党内から誰がダメだというだろう。小泉進次郎は言うのだろうか。言えなかったら戦前と同じである。北朝鮮が参戦したらどうするのだ。核で脅してきたらどうするのだ。

 教室「よもやま話の会」があり、テーマは森鴎外の「寒山拾得」だったが、どうにもならないくらい、話は弾まない。鴎外は寒山という詩僧も拾得という僧の人物像も一切書いていない。なんなのこれは、ってな感じで、話題はあっちこっちに跳び、福島の汚染水処理はどうするのだ、とか、尾鷲市もごみ焼却やバイオマス発電も、釣り桟橋も話がお流れになったと聞いたのだった。南海トラフが大声で囁かれているから、重要設備は無理で、住宅も無理である。一番よいのは大オートキャンピング広場ではないか。岸壁の前には漁礁を投入すればよい。
 次回は川上未映子の短編小雪「愛の夢とか」となった。
 月刊誌「文學界」は川上未映子の特集をしていた。対談を読んだ。他の小説家らの批評も読んだ。彼女は今、子を産んだことを掘り下げようとしている。その熱き心はわかるような気もするが、実感的にわからず、読みながら困ったにだった。短編集をしっかり読んでみよう。



 


 

時事雑談

2019年09月16日 | 社会・経済・政治
  絶えずプログラマーとは一緒にいて仕事を進めていくことだ、と、まかせておけばいけないものだと、今回反省している。今のところそれが命取りになるわけでもなく、完成まで日が伸びていく、ということだ。ひとつの問題をクリアすると次の問題がでてくる。2時間ばかり格闘して止める。次の日にまわす。そのうち知識が集まってきて解決するものだ。
 細君と車の中で、福今日の新聞の「声」欄で91歳のご老人が、福島の原発汚染水は絶対に海にながしてはいけない、と言っていたことを話題にし、タンクの置き場所の確保はどうなってるんだろう、と思ったのだった。いずれ、東電は海に流すのではないか。もしそれをすれば日本のサバやイワシ、サンマにおいても、カツオついてもダメになることだろう。風評被害だけではない。実際の放射能被害が魚にあるかもしれない。タンクを作るしかないか。放射能物質を無化してしまう技術の開発はどうなっているのか。できないものなのか。この方面の情報はさっぱり聞こえて来ない。
 「ホルムズ海峡 警護で増す危険」と水先人の70歳の男性が、「商船でも、警護されると敵国の軍事目標とされ、逆に危険度が増す」という。「今は日本の約9割がパナマ籍などの便宜置籍船で、乗員もフィリピン人などだ」という。彼は日本の有志連合参加に反対である。

 このような意見は「まとも」であると思うが、世は、特に性格的アンポンタンがいると、間違った方に道を選んでしまう。昭和史の戦前の経緯を読んでいると、世の空気の変容はすさまじいものだ。無責任大人の軍人、政治家の集まりだった。

 隣の韓国とのことでメディアのあり方も問われている。
 サウジアラビア、イスラエル、アメリカの動きとともに、中国、ロシア、北朝鮮などの動きも気になる。日本は小さな極東の天災が多い列島の国である。なにもでしゃばることはないし、日本は強国というわけでもない。