25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日馬富士記者会見

2017年11月30日 | テレビ

 この男はダメだと思った。日馬富士のことである。まず最初に、貴の岩と貴乃花部屋に謝罪するべきところ、謝ることはなかった。同じ国からきた後輩力士、しかも他所の部屋の力士に、指導が行きすぎた。貴の岩には礼儀、礼節をわきまえ成長してもらいたい、と言っていた。貴ノ岩の相撲人生はどうなるのか心配である。貴乃花部屋でやっと育ち、大関が狙える力量も伺わせた。

 このようなリンチ、傷害事件を起こしたことについて関係者、世間を騒がせて迷惑をかけた、というのが引退の主な理由であり、自己保身かのように、全身全霊で相撲道に精進し、礼儀、礼節を重んじてやってきた、と釈明するだけであった。

 協会理事長感想は断腸思いだ、と言い、当然のことだ、やってはいけないことをしたのだ、横綱だからといって許されるわけではない、と力強く言わなかった。

 旭富士にいたっては、自分は筋を通したと言い切り、自分の指導がいたらなかったという反省の弁はなく、記者の質問逆ギレする始末であった。

 記者は、貴ノ岩や親方である貴乃花に謝罪はないではないか、と突っ込める能力のある者はいなかった。

 思春期の頃の中学生男子が一同に会したようなお粗末な記者会見であった。

 相撲については満身創痍の日馬富士あった。そろそろ引退時期かと個人的には思っていた。こんな形になるとは。

 大相撲も4場所制がいいのではないか。怪我が多すぎる。これでは若い人は入ってこなくなると思う。カッとなってデンモクで殴って、謝らないのであれば、逆に後輩力士が殴られて謝りに行かなくてはならないようでは、この事件を見ている中学生や高校生も考えてしまうのではないか。

 森友問題の質問にあいもかわらず、のらくらと答えている国会とこの記者会見と運のよいミサイル発射実験で、なんとも不機嫌なってしまう一日だった。

 ※友人、家族のような親近なものが庇うのは当然である。これも付け加えておかなければならない。


釣りをして、Argo を見た

2017年11月29日 | 映画

 2、3日、暖かい日が続くと、天気予報は言うので、今年最後のカサゴ釣りに出かけた。と言っても昼の一時半の釣り開始で、食いの立たない時間帯ではある。スーパーでイワシはないかとさがしたがなく、121円でアジ買って、それを餌にすることにした。いつもの穴場である。一投目で、ちいさな子供カサゴ。これはリリース。しばらくして大きなカサゴが掛かった。次が蟹だった。2回ほど穴に引き込まれ、なんとか頑張ったが、出てくることはなかった。

 普段着で、手袋をして釣る。釣りの格好などしなくてもよい堤防釣りである。立って集中していると、時間が経つのはすぐである。一時間ほどで止めた。二匹あれば十分である。

 夜、2012年のアカデミー賞作品賞を取った「Argo 」を見た。イラン大使館が占拠され、館員の6名がカナダ大使館に逃げ込み隠れた。それを救出する実話である。イランの入管の風景がバリ島の入管うりで、帰りの票も同じで、入管のスタッフ専用のドアも同じように見え、自分も何度ここで足止めされ、出国できなかったことが三回ほどあったことを思い出して可笑しかった。

 3年前にも、仕事の相手が1時間待っても出口ゲートに姿を現さないので、これは何かあったな、と出口から入り込んで入管員のいる部屋に駆け込んだ。すると案の定知り合いが座っていた。入管員は誰かが来るのを待っていた様子だった。持ち込み現金が多すぎる、税金20万円と要求するのだった。交渉が始まった。ぼくはこの交渉にはなれているので、値切り倒して、二人を連れて出た。

 今思えば、バリ島での仕事もまるで前世で起きたことのような気がする。Argo はチェック機関を運よく、無事通過することができた。ハラハラドキドキだった。

 イスラム革命から37経っている。シーア派イランはオバマ前大統領の政府とはうまくやってきたが、トランプ大統領になって関係が悪くなっている。

 それにしてもこの映画はおもしろかった。勇気というものを考えさせられた。


緩やかな方がいい

2017年11月28日 | 社会・経済・政治

 酔っぱらった日馬富士が何かカチンとなることがあって、その場にあるものや素手で殴り、貴ノ岩を怪我させた。他の横綱や大関が並ぶ宴席でのリンチというわけだが、傷害事件なのだから、警察の捜査が一番である。物事はそれからである。

 マスコミは広告料をもらってこの事件をワイドショーや報道番組で井戸端会議、床屋談義を繰り広げ、醜態そのものである。モリカケ問題があろう。少子化問題、憲法問題、財政問題があろう、と思うが、ワイドショーを見ていると、世の中窮屈になったものだとつくづく思う。やっている司会者、コメンテーターは窮屈さを感じないだろうか。歌では不倫や恋の歌をみな歌いまくり、ワイドショーでは不倫をダメだと言いまくる。いい気なものだ。明日恋に落ちたらどうするというのか。

 物事は緩い方がよいのだ。妾を五人持って、その女性たちを食わしていけるぞ、と国会でいい放った三木武吉のような甲斐性があっていいし、逆に女傑が男を食わせてもよい。それは本人たちのことだ。ワイドショーはチマチマしたことをいかにも大事かのように事件をもて遊ぶ。よい大人(司会者、コメンテーター、ゲスト芸能人、番組を作るスタッフ)が恥ずかしいことだと思わないのか。政治家は公人だと言い、それで金を稼ぐ彼ら。芸能人をつけ狙いそれで金を稼ぐ彼ら。みっともない。

 ジャーナリストなどどこにいるというのか。骨のあるジャーナリストを見たことがない。

 


奥を見る

2017年11月27日 | 文学 思想

 友人はもうじき剣道八段への昇段審査である。彼は電話で、この頃見る位置について思うことがあるらしく、試しているのだ、と言っていた。

 ぼくは相手を見るという場合、目の奥、つまり頭の後頭部を見るようにすると、力がよく伝わるとエステをする女子たちに言ってきた。すると相撲力士の琴奨菊が大関に上がる前、大学の先生から、「あなたはビデオで見ていると相手を睨んでいる。これがよくない。相手を睨むと身体が緊張してこわばるから力がうまく伝わらない」と言われたことがある。眼力を抜いてみたら、たちまち大関になってしまった。そのあとは「運動神経」としかいいようがないが、琴奨菊はひとつの極意を得たのだった。

 肘を使って目の奥を見て押すのと、同じ肘を使って相手の目そのものを見て押すのとでは力の伝わり方は2倍にも3倍にもなる。剣道においても相手の後頭部を見ると筋肉が緩んで一瞬の動作に入りやすいだろうし、身体全体の動きがよく見えるのではないか、と電話のあとつらつらと考えている。胸を見る人、喉元を見る人、顔を見る人、いろいろいるのだろうが、本当のところはぼくは知らない。ただ押す場合には肘の力がもともと強いので、それを倍増するには目で奥を見ることだ。肘は手のひらを返すように開きながら肘のバネを使う。相撲はまさにそうである。

 マッサージをする場合、例えば背中でもよい、腹でもよい、上下肢でもいいのだが、深い力を届けようと思ったら、それらの表面は見ない。その奥を見るのである。奥にポイントを置いているから力は加速の真っ最中である。その時、足の立ち位置はT字型である。左足と右足は離れているわけだが、T になっているほうが断然力が強い。

 どうやらこれは人間との関係にも言えそうである。相手を目の奥を見て話すと威圧感のようなものはない。睨むということもないから、ぼんやりという風である。人間は自分というものがわからはずもなく、他人のこともわかるはずはないのだから、誤解などは当たり前のことだ。じっと、しっかり見て、なんていうのは可笑しいよ、と年を重ねてくるとわかってくる。無理してわからなくてもいいやい、おれがおれのこともわからないんだから、となる。

 目で物を言うというが、それはそれでいいのであるよ。


正しい歩き方

2017年11月26日 | 日記

 新体操の女性選手の脚の見事な美しさには見ていて感動してしまう。重心が常にとれているから、あのような理想的な脚になるのである。

 重心がかかる位置がずれて、相当な負荷がかかった場合に、膝などを傷める。力士がよい例である。

 日本の女性の歩き方は基本的に間違っている。足先を内側にして歩く人が多い。それで脚の形が歪むのである。さらに、毎日歩くことによって、いつも膝を捻っているのである。さらに太れば体重の負荷がかかる。そして右膝を傷めるとそれをかばうため、やがて左膝も傷めることになり、ひいては腰まで傷めてしまうことになる。

 「かかと着地で歩け」という人がいる。踵も広うござんす。正しい着地ポイントはくるぶから直線でおりたところと親指の隣りの指から直線でおりてきた交差点である。ここをぼくはビテンと呼んでいる。重心点である。足先の角度は15度。このポイントを一直線上につけることを意識して歩き、無意識に歩けるようになると、十代であれば脚の形が綺麗になる。二十代や三十代でもやや日数はかかるが変わる。米倉涼子に言いたいが、彼女は足先をまっすぐにする。その分美しさが少し崩れている。やや足先を外に向ければ新体操の選手のように美しくなる。

 足先を15度にして(合計30度)立てば、両脚のふくらはぎがくっつけばそれが正しい。女優、タレントでみる限り、上戸彩、樋口可南子、八木亜紀子らが綺麗な脚であり、AKBの女性たちはXO脚という複雑な捻れになっている。今の若い世代の女性にこのXO脚が多い。

 膝は大事である。歩くのはよいエクササイズであるが、間違っていたら、どうしようもない。

 


疑え

2017年11月25日 | 社会・経済・政治

 髪の毛を食べれば髪の毛が生えてくる。そんな類いのことがまことしやかに、企業が宣伝で視聴者に知らせる。コンドロイチンをとればコンドロイチンが増える。コラーゲンを摂ればコラーゲンで皮膚ももっちりとする、というようなものだ。多くの人はそれを信じる。

 同じように異次元の金融緩和をすれば景気がよくなる。働き方改革、一億総活躍社会と言えば、なにか元気で豊かになって、いかにもよさそうだ、と思えてしまう。

 もしかしたら、働く人がみな非正規社員となり、(この正規という言葉は嫌いであるが)、死ぬまで働かなければこの国はやっていけないのかもしれない、と疑わなければならない。安倍政権には疑いの目でみる必要がある。なにしろ「世界の中心で輝く国創り」を唱え、外交いでればお金をばらまき、仲良しのトランプ大統領からは軍備増強のために自衛隊の予算を増やす。財政健全化という言葉も聞かれなくなった。日銀を子会社化して、直接に国債を引き受けさせる。マイナス金利、ゼロ金利、企業の内部留保で金融業界はやっていけず、リストラの嵐である。経済ファシズムになっている。

 戦後レジームからの脱却と言いながら、アメリカに押さえ込まれるポチとなっていることには、忸怩たるものがあるだろう。単純に全方位で仲良くしてほしいと思う。軍備の増強も必要がないと思う。アメリカに巻き込まれるな。

 


母が転んだ

2017年11月24日 | 日記

 起こるかも知れないと思ぅていた。朝早く、母から電話がかかった。トイレで転んだという。起き上がれず、ぼくに電話しようにもできない。一時間かけて、必死でほふく前進したらしい。電話機は高いところにある。電話のコードを引き、やっと電話ができた。ぼくはまだ眠りの中にいて、不機嫌に出ると、トイレで転んだ、起きられん、助けに来てくれ、という。

 廊下で横伏せになっている。古武術の技を知っていたので、まず、振り子の原理を使って尻で座らせ、キツネコンコンの腕組で立たせた。そして腕をくぐって、腹に腕をあて、反対の手で組む。そうやって歩かせる。これは自慢話である、とてもじゃないが緋とが一人持ち上げることなどはできるものではない。萩野アンナが甲野善紀から習ったことを本している。それで知っていた。

 ベッドに寝かせて様子をみることにした。家に戻り、再び寝た。今度はデイケアのケアマネージャーからだった。「痛がってます」ということだった。ああ、やっぱりか。実家に向かった。相当痛がっている。ケアマネのHさんが車で運びましょうか、と言ってくれる。それは無理だとわかる。こういう場合は救急治療だ。下手したら骨を折ってしまうかもしれない(もう折っていたのだが)。救急車を呼んだ。二分もしないうちに救急車がきた。三人の男が必要だった。

 股関節の骨頭が折れていた。人工のものを張り付けるんだそうだ。袋のなかに骨頭が守られるようにあるらしく、これを切り取らなければならないらしい。このため、治ってからも、ちょとしたことで、またやるらしい。

 今日手術が終わり、明日からリハビリ。筋力がないから転んだのだ。再びのリハビリ。その意欲がまた自立生活ができるかどうかにかかわる。生きる意欲だ。92歳である。88歳の時に車に跳ねられた。重傷だった。しかし甦った。

 この事故も前の事故の影響だと言えなくもないが、母も人生イヤいなるだろう、と思う。それを励ますのがぼくの役割である。平坦な人生などないと思うが、事故は突然である。躓かないよう気をつけたい。

 

 


白鵬の目

2017年11月23日 | テレビ

 白鵬の目をあなどってはいけない。横綱には審判の権利があり、以前に白鳳が取り組みの軍配に異議を唱え、手を挙げたことがあった。よくビデオで観察すると白鵬の目が正しかった。

 昨日の嘉風戦で、嘉風はふわりと立ったので、白鵬は呼吸があわなかったと自分で勝手に判断してしまった。ところが式守伊之助が「のこった」と言った。白鵬はこれに不満だった。1分以上土俵下で抗議した。ついで土俵に上がってからも、おかしい、と抗議した、NHKアナウンサーは、「

白鵬、これはいけません。立ち会いは成立しています、これはいけません。潔くありません」と言っていた。

式守伊之助も昨晩は考え込んだのではないだろうか。微妙な立ち会いであった。今場所はぶつかってからの「待った」が多い。

 白鵬を非難する気にならないが、昨日のことはすっぱりと切り替えて、隙のない相撲をとってほしい。

 

 


ビートたけしの映画とフランス映画

2017年11月22日 | 映画

 どうしてビートたけしの映画がフランスで人気があるのか。この前2972年作品のアランドロン主演の「Big guns」を見てわかるような気がした。アメリカ映画と比較するとよくわかる。アメリカ映画は明るさと荒唐無稽さがある。アクションものでは不死身であり、結果よしよし、である、

 フランス映画はどうも結末にショックがある。滑稽味はなく、じっと暗い。殺すタイミングなどはウム言わさず瞬時である。殺し方にもフランス映画は工夫がある。アランドロンは無口な殺し屋だった。息子のためにこの仕事をやめようとする。組織はそうはさせない。生身の人間として闘う。これはたけしの映画でも同じである。

 「髪結いの亭主」という奇妙なフランス映画がある。この映画は前にも紹介した。髪結いの女と知り合い、仕事をせずに、ひたすら店にて女房の立ち居振る舞いや仕事ぶりを見ている。結末は意外であり、解釈不可能である。う~ん、と唸ってしまい、考え込んでしまう。つまらない映画だったら考え込むおことなどしないのだが、映像に引っ張る力があり、最後の1分前まで興味深いのである。それが最後の1分で、あっと言わせる。フランス映画でよくみる手法でもあると思う。

たけしの「アキレスと亀」も奇妙な話だった。この雰囲気もフランス映画っぽかった。

 ロンドンにいた頃、上の階の部屋にいた日本人の男が、彼女持つんならフランス女だよ、とぼくによく言っていた。そしてついにフランス人の彼女ができて、しばらくして日本に帰って行った。フランスの女と日本の男は相性が合うんだよ、というのが彼の持論だった。奥ゆかしさもある、と言っていた。本当なのか、と今もわからない。

 たけしの映画「アウトレイジ」はほぼ同じ雰囲気であることで、昔のその話を思い出した。何なんだろう。




安心感

2017年11月21日 | 文学 思想

 金魚やメダカでも何らかの気配を感じると隠れ家に隠れる。ぼくの気配を感じて、餌が欲しいと集まる。たぶん金魚とメダカにとって僕は「安心感」があるのだろう。

 母親の中にいる胎児は受精の瞬間から母親の気配を感じる。聴覚が発達してくると、母親と父親の会話や外の人の会話やザワザワした音なども聴き取るようになる。

 母親の心臓の音。血流の音。母親の内面の思いが印画紙に写るように転写する。こころは母親、次に母親と父親の関係、兄弟姉妹の有無。そこに環境、例えば人の出入りが多い商売屋さんか、ひっそりと人の来ない家か、近所にどんな人がいるか。そんなところからこころは形成されていく。胎児期から乳児期。この時期に母親からのオキシトシンホルモン(愛情ホルモン)を十分で受けていれば、こころは丈夫に育ち上がる。

 この時期に夫との関係がよくなく虐待を受ける、泣きくれ、怒りとか、経済的に苦しいとか、母親が病気であるとか、母親が自分中心過ぎるとか、両親がその上の父母に弱く、支配されているとかとあれば、こころの成長は歪なものになり、丈夫なものにならないと僕は推察している。この点では吉本隆明の「母型論」と三木成夫の「胎児の世界」を読んでから、今日まで思ってきたことだ。そして子育てにとって一番大切なことは「安心感」を与えることだ。

 三島由紀夫は強権的な祖母、しかも梅毒という病でベッドに寝たきりになっている祖母に取られ、授乳の時に合図のチャイムで産みの母親を呼んだという異常な世界で乳児期を過ごしている。

 太宰治は乳母に育てられ、母親とは離されて育っている。夏目漱石は四十を過ぎてから産んだ子だと世間体が悪いと他人に預けられ、路上の店の籠の中にいたという。

 彼らの文学の源泉はそんな生い立ちにある。自分の育ちが悪いから、文学に傾倒していったのだろうと思える。さしずめ現代は自己表現手段が多々あるから、多くの人がある面、多々ある自己表現手段によって救われていると言っていいだろう。しかしある時期が来たら耐えきれず、「自死」してしまう人もいるというのも事実である。もちろん自死せず、生き抜く人もいるだろう。多くの三島由紀夫や太宰治がいてよいはずもない。

 女性が活躍する社会では、女性が妊娠中から乳児を過ぎるまでの「安心」が担保されなければならないとぼくは考える。

 さて、今の若者たちに安心感があると手を挙げて賛成できる人はどのくらいいるものだろう。この場合、胎内とは社会のことである。

 


九州場所の女、旭大星のことなど

2017年11月20日 | 映画

 現在、大相撲の九州場所の最中である。そして連日何年か前に書いた「九州場所の女」へのアクセスが上位に入ってくる。驚いている。NHKの大相撲放送で、やはりこの女性が目につくのだろう。正面の砂かぶりや力士が力水を次の力士に渡す場面の後ろにいる時もある。着物は毎日替えてくるし、昨日などは太い縁のメガネをかけて洋服であった。この女性が気になってネットを検索する人が多いのだろう。

 本人は意図してそうしているのかはわからない。中須のスナック「田じま」のママさんだというから、たいへんな広告効果であることは間違いない。ぼくだって、博多に行ったら行ってみたいものだ。

 相撲の好きな客が来るのか、相撲部屋の親方や協会の幹部たちもくるのか、想像するだけである。それにしてもあの座る姿勢は横隔膜や腹横筋のような体幹筋は言うに及ばず、表層筋の腹筋や背筋もしっかりしていないとできない。彼女は四時ごろにやってきて二時間ほど観戦しているから、二時間、ちゃんとした姿勢で座っていることができるのだ。そういう人は画面に映る客の中でもたいへん珍しい。珍しいから何かエネルギーのようなものが出て来て、目を惹くのである。

 着物を着て観戦する女性も多いが、着物と髪形が合ってなかったり、化粧と着物が合ってなかったりする。いわばシロウトなのだろう。彼女の場合は一人凛として座って、髪形も着物も、あっと言う洋服も見事に着こなし、髪形も化粧も様になっている。クロウトになっている。それで画面の中から彼女だけが浮き上がってくるのである。

 さて今場所。白鵬が断然強い。逸ノ城も調子がよい。荒鷲も一敗をキープしている。玉鷲もよい。モンゴル勢だ。日本勢は相撲が速くなった隠岐の海と鞠のような貴景勝くらいである。稀勢の里は取り口を変えることくらいできないものかと、器用さがないのにため息がでてしまう。愚直であり、体格だけで相撲を取っているように見える。このままだと負け越しをしてしまう感もある。親方はどんな助言をしているのだろう。

 白鵬が幕内に登場したとき、「こいつは横綱になる」とピンと来たものだった。このピンと来るのがいない。御嶽海は大関くらいにはなるだろう、とか思うくらいで、あとは朝乃山の取り口をもっと見てみたいというところである。

 ところで、旭川で柔道をやっていた18才の青年が大相撲に入り、旭国の部屋に入門した。以前にもブログで書いたことがある。部屋を逃げ出したり、稽古の厳しさに挫折しそうになった。もう八年ほど前のことだと思う。旭大星という四股名になってぼくらの前に姿を現してから、つまり三時からの相撲中継に映り始めてからもう二年近くになる。体も大きくなった。やっとあの青年がここまで来たか、と感慨深げに見て、応援している。来年は結婚するという。奥さんになる女性が栄養バランスを考えた食事を作ってくれるとアナウンサーが言っていた。彼は日曜日の時点で6勝2敗である。十両である。もしも今場所勝ち越せば、十両上位に上がり、優勝でもすれば幕内昇進もあるかも知れず、期待して見ている。だが、今の立ち合いの馬力では幕内には通用しないだろうことは見ているこちらでもわかる。もっと激しいぶつかりが必要だと思う。思わず柔道技が出てしまうこともある。少年時代の癖というのはなかなか抜けきらない。

 頑張れよ、といつもテレビに向かって声に出して応援している。

 

 


叙情と陰影

2017年11月19日 | 音楽 ポップス

 舟木一夫のことを書いたら、舟木ファンが集う掲示板でぼくのブログを紹介していただき、ファンの凄さもあるが、やはり舟木一夫の影響がぼくにまできて、ブログを覗いてもらったおかげで、他の話題についてもついでに読んでもらっているのだろう。ありがたいことだ。十二月から新橋演舞場で一ヶ月公園があるという。名古屋の御園座も完成することだし、名古屋でやってもらえないかと思う。

 昔、「その人は昔」というLPがあり、ひとつのドラマのようになっていた。中学生の頃だったと思う。内藤洋子の「白馬のルンナ」も確かこのLPに入っていたのではなかったか。記憶は曖昧である。何度も聴いたおぼえがある。

 この前荻野目洋子が「六本木純情派」をミュージックステーションで高校生のダンスクラブが躍り、歌っていた。ぼくらの中学や高校時代というのはまだサブカルチャーが旺盛ではなく、ダンス部はなく、ラグビーやサッカーさえもなかった。テニスは奇妙な軟式であった。ダンス部のはちきれたダンスをみていると思わず恥ずかしさも忘れて踊りたくなる。たぶん、ダンスは好きで、バリ島にいくと、ラテンダンスの店があって、そこへ行けばぼくも踊る。インドの男も踊る。じっとみていたオーストラリアからの人たちも踊り始める。これは気持ちよく爽快感がある。だから今の高校生たちの選択肢の多さには羨ましい思いがする。

 舟木一夫の時代はまだダンスというのはフォークダンスであった。橋幸夫が「恋をするなら」や「チェチェチェ」でリズム歌謡と銘うって歌い出したら、舟木もリズム物をということで、「高原のお嬢さん」や「渚のお嬢さん」をだした。「高原のお嬢さん」は名曲であるが、抒情が全面にでていて、リズムはそれを支えるくらいのもので、歌をバックに踊るというのではなかった。おそらく舟木の声はリズム歌謡には向かないのだろうと思う。舟木の良さは叙情性にある。リズムをもつ「東京は恋する」や「北国の街」も叙情が全面にでる。そして歌に、声に陰影がある。

 これらの独特な歌を他の歌手が歌って見せても舟木のような陰影はでないだろうと思う。多くのファンが支えつづけたのはこの「叙情と陰影」ではないかと思う。あの頃の日本は高度成長期と言えども、ハチキレルとまでいかなかった。暗さと明るさが混在し、ようやく明るい方へ向かう扉が開きかかった頃だった。舟木もそうだが、ファンまだまだこころの縛りが多い中で生き抜いてきたのだと思う。

 


描けない未来

2017年11月18日 | 社会・経済・政治

 勇ましいことを言ったり、正義を振りかざす。こういうことには気をつけなければと思っている。

 考えることなく、すぐに検索する。これは脳が空っぽになっていくのと同じことだと思う。

 今日のニュースで、金融資産を持たない世帯が1987年3.3% だったのが、2016年で30.9%になっている。40歳代が35%となっている、貯金ができず、未来への不安を抱えながら暮らしている様子が伺える。これに正規雇用か非正規雇用かという要素も加わってきている。企業は内部留保金を多額に持ちながら、賃金を抑制し、利益還元を株主にする。設備投資をするにも二の足を踏む。

 「異次元の金融政策」。こういう言葉。金持ち優遇政策は当面変わりそうにない。株価で得る利息は不労所得であり、泡みたいなものだ。普通の生活の現場など実感的にわかるという人の中から政治家がでてくる余地もない。

 資本主義が衰退していく傾向の中で、今のぼくの息子や娘、それに孫たちも未来をどう想像すればよいだろう。

 アベノミクスは失敗している。失敗したことがばれるまでの間に天皇が元首の現代版大日本帝国憲法を作りたいというのが本音ではないのか。「強い日本」など要らない。無駄の多い日本も要らない。飢えることはなく、そこそこの経済的生活があればいい。隣近所の国とも仲良くやってくれればよい。


睡眠負債などと

2017年11月17日 | 日記

   熟睡感がないので、テレビで宣伝している味の素の「グリナ」を買ってみた。一日目、熟睡があったような気がする。二日目、なかったような気がする。三日目 なかったような気がする。気がするというだけで本当は5時間くらいは熟睡しているのかもしれない。朝方に夢を見るので、熟睡感がないのかも知れない。

 メールで「お買い上げありがとうございました」という通知が来た。そのメールの中には解約方法も書いてある。これは保存しておかないと、と思っていた。それから一週間経ったら、ぼくの手違いなのか、一週間で消えてしまうメールなのか、その辺はわからないが、とにかく解約方法を書いたメールが消えていた。定期コースを申し込んだから、来月も送られてくる。面倒だなあ、と思う。それから反省する。こういう買い物はしないことなのだ。

 何かを通販で買うと、それ以降、メールが来る。ブログのgooに登録しているだけで毎日メールが来る。マクドナルドの店ではWIFIを使いたいが、登録をしなければならない。おっと、と思い、また毎日のようにメールが来ると思うと、WIFIをOFFにしてしまう。ネットはほぼ広告で運営されているのだから、しかたのないことかもしれないが、積もってくるメールを削除するだけでもバッテリー量は減っていく。

 なるべく面倒なことはやめようと思っているのだが、つい、「グリナ」を買ってしまった。内容を読んでいるとグリシンというアミノ酸はホタテ貝から抽出するのだそうな。だったら、ホタテでも食べようかと、あその他の食べ物でグリシンが含まれるものを食べようかと思い始めている。それに睡眠の作法というものがある。靴下をはいて寝ない、とか、電気毛布はつけっぱなしにせず就寝前に消す、就寝の一時間前頃に風呂に入るとかである。根本的には睡眠について気にしない、人は睡眠できなかったことで死ぬことはない、と鷹揚にいればいいのだろうが、一度クリニックで寝不足の時に、血圧が高かったので驚いてから気になり始めたのだった。それに睡眠負債などとこの頃話題になっている。

 現在血圧は正常である。ちょっとした気にしかたから、面倒なことを起こしてしまったと後悔している。


酒癖 日馬富士

2017年11月16日 | テレビ

 酒癖が悪いが、かわいい人と、気持ち悪い人がいる。オオムカシ「叩き上戸」の女性にずいぶんと殴られ、逃げたことがある。女性の叩きだから、力もたかが知れていた。目がすわってくる人もいる。これも薄気味悪い。

 日馬富士の酒癖の悪さはどんなものだったのだろう。普通それほど酒癖が悪いのなら、仲間も避けるものだが。それにしても噂だけの報道は恐ろしい。何が本当なのかわからない。モンゴルにいるまた聞きの旭鷲山へのインタビューなどはおかしな話だ。彼はその場にはいなかった。一緒に酒を飲んでいた力士たちは口をつぐむ。ようやく白鵬がコメントでは、ビール瓶を持ったが滑って落としてしまった、と言う。 別のところからは、ゴンと音がした、カラオケのデンモクでも殴ったという声もある。

 日馬富士と貴ノ岩、その場にいた人に聞けばいいだけのことであるが、テレビ局も、なんだかだと報道したがる。貴乃花の行動までも言われるのだから、迷惑千万だろうが。

 酒が深くなってくると、気に障ることが出てくることがある。スナックなどで、気に入らない物言いや、すでによっぱらって傍若無人の態度で店を荒らす者もいる。よく流行るスナックのママさんなどはそんな客を上手にあしらい、店から出してしまう。こういう現場を何度か見たことがある。

 この居酒屋にそんなママさんでもいたらと思うが、貸し切りであったらしい。それにしてもこの九州場所に暗い陰を落としている。