25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

白人

2019年06月30日 | 社会・経済・政治
 ロッキー山脈の中で地図とコンパスを頼りに重い荷物を背負って、指定された目的地にいくグループレースを去年見たことがある。水の調達もグループで探す。時間競争だから十分な睡眠もできない。分かれ道こ洗濯を間違えると時間のロスが大きい。この競技をなんと呼ぶのか忘れてしまったが、参加グループは白人がほとんどでかろうじて日本グループがいた。スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク・・・彼らの祖先がかつて歩いてそれぞれの地にたどり着いたのを再現するような競技であった。
 こんな人たちと戦っても勝ち目はないと思ったものだ。彼らは激しい。トコトンやるという雰囲気がある。
 映画を観ていると筋肉隆々の白人男性が出てくる。日本列島人とは体躯が違う。きっと白人はネアンデルタール人の遺伝子が多く残り、われわれのような黄色人種はホモ・ハビリスの遺伝子が多いにだと思いたくなる。
 アメリカはもう十年もすると白人種の人口が半分を割る。トランプ大統領が登場してきた時、いよいよ衰退する白人の逆襲が始まったか、と思ったものだった。
 ところが、今日の朝日新聞で、「白人の平均寿命が短くなっている」と知った。冷静に考えれば、映画の白人とレースにでる白人は超少数であり、大半の白人は不健康そうに肥えている。このお太った白人たちに長い命が約束されているとは思えない。
 白人がそんなにすごかったらオリンピックなどする必要もないはずだ。
 知性ある白人は生き残り、無知な白人の退場は早い。おごれる強者は弱者より先に滅びる。歴史の教訓である。

若者の凄さ

2019年06月29日 | テレビ
 関ジャムで「いまの若者のフォーメーションダンス」をみた。すごかった。10年ほど前にも若者のダンスを見たことがあるが、体の使い方が一段と進歩していて、びっくりした。
 翌日、つまり昨日、「アカペラのコンテスト」があった。高校生たちも決勝に残った。このコンテストに約600グループが参加した。これもすごかった。
 その夜、同時時間帯で、陸上100メートル競争があった。
 カール・ルイスが王者の頃、日本人が10秒を切ることは考えられなかった。それが期待できるようになった。
 卓球、バドミントンで凄いものがある。

 これはどういうことなのだろうか。バドミントンでは韓国の優秀な指導者を招聘した。卓球も中国人指導者招いている。さらに卓球の場合、親が小さなときから教えこんだ。
 ダンスやアカペラの上達にはyou-tubeやLINEなどの影響があるだろう。アメリカやイギリスのプロの技術から学ぶ。いつでも比較ができ、検討ができる。
 
 いつだって「今の若者は・・・」と言って年配の者が愚痴る言葉はエジプト文明の時代からあった。いつだって若者はすごい。いつだって若者は死に近いところでエネルギーを爆発させる。死へのエネルギーもすごいが、生へのエネルギーもすごい

 その若者を食い物にしている政治はひどい。票で勘定する政治はひどいことだ。

失敗は人生の味

2019年06月28日 | テレビ
女優の高畑淳子が朝ドラの「なつぞら」で、よい演技をしている。おばあさん役である。一人孫が東京に出て菓子作りの修行をしているが、その孫が「演劇」をやりたい、と覚悟を決めるのである。その親役をしている安田顕が「しっかりやれ、努力しろ。だめだと思ったら帯広に帰ってこい、お前の生まれた場所だ。恥ずかしがらずに帰ってこい」というと、高畑は「失敗も人生の味だ」と言って笑って励ます。とても感激するシーンだった。「失敗も人生の味だ」というのも生きているから言えることで、多くの人を見、様々経験を踏んできたから言える言葉である。高畑淳子くらいの歳になって言えるのだろう。説得力があり、唸らせる。

 「苦い失敗」。1997年。すでに22年経っている。この失敗へのリベンジ執念の種火を切らさずにぼくはやってきた。ぼくの最盛期からIT技術、環境が大きく進展している。思えば20年はたかったか、と思う。
 ソニーのようなCDプレイヤーに拘束されることもない。フォーマットにきつく縛られることもない。アプリをつくれば、プレイヤーはスマホになり、タブレットになる。アプリは簡単に売ることができる。つまりマーケットが開かれている。
 ぼくはだれも知らないマーケットをつくるために、主要国にある出版社を巡り、アメリカや香港、北京、スイス、台湾など展示会にでて、普及に努めたことがあるが大きな動きにはならなかった。発想としては間違っていなかった。それでも22年の間ではその世界も進歩しているだろうと思っていた。ところが語学プレイヤーはここが限界かとあきらめたような中途半端kのまま止まっていた。

 これは失敗話でないが、ようやく小学5年生から英語が教科書化される。外国人教師も相変わらず来ている。外国人教師と言っても、ただ英語が話せ、読み書きできるだけで、日本列島人にどう教えるかは自国でも日本ででも習っていない。
 ぼくは英語圏人を派遣する事業部門もやっていたのでよくわかる。日本の子供に英語を分からせることは本当は至難の技なのである。
 英語圏の講師がどうやって英語を教えたらよいのか、そのスクリプトを本にして、英語圏人に持たせたことがある。22年経ったのちでも小学校に未だにない。日本の英語教育界は当時、大修館を中心とした権威主義がはびこっていたのをおぼえている。日本列島人の英語力のなさは大学の教師から中学の教師、大学入試センターも含めてじつに進歩を見せていないのだ。これにはぼくは呆れている。
 進む分野、停滞のままの分野、これもいろいろなのだ。

5G,水プラズマ、無線充電

2019年06月27日 | 社会・経済・政治
トランプ大統領が公に「日米安保条約の片務性」について述べたようだ。G20サミットでの来日、日米貿易問題を念頭に置いているのだろう。この際、安保条約を離脱してくれればいいのにと思う。離脱しても仲良くやっていけばいいし、アメリカには良いところもいっぱいある。すごいところもいっぱいある。恨み骨髄の人も大好きな人もいることだろう。
 どのような対応をするのだろうか、と注目している。

 最近知ったこと。
 1)中国のVIVOが無線充電の技術をもつ会社を買収した。東大も無線充電の技術開発を行っていることを知った。コンセントが要らない時代はやがてくるのだろう。

 2)5Gの超高速移動通信大容量のインフラ基地局はファーエイ、エリクソン、ノキアで占められている。アメリカは以前この分野での参入を断念した経緯があるらしい。日本ではNTTドコモが5G開発研究を進めている。これはどこも次世代移動通信インフラとしてはどこもやらなければならないことだろう。容量は現在の1000倍であり、高速であり、低コストであるらしい。ファーエイーを排除するということは日本の5Gとファーエイの5Gは繋がらないということなのか。これから調べてみないとわからない。

 3)これは前にも書いたが、「水プラズマ」によるゴミの焼却技術。2万度までで焼却できる。すると水素しか残らなくなる。この水素で発電所なり、燃料にすればいいと思うが、この研究も進んでいくのだろう。世界のゴミをみな日本の技術で焼却してしまえばいいと思う。このような職人的発想は日本列島人は得意なのかもしれない。こういう技術で日本は食えていければいいと思うが。

 この30年の間に科学は進展した。人間はこの科学技術を軍事技術に応用する。例えば「てんとう虫爆弾」「ロボット海兵隊」「無人爆撃機」を作る。戦場に人間が参加しなくなる。司令部対司令部の戦いとなる。それもAIになる。そんな風になっていった結果、戦争そのものが「無化」されていけば「科学の勝利」となるのかもしれないが、とてつもない犠牲の上に成り立つものだ。イランで不穏な偶発的な事件が起こらなければよいが。

 

全体主義

2019年06月26日 | 社会・経済・政治
トランプ大統領が私的な会話で、どうしてアメリカが中国や日本の船を守らなければならないんだ。安保条約破棄をしてもいいんじゃないか、と語っていたようだ。
 良いチャンスが来たじゃないか。同盟を破棄し、中立国となるチャンスをトランプ大統領がくれるんなら喜んだほうがよいと思う。アメリカに付き合って戦争にいくこともない。どの国とも戦争しないと誓った日本だ。
 彼は、もっと金を出せ、もっと応援しろ、というメッセージを言いたいのかもしれない。言質を逆手にとれないものか。
 トランプ大統領の頭は自分達で製造業を低賃金の中国などに移しておいて、アメリカは貿易で損をしているという思いに取りつかれているようだ。オバマ前大統領は世界の警察をやめると言い、覇権主義から撤退しようとしているところで、トランプ大統領が出てきて、アメリカファーストと言って、保護主義に走り、貿易戦争を行い、気に入らない核合意からは離脱し、イランと緊張状態にある。ファーエイを閉め出すのは覇権主義が止められないからだと思わざるを得ない。保護主義にして、覇権主義、矛盾しているが彼の中では整然としているのだろう

 ドイツで嫌な、不気味な事件が続いている。移民に寛容な市長が頭を撃ち抜かれて死んだ。ニュースによるとネオナチのメンバーによる市長狙いの犯行が続いているらしい。このようなこと許す風潮があると世の中は一気に全体主義化する。戦前の2.26事件によるテロあたりからじわじわと全体主義国家となり、軍部がついには政権をとってしまった。人々は戦争反対も言えなくなった。
 二度とそんな社会にしてはならない。

世はガタガタして

2019年06月25日 | 社会・経済・政治
 アメリカとイランの対立が深刻である。トランプ大統領は次期選挙戦のために最大限利用しようと思っているようにみえる。日本は石油、消費税で、ますます実質賃金が下がる。さらに自衛隊員がホルムズ海峡に派遣されるかもしれない。日本で使う80%の石油を運ぶタンカーがここを渡る。石油やガスを自給できる量をもつアメリカがどうしてこの地域を守らなければならないか、とトランプ大統領が言い出した。アメリカが同盟をやめればこの大統領は何もいわなくても済む。現実化したらえらいことだ。アメリカからシェールガスを譲ってもらうしかないのか。日本はいつまでも資源に困る。

 習近平中国国家主席が国賓で、桜の季節に国賓で招待されるようだ。外交もややこしく難しい。
 ところで、国賓の来日とかサミットのような重要な国際会議ともなると大きなお金が動く。
 今、「石つぶて」というDVDを借りて観ている。お金の動き方がよくわかる。
 外務省のサミットやG20などを仕切る部署の者が私腹をためこんでいくその巧みな構造がよくわかる。実際の事件をドラマ化している。
 田中真紀子元外務大臣は「伏魔殿」だとよく言ったものだ。

 小林某の出頭拒否逃走事件。検察も警察も弱点を露にしてしまった。保釈についてもよくわかったが、あれほどまでこの事件にテレビの時間を使わなければならないものだろうか。
 「わろてんか」の吉本興業の13人の芸人が小遣いほしさにか、会社を通さず、誕生会や忘年会で芸をした。振込み詐欺集団の宴会だった。芸人たちはそんな集団とは知らなかったと言っている。勘の悪い、人が見抜けない芸人たちである。
 令和に入って、ぼくの体がガクンと落ちたように、老人の交通事故、無差別殺人、子殺しと続き、年金問題、新潟地震が起きて、となんだかだと世はガタガタしている。しかし、自衛隊員だけは行かせてはならない。行けばとんでもないことが東アジアでも起きるかもしれない。

言語芸術家

2019年06月24日 | 文学 思想
2006年に文芸月刊誌「群像9月号」で吉本隆明と中沢新一の対談を読んだ。興味深いことを話し合っていた。その中で、中沢新一が
(チベット仏教は)心といわれているものが、潜在的な領域で働いている部分と、脳の働きや筋肉の動きを通して現実の世界にあらわれている部分とでできていて、そこには違う働きがあるということに気づかせて、それがわかってきたところで、現実化していない潜在的な心の働きそのものの探究に入っていくようにさせるんですね。若いときは難しいその切り分けが、老人になればだれでもできるんだというんです。

 脳=こころではないのだ、と納得。

 現在2019年。ぼくは当時より13年も年をとった。内臓は独自のあり方で何かを思っている。脳も独自の在り方で何かを思っている、ということが今はよく理解できる。肝臓が物を言うときがある。胃が叫ぶときもある。内臓全体のネットワークが脳ともつながって、大声を出すときもある。

 「潜在的な領域で働いている部分と脳の働きや筋肉の動きを通して現実の世界に現れる部分」をぼくなりに理解すると、
 内臓からの言葉と脳からの言葉があるということが言える。優れた言語芸術はこの2つの言葉で織りなされていて、脳だけからの小説は読後感がなく、すぐに忘れてしまう。
 文芸は強烈に内臓から発せられた言葉と脳からの論理性や、客観性を持ちえた言葉使いの匠が偉大な言語芸術家になるのだと思う。
 現在、ぼくは夏目漱石が偉大な言語芸術家だと考えている。三島由紀夫、中上健次、村上春樹も言語芸術家である。他にもいるし、作品もある。まだ出会っていない言語芸術家がいるはずだ。いつも楽しみにしている。

若い人たち

2019年06月23日 | 社会・経済・政治
 情報のアンテナが少なくなっている。今頃の原宿はどうなっているにか、渋谷から何か生まれつつあるのか。どんな雑誌が流行り、どんな漫画が読まれているのか、どんな風なことを考え、思っているのかわからない。ぼくが知る限りの10代、20代は優しく笑顔もよく、そしてよく働く。

 現在25歳の青年にアプリ制作を依頼している。プログラミングを22年前、アメリカのマイクロソフトのウィンドウズ95開発のチームの一員で、開発を終え、ゆったりしている30代の男性に依頼したことがある。その費用の高かったこと、できることがそれほど多くはなかったことを考えれば、この世界は格段に進歩していることだろう。ぼくが、こうこうこういう風にしたいけど、できる? と訊くと、少し考えて「できます」と答える。どんどん質問していくが、できる、できない、できるかもしれない、ヒントがあれば、とはっきり言う。

 ぼくが億の単位でやった開発は当時陽の目をみなかったが、今、アプリという形になって生まれ変わろうとしている。
 この青年が開発できる。タブレット、スマホでとても便利な語学やカラオケの効率もよい練習ができるようになる。当然、教材の開発もできるし、ラジオやテレビからボイスレコーダーで録音し、その音源を使うこともできる。
 22年間、どこもぼくの考えていたことまで到達していなかった。業界の力のなさを知った。
 アプリの世界は今や販売方法も確立している。

 あの時、電々公社が民営化されNTTになろうとしていたとき、公社が示したインフラが整うまで遥かな年月の遠さを思ったものだ。20年先、30年先はぼくにはあまりにも遠かった。
 それが今、5Gという世界に突入しようとしている。
 25歳の青年と2日前に幾つかの確認をした。不安がぼくの方にあった。100%できる、8月末までにできる、ということだった。
 朝6時に起き、歩き、朝食を作り、9時から仕事にかかる。6時には終わる。
 自分をコントロールできている。ぼくは年の差を感じることはなかったが、プログラミングの知識以外はまだ知識不足であるが、経験を積めば、理解力さえあれば、身についていく。
 ぼくには頼もしく思えるのだ。

なかったことにする論理

2019年06月22日 | 文学 思想
 奇妙なロジックが東野幸治が司会する「正義の味方」で使われている。韓国もヴェトナム戦争の時、ヴェトナムの住民を虐殺した。だから韓国は日本に「慰安婦」、「徴用工」で文句を言う資格はない、というロジックである。読者諸兄はお気づきであると思うが、だからと言って、双方「なかったことにならない」ことは明瞭である。吉田文書が間違っていたから慰安婦問題はなかったことにならないのと同じである。南京虐殺で人数が違っているからと言って、なかったことにならないのも同様である。

 韓国の文政権への悪口もひどいものがある、もちろん、気に入らない人は多いに違いない。だからと言って韓国人を嫌うことにはならないし、戦争をしてもいけない。
 上智大学の学生がドキュメンタリー映画「主戦場」で、歴史修正主義者とそれに反対の意見をもつ同数の人へのインタビューで、歴史修正主義者たち8人が上映が始まると、上映するなどと聞いてなかった、と上映中止を求めた。ところが全員、合意書にサインしていた。しっかり契約書を読んでいなかったのだろう。上智大学の学生は用意周到に契約書を作っていた。記者会見でことごとく論破した。安部政権の誕生から、この歴史修正主義者たちがバッコし始めた。
 戦後われわれはGHQに洗脳されたらしい。大日本帝国は間違っていなかった。間違っていたなどと言えば戦地で死んだものたちが可哀想だ。ことごとく彼らは「結論ありき」で論理を組むから、その結論を補完する資料を集める。類は友を呼び、同じような人が集まる。
 ぼくはこの映画に期待しているが、圧力がかからないことを願うばかりである。
 自分が主張することに、確固とした資料と論理に自信がある人の表情の違いは大きな画面上ではあきらかなのだろう。





買い替え

2019年06月21日 | 日記
あれ、スマホのディスプレイ画面が暗い、ついに寿命か、参ったなあ、と思った。
 それで「設定」を確認してみた。「ディスプレイ」を見てみると画面の明るさが一番左端の暗いところにあった。元に戻すと正常に戻ったので、一安心したのだった。どうして勝手にそうなるのだろう。わからない。
 スマホも今や必需品となっているので、なければ困る。パソコンと同じくらいの必要度がある。
「漏電しているようなので、中に入って調べさせてください」中部電力関連の保安協会の人がきてチェックした。やはりどこかで微弱ながら漏電しているようだ。いつもの電器屋さんに電話をして来てもらった。外につけてあるエアコンの室外機が原因らしい。無くなっていたアースをとりつけて応急処置をしてくれた。再び、協会の人が検査しにきた。微弱な漏電はさらに微弱となり基準値を下回ったので、胸をなでおろした。電器店の息子も大きくなって無口だったにがなぜかニコニコとよく話すようになっていた。
「このエアコン、もう20年は経っとるで」「えっ、そうなん?」昔のエアコンは20年くらいはもったんさ。今のものは5年、まあ10年もたんな。みんなそうやで。とくにひどいのはドラム式の洗濯機。部品が多なればなるほど故障するようになるんさ。シンプルなのが一番やで」と言う。

 昔のようにエアコンなく暮らすことはできない。エアコンも人により感度が違うし、コマーシャルでその弱点を突くように自分の範囲ほどの冷風が届くアメリカ製の冷風機を大いに宣伝していた。これ、買おうかなと思ったが、テレビ通販でみた掃除機のあまりもの吸い込みも悪さに苦い経験があるので、思い止まった。
 エアコンよ、今年一年はもってくれよ、と願う。実家3台、自分の家4台、曽根に3台がある。そんなものがいくつもある。車、テレビ、冷蔵庫、洗濯機。ああ、実家は屋根の修繕もしなければならない。

 

大転換期に突入している

2019年06月20日 | 社会・経済・政治
 日本語でホームページを作れば、その対象はだいたい一億人ほどになる。これが英語のホームページあれば、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ニュージーランド、香港、ヨーロッパのかなりの国の人々、香港、シンガポール、他世界の英語ができる人が対象になってくる。それだけでも戦略が変わってくる。中国語のホームページにすれば対象が14億になってくる。インドは言語が多数あるから実情はわからないが、ここも14億人いるのである。

 今から十年以上前、2005年か、2006年頃、不動産業をやっている先輩がいた。尾鷲では大成功と呼んでいいくらいに成功していたが、この時期不動産が売れなくなってきた。話を聞いていると、尾鷲で宅地開発をし、建売住宅を売るのであるが、その客は尾鷲かせいぜい隣町の紀北町と想定しているようだった。客を全国にしたら、とぼくは提案した。方法はインターネットである。「田舎暮らし支援サイト」をブログでぼくは作った。ちょっとこれで売ってみようと提案したのだった。そしたら次々と名古屋や大阪方面から移住してきて、彼はびっくりしたのだった。
 それと同じである。日本語のホームページを作れば日本列島人しか見ないのである。
 いっそのこと、海外に物を売ってもよい、という企業を一括して紹介するポータルサイトがあってもよい。日本人はどんな面白い商品や技術をもっているか、すぐにわかるというものだ。

 話は違うが最近、感心しまくったことがある。「よもやま話」の会で次回の小説は「メリメ「エトルリヤの壺」という短編でぼくは全く知らない小説家であり、小説だった。さて、その本を入手しなければならない。町の書店にありそうもない。家に帰ってすぐにアマゾンで「メリメ」を検索するとすぐに出てきて、「エトルリアの壺」もある。ただし絶版とある。しかしこの小説はアマゾンでは販売されている。90円。すぐに注文。送料入れて340円。2分もかからず終了。
 日本列島人にはこのアマゾンのようなメガプラットフォームが作れないのだ。ほとんどメガプラットフォーマーはアメリカ企業である。ところが人口14億人をもつ中国は人口からして自国でメガプラットフォームを作れるのである。5Gも同様で、中国が進んでいる。この貿易戦争によってはメガプラットフォームの世界を二分割になり、並存することになるのかもしれない。
 AI、IoT、ビッグデータ、ロボット、ドローン、自動運転、遠隔医療 日本のITの世界はアメリカ、中国の3周遅れだと専門家は言う。AIの専門技術者は大半がアメリカにいて、中国は2割だという。日本には数百人しかいないという。小学でのプログラミングの授業、英語の授業がすでに始まったのか、どちらにしろ、遅すぎるのと、教師がそもそもそういう教育を受けていないというのが大問題である。
 すると、日本はアメリカや中国が作ってくれたものを使うか、隙間の小さなことしかできないのではないか、と思う。ぼくら庶民はそれでいいが、大きな経済と考えた場合、成長のエンジンにならないのかもしれない。いずれにせよ、日本は大転換期、(もしくは大破綻かもしれないが)に突入している。
 



今のうちに来てくれよ

2019年06月19日 | 映画
フィリピンプレートが新潟沖から紀伊半島沖、四国沖、要するに南海トラフと続いている。日向沖で地震があれば南海トラフ大地震が起こるという学者の意見を以前聞いたことがあって、この頃この宮崎県の日向沖でも地震が起きるようになっているので、心配度は確実に上がっている。関東大震災も心配である。
 尾鷲は岩盤が硬いと言われていて、地震で家屋倒壊などはないと内心思っているが、そういう思いはだめなのかもしれない。
 阪神淡路大震災以降、大型の地震が連発している。日本列島の火山という火山のマグマが全部噴き出すのではないかと妄想もする。こどもたちや孫たちは東京に住んでいるし、ぼくらは南海トラフ直撃地域でしかも海のそばときているから、なんとも嫌な話であるが避けられない。
 
 細君の両親は東日本大震災の時の津波で死んだ。前の海は島ひとつない遠浅の海だった。その海を見て義父はここは津波が来ないから、と言っていた。こんなに島ひとつない入り江でもないじかに太平洋の海では津波がきてもせいぜい1メートルかとぼくも思ったものだった。それが全く違っていた。地震のとき、車で走っていた義弟は家に電話し、救援にいくからと外で待つよう言ったのだった。義弟が到着し、両親の姿を見た瞬間に津波が来た。家も倒れ、両親も波にのまれ、義弟は車ごと流された。車の中だからよかった。車の後ろガラスが割れ、そこから抜けだした。彼は九死に一生を得た。

 地震が起きる。警報が鳴る。五分後津波の第一波がくる。いくつかの物をもって逃げる。なんだか面倒だ。それでもその面倒さをしなければならない。その災害のあとがさらに面倒だ。面倒、面倒でストレスが積もり、免疫力が低下して死ぬ人も出てこよう。

 南海トラフも来るなら今のうちに来てくれよ、と思う。まだ元気なうちにだ。


日々移動する腎臓のかたちをした石

2019年06月18日 | 文学 思想
 今日は「よもやま話」の日で、前々からこの日を楽しみにしていた。村上春樹の東京奇譚集に収録されている短編小説「日々移動する腎臓のかたちをした石」がテーマだった。ところが火曜日の今日がその日だったとすっかり忘れてしまっていた。
 忘れてしまった理由と思われるのは、朝、実家の家で乾かしていた草木を鋸で解体し、大きく伸びた樹木を切ってしまい、庭の草刈りをして興奮したからだと思う。汗をいっぱいかいて、昼を迎え、日清の火鍋麻拉麺を食べてさらに汗だくとなって、「なつぞら」を見たのだった。それが終わるとNHKの番組はちょっと不思議な老人の漫画家を紹介した。魔夜峰央という変わった男性だったので、好奇心いっぱいにして、彼が奥さんから習っているバレエダンスを見ていて、これはおもしろいわい、とすっかりテレビにはまって喝采していた。そこへリーダーの南さんから電話がかかった。「あれ、忘れとったよ。今すぐ行くで」と言い放ち、車で3分、公民館まで走った。
 会員のみなさんは、これで村上春樹は三度めである。「レーダーホーゼン」「ハナレイ・ベイ」そして今回の短編。
 小説の構成は練りに練られていて、主人公の小説家淳平は過去に父親が言った「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それよりも多くもないし、少なくもない」
淳平はこの言葉に囚われるのだが、読者もこの言葉ではたと自分を振り返ることになる。あるいは、この言葉の意味、つまり「本当に意味を持つ」ということがわからなく、小説の中で戸惑うしかない。解答は小説の中にあるのだろうと読み進めることになる。
 2番目の「意味ありそうな女キリエ」と淳平はパーティーで出会う。話が合う。会話は面白い。セックスもいい。淳平は「揺さぶられて」仕事ができる男である。キリエは違う。彼女を揺さぶるのは風である。淳平は彼女の仕事、本当に好きなものをテレビの中でインタビューされているキリエから偶然に知る。淳平が執筆中の不倫をしている女医の小説の結末もキリエからの揺さぶりを受けることになる。執筆中の小説の中で妄想のように、幻視のように見える日々移動する腎臓のかたちをした石は不倫関係を断ったときに消えてしまう。それはキリエは淳平にとって意味ある女であるが、キリエにとって意味ある男ではないことに気づくのと同時である。執筆中の小説の結末は淳平とキリエという男と女のメタファになっていて、小説の構成としては優れたものだとぼくは思う。腎臓という二つの臓器は男と女を表している。腎臓はひとつであってもなんとか生きられるものであり、「女のいない男、男のいない女」を暗示している。
 「よもやま話の会」は「意味ある女または男」に話が集中し、やがて、仕事、職種、年金などの話に散っていき、二時間が過ぎたのだった。
 因みに淳平の第1の意味ある女性は「神のこどもたちはみな踊る」の中にも収録されている「蜜蜂パイ」で出てくる。

ちあきなおみ

2019年06月17日 | 音楽 ポップス
久しぶりに「ちあきなおみ」の歌特集があった。歌ったのは蔵出しのような歌ばかりで、しかも歌が上手いのにはやはり、というかまた再び感心した。低音部から高音部への声に段差がない。表声が裏声にならずに突き抜けていく。この人は表声とファルセットの区別のない珍しい歌手だと思う。もしかしたらファルセットを使っているのかもしれないがその境がわからない。独特な「ちあきなみ叙情」があって、石原裕次郎の歌も、いかにも自分の持ち歌のように歌ってしまう。テレビ番組では「歌姫」と言っていた。シャンソンを歌い、ファドを歌い、演歌、ブルースも歌った。

 その前の晩には「美空ひばり」の特集があった。美空ひばりもずば抜けた上手さがあるが、ちあきなおみも負けてないように思う。
 三年ほど前に一青窈がユーミンの「ひこうき雲」を歌ったとき、「上手いなあ」と感動したことがある。この歌手もいろんなジャンルの歌を自分風に歌える歌手だと思った。

 ちあきなおみも西田さち子のように、山口百恵のように、二度と公衆も面前で歌うことはないのだろう。愛する夫が亡くなった。その喪失感の深さは歌でさえも埋められなかったのかもしれない。おそらく、ちあきなおみの歌を聞いたことがある人がいる限り、これから何度もテレビで特集が組まれるのだろう。

 昨日の夜遅く「薬師丸ひろ子」が「カバーズ」で歌っていた。井上陽水が2017年に曲を提供していた。「めぐりあい」という曲だ。
 なんか女性にうまい歌手が多いな、と思う。

思考停止 ひとりで祈れ!

2019年06月17日 | 文学 思想
ブログは「生きた証」でもあるので、思っていること、考えていること、日常の中で起こったことなど、すべてというわけにはいかないができるだけ、残しておきたいと考えている。
 かねてから考えていることで「仏教」に対する人々の接し方や理解、信仰の仕方に、ぼくは不思議でしようがない思いをもってきた。寺のお坊さんがお経を唱えるが、これの意味が分からない。意味がわからないのに、なんだか、神妙になって正座している。理由もわからないのに、これがやり方だと暗黙の了解のように数珠をもって、焼香をし、礼をする。

 そもそも意味がわからないのに、どうして仏教が国民的宗教となったのか。意味がわからない庶民に鎌倉新興仏教、例えば親鸞聖人は「波阿弥陀仏」と一生に一回心の中で言えたらいいんだ、というところまで言ってしまったところから、あるいは日蓮大聖人が浄土宗を批判し、「南無妙法蓮華経」による立正安国論を唱えたとき、庶民は仏教の一端でも見たのかもしれない。仏教は一歩庶民に近づいたのかもしれなかった。

 今、2019年の現在、各宗派のお経の意味をどれほどの人が知り、思考停止状態となって慣習を続け、人がするからそれをしなくてはならない、という「共同幻想」は日本だけでなく、世界の至るところで、その「脳の機能」を発揮している。人類はこの問題(知らぬ間に真似をする、感染してしまうという脳の問題)を解決していないのだ。

 宗教の厳粛性の雰囲気はわかるのである。天理教であっても、毎日の太鼓の音と始まるお勤めの雰囲気。人々が大きななにものかに祈りを捧げる姿も、その日、心がその祈りで安らぐことも、生きているだけの苦労も癒されるのはわかるのである。金光教とて。すべての仏教とて。しかし意味がわかっているのかとぼくはあえて問いたいのである。でないと宗教は右向けと言えば右、となってしまうではないか。教祖なり、集団のリーダーのいうことが正しいことだとなりかねない。それが宗教である。

 「今までやってきたことだから」「仏様を足蹴にするようなことは言わない方がよい」「先祖を大事にせんとバチがあたる」「地獄には行きたくない。極楽に行きたい」
 ぼくには全くわからないのである。
 親鸞の「教行信証」もインタビューの「歎異抄」も、いくつかの書簡も読んだ。読むと、親鸞は墓も否定し、寺を作る意思もなく、まして浄土真宗を開く意思などはなかった。宗教を解体したはずの親鸞が後世に一大仏教派閥となっている。ぼくには不思議なことだらけである。

 葬式仏教は終焉を迎えつつあるような気がする。戒名に位階があり、位階によって値段も違うというアホらしさ。意味のわからないお経を唱えてもらって、ハイ、お金。何がありがたいものか、とぼくは心底で思っている。だから宗教について「ひとりで祈れ!」というある知人の言葉が的を射ていた。

 シーア派のイラン(ペルシャ)。スンニ派のアラブ諸国。同じ神をもつユダヤ教のイスラエル。キリスト教プロテスタントの福音派。ホルムズ海峡が封鎖されれば、米中問題さなかの中国はイランにつき、ロシアもイランにつく。アメリカ、アラブ諸国、イスラエルはイランを攻める。そうなると経済は大パニック。北朝鮮まで動きかねない。第三次世界大戦になりかねない。
 こんなこともみな「共同幻想」。思考停止で「なんとなく昔からやってきたことに、考えに過剰な価値を見出すマジックにかかっているのだ。