25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

西郷輝彦

2017年12月17日 | 音楽 ポップス

 舟木一夫、橋幸夫の感想を書いたので、御三家とよばれた西郷輝彦についての感想を書いてみる。3年ほど前に「オリオン急行」という新曲をだしたので覚えて歌った思い出がある。たぶん今もカラオケで歌えるはずだ。テレビの懐メロに出ないのは舟木と同じだ。

 デビュー曲の「君だけを」はまさに普遍的にすべての人々に通じる歌だった。自分の気持ちを歌った歌だった。歌いかたも橋や舟木よりも特徴があった。いわばもっと現代的だった。

 西郷輝彦は見事に役者に転向した。あのつり上がった太い眉が映像に似合ったのだろう。今も人気のある大河ドラマ「独眼竜政宗」で、兄貴分であり、一番の家来であり、城主ともなる片倉小十郎を演じた。これがよかった。渡辺謙の良さもあったが、西郷輝彦がそれを支えた。青春期から老年期までを演じたのだった。「江戸を斬る」では主人公だった。刑事物でも主演を演じた。歌もときどきは歌っていたが、それはすでに5、6人のバックバンドで懐メロではなく、外国の歌を歌っていた(ような気がする)。古さを感じさせない人である。脚も長く、歌いかたも格好が良かった。

 九州から出てきて芽もでず、挫折した。自殺未遂らしきことをした、という話を覚えているが、自殺未遂というのは確信がない。

 御三家三人三様の生き方である。彼もファンに支え続けられている特別な歌手、俳優である。

 三人のなかで一番当時の現代風だった西郷輝彦。病気の再発で心配されているが、また大河ドラマに出てこないものか、と期待する。老刑事役でもいいよ。

 ぼくの知ってることはこのくらいだ。頑張れ、西郷輝彦!

 あなたの歌を聴きたい。


叙情と陰影

2017年11月19日 | 音楽 ポップス

 舟木一夫のことを書いたら、舟木ファンが集う掲示板でぼくのブログを紹介していただき、ファンの凄さもあるが、やはり舟木一夫の影響がぼくにまできて、ブログを覗いてもらったおかげで、他の話題についてもついでに読んでもらっているのだろう。ありがたいことだ。十二月から新橋演舞場で一ヶ月公園があるという。名古屋の御園座も完成することだし、名古屋でやってもらえないかと思う。

 昔、「その人は昔」というLPがあり、ひとつのドラマのようになっていた。中学生の頃だったと思う。内藤洋子の「白馬のルンナ」も確かこのLPに入っていたのではなかったか。記憶は曖昧である。何度も聴いたおぼえがある。

 この前荻野目洋子が「六本木純情派」をミュージックステーションで高校生のダンスクラブが躍り、歌っていた。ぼくらの中学や高校時代というのはまだサブカルチャーが旺盛ではなく、ダンス部はなく、ラグビーやサッカーさえもなかった。テニスは奇妙な軟式であった。ダンス部のはちきれたダンスをみていると思わず恥ずかしさも忘れて踊りたくなる。たぶん、ダンスは好きで、バリ島にいくと、ラテンダンスの店があって、そこへ行けばぼくも踊る。インドの男も踊る。じっとみていたオーストラリアからの人たちも踊り始める。これは気持ちよく爽快感がある。だから今の高校生たちの選択肢の多さには羨ましい思いがする。

 舟木一夫の時代はまだダンスというのはフォークダンスであった。橋幸夫が「恋をするなら」や「チェチェチェ」でリズム歌謡と銘うって歌い出したら、舟木もリズム物をということで、「高原のお嬢さん」や「渚のお嬢さん」をだした。「高原のお嬢さん」は名曲であるが、抒情が全面にでていて、リズムはそれを支えるくらいのもので、歌をバックに踊るというのではなかった。おそらく舟木の声はリズム歌謡には向かないのだろうと思う。舟木の良さは叙情性にある。リズムをもつ「東京は恋する」や「北国の街」も叙情が全面にでる。そして歌に、声に陰影がある。

 これらの独特な歌を他の歌手が歌って見せても舟木のような陰影はでないだろうと思う。多くのファンが支えつづけたのはこの「叙情と陰影」ではないかと思う。あの頃の日本は高度成長期と言えども、ハチキレルとまでいかなかった。暗さと明るさが混在し、ようやく明るい方へ向かう扉が開きかかった頃だった。舟木もそうだが、ファンまだまだこころの縛りが多い中で生き抜いてきたのだと思う。

 


舟木一夫 高原のお嬢さん

2017年11月12日 | 音楽 ポップス

 コメント氏から「アクセスが跳ね上がったのはシシドカフカを取りあげたからではなく、舟木一夫を取り上げ、それが掲示板で紹介されたからではないか、というコメントをいただいた。そうか、そういうことか、と合点した。シシドカフカで読んだ人もいるだろうが、熱い舟木ファンなら、この上昇もあり得るはずだ。

 舟木一夫は、学園ソングがまだ当時なく、また若いアイドルが股旅物を歌っているときにはにかみながら現れた。突然現れて、次々と歌を出して行った。中学校の音楽教師が「嗚呼、青春の胸の血は」を唄えたら通信簿5と言い、セリにかけたので、ぼくはそれを唄って通信簿5をもらったことがある。このときあたりまでが学園ソングで、次くらいから青春ソングになっていったと思う。その後

「高原のお嬢さん」が出てきて、この歌は名曲だと思い、歌を覚え、ロマン座で映画も見た。和泉雅子との共演だった。指人形で語り合う場面があった。「東京の空のどこか あの人は住んでいる-------」と聞くと、紀伊半島の果ての果てから、東京の町を想像した。「東京は恋する」は「北国の街」によく似ていたが、クラリネットのリズムある伴奏に、鼻歌のように歌った。

僕が東京よりも近い名古屋や大阪、京都の大学を選ばず、また大学は当然東京だと思っていたのは、歌の影響が胸のうちに入っていたのかもしれない。ビートルズが東京にきたからという東京ではなかった。歌謡曲のような世界が東京ではじまるかもしれない、という憧憬もあったに違いない。

 カラオケが流行りはじめて、舟木の「高原のお嬢さん」がないのに、不満があった。歌いたかったのである。ところが台湾にいき、夜のバーに行ったら、そこに「高原のお嬢さん」があった。これには感動した。ぼくは舟木一夫になりきって歌ったのだった。台湾の人から多くの拍手をもらった。すっかりこの台湾旅行が楽しくなった。その頃の台湾では車はオンボロで、タクシーのドアは壊れ、ドアを客が持って走るという時代だった。

  その後数年経って、日本にも「高原のお嬢さん」がカラオケにも登場した。この歌がぼくの青春ソングである。まだカラオケがなかった頃‥知り合いがこの歌のカラオケを作ってくれた。全くレコードと同じ伴奏だったのには驚いた。ぼくは昼休みに、社員の前で、歌ったのを覚えている。若い社員たちは知らない唄で、ポカンとしていた。知り合いはこの頃テレビにも出て、アコーディオンで昭和の歌の出張流しをしていると自慢気に話していた。次に彼に頼みたい舟木の歌では亡き姉を想う「若き旅情」を作ってもらいたいと思っている。


シシド カフカでアクセス数飛び跳ねる

2017年11月11日 | 音楽 ポップス

  シシド カフカのことをちょっと書いたら、このブログへのアクセス数がはねあがった。これには驚いた。

 新宮近くの佐野まで遠征して、たこ焼きを食べ、ウィスキーを見、金魚やペットショップを見て、ボタン付きのベストを買い、新書をなめまわすように眺め、2冊(ドアホミクスの正体-日本人なら知っておきたい天皇論)を買い、喫煙室でブログの校正をしておこうとスマホを開いた時だった。やっぱりメディアだ。シシドカフカも普通の人に注目されたのは朝ドラにでたからである。彼女にしてみれば、本業はドラマーなのだから、いわば副業である。名前と顔を知らしめたらよいくらいのものだろう。分析力があり、クールであるが、結局アパート住民とはうまくやっていた。この手のタイプはアパート住民と親しく交流するはずはないと思うのだが脚本家は謎のある女として登場させていた。

 目力があり、鼻は程よく高く、唇も引き締まっている。アラブ人かよ、と思うほどで、もしもこの女性が緑色の瞳をしていたら、びっくりもんの美人だと思う。

 今、脚光を浴びているのだろう。NHKサマサマである。なんだかんだと言ってもテレビの力は強い。山尾志桜里、むきだしの好奇心マスコミ、ゲスの極みマスコミを敵にまわさん方がいいよ。あなたは文春の早朝突撃への対応が酷かった。あの慌てようは尋常ではなかった。危機の時に人間は学歴も経歴もすっ飛んで、丸裸の自分を見せることになるのだ。

 シシドカフカよ、あなたもついに公人となってしまった。ゲスに気をつけないと中森明菜の「Dedire」になるよ。と言いながら、この謎だらけの女性が何を考えているのか、生の声や知性や感性のほどを知りたいものだ。

 

 


シシド カフカ

2017年11月10日 | 音楽 ポップス

 「シシド カフカ」という奇妙な名前をもった女性ドラマーが昨日 NHKの「Songs」に出た。朝ドラの「ひよっ子」で赤坂のアパートの住人ではっきりと物を言う女性を演じていたので、女優かと思っていたら、ドラマーであることを知ったのはまもなくのことだった、そしてこの女性のドラマーぶりをみてみたいものだ、と思っていた。

 その好奇心を充たしてくれるかのように、昨日登場したのである。長い髪を切ってショートヘアにしていた。軽くなってなんだかすっきりとしたと言っていた。

 10歳のときに音楽のバックとなるドラマーになろうと決めていた。親を説得して4年後にとうとうドラムセットを買ってもらったという。その後どのようにして、プロドラマーになれたのかは紹介されなかったが、キリッとした美形に、ほっそりとした体型はまるでモデルのようである。ドラムを叩くのだから確かな筋肉がついているのだろう。

 山口百恵がすごい、と言って、ドラムを叩きながら「ロックンロール ウィドウ」を歌っていた。バカバカいわしていた。もっと聴きたいと思ったが、ヤンキーめいたギターリストMIYAVI とダンサー兼シンガーである三浦大知もでていて、MIYAVI を中心としたセッションだったのと、トークも長かったことから一曲聴くだけで終わってしまった。

 ドラムといえば、宇多田ヒカルが出した最近のCDを聴いていて、ドラムの工夫が特に気になっていた。各曲、ドラムのリズムの刻み方に耳を凝らすと、これはよほど難しいのではないか、コンピューターででも作ったのではないか、と思ってしまう。

 ラヴェルの「ボレロ」の小太鼓奏者は絶対に間違えることが許されない、小太鼓が一定の同じリズムを叩き続ける楽曲である。

 シシド カフカが宇多田ヒカルとセッションしたり、ボレロで小太鼓を叩くのをみたいものだ。

 


メンチカツブルース

2016年12月02日 | 音楽 ポップス

 福島から転校してきた生徒に担任の先生が

菌」と名前につけて呼んでいたというニュースをみた。公務員のこずるいのは、当の担任がでてきて、会見するのではなく、教育長だのだのが出てきて報告をし、謝罪することだ。権力に庇護される大人の教師。これでは子供ではないか。ぼくは一家心中をした父親に同情したり、部下をかばって責任を回避させる日本の慣行に辟易する。

 さて、桑田佳祐が落語やりながら、下ネタを当然出しつつ、最近作った歌を「songs」で四曲歌った。すでにぼくは「悪戲されて」と「君への手紙」は知っていた。ところが、「ヒレカツブルース」は知らなかった。なんでも「さんま」「たけし」「タモリ」がが歌詞に出てくるという噂は知っていたが、聞いたのは初めてだった。これだけ気持ちよく遊べたら、なんと音楽は楽しいものだろうと思う。昭和歌謡に特別な思い入れがありそうで、ぼくらなんかは、それがわかるので、よけい面白い。桑田佳祐バンドのギターを担当するギターリストが「関ジャニ」の番組にでてきた。すると、桑田佳祐はレコーディングするときの音作りには、ギターでの表現の仕方に、こうしろ、と弾いてみせるのだそうだ。そして一度きめたら、もう変更はしないのだそうだ。

 話を元にもどせば、もしも桑田佳祐が、矢沢永吉が失敗を起こせば、みずから責任をとると思う。民間はみなそうだ。

 庇護されて、大人ぶったことをいくらいったって、子供は全部お見通しだと思う。子供というのは、先生の人格などはちゃんとわかっているものだと思う。ただ言葉にできないだけだ。意識して権力に対抗できないだけだ。

 テレビも小池百合子と朴大統領のことだけをやっているようにみえるが、稲田の政治資金のことや、小渕優子のコンピュータを壊してまで隠したことをなぜ暴こうとしないのか。彼女ら、または政治家はなぜ責任を追及されないのか。うんざりすることだらけであるが、小池百合子は潔さそうな気がする。不満たらたらである。