南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆事件だ、どうなる

2017-07-22 23:09:23 | 災害

 3108 とんでもないことになってしまった。私のWeb Siteが消えてしまった。

私のウェブサイトは最初、au one netを使って作った。9年ほど前だった。そして、今回、日本に帰ったら、大切なお知らせ、として、10月31日サービス終了、それ以前に、他のホームページに移行しなさいという。そして、簡単移行方法が紹介されていた。

そして、紹介された案内通りJIMBO https://www.enplaextjp-id.jp/を設定して、

早速、それに移行した。すべてのhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/が、見事にそちらに移され、現れるはずだった。ところが、である。まったく、現れないどころか、オンライン ショップの画面になってしまい、以前のウェブサイトのURLでアクセスもでき無くなったしまった。消えてしまった。何処へ行ってしまったのでしょうか。

仕方がないから、直ぐには移行しないのかなと、待つことにしている。明日になっても、出ないなら、さて、どこに、相談しようかな。とにかく、今は、消えてしまっている。ショックは大きい。一応、バックアップをしてあるが、最悪の場合は、最初から、全て、作り直さなければならないからだ。

 

 

http://otaenplaext.net/newpage0.html

auと関係ないこちらの方には、問題ない。そして、こちらからも、左側の旧ウェブサイトには、旅行記や押出技術ほとんどにアクセスできなくなっているが、幸いにも、私のプロファイル(自己紹介)、フォトアルバム(写真集)インドネシア語講座は、一部を除いて、アクセスできる。

 

また、この日が来た。子供のころ、この日から夏休みになった。先日亡くなった麻央さんの誕生日だったことをつい最近知った。そして、中学三年の時に、質屋の子のその人の誕生日であること知った。それ以来、今日が来るたびに、今、どうしているのかなと思う。思うだけである。中学生になった孫が、おじいちゃんの初恋は、と聞いてきた。この人のことを話した。遅いね、と言われた。

 

多分、日本の散髪屋の標準価格だと思う。とにかく、日本では20年以上、床屋もヘアーサロンにも行っていない。インドネシアでは、散髪とカラーリングで800円くらい。日本でカラーリングまですれば、5000円くらいするのでしょうか。やったことがない。

 

安倍川の旧国道一号の橋、100年くらい前に掛けられた安倍川橋。この直ぐ側で、今月末、花火大会があると思う。

ガックリ ショック どうしよう

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(^_-)-☆ガックリ

2017-05-22 22:26:46 | 災害

 3046 ゴルフを5;40スタートで始めた。しばらくして、SMSが入った。乾燥機が故障して、温度が上がらず,原料乾燥ができなくなり、生産ストップしたという。ガックリである。折角、何とか製品ができるようになったというのに、思わぬところに落とし穴があった。これも、中国製、2年前に買ったものだ。ゴルフが終わってから、会社へ行ってみた。昨日の予定では、私が引き継ぐことになっていた。メンテナンス担当の社員が、捕まらなくて、今日のところはどうにもならない、明日、早く修理できればいいと思う。最悪、どこからか、泣きついて、借りてこなければならないかもしれない。

ゴルフは、様々な業種の方たちと一緒になる。情報の交換場所に当然なる。情報と言っても、問題になっていることのぼやきが主になる。話をして、聞いてもらって、少しは、気が済めばいいと思うような話が多い。私がボヤくなら、このガックリの話になるが。

今日の話は、先日の火事による影響のことが断然多かったし、深刻さもかなりなものだった。4社が丸焼けになった、4社とも、多分、20年ぐらい前に、開業した、インドネシアでは、歴史のある会社で、多くの会社に納品をしている。それぞれ、長い付き合いだ。客先には頼られている。中には、大きな企業でも、その会社にしか注文していない会社も多い。

そして、今日のメンバーの多くは、4社から、部品を調達して、製品を組み立てて作っている会社に、そのほかの部品を供給している会社、下請けをしている会社の人だった。それらの人の話は、最終製品を組み立てている会社への納品がストップしてしまったということだ。

ある企業が、ただ一つだけの部品が手に入らなくなり、操業をストップした。その下請けの会社からの部品受け入れをストップした。下請けの会社も製造をストップした。それが、どれだけに比率を占めているかは、それぞれ違うが、中には、ほとんど、その会社のものしか作っていない会社もある。皆さんの話によると、少なくとも、300社くらいは、大部分か、一部の生産をストップしているし、従業員の自宅待機などもしているという。そして、いつまで、その状態が続くか、見通しがつかないという。最大の会社は、従業員1万人以上だという。サプライヤーは150社以上、その下請けも入れたら、200社以上だろう。

間も無く、プアサ、THR(ボーナスのようなもの)も払わなければならない。悩みは深刻だ。ある企業は、部品の緊急調達を海外からエアーでしなければならない、その費用だけでも膨大だ。何万人に影響が出ているのだろうか、私の想像を超えるいろいろは影響が出ていると思う。

焼け出された会社、書類もすべて焼失した会社もある。全てである。PCに入っているデータも消えてしまった。途方に暮れている。どうにもならないから、逃げたいがそれもできず、毎晩飲み歩いている経営者もいるとか。

本当かどうか、火事が起きてから、消防に連絡は電話番号がわからず、自転車(バイクではない)で20分かけて消防署に行ったという。消防車が来たのが出火から40分後だったという。既に、4社に火が回っていたという。

ゴルフなどやっている場合じゃないというが、やらないからと言って、なにもできない。ぼやくしかない。

 夜明けは三ホール目だった。
災難 自宅待機 深刻 

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(^_-)-☆帰国した

2016-12-12 22:46:22 | 災害

 2884 12時前に、家に到着、ゲートを開けると、下にチョークで、お帰りなさいの文字が書かれていた。そして、タクシーが止まったのを感知して、孫たちが、家から飛び出してきた。帰ってきた~~、という感じ。暫く見ないうちに、背が高くなっていてビックリさせられた。

 

ところで、今回の機内での気分は、いままで、インドネシア国内便も含めて、最悪だった。隣に座った人の問題だ。鼾が酷い人、やたら、話しかけてくる人、ひじ掛けを越えて、肘が出てくる人、足を広げてくる人、新聞を大袈裟に広げている人、色々、いるが、今日が最悪だった。

シートはいつものように、出来るだけ後ろで、通路側と注文する。今回は、満席、後ろから三列目のFで真ん中だった。席に行って見ると、既に、そこ辺りは、ほとんど、空きがないほど、皆さん座っていた。私の席にもおばあさんが座っていた。話しかけると、その息子さんらしき人が、その横に座っていて、家族と一緒にいたいから、変わってほしいと、後ろから二列目のA席を示した。右側の窓際、参列並びで、私が奥、通路側に、ちょっと太目で大柄な人が座っていて、真ん中は空席だった。これならいいかと、座った。そこまでは、問題なし、窓際で、日本近くなれば、富士山も見えるだろうし、陸の様子も見ることができる。

 

と、直後、何この人?大巨漢の男がのっそりと現れたかと思ったら、私の右の空き席に座ろうとした、なかなか座れない、多分両側のひじ掛けが広げられやっと、はまり込んだ。そして、シートベルト、なかなか、届かない、一杯に伸ばしてもなかなか、届かない、お腹をぐっと、へこませて、やっと、締まった。当然、向こう側もそのはずだが、肘が完全に、私側に大きく出っ張ってきている。座った状態で、前の座席と膝らしい場所が、くっ付いていて、前に隙間がない。背は私より低そうだが、幅が倍、厚さが倍、体重も倍有りそうだ。

 身動きができない。どうしよう、トイレに立ち上がる時に、大事になってしまう。だから、立てない。水の補給を止めた。寝るのも窮屈でできない。これは、7時間ほどじっと、耐えるしかなかった。幸い、トイレに立つ必要はなかった。食事の受け取ったり、返したりするときも、狭くなっているから大変。

 

こんな人、エコノミーに座ったらダメでしょ。そして、エコノミーなら、中央の通路側に座りなさいよ。隣の人への迷惑をかけるのは、分かっているはずだし、それを、最小にするよう、気を使いなさいよ。

着陸して、こんなに、ほっとしたことはない、大揺れに揺れた時の方が、短い時間だから、それより、ほっとした。

航空会社も、体積制限をしなさいよ、と思った。

最悪 窮屈 身動き

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(^_-)-☆爆発ビックリ仰天

2016-09-03 22:48:02 | 災害

 2787 まだ、興奮している。ドン、という音がして、すぐ、セキュリティーが、事務所に飛びこんできて、クバカラン トゥタンガニヤKebakaran tetangganyaと叫んだ。直ぐ飛び出すと、左の三軒置いて四軒目の工場から、もうもうと黒煙がすでに天まで届いている感じだった。続けて、爆発音とともに、大きな火の塊が黒煙を突き破るように吹き上がっていた。何かの破片が吹き飛んでいた。

 私の会社までの距離は100m近い、それほど遠くもないが、近くもない、中途半端な距離だと思い、今、どうしようか、一瞬、考えた。どうせ、停電になるだろうから、生産を止めさせた。万が一の場合を考えたが、原料や装置を持ち出すことはできない、そこで、事務所の中にあるものすべてを持ち出すことにした。

 私のアバンザとボックストラックに積めるだけ積んで、現場から500Mくらいの路上に駐車した。社員はその車の周りに自分たちの身の回り品をもって、集まって、待つように指示した。私は、車を置いて、会社の前に戻った、社員やセキュリティーの主だったもの数人が一緒だった。

 

 二台消防車が到着したには、20分後くらい、それから10分間隔に三台、計五台で消火活動、向かいのミニヤック ゴレンの会社の敷地内から消火ホースを伸ばし消火に参加していた、その間、ずっと、5分間隔ぐらいで、なにかもガスボンベだと思うが、爆発を繰り返していた。警察、消防、市の職員らしき人達が、野次馬の排除や消防車の通行路に確保をしていた。私と言えば、会社の前から、ちょっと、現場に近い、歩道のようなところにいて、様子を見ていた。爆発が起きるたびに、10mほど下がるが、いつの間にか、また、近づいていた。周りの知らない人が、何か、馴れ馴れしく、話しかけてくる。あなたはどの会社の人かとか、あの火事の会社は、何を作っているのかとか、怪我人、死者はあったのかとか、面倒くさいから、いい加減な返事をいていた。すると、ここに似合わないバティックを着た人が、私に話しかけてきた。日本人かとか、もう、鎮火したねとか、だった。近くにいた従業員の一人が、チカランの市長だよ、と言っていた。その人、直ぐ近くにブカシの市長と消防署の幹部などたむろをしていた。 そこに、4人の若い女性が、自分の会社に戻ろうとしていて、邪魔になるので、その幹部連中に、失礼permisiといって、ちょっと、どいてもらって、通り抜けた。すると、その市長、彼女たちに、まだ、戻るのは早いから、ここで、話をしようよ、などと、笑いながら言っていて、言った後、私の顔を見て、ニヤッとしていた。火事場だぞ、ここは。

 

 野次馬もたじろいで、近づけないほどの爆発だった。

 

 昼前に鎮火した。四軒目が火元で三軒目が半焼だった。私の会社は、裏の方まで回って見たが、何事もなかった。持ち出した車へ行って、持ちだしたものを、全て、戻した。丁度、金曜のお祈りの時間、私は、皆さんが、もう、私の指示はいらないから、そして、いてもらっても邪魔になるから、家に戻ってほしいというので、私は家に戻った。14時前だった。

 

 爆撃(実際に経験していないが)かと思わされる強烈な炎と爆発音だった。しかし、広がる気配はなかった。

 

ワルタワンも何人か取材に来ていた。ジャカルタ新聞にも載るでしょう。先ほど、テレビでも報道されていた。何やら、黒くなったドラム缶が山積みになっていた。それは、空のようだった。あれが、から出なかったら、もっと、とんでもないことになっていやかもしれない。73年で、初体験でした。

 爆発 火災 黒煙

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(^_-)-☆入れ歯の注文

2016-06-21 22:37:03 | 災害

 2713 大きな歯の看板が出ている、トカンギギかアーリギギはどうかと、インドネシア人為聞いたら、危ないからやめた方が良いと言われて、行きつけの病院にした。月曜日で、いつも(と言っても何年に一回)かかっていた医者はいないので、いる医者にお願いした。入れ歯を作りたいと、上の歯を総入れ歯にする。チェタカン(型)を取る、下の歯の型も取る.それぞれ二回、入念に、噛み合わせのための、噛んだ状態での型も取る。結構時間がかかる。30分以上かけて、型取り終了、仕事日で7日掛かるという。約10日後ということでしょう。金額は?これが、高っ。前払い、5ジュタ(4万円)、保険が効かない。大丈夫ですか?と、確認された。仕方がないから、大丈夫というしかない。日本とほぼ同じ価格だが、日本なら、20%負担なので、1万円行かない。カードで支払った。

それにしても、まさか、私が、ほとんど、総入れ歯になってしまうとは、食欲があるのに、うまく噛めない現在、とほほ!である。早く、歯が出来てほしい。レバラン休暇に入る前で良かった。

 

ブンガワンソロhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0303.htmlが大変なことになっています。あの有名な歌、ブンガワンソロhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage106.html

です。中部ジャワの大河です。ジャワ島で一番の長さと流域の広さです。歌詞に雨季には、はるか遠くまで氾濫する、乾季には、干上がってしまう。とある。そして、歌詞の通り、雨季になれば、毎年、例外なく、多くの犠牲者がでる。しかし、今は、本当は乾季だ。ジャカルタやブカシも、今年は、乾季らしい状態は少なく、まだ、雨季ではないかと思うほど、雨が降るし、気温も低い、ジャカルタからもバンジール(洪水)のニュースは、毎日のようにある。

 

そして、ブンガワンソロです。中部ジャワのこの川が流れている県のすべてで、ロンソール(土砂崩れ)バンジールが、発生していて、一か所で60人以上亡くなっている場所もある。流域の多くは、人が入らない、熱帯雨林(ジャングル)で、空から、眺めると、茶色の地域が緑の地域に侵入しているのが分かる。その場所全てに人が住んでいて、洪水に見舞われているのです。果てしない洪水とドシャ崩れ、超自然の原始時代の天災とはこういうものかと思うほどだ。雨季での氾濫はニュースにならないが、乾季の洪水はニュースになる。

この乾季のはずが、ブンガワンソロだけではない、パレンバンのスンガイ ムシ、そして、カリマンタンのスンガイ マハカムhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage022.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00073.html

も例外ではない。全然、関係ないが、ジャカルタのジャラン マハカムにあった、六本木パパというカラオケは今でもあるのでしょうか。

 

レバランも半分過ぎた。帰省(ムディック)渋滞の始まりまで、十日余り、雨が止まないので、凸凹道の舗装のし直しが進まない。今年の帰省、Uターンの渋滞は、例年以上に大変なことになりそうだ。事故も多くなるに違いない。

入れ歯 土砂崩れ 異常気象

 

ヤフーへの投稿が昨日19時ころからできなくなった。エラーという表示だけで、どこを探しても、メンテナンスなど、理由がない。24時過ぎても、同じ、投稿ができない。仕方がないから、予備のPCで投稿を試みてみようとログインしようとしたら、パスワード変更の画面が出てきた。何故だろう、このPCでは、長い間、ヤフーにはログインしていなかったので、そういう表示が出たのだろうか、理由はいろいろ書いてるうちの一つだろうが、とにかく、今までのパスワードを入れても、開くことが出来ず、変更画面になってしまう。

 

そして、今のPCに戻り、今度は、ヤフーメールを開こうとした、すると、パスワード変更の画面になった。そこで、ブログ投稿画面を開いてみた。こちらは、パスワード変更画面ではなく、今まで通り、投稿画面が出てきたので、投稿してみた。やはり、エラーだった。もう、これは、パスワードを変えてみるしかないと思い。メールの方から出る変更画面で、パスワードの変更をした。メールの画面を開くことができた。

そして、ブログの方、新しいパスワードを入力し、投稿画面を開いた。そして、投稿した。できた~~~!こちら時間1時半、日本時間3時半くらいだった。

 

なぜ、エラーという冷たい表示だけで、投稿できない理由が出ないのだろうか。今のパスワードを強制的に変えろ、変えなければ、投稿できませんよ。っと、なぜ、他のヤフー関連の画面へのログインはパスワード変更画面が出るのに、投稿できないブログ投稿画面だけ開くことができたのでしょうか。

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(^_-)-☆途中で計画変更

2015-10-20 22:32:45 | 災害

 2468 また、変な話が現れた。スラバヤからスマトラのパレンバンまで、鉄道を敷くというのだ。先ずはジャボタベック内から着工するという。多分、10年以内には、全線で繋がることはないでしょう。路面電車と普通鉄道の間くらいの規格でしょう。ヨーロッパでは、これが普通のような気がする。床が低いのが特徴か。一部だけ出来て、途中で消えてしまうような気がする。それでも、いいのでしょう。

Presiden Joko Widodo (Jokowi) beberapa waktu lalu telah meresmikan proyek kereta ringan alias Light Rail Transit (LRT) untuk Jakarta, Bogor, Depok, dan Bekasi (Jabodebek). Jokowi meminta proyek ini juga dibangun di beberapa kota besar lainnya, seperti Surabaya, Semarang, Yogyakarta, Makassar, Medan, dan Palembang.

 

それにしても、3年以内に開業させるという、中国高速鉄道、ジャカルタ、バンドゥン線は、いつ着工するのでしょうか。まさか、着工までに3年掛かるということはないと思うが。3年で完成というのは、いつから3年でしょうか。土地の買収から、開通までの、具体的な日程が示されていない。これも、もし、バンドゥンまで、できても、その向こうは、話が消えてしまうと思う。

 

森林火災、野原の火災が一向に下火にならないどころか、今まで、スマトラやカリマンタンが主だったが、今やパプアでも煙害が深刻になっている。また、昨日は、東と西ジャワ島、境界の山岳地帯で大火災が発生し、少なくとも6人が犠牲になった。

毎日、煙害による呼吸困難などの子供、赤ちゃんが病院に運び込まれるニュースが続いている。各地のそれらの地方の空港の閉鎖が続いている。

 

一昨日は、日本からの消火剤が現地(パレンバン付近)に運ばれる様子が伝えられていた。オーストラリア、マレーシア、シンガポールからは、航空機やヘリがきて、水を撒いている。“焼け森に”だが、効果は、あるのでしょうが、とにかく、煙の凄さは衰えない。衛星から見た、煙の流れは、恐怖を感じる。地上の温度も何百度以上を表す点が、離れていないで、面になってしまっている。

今年は、特に酷い。インドネシア国内では、中南部スマトラ、大都市パレンバン(Palembang)ジャンビ(Jambi)の被害が突出している。その北リアウ州と島。外国では、その北に位置する、マレーシア南部やシンガポールが最大の被害者だ。

 

全く、別の話だが、パレンバンと聞くと、直ぐに思い出すのが、東プラの上司だった、又、富士プラの社長だった塩崎さんのこと、習志野の空挺部隊の猛者だった。機会あるごとに、パレンバン落下傘部隊の降下作戦の話を聞かされていた。この話は、父親からも子供の頃、聞かされていた。それと同時に“空の神兵”という歌を耳にたこができるほど聞かされていた。ブンガワンソロやラフレシアと共に、パレンバンに行ってみたいと思っていて、実現した。街の印象は、ムシ川(Sengai Musi)と、アンペラ橋だ。橋の近くに戦争博物館があって、そこにしか、戦争の面影はない。ムシ川の港は海から何キロあるでしょうか、大河だから、大型貨物船やタンカーがここまで来ている。

http://otaenplaext.net/newpage37.htmlパレンバンの写真です。

 

その博物館のすぐ隣にあるアンティークショップで手に入れた。軍票とでもいうのでしょうか。軍が発行したルピア札です。当時、1US$が1Rpだった?とか、1円も1US$だったのかな?

 

この橋の辺りの視界が100m以下になることもあるという。空港は閉鎖されるが、船の航行も禁止になるそうだ。

路面電車 森林火災 パレンバン

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