南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

ジキル氏とハイド氏

2010-02-18 19:35:17 | 人間
私の体験から、外向きに、妙に丁寧な口のきき方をする人、妙に腰が低い人、ざっくばらんに話をしない人の100%は内向きには、乱暴な口のききかたをする。外面と、内面は反比例する。これははっきりしている。例外は全くない。だから、妙に丁寧な人と一緒に仕事をしないようにした方がいい。外面で割合、礼儀知らずの様な、ざっくばらんの様な口のきき方をする人は、内面も同じである。反対ということはない。仕事を一緒にするならこういう人の方がいい。
 私を怒った人は、インドネシアで四人です。その人たち全てが、最初は、非常に丁寧な言葉使いで、私に接していた。私を既に知っている人に対し、其の人は私を、持ち上げて紹介してくれていた。しかし、しばらくすると、私以外の社内の他の人たちに怒鳴りつけることが、多いことが分かってきた。その内容が、かなり、利己的で、自分が間違っていることに気がつかないで、ただ、強引に怒りをぶちまけているだけで、大変醜い状態になっていることにもきがついていない。
 これは、何かあれば、必ず、私のところへも来るなと、予感する。そして、なにかで、ご機嫌が悪い時、我慢の堰が切れて、私に対しても怒鳴ってしまう。一度怒鳴ってしまうと、次からは、続けて怒鳴るようになる。そして、あからさまなパワーハラスメントに発展する。四人とも、全く同じパターンでした。
もう一人、若者で、私が手ほどきをし、技術を教え、インドネシアの色々な会社に工場見学ということで、私が運転して何十か所もつれていったり、休みの日には、ドライブに誘ったり、ゴルフで車が無いときに私が送り迎えをしたり、数え切れないほど食事やカラオケで私が払ってやったり、彼のために何時間使ったか、お金をいくら使ったか、何時間待たされたか、分からないし、其の事を何とも思っていなかった。
子供以上に面倒を見ていたが、其の若者は、私に捨て台詞を言って日本へ、帰って行った。「家に食事を誘って、行くと約束した時、なかなか来ないから、電話をしたら、『寝ていて、忘れていた、御免』と言っただけで、言い方がきにいらない。約束は守れ、」でした。私はそのことを全く覚えていなかったが。彼はいつからかずっと根に持っていたのでした。
其の彼は、インドネシア人の目上の人にも、いつも怒っていた。どう見ても、彼が言っていることが通じていなかったのに、「分かったと言っただろう、分かってないなら、かからないと言えよ」と、怒っていた。それが、続けば、インドネシア人からこの若造が、と、恨みを買う。彼は、家族を誘拐するぞと、脅迫を受けた。私は、脅迫をしたインドネシア人が誰か知らないが、ありそうなことだ、こいつではと思った。彼の運転手は、いつも、運転の仕方が気に入らないと怒鳴られていた。それも、殴りかからんばかりの剣幕である。恐れを成して、二、三カ月で辞めてしまう。私が、運転手になっても、キット怒鳴るのでしょう、そういう人は。ね、君のことですよ。

そして、技術に優れた人は、話し方はぶっきらぼうで、あまり、外と内と態度は変わらない、上と下との話し方にもあまり差はない。私は、典型的な技術者ですから、上だからと思って、妙に気を使って話をしたことはない。下に対しても怒ることはない。上からも下からも、怒ってくれば、そういうときは、その人間の考え違いで、冷静らを欠いていることが100%なので、私も黙ってはいないで怒り返すが、冷静さを失うことはない。上からでも下からでも、私に対して冷静さを欠いて、説得力無く怒ってくる人は、本当に可哀そうだと思う。能力が低い人で、経験も実績もない人です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
Bekasi Cyber Parkブカシバラットインターを出て左側、モールメトロポリタンの向かい側、ブカシでは最大のIT機器ショップです。オリジナルのウィンドーズオフィスのソフトを買いに行ってきた。ワード、エクセルなど最低で80万Rp(八千円)でした。
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手柄アピール

2010-02-11 19:22:26 | 人間
それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人の下手ノ、うどウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。
うどウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。
この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、うどウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からうどウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、うどウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話を社長に向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元O常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。
それを受けて、下手ノ してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「K社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。K社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないK社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。K社長が言っているといえば効き目があると思った下手ノの口から出まかせとしか思えない。愚かな人だ。
帰国し、挨拶にいた時、K社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。

私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。


ここからは、今日に話です。タンゲランの硬質PVCのパイプメーカーから技術アドバイスを依頼され,いってきた。ポリマー粉末から、グレーのどこでも見ることができるパイプを作っていた。ラインでサイズなどの印刷も同時にしていた。インドネシアでは最先端の技術である。しかし、製品の外観や楕円など、日本なら商品にならない程度のものが多かった。その点について、改善点を指摘して上げた。添加剤の知識は私以上で、学ばせていただくことも多かった。
また、ローカル会社の価格の安さが分かった。彼らは、彼らなりの原料入手手段を持っているのです。まともな価格の半値以下で入手できるので、私たちが原料を入手できる価格で製品を売ることができるのです。こういう、集団(一種のマフィア)の中に私が入ることはできない。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。

インドネシアのジャカルタにしかないバジャイ(三輪タクシー)とインドネシアの至る所にあるカキリマ(手押し屋台)のミーアヤム(鶏肉ラーメン)
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底なしBEGO

2010-02-10 18:09:42 | 人間
 この前後の何日かの投稿を、ぜひ、ジャカルタ新聞やジャカルタ日本大使館、日本領事館、ジャカルタ日本人会の方々にも読んでいただきたいと思う。弱い人、自分で行動できない人なら、自殺でもしかねない状況だと思います。
発病して二日後、会社代表の下手ノに状況を電話で知らせたとき、電話で最初に、日本人の医者からは「飛行機に乗ることはたとえシンガポールでも保障できない」といわれた、と話したのに、また、AIUの保険が効かない病院でも後で領収書をまとめて請求すれば全額、もどってくることはわかっていたのに、下手ノから出た言葉、「太田さん、悪い事いわないから、日本へ速く帰った方がいいよ。」「なんで、そんな保険が効かない病院に行くんですか」見当違いのことを言うので、「有難うございます。迷惑かけてすみません。」と決まり文句で答えておいた。(彼は、領収書とともに申請すれば即日、保険会社から振り込まれることを知らない)
 
知識、行動力が私の100分の1も無い人が、何も知らないのに、私に、「悪い事言わないから」と、上から物をいう、面白い。苦笑してしまった。日本語の使い方も知らない。「悪いこといわないから、自分で日本の医者に確認してよ、」と言いたい。
一週間後、国立心臓センターに入院している私の部屋へ来て、私が立って対応しているのに、件の下手ノ、いきなり、部屋にあった椅子にのけぞる様に座りこんで、「具合はどうですか」私は、現状と、今までどこの病院へ行ってどんな検査をしたかを説明し、日本人がいる病院にも二箇所行って、日本人の医者の診断を受け、どうしたらいいかも聞いた。日本人医師は、危険だから「飛行機は勧められないシンガポールでも責任は持てない」と、言われたことをまた告げた。下手ノもうどウも、ぜんぜん聞いていない。下手ノ、全く私の話を無視し、「太田さん、早く日本へ帰ったほうがいいよ」と、怒るように、言った。うどウは「金持ちは皆、シンガポールへ行くのに」と捨てるように言った。あほか、この人らはと、改めて思った。とにかく、厄介者は早くインドネシアからいなくなって欲しい、それだけだ。葬式でも出すことになったら一大事、自分たちでは何も手段はないし、独自に情報を集める事ができない、能力が無いので、その気持ちだけ。

見舞いどころか、裏付けもなく、ただただ、早く、インドネシアから消えろと、いいに来たのです。私は、孤軍奮闘、何とか、帰国できるような状態したいと、あちこちの医者に相談しているのに、その手伝いをしようという考えも、毛頭ない。出来ないので仕方が無いが、せめて、私の邪魔だけはしないように願いたいだけなのですが。

ここから、今日の話。50日ぶりに、マリアさんが来て、安心が増えた。部屋から鼠の糞が消えて清潔になった。妊娠したのだろうか、そのことについては話題にしない。

日系の中小企業で、日本人が一人しかいない会社が多くある。その中で、何社かは長期で勤務し、本社には交代要員がいそうもない会社である。そういう会社の中で、私が把握している数社は、その日本人が独裁者のように振る舞い、従業員いじめをしている。そういう会社から、今回、何人かをすく出すことができる機会を得たので、その動きを具体的にしている。高給で引き抜くのではなく、今より安い給料で来てもらえるのです。私が仲間意識で人を使うことは、今の従業員から、保証されるからです。仕事は楽しく、リラックスしながら出来るのが何よりです。怒鳴られながら、では、インドネシア人だって手伝う気になれない。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
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軟質ポリエチレンですが、こんなに非の打ちどころが無いチューブ・パイプを提供できるのはPT.NANBUだけです。
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どうしようもない

2010-02-09 17:36:05 | 人間
 Mariaさんが突然、戻ってきた。迎えに行って、戻ったのが24;00近かった。
ずっとさかのぼって、このパニック障害発病の一年半前ころ、それ以前は、うどウとO社長だったので歯止めが利いていたが、下手ノが社長になり、かなり程度が低いお二人さん、下手ノとうどウがそろった状態で会社を任されることになった。鈍の二人だがプッツンだけは早い。プッツンされて、説明しても、「何のことを言っているのかわからん」とまた。プッツンされる。駄々っ子のようなもの、そのうち、プッツンされても、そのまま、相手にしないようにしたので、なお、程度の低い同志が、意気投合して、勝ち誇る。おまけにインドネシア語を覚えようとしないで、作り話のゴシップを情報として伝える通訳を重用した。言っていることは全て誤りの言いがかりだけ、自分で確認できないのです。多数決の世界なので、こちらはどうしようもない。
彼らが私に文句を言ってくることは、自分が直接何をされたということではない。私は、彼らから頼まれれば何でも、直接手伝っていた。彼らに被害を与えたことは一度もない。私はアドバイスもした。そのようにやれば、なにもかも、うまくいくし、本社からも、従業員からも好かれるはずである。しかし、気の毒なくらい、全く、出来ないことだった。
彼らの怒りは、私が、他の誰かの手助けをした、そそのかしたという情報を通訳から聞いたという話だけである。私にしてみれば、心当たりのないことばかりだった。
他の人が、何故、私を悪く言うのか、攻撃するのかと聞いても、答えないという。A社のナガサワは、自分が追い出されるかも知れなかった、と、言っていたそうです。
これから書くことは、この事を踏まえての話になる。
 
今度は、三年半ぐらい、さかのぼって、帰国する前、とどめの、程度の低さを食らった話。

2006年6月26日 月曜日の朝、8時過ぎ、ここから、私の試練が始まった。ほとんど、突然、目眩がして、立っていられなくなり、今までに無かったことでしたので、自分自身びっくりで、病院へ直行、リッポチカランのシロアムという、総合病院です。クリスチャン系でインドネシアでは指折りの有名病院です。
しかし、病気はなんだったんでしょうか、結局、医者の見立てでは、血圧も血液検査の結果も、良好すぎるくらいだという。そのほか、心電図も正常。反射神経機能も全く問題なし。歳と疲れからだという。本当かな?と思いますが、そのまま、泊まっていても、進展は無いと判断し、目まい止めの薬というものをもらって、早々、翌日12時に出てきてしまった。何度も気絶しそうになるので、退院したその足で、家の近くのアニッサ病院へ行った。貧血と診断され、増血剤を処方され家に戻った。
その後も、どうしようもないので、アニッサ、ジャカルタのSOS,竹の子診療所、メディカロカ、プルタミナ、国立心臓センター(ハラパンキタ)、竹の子診療所、アニッサ、メディカロカ、国立心臓センターの順に二週間、渡り歩いた。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page121.html
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。
この表紙の女性はMaria(Blitar)Iyoh(Pangandaran),Udah(Karawang pusat)の三人です。全員結婚しています。
押出成形工場の準備状況。新工場の裏側、元PT.KITAGAWAと右にPT.MANDAMが見える、その前のローカル所有の土地がある。MANDAMは以前から購入交渉をしているが、なかなか、売らないそうです。
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インドネシアでは大きな話

2010-01-27 17:32:10 | 人間
家の中がドリアンとチムペダックの甘い匂いが充満し心地いい。癒しの香りである。何より感激したことは、ガスがカチッと一発で火がつくようになった。今までは、三回以上、着かないときは10回以上カチッと廻さないと着かなかった。今日は四回ガスレンジを使ったが四回とも一回でついた。明日はどうでしょうか。

客先へ状況報告のために訪問を始めている。こちらからアポを取る場合もあるが、先方から、いつ来てくれるのかと、催促される会社もある。しかし、大部分の会社には完全に、仕事を受け入れる準備ができてからにしようと思う。
 
Q社向けの新規受注異形品の金型のデザインについてディキ君と打ち合わせをした。空気穴が沢山必要なので、私が沢山のヒントを提供した。彼もプライドがあるので、主張が厳しい。今回は異常なくらい短納期で使えるものを4点作らなければならないので、二色成形で空気穴が二つの製品だけは、私が全面的にやって、技術を見てもらうことにした。
しかし、その前になぜ二色なのか表面の色で全体をやってしまえば良いと思うのですが、ということで問合せたところ一色でいいことになった。
 先日オープニングセレモニーが行われたチビトゥンのゴーベル工業団地のSジャヤ光ピックアップの生産工場の仕事に絡めても紹介をした。小型の精密射出成型をできるところ、アセンブリで三千人以上の作業ができる環境を持っている会社を探していた。やたら、スケールの大きい話で、私が話を聞いてもしかたが無いと感じた。某プリンターメーカーの話や某繊維会社の話も大きいがそれをはるかに大きく凌ぐ。

 某プリンターメーカー用のチューブは医療用とまでは厳しくないが、クリーンルーム内で製造をする必要があるとの情報を得た。

 私が頼りにしようと思っていた日本人の入社は本社の判断で叶えられないことになった。大変残念に思う。その、穴を埋めなければならない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの予告案内はこちらから。

デルタシリコン工業団地の某台湾系バイクメーカーでした。大きい広い工場でした。もう一年以上この状態です。
閉店する会社 http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page04.html
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EPTE熟知

2010-01-26 20:06:33 | 人間
 EPTE(外国企業扱いの権利、輸出入関税が基本的になしです。10%の消費税も関係がなくなる。EPTE同士の取引は外国同士の取引となるので、厄介な支払いはない。税関へ売買の報告をするだけである。外国企業が進出しやすいようにする優遇制度です。)
逆に解消するときは身ぐるみ全部インドネシアへ置いて帰れという覚悟が必要です。ですから、一番賢い方法は、余り利益を出さないこと、利益を残さないこと、生産設備など固定資産を増やすことや、従業員への福祉や給料を充実させたり、配当をしっかりやったりして、利益の蓄積をしないことです。ただし、固定資産を、撤退するときに売る場合は、収得した時の価格にかかる関税を払わなければなりません。償却した残額で税金を納めるのではありません。
 一番、考えていない会社は、早く銀行からの借金を返して無借金企業にしようとして、日本本社が気を利かせて、買い上げ価格を高めに設定してしまうことです。借金が無くなって、購入価格を下げようとして下げることはできません。利益調整とみなされて、ペナルティを上乗せされて課税されてしまいます。その仕事を減らすことはできますが、製品の調達を他からにしなければなりません。そうすれば、自立が必要になります。しかし、本社からの仕事をしていれば他の仕事はやる必要が無かった体質はすぐに変換できないのが普通です。そこで、本社は放り出してしまいたいと思うのは自然の成り行きです。そう考えたら,ちょっとでもお金を残そうと考えずに、さっさと、出てしまうことです。粘っても、何のメリットもありません。
減らすなら、長期で少しずつ減らすしかありません。配当を急に増やすこともペナリティを取られます。
 それを知らないで、また知って、これは、閉じてしまおうとして、解散しても、利益を本社や関係会社に送金してしまうことはできません。前に書いたように蓄積した利益を全部インドネシアへ置いて帰らなければなりません。
 一番上手な方法は、利益の蓄積をそのままにしてそれを込みで、株を高値で売って、譲渡してしまうことです。少しでも、日本へ持って帰ることができると思って、解散してしまうことは、結局、何も残りません。
 EPTEについての知識は代々の代表者に引き継がなければなりません。代々何も知らないでは、話になりません。
 Q社から、口頭で、新製品生産準備を依頼された。この仕事は引っ越す先の工場で試作を行う、それまでに、金型をできるだけそろえようと思う。二色成形や窓が沢山あるので、インドネシア人従業員にとっては始めての技術になる。能力を向上させるチャンスでもある。

 今まであった設備を全部解体してなにもない工場になった、今日から、溝掘りが始まった。
こういう状況が各工業団地に何社かある。
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地下鉄なしの訳

2010-01-17 18:02:17 | 人間
コレクシ(koleksi)汚職である。日本でも、小沢民主党幹事長への直接事情聴取が近付いたという噂もあるようだし、鳩山家の相続問題もあるし、私たち、庶民には分からない世界がある。
 こちらでは、アンゴドが逮捕されたが、別の金の流れで、倒産したセンチュリー銀行から政治資金なのか贈賄なのか、理由が分からない流出が多額あるらしい。それで、この頃では、現、元両副大統領が、日本で言う、証人喚問のようなものを受けた。また、女性の財務大臣も受けた。そして、巷では、大学生を中心としたグループが各地で、彼ら彼女の顔を描いた布を燃やす抗議デモが多発している。
 喚問風景が、やはり、実況中継されるのだが、私の印象としては、証人達が正当性というか、誤ったことはしていないという自信に満ちた態度で、終始ではないが、大部分の問答は和やかな、笑いに包まれて進行していた。私には、良くわからないが、これだけの抗議があるのだから、その、裏付けはあるのだと思う、しかし、証人達は落ち着いたもの、いったいどこへ落ち着くのでしょうか。大統領の証人喚問まで行くのでしょうか。

 世界的大都会で、地下鉄が無いというのはジャカルタだけだという。インドネシアにはどこにもない。地下鉄でなくてもいいから、高速道路沿いにジャカルタの中心から空港まで、なぜ、鉄道ができないのでしょうか。高速道路だけのアクセスという首都の空港もインドネシア、ジャカルタだけである。モノレールが頓挫したのも、何もかも、インフラが進まない原因は汚職にあるということは誰でも承知していることだ。新幹線は、ジャカルタからスラバヤまで簡単にできるように日本人の私としては思うが、インドネシアでは、夢のまた夢でしょう。日本が、45年前に開業させたことです。それが、地下鉄すらないのですから、無理な話です。海外からの資金援助の半額以上は、その目的に使われないという。

 今日の渋滞、毎日、こういう状態である。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage101.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage102.html
日系企業も同じような会社が少なくない、特に、本社が、こちらの経営者を交代させないで、長期でやらせている場合は大概、私利をため込んでいる。その私利の分け前をインドネシアの税務署や税関職員や本社のトップに近い人間に渡していることは言うまでもない。どこまでも、腐っている会社が何社かある。
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インドネシアナウ

2010-01-16 17:18:33 | 人間
面白いことに、ジャカルタ近郊ジャボタベックの射出成型の日系企業がざわついているようだ。何故でしょうか。それは、業界の会社数が多いことと、勿論、台湾、韓国系の会社も多いからです。競争がはげしいし、装置の規模が似ていれば当然、競合するからです。強力な競争相手が登場し、どんな手を打ってくるのか今のところ読めないからです。
 その点、押出成形業界は静かなものです。なんのざわつきもありません。規模は小さいし、業界も小さいので、競合しそうな会社が無いからです。勿論、色々な得意不得意で住み分けをするような会社もない。

警察や検察との電話を盗聴されそれを暴露されてから、なんと、二か月もの間、逮捕されていなかったアンゴド。汚職撲滅委員会(KPK)は十四日、汚職事件の捜査妨害やKPK副委員長の収賄ねつ造事件に関与し、司法マフィアとして暗躍していたアンゴド・ウィジョヨ容疑者を汚職撲滅法や刑法違反(捜査妨害や贈賄未遂)などの疑いで容疑者に断定、逮捕した。

 女性刑務所のこと、これには、流石インドネシアと思わされた。テレビカメラが入った個室には、豪華な応接セット、飾り棚、化粧台、ベッド、大型の冷蔵庫、オーディオセット、カラオケセット、床にはぶ厚い絨毯、勿論クーラー付き。ホテル五つ星と報道している。本当に一般では考えられないほどの豪華さ。どうして許可が下りたのでしょうか。女性は実業家で、麻薬所持で捕まったという。
 こんな禁固室は見たことがない。刑務所もよく、許可したものだと思う。お手伝いさんもご主人も出入り自由な、鉄格子付きのドアがあるのが、唯一、禁固室だと確認できるものである。私だって、こんな豪華な生活は堅苦しくて望まない。
 結局、物は没収され、その女性は一般部屋へ移された。署長を始め、多くの職員は何らかの処分が待っていると思う。これも、金をばら撒いて、持ち込んだものである。ばれるに決まっているのに、やってしまうというところが、インドネシアです。テレビで公開するのもインドネシアである。
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どこのドイツ?

2010-01-14 17:46:00 | 人間
日本へ帰る前からこちらに戻るまでの間に体重3kg増加、これは、まずいと、食べる量を減らしている。ただし、日本では求めなくても、目に見えると処にいつでも摘まんで口に入れるものがあるので、食べ物を求めに行ったり、自分で料理する必要がないが、こちらでは、出かけるか、自分で作るかしなければ食べることができない。まさか、カップヌードゥルを買い込んでそれだけ食べているわけにはいかない。そこで、無精でありさえすれば、ダイエットは割合簡単にできる。今は、2kg減った。

 解体作業をしてもらっているが、塗装装置や乾燥機を次々と小さい単位の部品にしていく過程で、びっくりしたことは、外から見えなかったが、モーターをたくさん使っていたことだった。ブロアーやバキュームポンプや勿論コンベアー稼働用、大小、何十台も出てきている。装置一式として売れなくても、色々な部品として、中古市場で確実に売れそうなものが多い。解体の費用は考えられないほど安いが、これをみると、解体費用はタダでもいいのではないかと思うほどである。

すごいパンクの仕方をした。左の後ろのタイヤだが、写真の様に十字の形で横が裂けている。見事に対角十字である。パンクの状況は、家を出て、高速入り口へ向かった途中500mほど走ったとき、何とも言えない鈍いドンという音が左側でしたと思ったら、急にハンドルが効かなくなった。降りて見たら、完全にぺちゃんこでした。それはそうです。四か所5Cmほどの長さで裂けているのですから。以前にも、不自然なタイヤの横の亀裂パンクをしてタイヤを新しく交換したことがあるし、今回パンクしたタイヤも二週間前に新品を取り付けたばかりでした。四か所、鋭利な刃物で、そう深くない傷をつけられたのかもしれない。そして、ある程度の距離を走るか軽いバウンドでパンクするように細工された疑いがある。誰が見ても、人の手を使わなければ、こうはならないというパンクの仕方だった。今回もラッキーだった。高速に入る前だったことと、パンク修理屋まで200mくらい道路に左わきだった。
やったのも、教唆したのもプレマン(チンピラ)に違いない。5年ほど前にも同じようなことが連続で起きたことがある、その時は、確実にプレマンの仕業だということが分かっていた。
 こんなことを考え、やってしまう人たちに同情します。破壊でなく、建設的なことを考えてほしいですね。
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つぶやき

2010-01-11 19:02:34 | 人間
インドネシアで楽しく暮らす 15-483()
斜めからインドネシアを眺めよう 483
  ドイツから日本へのお客さんはドイツへ戻った。いつまたみんながどこで、集合できるのでしょうか、今は、予定はないが,こんどは私と妻がドイツへ行く番である。
 独り言をある方に送った。十年以上に渡って、お世話になってきた方です。その間も、現在も私は決定や交渉権限をまたない場にいますが、絶大の信頼を置いている方です。今までも、いろいろ、お願をしました。その都度、それらのことに、前向きに対応していただき、是々非々で応えていただきました。かなりの逆風のなか、一筋の追い風を感じていただいた方です。
 今回は、提案でも、お願いでも、アドバイスでも有りません。単なる一方的な呟き言です。返事をお願いするものでも有りません。
 これも、一年後くらいに公表します。

 私が呟きや愚痴を言うことは殆どないし、独り言を聞いてもらう人もほとんどいません。必要としたこともありません。そして、弱音を吐くことは、全くありません。他人に手助けをお願いするときは、ギブアンドゥテイクのギブが多い状態で、手伝ってもらいます。従業員や客先がその典型です。私が、誰かから、ギブアンドゥテイクでテイクがちょっと多いかなと思うことはありません。妻からだけが例外です。

 押出エリアの工事のゴーが出た。明日から、工事が始まる。やっと、スケジュールができるようになった。安堵。ホッ。
 
 どこかで、既に書きましたが、メガネを外した私です。左目の脇に切り傷がはっきり見えます。ちょっと外れれば丹下左善(知らない人の方が多いと思う)なってしまうところでした。
この写真を撮った孫(下の子)の年と同じ三歳のとき、63年前の傷です。父が私をおぶって、富士川の土手を走って病院へ向かったことを、鮮明に覚えている。
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だめだ、これじゃ

2009-12-21 18:34:57 | 人間
バンドゥンの南、パパンダヤンの噴煙
 私が、辞める時の社長が完全に常務派で、今、会社の解散の手続きや申請をしているところらしいが、何年かかったら、閉じることができるか見通しがつかない状態で、何もしないで、インドネシアにいる人です。気楽で本人は満足していることでしょう。とにかく、何もしなくていいのですから。「何もすることがないから、帰りたいのだが、本社から帰国命令が出ない」とご本人は、会う人に言っているが、本人から、帰国希望を出していないと、本社人事の人は云っている。もっと上に言っているのかも知れませんが、確認はできていない。
Iという社員がインドネシア人と結婚式を上げて結婚したという話を、社長が知らないなら知っておいて貰ったほうがいいと思って、気を利かせて報告したら、その社長さん、即刻、本人に、私がそう云っているが本当か、と、聞いた。本人、其のとおりというわけがない。否定した。そこで、社長も彼の否定を信じて、私を逆に悪い噂をまいていると評価した。実際はもちろん二重結婚していて、日本の本社に知れたり、奥さんに知れたりしたら、大ごとになってしまうので、なお、私へのパワハラが強烈になったのでした。白のものを黒と云っている典型だった。結婚式に招待され立ち会った日本人数人から、私に話があったことでした。
社長さん本人は自分の情報網がないので、本当かどうかを自分でチェックする能力がない。このことは、何のことにも通じる。税務署、警察、税関、などなど、何となく自然に入ってこなければならない情報が彼には入ってこないし、彼からも必要と考えていないのか、能力がないので、知らないことが多い。私が、分けが分からない病気にかかった時も、同じだった。
知っている英語はほとんどないが、I君の口癖、“スキルが足りない”、“スキルの問題だよ” とインドネシア人に怒鳴っていた。自分のスキルがかなり低い証拠に、赤字か赤字に近いような仕事を細々と取っただけで、何も会社に貢献せず、むしろ、暗い雰囲気を社内に作り、今は、閉鎖した会社を去って、タイの工場に行った。I君、自分のスキルや実績を冷静になって、考え直した方がいいと思いますが。

 こんな会社だから、当然、解散の運命だった。自分達が原因とは思っていない。
こんな会社は他にもある。その気になって、各工業団地を巡って見ると、閉じてしまった会社が沢山あることに気づく。

日本の本社は、ともかく、誤りを認めて、手を打った。認識が遅かったが、そのままにしておくより、遥かに賢明だったと思う。40年以上かかわっている会社ですし、それだけ係わりが続いている人間は、もう、少ないと思う。世代が交代する時期が近いと思いますが、遠くから見詰めています。
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困ったサン

2009-12-20 18:12:54 | 人間
ブンガバンカイ

“鉄は熱いうちに打て“という言葉も、意味も、その理由も、子供のころから知っていた。知らない大人は、どうしようもない人だと、思っていた。
“鉄は熱いうちに打て“という常識というか諺と云うか当たり前なことというか、このことをあなたは知っていますか。
今でも、これを知らない人は、かなり、いろいろな意味で程度が低い人だと思っている。
子どものころ、家から安倍川より50mの近所に農機具を主体に作っていた鍛冶屋(この仕事を知っている、若い人も少なくなっていると思う)があった。おやじさんが真っ赤に焼けた鉄をトンテンカントンテンカンとハンマーで叩いて、ちょっと冷めるとまた足で鞴(ふいご)に足で空気を送りながら、鉄を真っ赤にする。加工している仕事を見ながら、大変な仕事だなと、子供のころ感心していたことがある。だから、誰か、忘れたが、大人が“鉄は熱いうちに打て“といった時、すぐに納得した。鉄に限らず、まだ、頭脳が柔らかい時、加工しやすい時に、若いうちに、鍛えましょう、ということも、納得した。
手遅れの大人が多いことを外国で認識させられた。
インドネシアのA社のころです。本社のNO2のO常務が来ていた。彼が50半ばだったと思う。現場で、大声で、怒鳴っている。熱いうちに何故作業をするのか、危ないじゃないか、冷ましてから作業をするのが常識だ、誰が、こんな方法を指図したんだ。インドネシア人担当者は震えあがっていた。お前らはバカだとかどうしようもないやつらだとか、日本語で怒鳴っている声が、聞こえてしまっていて、本当にみっともないと恥ずかしく思った。彼が完全に間違っていることを言っているのは明らか。黒いカラスを白と云えといっているようなもの。
そこで、私は、当時のPT.A社の社長SSさんに、常務が、怒鳴っていることは、正反対ですよと、教えてあげた。その社長は一年ほど前から、A社に海外要員として入っていた人で、常務派までは行っていなかった。それでも、その人もこんなことを知らなかったようで、私が正しいかどうか、確認できない。彼はその作業の標準書を確認した。常務は作業標準書と真反対の方法でやれと怒鳴ったことを、納得してくれた。常識を彼は知らなかったが、常務派になっていなかったのが幸いした。もし、常務派だったら、私が言ったことは、正しいかどうか確認せず、私が、常務を批判しているとだけ報告したでしょう。
この常務は、今はA社と何の関係が無くなっている。
ラフレシアではありませんBunga Bangkai (Amorphaphollus Titanum)
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage045.html
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解散の原因者

2009-12-13 19:28:53 | 人間
パンガンダランの海岸の一か所です。竹の橋の向こうには海鮮料理レストランがある。

 タイの見も知らない多分SU君だったと思うが、いきなり私に失礼な話し方で「消極的人間だ、自分が売るから、一緒にやりましょうよ」とのたまった。上から物を言っていた。「は、消極的と言われたことは初めてで、どこのだれからも知らない人から、そう言われたことは勿論始めてだ、知っている人は、積極的過ぎると、言う人が多いですよ」と返事した。「自分で、自分のことを積極的人間と言った人に始めて会った」とその人から、言われてしまった。未だ、会ったこともないのに、である。
 すごい自信家で、失礼な、人がK社にはいるものだと思った。全く驚かされた。その後、彼から、何の連絡も入らなかったが、半年後くらいに、インドネシアの会社へ来ていて、K社の日本人と話をしているところに私が通りかかった。「タイのSUです」と、自己紹介したが、以前の失礼な剣幕については、まったく、触れなかった。
 こういう人は、人を評価判断する根拠はどこに求めるのでしょうか、気に入られるにはどうしたらいいのか、彼の部下になった人は、困ってしまうことでしょう。まだ、タイにいるようだが、今は、インドネシアの射出の面倒を見ていて何もしなかったIという人が、日本に帰れず、タイ工場に移ってSUとコンビで、何かをしているやら、いないやら、似たり寄ったりの名コンビで、程度が同じだから、仲良くやることでしょうが。インドネシアと同じで、タイで製造する意味はないまま続くでしょう。そう遠くない間にタイ工場も解散になることが私には見える。

 私が評価すれば消極的というより、仕事を自分ではできない、手本も見せられないで、やらせて、できなければ怒るばかりの、何かを成し遂げようという、知識も動きもない、単なる元常務の顔色を窺って、仕事をしている振りしているだけのかわいそうな人達です。

K社にとってもKGS社にとっても、この上ない話で、独占的にエスカレーターのサイドレールの納入ができる。他の新しい仕事も獲得できる大チャンスだった。それを、感情だけで、パーにしてしまった。象徴的な話で、大きな損失を与えた責任は大きい。それを私の責任にした。PT.KGSを解散に追い詰めた人たちは明らかである。

私を感情的に攻撃した人には反撃をします。
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どうしようもなかった

2009-12-12 18:49:19 | 人間
どこにでもあるハスの花
まれに、こういう人に当たるもので、思いがけないパワハラを受ける。全く、会ったことがない、まったく話をしたこともない、K社のタイで営業の仕事をしているらしい私より20歳くらい若い人から、インドネシアの私に電話がかかってきた。いきなり、「太田さんはネガティブな人ですね」と言ってきた。
何のことか分からなかったが、どうも、タイにある日系企業のお客さんから私にナイロンプロファイルの成型依頼が入って、それを受け、私は、自腹で、インドネシアで金型や製造装置を作って、日本(私が勤めていた静岡、清水町のT社で、私がつくった)でしかできないと言われている製品を完成させ、サンプルをその日系企業の日本の本社の購買担当者へおくった。そのことが、例の当時のK社の海外責任者のQ常務に、その日系企業の購買から、御社のインドネシア工場からサンプルが届いたが、取引形体はどうするかという、話がはいった。
当時常務は自分が全く知らないことだったので、怒り、すぐ、その話はなかったことにもみ消してしまった。私は彼から、余計なことをするなと、また、言われてしまった。ですから、製造技術を教えることは出来たが、商売につなげることができなかった。むきになって常務とケンカしても、インドネシア工場の他の日本人は逆らえないので、納品はできないと、諦めた。
それから、約、一年後のこと、タイの駐在員が例のタイの日系企業に売り込みに行った時、その製品の扱いについて、K社の対応は理解できないと言われたのでしょう。彼は、そこで、自分が何とか取引につなげようと思ったのでしょう。インドネシア工場の日本人に問い合わせた。聞かれた日本人は、私が、突然、その仕事から手を引いてしまったと、説明したようです。実際は、私の積極性と手柄を妨害したいだけで、常務の指令は彼らにも伝わっていて、逆らえない。つづく。

 今日、私が、会社を移転する場所を決定した。
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気の毒な人たち

2009-11-19 14:15:04 | 人間
 私がやっている仕事は、大変特殊で、この仕事を評価できる人は、非常に少ない。とにかく、どんな樹脂でも、どんな形でも、プラスチック押出成形品なら、何で作ってしまうのです。だから、一般の人は一種のミラクル手品を見るようなもので、どうして、できるのか分からない。種はない一種の超能力のようなものです。
今日も、ある会社の方から、押出成形のどこが難しいのですかと、聞かれた。納得してもらえる、説明はできない。インドネシアに押出成形を語ることができるのは、私一人しかいないのは何故でしょうか、と、逆に問いかけます。
 
 もう一つ、私は社員に対しても、インドネシア人に対して、腹を立てたことはない。怒鳴りつけたことは一度もない。部下や教え子達に対し、冷静さを欠いたことはない。
しかし、上司の立場で、私を怒鳴った人、私に冷静さを欠いて、要求をした人に対しては、どなり返すし、はっきり、批判を返す。決して泣き寝入りはしない。私が、間違っていないし、それらの人は、私がすることを理解できないので、感情で、物を言うのです。意見を戦わせるということができないのです。 勘違いを続けるだろうし、そういう人は、私にだけでなく、周りの人たち全部に対し、そういう、接し方をするからです。A社、K社両方ともである。
 サラリーマンを止めたのも、自分で会社を作ったのも、私は性格を分かっているからです。私の方がはるかに貢献しているし、大きな成果を上げているのに彼らにはそれが見えない、見る能力がないのだから仕方がない。私が言うことを聞いて、その通りにすれば何もがうまくいくのに、彼らにその能力がないし、立場を取られてしまうという恐怖心が生じてしまうのです。従業員が全員私の方を向いてしまうという恐怖を感じてしまうのです。

それでは、何故、インドネシアで一種のサラリーマンになったのか、それも、上司連中は、私の仕事を知らない、年下である。
 私の実績や経歴を見て、ある程度任せてもらえると思ったからです。それが、甘かった。彼らにとっては、それが、目の上のタンコブになってしまった上に、感情的な人たちだったのでした。全く、想像できないくらいのプッツンぶりで、私を排除したし、インドネシア人は震え上がってしまう。口答えをして、立場を取り上げられた従業員は何人もいた。与えられた立場だけが、頼りの、怒鳴り方である。だから、立場を取られることを異常に恐れる人達なのです。

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