南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆会えてよかった

2017-10-11 23:41:48 | 思い出

 3189 日本的の旅館の朝食、こんなスタイルの朝食、何年ぶりだろうか。皆さん揃ったところで、感激をして見せた。海苔だけで、一杯食べられるほど品物が多く、ご飯をお替りしてしまった。

 

Mirai燃料電池車。渡辺君、二年前に、大学や学界から身を引いた格好だが、大学にはまだ、デスクが用意されているので、毎日、この普及について関わっているそうだ。水素ステーションの問題がネックだという。甲府に一か所しかないので、それを増やしたいと、政府の援助がなくても、作ろうという、企業の後押しをしたいといっていた。それと、私たちのように、化学を専攻した人間には、安全だということは分かっているが、水素の爆発を心配する人についても、当然ながら、アピールをしているという。 

 

電気自動車との関連で、さて、今後どうするのでしょうか。日本の車業界の今後の判断が難しい。自動運転車との関連もあるし。

 

皆さんは韮崎へ大村記念館や温泉施設を訪問するというが、私は、行かないで、思い出の地巡りをした。愛宕山のブドウ園探しに固執した。しかし、残念ながら、道を発見できなかった。棚の名残の鉄条網やコンクリート柱の残骸がうっそうとした木々の中に見えたが、目的の場所辺りだと確認できるものはなかった。インドネシアのジャングルより疲れた。

 

南の富士五胡方面を目指した。精進の標識が早くから出ていたし、道は広いし、分かりやすい、甲府の上九一色地区に自然に入った。そして、思い出の精進湖、そして、本栖湖、逆さ富士は無かったが、いずれも、ずっと以前と変わらぬ姿だった。

 

来るときの使った52号まで戻った。中央縦貫道?山梨県側は、出来がっているが、静岡側、その雰囲気もない、早期完成の看板だけが空しい。ただし、必要ないと思うほど、道程は順調だった。ところどころの道の駅によって、土産物を物色したが、安くなっていないと思った。それと、ご当地のものより、他地域産の商品が多かった。お決まりの信玄餅を買っただけだった。なぜ、こんなものが、土産物の定番になってしまったのか不思議で中らない、どこがいのだろうか、独特な包装スタイルがいいのでしょうか、食べにくいし、ごみは沢山出るし。50年前、学生時代から売っていた。

 

とにかく、皆さんと会えて、適当に雑談ができたことはよかったと思う。皆さん、それぞれで、生き方を模索しているようだった。ぜひ、あっておきたかったと思う人で、事情があってこなかった人たち、残念だった。赤尾先生の不在も残念。

 

インドネシアに皆さんで行こうという話も出ていた。コーディネートは何も問題外が、実現するかどうか。

50年前 燃料電池車 変化

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