南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆スキルだよ

2013-05-16 22:24:24 | 情報

 1581 話は全く別になるが、日本での話。

年金収入が一月、数万円しかない老人が、生活できない、そこで、年金を担保にして借金ができる制度があるらしい、その制度を使って借金をして返せなくなり、生活保護を受ける人が増えているという。へんてこりんな話ですね、借金をする前に、生活保護の申請をしてしまえばいいと思うのだが、だめなのでしょうか、役所はその制度を使って借金をするように勧めるのでしょうか。そうなら、もっと変な話だ。

もっと変なのは、

『貧困問題に詳しいなんとか弁護士は「月数万円程度の低い年金収入しかない人の年金を担保にとれば、生活に行き詰まるのは目に見えている。年金だけで暮らせない高齢者が増え、その変形として年担による生活保護の問題が生じた。困窮し働けない高齢者をどう支えるのかが問われている」と社会システム上の問題点を指摘した。』この文章を読んだ時に、この文章を紹介した筆者も変だし、このコメントをしたなんとか弁護士も変!!変だと思いませんか。

 「問われている」なんて言うのは誰でもわかっているでしょ、問われているのは、あなたに、でしょ、どう支えたらいいか、回答してくださいよ、弁護士さん。いくつかの方法を紹介して下さいよ。提案してくださいよ。

 

 こういった記事は、取材する方も答える方も、能力が不十分なので、それぞれが、納得してしまっている。それを批判すると、往々にして、逆切れされる。会社でも同じこと、部下が上司の能力が不十分だと批判すれば、たちどころに、能力が不十分同士の上司やその他の部下たちの意見が一致してしまって、自己防衛のために、批判した部下を攻撃する。

 

 仕事に関して、ちょっと前に“逸失利益“について書いた。この原因は、人である。意識的か、能力的かは知らないが、その人が巻かされていないで、他の人がやっていたら、今までより、利益が上がっていただろうということです。あらゆる点でスキルが低い日本人が、インドネシア人に対し、「そんななことができないのか、そんなことが分からないのか、スキルの問題だよ」と言っている。「お前のスキルが足りないよ」と言いってやりたい。

 例えば、原料を、日系企業から買っている。日系企業なら高いに決まっている。ローカル企業でも同じような原料を作っている。そして、それは、安いに決まっている。しかし、原料を買う担当者は、日系企業から買い続ける。何故でしょうか、「原料の中身というか成分というか、物性を信頼できる、その他のメーカーは信じられない」からでしょう。しかし、もうひとつ、大きな理由がある。それは、コルプシでしょう。何らかの旨みがあるからでしょう。旨みを手放したくない日本人もいるよ。それと、ローカル企業を指導し、信頼できる品物を作るようにしてやったらいいのだが、それができない。

 

 その会社のインドネシア人に購買を任せれば、日系企業以外の信頼できるメーカーを捜すか、受け入れ検査を厳しくして、安い原料を買うことの努力をするでしょう。そういう動きをするだけで、高い価格の日系企業は新しい値段を出すでしょう。この一連の状況は日本人の能力の問題だし、性格の問題でしょう。コルプシの旨みが無くなるからでしょう。そういう人に限って、インドネシア人の能力が低いと批判したり、投げやりになったり、やつらはコルプシをしていると言ったり、弩鳴ったりするのです。

 

 一車線だけ、コンクリート舗装をしている。レバラン前に終了すると思うから、約二カ月先まで酷い渋滞は解消しない。ドンドン酷くなっている道、この道はレバラン前までには補修工事は始まらないでしょう。

 指導 伝授 教育

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆ぼちぼち

2013-05-15 23:05:38 | 仕事

 1580 ぼちぼち、話が纏まってきている。現在まで見積もりを提出したうちの二社からPOが入った。これで、客先は三社になった。量的、金額的には、少ないが、とにかく、誠心誠意、対応してゆくつもりだ。歳でボケてきたんじゃないの、と言われないように。

 

昨日も、ある会社から呼ばれて行ってきた。製品は明らかにできないが、聞くところによると、数年前とは、製造品の種類が替ってきて、以前、全売り上げの50%以上だった製品が、今は20%くらいになっている。他の製品が増えたこともあるが、減った製品は中国や台湾企業の進出によって、価格で対抗できなくなっているから、政策として減らさざるを得ないという。彼らがまだできない製品を増やすしかないという。要するに今までやっていたものに固執していたら、ジリ貧になってしまうから、新しい物の生産に変えていかなければならない、それができなければ、生き残れない、ということでしょう。

日本ではとっくに厳しい、インドネシアの安い人件費?を使っても厳しくなっているのです。これからの若い担当者は、大変だなと思う。

 

その増産する製品に使う押出し品の現地調達を考えているが、今、押出し品を調達している地元会社ではそれを作ることができない。また、日系企業にも三社当たったができないと言われた。そのうちの一社から私の名前が出たとか。それで、私が呼ばれたのでした。

 

お会いして、今までの経歴を話し、最近、インドネシアで作った製品を見せた。なんとなく、反応が今一だったが、ローカルスタッフに私を紹介しておくということだった。

 

それが、今朝、その会社のローカルスタッフが電話をしてきて、今から直ぐに会いに行きたいが都合はどうかと言ってきた。何だか、急ぐ話の気配がしたので、予定があったが遅らせて待つことにした。時間通り、やってきた。サンプルを持ってきた。昨日、日本人が言っていた、インドネシアでは作るところが無いという製品だ。持ってきたのは中国製だとか、ぜひ、身近から調達したいので、やってほしい、昨日、持って行ったサンプルの中に似たような製品があった。

 

それがまた、超急ぐ話で、売り出しのスケジュールが決まっていて、それに従って、中国からの輸入のスケジュールを決めてある、その注文を出す前に、太田さんにサンプルを作ってしまってほしい、そうすれば、中国に注文しないで済む、という話。一か月半後には、マスプロに入りたいという。無茶苦茶な話である。しかし、彼らの熱意は伝わってくる、何とかしてやりたい。その日程で、何とかしてやることにした。今まで、結構、悠長にやってきたが、他の仕事を含めて、少し、スピードアップをしなければならなくなってしまった。パンガンダランで遊んできた余韻が消し飛んでしまった。

 

 今日でぼちぼちは終わりである。もう営業はしばらく慎む。

 そういえば、ブロックMに“ぼちぼち”という日本食レストランがある。入ったことはないが、元の創造日本食の“塩梅”アンバイには何回か入ったことがあった。

 

あるレストランの昼食、焼きそばオムレツ定食ときつねうどん定食、どちらも税込みで5万Rp,私にはどちらも量がちょっと多い。でも、日本食にしては安いと思う。

責任 納期 品質

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆あれから15年

2013-05-14 22:27:59 | 情報

 1579 私のブログ、昨年の5月14~17日まで(1216~1219)、“あれから14年”として、インドネシアの大暴動について書いてある。今となっては、その時、インドネシアにいて、目の当たりにその状況を見た日本人は、インドネシアにほとんど残っていないと思う。インドネシア人でも知らない人の方が多くなっている。

その日、ジャカルタで大暴動が起きていると、会社の誰かが言いだした。テレビでは、その時、多くの場所からライブで報道し始めていた。ブカシバラットから、次第にブカシティムール、タンブン、チビトゥン(MM2100の高速道路を挟んで反対側)を通過し、チカラン(リッポチカランではなく、コタ チカラン)そして、私が当時住んでいた、ルマーアバンを過ぎてカラワンに達した。工業団地が対象になってはいなかった。一般国道沿いの町が対象だった。それぞれの町で独立単独で始まったのではなく、あたかも、誰かが先頭に立って、扇動して、次の町、次の町と移動し、打ち壊していったように感じた。

 

ガソリンの補助費の削減をできないのは、未だに、その時の記憶が残っているからだと断言できる。SBYがガソリンの値上げをしようとすると、反対派は、必ず、暴動が起きれば、大統領の責任だといって脅かす、その繰り返しを数年以上やっている。

 

あれから1年は、スホイがサラックに激突してからです。

 

 平和な話、タンゲランの会社で作っている、酒、飲み方として、一日三回、食後、20~40mlと、勧めている。薬ですね。

 

 五階建てのホテルを建設中、レンガを手渡しで上の階に上げている。チャップリンの喜劇映画を見ているようです。

 

 これが、パンガンダランからグリーン キャニオンへ通じる、ジャラン ティクス(ネズミの道、抜け道)です。メイン道路より遥かに凸凹が少ないが、狭い。

 安全 暴動 記憶

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆心地よい疲労

2013-05-13 22:39:51 | 喜び

 1578 目覚ましで04:30に起きた。まだ眠いが、どうしても起きなければならない。05;15家から出発、朦朧としていて、どこをどう通ってゴルフ場に着いたのか、ほとんど、居眠り運転。無事にゴルフ場着いたのが、05;45でした。どこが痛いとか、気持ち悪いとか病的な症状は無いが、とにかく、疲れが抜けていない、眠くて仕方がない。それでも、06;30頃からティー オフ、素振りは一切なし、いきなり、打つ、最後までその通り、スコアーと同じ数だけクラブを振っただけだった。それでも、まあまあの結果、オリンピックも受け取る側だった。

 

 ボールの場所へ行く前、打ってから、カートにいてうとうとしていた。キャディーはいつもの私と違うので心配していたようだが、理由は分かっているので、話しかける回数も少なかった。

 一種のプレーした中にパンガンダランへ一緒にった一人いたが、その人は元気、運転をしないし、ビールを飲んでは鼾をかいて寝てしまい、目が覚めたら、また、ビールを飲み寝てしまう。ガソリンスタンドに寄ってトイレに行くときがけ、起きていたという方だった。ま、笑いながら、話す、エピソードの一つだった。

 

 終わって食事をし、13;30頃家に戻ったが、またすぐに寝てしまった。目が覚めたのが17:00過ぎ、起きた時、外が薄暗かったので、朝になってしまっていたと思ってあわてて身支度をしようと思った。ちょっと待て、いや、まだ日曜日の夕方だと、直ぐ、気がついて、ほっとした。

 

 旅の一日目は、3時に出発、運転した時間は10時間ていど、二日目は6時前から行動し、大波にもまれてヌサカンバンガン、昼からはジャングルの中、夜は食事とカラオケ、ハードな活動時間が16時間以上、三日目は12時間以上の運転に加えて、観光地の案内、

それら+未亡人アユさんも迎えに行ったり送っていったり、田舎のくねくねした道を、真っ暗な中、合計6回、時間にして2時間以上、それ+綺麗で優しそうな印象だった魅惑の未亡人?のはずだったアユさん、まったく、当て外れ、自己主張が激しく、しゃべりすぎ、煩い、その人の相手をするのが途中から負担になってしまった。疲れる材料が増えてしまった。

 

 ということで、一人で行動しての旅には無い疲れがたまってしまったのでしょう、しかし、その疲れは、実に気持ちがいい、半分眠りながらゴルフをしていながら、こんな生活ができるのは、贅沢かもしれないと思った。

 

 ゴルフ場の花、二題。

 心地よし できる 夢の中

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆Green Canyon

2013-05-12 23:25:36 | 行動

 1577 出発前、東海岸のサンライズと西海岸の人で。

アメリカの国立公園ではない。パンガンダランから西、25Kmほどにある一応観光スポットである。既に何回もいっていて、ウェブサイトなどで紹介してある。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage023.html

 

はっきり言って、たいしたことは無い。上陸する岩場よりもっと奥の方に行ければ、もっと素晴らしい、状況を見ることが出来るだろうが、行けるところまででは、物足りない景色である。

日本の何社かのガイドブックに載っているように、インドネシアの旅ガイドにも紹介されているので、パンガンダランに行くなら、グリーン キャニオンもという人が多い。

 

行く途中の道が半端じゃない凸凹道、以前はそれほどでもなかったが、このごろは慢性ボコボコ状態で、治しているなと思ったが、直ぐに穴があき始める。何故か判っていないようで、何年か周期でそれを繰り返す。これは、パンガンダランに限った事では無いグリーン キャニオンまでは、一ヵ月半ほど前に行ってきた。その時は、道が凸凹過ぎて30分で行くところが1時間以上かかってしまった。それより悪くなっているなら、私は行かないと、地元の人に言ったら、「治っている、以前の様に順調に行ける」という。私の友人が一週間前に行って来て、道が酷かったというので、そうだよね、以前より悪くなっていると思うから、そのひどさを知っているという話をしたばかりだった。

 

一週間前に酷かったのに今、治っているというには、どういう事だ?一週間以内に直すことが出来るはずがない。友人が違う道のことを言っていたのか?

 

行ってみた。道は修復してあった。一ヵ月半前よりは、良くなっていた。良くはなっていたが、友人が言ったように、やはり、日本人からしてみると、かなりの凸凹、到底、なおしたとは思えない凸凹さで、友人が酷い道だったというのは当然だった。

 

 その凸凹道でもじものとの連中は、十分、以前より良くなっているのだから、治したというのも当然だった。

 

同乗者はどうか、「酷い道だよ、これで直したっていうの」という意見だった。

私は、そのメインの道からヂャラン ティクス(抜け道)に入って、その凸凹道を避けながら、往復をした。車がすれ違うことができない、田舎道はいくらでもある。今回は海岸に近い道、バトゥ フューを通った。

 

道の状態に関する感想に違いがはっきりした。

 

グルーン キャニオンは、連休の中の土曜日とあって、大混雑、やはり、舟が大渋滞していた。早々に引き揚げたが、それでも、8時に出たのにパンガンダランへ戻って、アユさんを送って行ったのが、11時を回っていた。我々は食事を取り、パンガンダランから出たのは12時過ぎだった。順調に車は進んだが。チレニーの高速道路に入る前数Kmから大渋滞に巻き込まれた。道路のアスファルトの舗装の上にコンクリート舗装をしているのが原因だった。 そういえば、この場所ばかりではなく、道中、各所で、そういう工事をしていた。ラマダン、レバラン前に道を修復してしまおうという時期にはいったからでしょう。

 

 ジャカルタの友人をチカランのインターで降ろして。家に着いたのが21;00を回っていた。12時間以上の運転で、起きていられなかった。直ぐに寝てしまった。

 

疲れた、眠い。 後で、書きなおす。

 旅 運転 睡魔

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆フルスケジュール 

2013-05-11 23:12:25 | 行動

1576 5時半から、

活動、サンライズを拝んでから、ヌサカンバンガンへ向かう。いつものとおりである。浜でバーベキュー、美味しかったに決まっている。本日の特徴は、クピティン(カニ)を大量に仕入れたことでした。浜へ着く直前にいつもの様にロブスターを漁師から買った。あまり大きなものが無く、せいぜい250gくらいが最大で、1kg足らずいしか買えなかった。種類はウダン ヒジャウという、最高品質のものだったで、高かった。30万Rpもした。量的に少ないので、他の魚などないかと聞いたら、カニがある様という。見せてもらった、それ全部でいくらか聞いたら5万Rpだという。安い、全部掛かってしまった。とにかく、鍋に一杯になってしまうほどの大量だった。

 それを、チキン味のブンブで煮詰めた。スープもおいしかったが、カニも美味しく、頂いた。一緒に行った、ガイドや手伝いのパンガンダランの人達もおいしそうに頬張っていた。

 それと、今回特別に、Nasi Liwatという種類の味付けをしてたいたご飯もおいしかった。ナシ ウドゥックに似ているが、独特な甘さがあった。

 往復途中、うねりが大きく、同行の日本人は、緊張した様子だったが、浜で満喫できて、その緊張も吹っ飛んだようでした。

 12時ころ西海岸へ戻り、14時にはチャガール アラムに入った。これも、いつもの様にチュルッグ パナンジュンという滝まで行って戻ってきたのが、17頃、残念ながら、ラフレシアには会えなかった。私としても、会えなかったのは何年振りだろうかという、運の悪さだった。

 

 小エビいのゴレンを受け取りにアユさんの家に行き、それはそれとして、今日も、彼女を夕食に招待した。その後が疲れた。早朝からの強行軍の締めくくりがカラオケ、パンガンダランにもファミリーカラオケが沢山出現していて、私たちが行ったのが、ホテルで経営する新式のカラオケで、設備は最新式だと思う。キーボードを操作する。インドネシア語や英語の歌は、当たり前、日本語、中国語、韓国語の歌も入っていた。22時過ぎまで

2時間ほどいた。どういうわけか、5人だったが。飲み物を含めて30万Rp、安かった。

 ま、でも、パンガンダランへ来て、カラオケは無いだろう。

強行 満足 緊張

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆パンガンダラン

2013-05-10 19:13:00 | 欲望

 1575 今、どこにいるかというと、そうです。再び、まさかのパンガンダランです。二時半に家を出た。ジャカルタからの日本人二人をピックアップし、三時前にはチカランバラットインターからパンガンダランへ向かった。いつもの通り、ホテルにチェックインする前、ルンバー プトゥリからパンガンダランを見下ろした。私のウェブサイトの表紙である。

同行二人の内、一人は三回目、もう一人は初めてした。しかし、二人ともこの場に立って、流石の景色に感激していた。天気が良かったので、私もホッとした。

 

10時半には、西海岸のUMMIさんのワルンに到着し、アウェン君を呼んで、明日の打ち合わせをし、今日二人は釣りをしたいと言うので、アウェン君に後で釣り場に連れて行ってもらうことにし、その後、二人の宿を西海岸のホテルUNIに決め、休んでもらった。かなり前からあるホテルだが、2006年のツナミで跡形もなく無くなってしまっていたが数年前に再び開業した、建物は新しい、それに、津波前より季語が大きくなってるホテルだ。私は彼らとは別の遥かしやすい東海岸のパモルディアンに入った。昼寝を一時間ほどしてから、例の、あの、魅惑の未亡人アユさんに電話し、予約をしてあった小エビのてんぷらについて聞いてみた。準備はしてあるが、二十パックしかないという。それでもいいから、ほしいというと、ホテルへ持ってゆく、という。それはありがたい、待っていると14時過ぎには、バイクで届けてくれた。23パックあった。会うのは一ヵ月半ぶり、今日は、ジルバブをしていなかったので、同じ人の感じはしなかったが、美人であることは、前以上に感じた。性格は明るい。しばらく話をしてから、50パック以上はほしいので夕方までに準備してくれないかと頼んだ。

私の家を教えるから、今、私を、私に家まで送ってくれて、場所を確認し、ホテルへまどって、私はバイクで家に帰るから、夕方、もう一度私の家に、取りに来てくれれば、準備しておく、という、ちょっと、複雑なことを提案してきた。その言葉に従って、彼女に家に行ってみた。なるほど、田舎の凸凹した曲がりくねった小道を数キロ走るので、これでは、ちょっと書いてもらったくらいでは、家まで行きつけないと思った。彼女が横に座って、案内してくれなければ、着けなかったでしょう。

 

松本で仕事をしたときに節約してお金をためて作った家だという、立派な家だ。自分が作ったというお菓子を出してくれて、30分ほど、また雑談し、ホテルへまた二人で戻り、彼女は置いてあったバイクで再び家へ帰った。

 

夕方、電話が掛かってきて、まだ、出来ていないから、明日にしてくれという、私は、いつでも、良いので、それはまたということにし、二人の日本人と一緒に食事をすらから一緒にどうかと、提案したら、日本語を話したから、良いよという。先ほど知ったばかりの彼女の家へ迎えに行き、UNIで合流し、パサールイカンで食事を一緒にする。

 

並んだシーフード、飲み物を含めて、総額35万Rp,そのボンを見て、安さにびっくりしていた二人の日本人が印象的だった。ジャカルタなら、一人でこの金額だよ、という。

 

彼女も大満足、20時前に再び家まで送って行って本日の行動はとどこおりなく終了した。彼女とは、残りの何パックかを受け取るために、いつとははっきりしないが、再び会うことにした。

 ホッ 快い またまた

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆身につける物

2013-05-09 23:40:31 | 生活

 1574 食から住へ、そして衣である。これから何年生きるか知らないが、おそらく、死ぬまでに身につける物に使うお金は5万円以下だと思う。過去、10年間で5万円どころか、多分、3万円くらいしか使っていないと思う。その中で最大は、旅に出た時に、思い出として場所の名前が入ったTシャツです。自分用ではなく土産として、帽子やTシャツは買う。自分用ではなく、他の人が身に付ける物は、おそらく、年平均5万円くらい買ってあげているかもしれない。

 今年、何を買ったか、100円ショップでソックスを二足買っただけである。

 装飾類は生まれてこのかた、買ったことはない。腕輪、ネックレス、指輪、バッジ、とに書く、何もつけたことが無い。付けることは邪魔だと思う。しまって置くものもない。買ってやったことは、いちいち覚えていないくらいある。

腕時計だけ身につけたことがある、装飾品と言えないと思うが、二十歳の祝いに父親から贈られたものだ。就職して仕事の時に外さなかったので、水が入ってしまって使い物ならなくなった。それ以来、腕時計をしていない。何回か送別会などで、プレゼントされたが、どこにしまったか知らない。

 

 私の服装を見たら、インドネシ人も気の毒に思うのではないかと思う。ズボンの両ポケットに穴があいているズボンをはいてゴルフをしているので、間違ってボールを入れると足元に落ちてくる。HPやカメラも同じこと、シャツは10年ぐらい前にもらったパラマウントベッドのマークとインターコンチネンタルホテルのマークが入っている襟付きのTシャツを交互に使っている。色があせている。靴は接着剤で修理を繰り返して、数年使っている、プレーの回数は300回を優に超えていると思う。足に馴染んでいるし、水が沁み込んで、歩くときにキュッキュとなるのが気に入っている。

 

 普段の服装は?平日は、会社のユニフォームだけである。靴はスニーカー、これも、数年以上買いかえることはない。今までの色々な会社のユニフォームがたまってしまっていて、家では邪魔になっている。インドネシア人に挙げてしまうでしょう。ついでに家の道具や家具も全て、どなたかに挙げてしまうでしょう、そう何年も先の話ではない。ただし、贅沢をしていないので全て安物だし、最小数である。

 

 仕事の時以外は、思い出に買った襟なしのTシャツに短パン。旅に出る時も車ならそのスタイル、飛行機を使う時には、長袖のシャツと長ズボンだが、旅先では、普段のスタイルになる。服装を見ても、話をしても、ダリマナと聞かれて、ダリブカシと答える私を日本人だとは思われないのが快感。

 

 自分のものに金を掛けない。それが、私の趣味です。そして、他人の為に金を掛けるのが私の趣味です。いかにして、金を掛けないで生きるだけでなく、エンジョイできるか、いつも考えている。

 

 何を運んでいて、何を売るのでしょうか。ココナツジュース売りとアヒル売りです。売る場所へ向かっている。

 無欲 無駄なし 長持ち

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆くつろぎの場

2013-05-08 22:25:42 | 生活

 1573 何社かに見積もりを提出してあって、これらの全部の話が纏まってしまえば、今の設備では生産が間に合わなくなってしまう。本当はそういうことを心配する必要はない、全部、仕事が纏まるはずがない。それでも、先日押出機を一台購入したことは書いた。遅くても13日には搬入される。

 

ところで、昨日の続き、昨日は衣食住の内の食だったが、今日は住について書く。17年前初赴任をしたときにリッポチカランのクラウンコートに会社が借りてくれて住んだ。家賃は1,000US$だったともう。車は4~5人共同で使っていた。クラウンコートに三人、チトラインに二人だった。合計の住宅費用は5,000US$を超えていたでしょう。実にもったいない、そして、その部屋の住み心地も特に快適とは言えなくて、湿気が多い部屋だった。

 ところは、いま、どうでしょうか、家族連れなどを含めれば、日本人が住む家の家賃は2,000US$を超えているかもしれません。ピッポチカランでも1,500US$くらいが平均になっているかもしれません。工業団地も、外国人が住む分譲地やアパート、毎年上がっている。値上がりしているので二年契約が最長だそうだ。

 

 ところで、私の住宅のこだわりは、やはり安いこと、部屋はダイニング、シャワー室、居間(狭くていい)寝室があればいい。私が望まない、広い部屋に平均家賃300~500US$で済むことが多かったが、インドネシアの生活に慣れてくるに従って、次第に狭い家、インドネシア人の中流以下の家庭が住む地域に住むようになってきた。今は家賃150US$水道代、電気代、ゴミ処理代はその中に含まれている。こんな家でも、私が一人住むには勿体ないくらい広い。本当はもっと狭い方がいいし、安い方がいい。無駄だと思う。そして、自己負担である。会社に出してもらいたくないからだ。

 

 日本の自宅はどうか、二十数年前に妻と共同で建てた家だ。住みついていたのは6~7年だったが、私がいる部屋は、私用にと用意した8畳間の真ん中に畳半分分の掘り炬燵風のテーブルを置いただけの部屋、一隅にテレビ、もう一隅に箪笥、南側は全部、縁側になっている。今もそのたたずまいは変わらないが、家族の居間になっているようだ、私がちょっとお邪魔した時だけ、私の道具類がテーブルに戻され、私の部屋になる、私はその他の部屋へ行くことはない。二階にも妻や娘や孫たちの部屋はあるが私は、何かの修理を頼まれたとき以外は登ってゆかない。その広すぎるくらいの和室にいるのが自分の世界にいると感じる、頻繁に家族が入ってきて好き勝手なことをしていて、私の邪魔をするが、それはそれで、それも含めて、私の家での空間に満足できる。只一つ、部屋の温度管理について、暑いだの寒いだの言わないでほしいと思う。そう長くいつくわけではないから、その間ぐらい、私の部屋なのだから、私の思うようにさせてほしいと思う。

 

昨日から正式オープンした和食レストラン、一週間前までのプロモ期間中4万Rp均一だったそれぞれの価格は、それぞれの原価に連動した値段になって、勿論4万Rpより、高くなっている。例として、税込価格7万1500Rpの刺身定食、6万6千Rpの冷やしラーメン定食。

 住処 空間 充分

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆こだわり

2013-05-07 23:37:03 | 生活

 1572 インドネシアの日本食が美味しいかというと、普通である。不味くはないし、特に美味しいと思わない、どこの店のないが美味しいか、特にそういうものもない。既に書いたが、インドネシア料理や中華料理に比べてどうか、どれがおいしくて、どれが口に合わないとも言えない。また、それぞれの料理というか食べ物が、高級と言われる値段が高いラストランやホテルのお勧めと道端の超格安のテントレストランのお勧めを比較してどちらがおいしいとも、不味いとも言えない。どんな所でどんなものを食べても同じだし、一寸美味しいかなと思う確率も変わらない。どこで食べても同じなのだ。このことが大前提である。

 

それでは、食べる場所を選ぶのに何を優先するのか、三点である。優先順位は、値段が安いこと、近いこと、そして、量が丁度いいこと。非常に簡単です。清潔か不潔か、店の人の態度はどうか、よほどひどいと思わない限り、あまり気にしない、許容範囲は広い。

 

 だから、日本食レストランは、値段が高いし、量が多すぎる。多いから少なくして安くしてくれても、高いには変わりない。中華料理も食べない。まったくではないが、自分から進んで選んでゆくことはない。

 

 インドネシア料理風の店でも、例えば、リッポチカランのシティヲークのレストラン、しゃれている、ソラリアなどは有名な、日本でならファミレーレストランである。それに似たレベルのレストランが並ぶ、やはり、値段が高い。

 ピザハットやKFCやマックも高いと思う。日本の同じ店より高いと思う。

 

満足感というものは、その辺りの安い店で丁度良い量の食べ物を、雑談しながら食べた時です。屋台でおかずになるものを買って、家でご飯と一緒に食べる時、充分に得られる。高い店で、どんなものを食べても、満足しない。どなたかが払ってくれて、只で食べたら、もっと、満足感は得られない。

多くの人とこだわりが逆だと思うが、これがこだわりというものです。

 

 修復中の道とまだまだこの状態よりひどくなる道、コタ チビトゥンとコタ チカランの間は通常の倍の時間が掛かるし、緊張をする。

安い 近い 適量

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆狙い通り

2013-05-06 21:41:08 | 体験

 1571 午後3時ごろから、5時ぐらいまで停電していたと思う。蒸し暑い中、昼寝をしていた。

ゴルフをしていて、スコアーとあまり連動しないように思うが、オリンピックでポイントをゲットするのは快感の一つでしょう。ニヤピンなどより、砂竿などが絡んで一挙に10点などというのは、やった、という気持ちになる。そこで、本日の快感は、ワンパットが前半8回、後半が6回、パット数が22回だったこと、一点パットが多かったので、獲得ポイントはそれほどでもなかった、欲を言えば、前半、一回外したのが1mくらいのパットだったこと、あれが入っていれば、と思う。残念!!

狙って出来るものではないと思うが、オンをさせようと思えば出来るだろうと思うクラブより短いクラブを使ったことは確かで、手前に止めることを狙ってみたことは確か、パー狙いよりボギー狙いを徹底した。同じボギーでも、当たりが良すぎてオンしてしまってツーパットをしたホールが三か所だった。

昨日も今日も昼食代は稼げた。

 

水の中から頭を出して、グリーン上のプレーターに、そっと近づいてゆく、得体の知れない小怪獣?ビアワック(Biawak)という中トカゲです。プレーヤーは、危険が近づいていることに気がついていない。そんなことはない。

私が旅をしての印象ですが、ビアワックはジャワ、スマトラ、カリマンタンの島々には確実の分布している。ジャカルタ近郊のゴルフ場ならほとんどどこにでも出没する。勿論、パンガンダランなどには野生の猿や鹿や牛、それと、ビアワック、カサカサと近くで音がすれば、それは、ほとンど、ビアワックです。ブンガバンカイ(ラフレシア)を食べる犯人もビアワックです。

保護動物に指定されているのかどうか知らないが、食べたことがあるという人の話を聞くと、ワニもそういうが、鶏肉を食べているようだという、姿を見なければ、本当かどうかわからないという。人間に捕獲されれば食べられてしまうらしいが、泳ぎも上手、潜水も得意、木登りも上手、だから、生命力が旺盛なのでしょう、コモドのように集めて保護をしなくても、インドネシア中に分布生息しているのだと思う。

 

インドネシアにトカゲの種類は多彩だ。色々な呼び名がある、小さいものはcicakチチャック、私がインドネシアに赴任したその日の夜、窓の外にへばりついている10cmくらいの白いトカゲ、イマリかヤモリの大きさ、それにびっくりさせられたのを覚えている。聞くところによると、ハエやカを食べるので人間に害はないというが、気持ちが悪い。どの家庭にも出没するらしい。ゴレンで食べる人もいるという。私は食べてみたくもない。

快感 自然 肉食

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆ローソク

2013-05-05 22:35:18 | 生活

 1570 先ほども、昼食を外で食べて家に戻ったら、停電していた。何時ごとから停電したかはわからない、今朝は5時20分に家から出ていた。冷凍庫の氷の溶け具合からはそう長い時間ではない、二時間以内だと思う、それから2時間後に回復した。土曜日の昼間の停電なので、短時間なら、暑さに耐えれば、そう問題はないが、それでも長時間続けば、冷蔵庫の物やヲーターディスペンサーの水の腐敗が心配になる。

 

 日本に比べればインドネシアの停電はかなり頻繁だ。何が原因なのか、停電の予告があるのか、私にはわからない。とにかく突然の様に思う。雷や豪雨によってというのはある。しかし、どの程度ならという、規則性はないので、ちょこっとした雨、遠い雷でも住んでる地域一帯が停電になる時もある。停電時間もローソクを準備する時間内の回復する時もあり、半日以上回復しない時もある。

 

 日本人が住む地域やアパートやホテルやショッピングモールには自家発電装置が備えてあって自動的に作動するようになっている。多くの会社も備えているでしょう。それでも、一瞬は真っ暗になるし、やはり停電になれば、只では済まないことが多い。インドネシアの損失は大きいと思う。

 

 必需品は懐中電灯など直ぐに手元だけでも明るくできる道具だが、やはり、ローソクでしょう。一寸したレストラン、道端のテントワルン、どこでもローソクは必要だ、レストランは昼間でも、外から光が入らない店が多いので、真っ暗になる。私もインドネシアへ来てすぐに大型のローソクを備えている。一時は、様々なデザインのローソクを集めたこともあった。点火は、ライターを持っていないので、ガスレンジでやる。蚊取り線香も同じ方法だ。

 

 勿論どこでも売っているので、入手は簡単である。日本の様にローソクの有名な産地というものはないと思う。そして、製造も簡単である。インドネシア中、いたるところで、目立たない場所で作られている。半自動ローソク製造機の一種です。

 停電 損失 腐敗

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆知っていただく

2013-05-04 21:43:45 | 喜び

 1569 何故か今日は色々あって気持ちが弾んだ。

ある懐かしの会社を訪問した。45年以上前に押出成型の会社に入って間もなく、12ナイロンというものが、世の中に登場した。可塑剤を混ぜてちょっと柔らかくした種類もあって、それで、チューブを作り、中低圧エアー用に供給した。その客先の内の一社が、今日訪問した会社の日本本社だった。コイリングチューブも作った。それまで、日本にはなかったものでした。エアーくぎ打ち機に最初使われた。

 ほとんどの押出し製品は既に現地の会社から供給してしまっているので、未だに、日本から輸入しているという会社を捜すのは難しくなっている。インドネシアに進出して間もない会社だが、この会社は、私が独立した頃には社内で押出しを始めていて、12ナイロンチューブなどは内製を始めていた。タイにかなり以前、進出しているのでタイにもオ祖出し工場を持っていたはずだから、それほど期待はしていないが、取りあえず、自己紹介をしておきたかった。

 なかなか、当たり良い社長さんで話しが弾んだ。工場進出にあたって、場所を確保するのに苦労したらしい。以前から私が言っているように、今になって、インドネシアへ進出しようとしている会社が多く、どこの工業団地も契約済は多く、契約をされていない場所も、今契約しなければ、一か月後には、値段が上がっているし、他の企業が契約してしまうと、説明されたという。そういう、脅かされているような雰囲気の中で、今、工場を建設している場所は、あわてて契約してしまったとのこと、そちらの工場が完成しても、直ぐに移転する必要が無いらしい。

 

私の仕事との関連だが、内製しているチューブのほかに、他社から買っている製品があるらしい、インドネシアで調達ということになれば、連絡してもらえるような感触を得た。とにかく気持ちよく話が出来た。明日、ジャバベカでゴルフをやるそうだ、会うかもしれない。

 

空のボトルに飲める水を作る装置から入れて売っている、アクアやアデスなど、著名な飲料水メーカーのボトルにも入れて売っている。ラベルや蓋もコーピーが出回っている。

 

 

 こんな道の向こう、右の塀の内側にローカルの押出成形工場がある。空港に向う高速道路の出口から1kmも離れていないので、立地としてはいい場所だと思う。

 進出 これから 難しい

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆感じること

2013-05-03 22:15:24 | 思うこと

 1568 UST,JEFFRIイスラム指導者の死は、インドネシア中を悲しませた。一週間近く過ぎても、彼に関する特集番組が絶えない。色々なインタビュー番組で関係者が出演して、彼がいかに民衆に好かれていたかを話している。それはそうでしょう。テレビに出演頻度が非常に多かったし、説教の様な活動も盛んに行っていた。だから、芸能関係者との交流も頻繁だった。歌って踊れる宣教師、とでもいうのでしょうか。

 だから、彼の突然の死について、原因やその直前の様子について語られていない。というより、追求されていないと言った方がいいでしょう。夜中の1~2時、何故こんな時間までどこで何をしていたのか、酒酔い運転ではなかったのか、このことについて、私がテレビ番組を見ていた中では、質問した人はいなかったし、関係者で打ち明けた人もいなかった様に思う。

 

芸能関係者、著名人の中に大型のバイクを乗り回すのが趣味の人が何人かいる。そして、その中の何人かは、テレビでも紹介されている。事故を起こす人もいる、死ななくても、怪我をしている人のことも報道されている。絶対数が多いわけではないでしょうが、報道されるので、目立つ。

 

カラマラン川の渡し船、田舎へ行けば珍しくないが、ジャバベカ1の近くなのが珍しい。このあたり唯一の橋が100mほど手前にあるが、いつも渋滞をしていて向こう岸から迂回すると10分以上かかると思う。ゴミはこの通り。

 

カリマラン側からジャバベカ1に入ったところのアスファルトの道、この道は、300mくらいだけだが、16年前から一度も修理をしていない、凸凹がない、穴ぼこが出来たことが無い、インドネシアとしては貴重な舗装状態だ。インドネシアで一番状態がいい道だと思う。ここを舗装した会社はどこでしょうか、技術者は誰だったでしょう。通るたびに気持ちがいい。

 

卵を運んでいる。炎天下の中、豪雨の中、同じ状態で輸送している、スーパーやコンビニ、ショッピングモールで量り売りをする。日本の様な透明パックに10っこ入れて売っているものもあるが、こちらは、それの半値以下、私も、頻繁に買う。しかし、割ると白身は水の様、黄身も今にもダラ~~と広がりそう、黄色も白身がかっていて、オレンジや赤い感じは全くなし、腐る直前といった感じ、日本なら、こんな卵は、絶対、売れない。

売らない。

 

 単なる階段、インドネシアの屋外の階段は微妙に一段ごとに高さが違う。ここは最大で3cmくらい違うと思う。止まっているエスカレーターでも感じるが、ちょっとした違いでも感じるものだ。この階段は、リッポチカランのある銀行の駐車場だが、一寸低いところにあるので、2mほどの高さだが、ズッコケないように用心をする。

感想 思うこと 違い

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆タンゲランへ

2013-05-02 23:26:07 | 行動

 1567 Selamat Hari Buluhメーデーで各地のデモが心配、そこで、06;00に会社から出発した。いつもならゴルフをしに行く時間だ。友人の多くは、休みでゴルフに出かけているはずだ。平日なので、メンバーでなくてもかなり安い、普段は高すぎてゆけないメンバーになっていないゴルフ場へ行った人が多いはずだ。来年からナショナルホリデーになることが決まっているので、平日扱いは今年限りですね。

昼前に帰ってこないと大渋滞に巻き込まれる心配があった。空港の手前にある押出成型の現地会社への訪問だった。ある元教え子の紹介だった。PPのチューブを作っているが、寸法が安定しない、見に来てほしいということでした。

何故今日だったかというと、ジャカルタのオフィス街は休みした会社が多いだろうから、

日曜日並みに空いていると考えたからだ、しかし、デモ隊が展開する前にジャカルタを通り過ぎて戻ってこなければならないと考えた。

 

 MM2100の会社へ寄って、連れをピックアップしたが、ここの工業団地はほとんど休みにしていると思うほど、閑散としていて、そのうちの何社かがデモに出かける準備をしていた。会社の前にバスが駐車していた。マナス付近へ出かけるのでしょう。ジャカルタへ入る料金所付近から渋滞になっていたが、クニンガンまでだった。ほとんどの車はクニンガンで出たので、出る車が渋滞を作っていたのでした。スマンギは完全に日曜日の雰囲気だった。後は空港穂面に向かって行き、5500Rpの料金を払って直ぐ左に曲がり、狭い道をくねくね曲がって目的地に到着した。8:30、MMを出てから、二時間弱かかった。まずまず、順調でした。こんなところにも工場があるんだと、感心するくらいの、狭い、込み合った場所だった。

 

 こんな押出機で良くやっているよ、計器は壊れているし、温度コントロールの場所が少ない、チューブの金型も単純そのもの、肉厚の調整方法は、独特、私なら、こんな方法は、絶対しないという方法だった。少し、おかねを使ってもらわなければ、どうにもならないよと、アドバイスした、簡単な手書きの絵も描いて渡した。

 それはそれで、使っていない押出機があったので、何故だと聞いたら、使うほどの仕事が無いという、それなら、私に売らないか、と聞いたら、いいですよ、いつでも持って行ってくれて、という。60φ、即、商談がまとまった。壊れている計器を交換するのは勿論、温度調整機を二個増やしてもらい、50ジュタ(50万円)今月の15日以内に届けてもらうことにした。 

 

 10:30頃現地を出発、会社に戻ったのが11;30何と空港の傍からリッポチカランまで、一時間でした。邪魔な車は全くなし、アクセルを踏みっぱなし、ブレーキを踏む機会はほとんどなかったと思う。写真を取る時だけ、アクセルから一寸、足を引いたくらいだけだった。

 逆にジャカルタ中央へ向かう車は、ほとんど動いていないまま、一般道はバイクがほとんどだったが、国会議事堂前あたりを先頭に、高速道路はスヂルマン、スマンギあたりを先頭に、尻尾はチャワン辺りまで、バスが多かったが、車が詰まっていた。その多くは、旗を振って気勢を上げていた。 ボゴール方面からもバスが大挙して来ていたようだが、私が走っていた中央車線には入ってきていなかったので、影響はなかった。

 

 夕方のニュースでタンゲランの町から空港へ向かう道のデモが激しかったようだったが、私が行ったところは、Bokorというところで、空港へ向かう高速道路より北側なので、タンゲランの町とは反対方向、まったく、デモの影響はなかった。

 

 MM2100,EJIP,ヒュンダイ、デルタシリコン、すべて、日曜日の様、要所には警官が待機していたが、皆さん、座ったり、寝たりしていて、暇そう、いつもこんな状態ならいいなと思う。

 

 

ガソリン代、一般車だけ挙げて、公共やバイク用には今までどおりにするという案が出ていた。ガソリンスタンドをそれぞれ専用にするとか、バカなことを考えるものだと思う、今のガソリンスタンドを大改造しなければならないし、そんなことをすれば、公共の車から一般車に移して使うにきまっている、公務員は公用車(赤ナンバープレート)で、休日、行楽地へ行っているし、勿論、通勤にも使っている。不公平極まりない。そんなことは小学生でも考える、と、多くの人は言っていたが、私もそう思う、良くそんなことをしようと思うなと、むしろ、感心してしまう。

デモ 渋滞 ガラガラ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする