南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆終戦記念日

2016-08-16 23:01:29 | 知識

 2769 終戦記念日、敗戦記念日、日本軍消滅記念日?インドネシア人10人ほどに、日本にとって、今日は、何の日だ、と、聞いてみた。当たり前だと思うが、知る人は一人もいなかった。原爆を落とされた日?と、答えた人が二人いた。

 

先月初めに、H工業という会社がPT.Aを買収しましたという。広報されたと聞いた。狙いは、持っているライセンスを利用したいからでしょう。しかし、先ず、疑問に思うことは、そんなことが、出来るのでしょうか、出来るとしたら、簡単には取りにくいライセンスを取り、それを売る商売ができるし、わざわざ、申請しなくても、幽霊会社のようなものから購入できるし、そういう取引を仲介する会社があるはずだ。表だって、あるのでしょうか。PT,A社、これまでに、何社かと、売る契約する寸前まで行っていて、なぜか、はっきり、理由が示されずに、ご破算になっていた。H社は、ご破算にしなかったようですね。

 

私が二年間弱、お世話になった会社でした。従業員はどうなるのでしょうか。ほとんどの人は、私の友人だから、心配だ。給料は高いし、そのまま使うということはあり得ないでしょうから、扱いが難しいでしょうね。私が関係していた押出部門を売った時に、何人かの従業員は、買った会社に移った。その時、退職金を渡さなかった。買った先から受け取りなさいということらしかった。売買契約通りに前金を支払った後、装置を移動しようとしたら、退職金の支払いに関しては、売買契約には、書かれていなかったが、承知しなければ、機械装置の移動は、させないと言いだしたとか。仕方がないから、契約書に、ある個人が支払うという契約を付記した。そのある個人のサインは無いという。

 

新アイテムの見積もりを出すための金型費用を見積もってもらうために、メーカーへ行ってきた。金型の図面と見積もりを依頼した。今週中には、貰える予定だ。この会社、国道沿いにあり、コタ チカラン(リッポチカランとは、全く関係ない)側から行くと、日立の工場の筋向いにある。チビトゥンに向かう途中だ。

帰りは、そのまま西(チビトゥン方面)に行って、Uターンをして戻らなければならない。その道、ファジャール ペーパーという、かなりの規模の古紙再生会社の前を通る、そこから100mほど先にRS,RIDHOKA SALMAという病院がある。保険の扱い病院という看板が見える。うちの従業員、この病院を利用する人が多い。

 

買収した会社は、従業員の扱いについて、契約に明記してあるのでしょうか。それを、従業員が認めているのでしょうか。また、遡って負の事柄について、記録を徹底的に調査したのでしょうか。売りに出すということは、何かあるのです。それも、なぜか、99%も。PT.Aの資本金のほぼ半分は、私が手伝ったのだし、部門の売却の橋渡しをしたのも私だし、プラスチック製品製造販売のライセンスの取得費用も私が負担した。私は、見る目が無かったなと思っているし、困った会社だと思っている。

会社対会社の場合は、深刻な事態になるかもしれない。しかし、個人の私は、このことを深刻に思っていない。私自信が、損をしているのであって、相手は得しかしていないが、支払い能力がないからだ。

終戦 ライセンス 買収

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆独立71年

2016-08-15 23:04:02 | インドネシア

 2768 相変わらずの雨模様、プレー中は、雨に降られなかったが、青空、日差しもほとんどなかった。

 

家に戻ったと同時に大雨になった。猫は雨宿りをしている。

 

インドネシアはムルデカ71年です。これだけ広く、多くの島があって、民族も雑多な国が、一つの国によくなったなと思う。誰が纏めたのか、それは、オランダが植民地にしたからでした。纏めて、植民地にしていなかったら、ばらばらの多くの国に分かれていたでしょう。スカルノや日本が統一したのではない。ポルトガルが植民地にしていた東チモールは、独立してしまったのが証拠です。その後、ジャワ島から遠隔の各島へ移民政策によって、ジャワ島の民族をばら撒くとともに、イスラム宗教もばら撒いて、パンチャシラの思想を基本として、民族や宗教の違いを薄めたのでした。どこの誰が指導したのか、スカルノは、うまくやったと思う。

それにしても、200年もの間、オランダの植民地から独立してやろうと、立ち上がった民族は無かったのでしょうか。そういう話を聞いたことがない。支配され慣れ、それが、不満ではなかったのでしょうね。オランダが巧みだったと言えるかもしれない。

 

この時期、盛んに、独立前後のふるいフィルムが映し出される。多くは、独立に指導的な役割を果たした政治家や将軍の映像だが、どの映像にも、必ずと言っていいほど、日本人だと思われる人物が背後や横に映っている。意味が深い。そして、インドネシアのテレビコマーシャルの半分以上は日系企業だし、スポーツや催しのスポンサーはほとんど日系企業でなり立っている。

 

突然ですが、Lagu Wajib Nasional 必須の国民の歌“サバンからムラウケ“という、子供が、歌う歌です。インドネシアの国土を表している。サバンは、西北端、スマトラ島の北端のもっと北西の島、ウェー島にある町です。ムラウケは、南東端、パプアの南端、国境の町です。

Dari sabang sampai merauke Menjajah pulau-pulau Sambung memnyambung menjadi satu Itulah Indonesia Indonesia tanah airku Aku berjanji padamu Menjunjung tanah airku Tanah airku Indonesia

https://www.youtube.com/watch?v=h-cQ-4d14O4

私は、どちらへも行ったことがあります。

ムラウケ旅行記 http://otaenplaext.net/newpage29.html

写真      http://otaenplaext.net/newpage28.html

旅行記 アチェ ウェー サバン http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html

写真集 ウェー島 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html

バンダ アチェ http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html

インドネシア中、旅をしていると、どこへ行っても、必ず、親しげに、周りに人が集まってくる。何をしに来たのか聞かれる。日本人がその土地で何かをしているか、足跡を残している。日本人の名前を挙げて、あなたは、知っているかと聞かれることが多い。私が知っているわけがないが。聞きもしないのに、その人が住んでいた家まで教えてくれる。

野菜、果物各種、お茶、ゴム、パーム椰子、ジャガイモ、サツマイモ、ワサビ、発電所用や灌漑用ダム、エビなど魚の養殖、鉱物資源採掘、どれをとっても、日本人の名前や会社名が出てくる。コマツやサカイの名前はどんな田舎へ行っても目に入る。車、バイクは、ほとんど100%に近い。

独立 占領 植民地

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆雨季の様

2016-08-14 22:35:23 | 生活

 2767 インドネシアでのゴルフは、三週間休み、四週間ぶりでした。5時ころから、一時間ほど、土砂降り。多分、どうせ、スタートが遅れるだろうと思いながら、私たちのスタート時間は7時10分、6時30分出発、向かった。着いたのが40分、しっかり、30分前には着き、スタート地点に行ったのが7時前だった。やっぱり、スターターに聞くと、一番スタートが30分遅れたという。結局、私たちのスタートは7時50分だった。13時過ぎには終わったが、太陽はほとんど現れなかった。時々、グリミス程度だった。暑くなく、一応、快適だった。日本の狭い、上り下りが激しいコースに比べれば、快適だ。久しぶりに会った、ロータス。やはり、美しい。

 

Sate kuda馬肉焼きの串刺し tongseng kuda馬肉の皿盛り料理 ayam bakar焼き鳥串刺し ayam penyet 鶏のから揚げ

 

独立記念日に向けての飾り?この奥に住む人達が作ったのでしょう。微笑ましい。  

 

四人でプレーしたが、食事は、初めて、魚男と書いてフィッシュマンというらしい。ウオターブームの向かい側の建物にある。駐車場は只。入口が分かりにくい。何か他のレストランも隣接していた。三人はビールを頼むが私は、只の日本茶だけ、つまみ類も頼んでいたが、私は日替わり定食だけ。

7cmほどの、かなり小さなシシャモもどきを焼いて二匹出てきた。これが3万Rp,どうでしょうか、この価格からすべての価格を想像できる。私は10万Rp払ったが、他の人達は、20~30万Rp払っていた。そして、安くて美味しいと言っていた。当たり前のように、昼も夜もこんな食事をしているという。

 

このレストラン、人気があるらしい。カウンターで隙間なく日本人が食事をしていたし、仕切られた部屋が幾つかあったようだが、予約をしないと入れないらしい。今日も、ゴルフの最中に、いつも行く人が予約をしていた。メニューの種類も多く、写真を見るとどれも美味しそう。

そんな話から、月3000US$家賃のアパートに住んでいる。サービスが行き届いていて、やることはACやテレビのオン、オフくらいのものだから楽でいいよ、という話に発展した。

 

自分から行くことは絶対ないこのレストランもこの辺りの高級住宅やアパートも私には縁がない。そうですか、と、聞くだけだ。しかし、ほとんどの日本人は、これが、当たり前なのでしょう。私は普通では無いようだ。

雨模様 普通 シシャモ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆今日も二社訪問

2016-08-13 22:54:34 | 行動

 2766 一社は、ブキット インダーの会社、EJIPにもあるが、こちらが主力?らしい。二か月前に、一度、呼び出されていったことがあった。其のときには、バンドの依頼だった、そして、トリムは、仕事が複雑になるから、一社購買のままにして、サプラーヤーを増やすなら、その一社にサブコンでなければならないと言われていた。そして、バンドの話は、専門にやっている会社が進出してきているので、そちらの会社を紹介して、私は、取引をあきらめていた。ところが、現在、作っている会社から、自分の処は、キャパが無いから、増産の依頼をどうしようか、と、思っている。太田さんの処で、下請け(サブコン}をやってもらえませんかと言ってきた。“いやだよ、お前のところのサブコンなんか“と、言ってやったら、”じゃ、太田さん、先方がOKなら、直接やってください“と、あっさり、言った。インdネシアでの私の一番弟子からだった。その製品も、私がその会社にいた時に立ち上げたものでした。

 

そんなことで、アポを取ったのは月曜日、出かけて行った。14時に入った。ところが、会う予定の担当者が席にいない、仕方がないから、HPに電話した。何やら急用で出勤していないという。連絡しないでごめんなさいだった。本人恐縮して、同じポジションの人間に電話して会ってもらうことにするから、ちょっと、待ってくださいという。ロービーに受付のカウンターがあるが人はいない。来客は、そこにある電話で、会いたい人と話をするシステムになっている。その横に、その会社の製品を展示してある。その空間で、待つことにした。10分、20分過ぎても、会う人は現れない。その間、来客が二組あり、それぞれが,相手を電話で呼び出し、相手が合わらわれ、応接室に入って行く、私は、それを、眺めていた。30分過ぎ、先ほどの来客と会っていた、日本人が、私が、ずっと待っているので、気になったのでしょう。誰に会う予定ですかと聞いてくれた。手短に事情を話したら、私が本人に電話しましょうと、言いながら、直ぐに電話をしてくれて、消えていった。40分経過、今度は、通りかかったインドネシア人が、会うであろう担当者に、直接、電話をしてくれた。まだ、現れない。もう、うろうろ,ロービーで待つことの限界に近い。次の訪問先への約束の時間もある。50分経過、一時間過ぎたら、もう、引き上げてしまおうと決めた。14時55分、何やら、ニコニコ笑いながら、私に近寄ってきた人物が現れた。

 

ミンタ マアフから話しかけてきた。人の好さそうな顔をした若者だ。彼、事情を全く知らないようだったので、事情を説明し、訪問した趣旨も説明した。サプライヤーを探していたところだったという。そこの日本人が私に言った、二社購買はしない、という話は、そのインドネシア人には、入っていないようだった。“今、ここで渡せる準備をしていないので、今日中にメールで図面を送ります”と、恐縮したような言い方で、話した。時間無いので、20分ほど、世間話、どこに住んでいるのと聞いたら、チカランだという、チカランのどこ、と聞いたら、ルマーアバンだという、私もルマーアバンだよ、ちかい、彼は、踏切の向こう側なので、私の住処から、600mほどの分譲住宅地だった。そんなことあってかどうか、しっかり、先ほど、17時過ぎに見積もり用の図面を四点、送ってきた。結構な数量だ。

 

いらいら、しながらも、待って良かったと思った。

 

二社目は、スルヤチプタの水槽屋さん、原料が透明のHIPS,L字型の、ガラス蓋置という名前の製品だ。午前中に試作をして、出来立てほやほやを、ブキット インダーへの帰り途中に渡そうと、持ってきた。約束の16時前に何とか到着した。直ぐに、OKの評価をもらった。その他に、5㎜角棒をHIPSで頼まれた。こちらは、透明の必要はない。簡単に引き受けた。

 

ジャラン トールが殆どの場所で渋滞していて、ほとんど、路肩しか走らなかった。高速道路以外も、かなりの速度を出して突っ走った。今日もぎりぎり、間に合った。しっかり、仕事をこなした。

待ちぼうけ いらいら 我慢

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆二社訪問

2016-08-12 22:35:57 | 行動

 2765 今日の二社は、新アイテムの話ではない。どちらもEJIP,先ず、行ったのは、AQUAと、言って、コマーシャルを盛んにしている会社、アンドレという、歌手であり、コメディアンが日本の技術だと言っている。その会社だ。呼び出しを受けたので行ってきた。製品の問題ではなく、支払いとか、納品書などの話だった。先方のシステムの説明を聞きにいっただけだった。何も、呼び出さなくてもいいのに。説明の書類を送れば済むことなのに。この会社、時間通りの納品にいっても、二時間三時間、荷下しを待たせる。長いときは4時間も待たされたと、内の運転手が言っていた。どの納入者も長時間待たされることで有名な会社だ。それなのに、指定時間に到着していないと、文句を言うということでも有名だ。

ところで、今日のミーティング、昨日の昼過ぎに、明日、14時に経理とQCの担当者二人で来てほしいというメールが入った。突然、明日とは、身勝手な招待状だ。そして、今日の13時、今度は、その会議に出席の時に、現在、注文を出している製品の最低ロットを表にして、持ってくるようにとメールが入った。呆れる、出発の15分前だ。無茶な注文をするものだ。この会社は。何とか、作ってから、出発した。
到着は14時5分前だった。間に合った。と、思いきや、待たされること30分以上、悠然と担当者のご入場、遅れたことを、全く気にしていないようだった。何のコメントもなしで、会議というか、下請けに対して、担当者からのコンプレーンというか、要求が話されていった。納品数量間違いやインボイスの遅れなど、いろいろ、言っていた。この日、招かれたサプライヤーは6社だった。私に会社を含めた4社は、時間前に来て、待っていた。二社は30分近く遅れてきた。時間通りに始まっていれば、1時間遅れということになる。ジャカルタやタンゲランの会社だった。ま、インドネシアらしいと言えば、らしい。

ところで、「最低ロットのこと、持って来ていただきましたか、お昼過ぎにメールでお願いしたのですが」と、言いだした。出席者、何のこと、と、私の会社以外の全部が驚いていた。その時間には、オンザウェーだよと言っている。もう、ここに出席のために、車の中にいたよ、とうわけだ。これも、面白い話だ。出したのはENDOTAだけだった。

二社目は、刃物屋さん、中国製の自動カッターの刃が、着いてきたものは使えない。だから、もう、二か月以上、鋏で切っている。ナイフカッターを使うには、製品に合った、刃を作らなければならない。デザインを話し、見積もりを依頼した。忙しくて、注文をしても、一か月以上後の納品になるらしい。

 この先、500mほどに、踏切がある。夕方、4時過ぎから一時間ほど、頻繁に遮断される。私の家はこの先100mにある。帰宅時、運が悪い時には、30分以上、全く進まない時がある。会社から出るタイミングが難しい。
欠品 納期遅れ 待たされる

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆三社訪問

2016-08-11 22:42:55 | 行動

 2764 MM2100 三社でした。先ず一社、原料を分けてもらいに行った。透明のHIPS、この原料は、一般のHIPSより、かなり高価、だが、その会社、見込みで購入したが、使う製品の注文がそれほど多くなかった。最初から、見込み違いだったのでしょう。2トン以上、デッドストックになってしまっていることは知っていた。他に使っている会社がないことも知っていた。今回、私の処で、少しだけ使う仕事が、スポットで入ったので、その原料を購入することにし、私が受け取りに行った。100kg、4ジュタ持って行って払った。

この会社、以前、1年半ほど、手伝いをした。そのときに、HDPEの架橋剤入りで、細いチューブを作ってやった。今、インドネシア中の車、バイクのケーブルコントロールシステムすべてに、そのチューブが使われている。シャープ冷蔵庫のトリムも私がやった。POMチューブも私がやった。私の技術で利益を出している。

 

当時の従業員の多くは残っていて、私に、多くの人が寄ってきた。アパカバール、スダン スダン サジャという会話。私の教え子たちだ。

 二社目は、MM2100のずっと奥、私はMM2100で合計10年以上、仕事をしていたが、こんなに奥の方まで広がっていたのを知らなかった。一社目から、一番近道と考えて、書いてもらった地図とは違う道からいった。全く、今まで、行ったことがない道を通った。本当に遠いし、曲がり角が多くて、本当にこの先に会社があるのかと疑ってしまうほどの場所だった。やっと、フードコートを見つけて安堵、こんなところに、こんな立派な食堂があると、びっくり、日本食レストランもあるという。近くには、日系の大企業?も多く進出している。第二、第三ファクトリーやオートパーツのデリバリセンター風の倉庫も多い。遠い、その道、ポリシティドゥールが多すぎる、それに、凸が高い。ずっと、走りくい道だ。トラックは、徐行するしかない、だから、距離以上に時間かかる、イライラさせられる道の連続だ。日本ならあり得ない道の状態だ。

 

私が行った会社は、本当に奥の奥、自動マシンを作っている会社、部品の供給や取り出し用の装置の部品の見積もりを依頼された。日本から輸入しているが、手続きの煩雑と入手のタイミングのずれをメイドインインドネシアで解決したいという。当たり前の依頼だ。

 

MM2100の出入り口に向かう途中に三社目がある。この会社、私がインドネシアに来て、二年目からのお付き合いで、この会社の押出製品は、全て、私が18年ほど前から順次立ち上げた。それを、今、私が指導した成形会社で作り続けている。今回、訪問したのはその会社が、技術的か、キャパか知らないが、依頼した製品を作ることができないと、断れたそうで、困った時の私に、ということで、新アイテムの図面を受け取りに行った次第、穴明などプレス加工が必要な製品だが、それは、やらないで、押出製品だけなら、引き受けると返事した。対応はインドネシア人パーチャシングだったが、私のインドネシア語は、インドネシア人と話をしているとしか思えない、と言っていた。私は、日本語上手ですねとインドネシア人に言われるよ、と、インドネシア語で答えた。

 

13、14,15時と分刻みの行動だった。三社とも約束通りの時間に入ることができた。

奥の奥 訪問 MM2100

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆種は尽きない

2016-08-10 22:45:30 | 思うこと

 2763 コンサルタントと話をする。私自身が労働基準監督署に行く必要はないという。もっとも、私が行ったところで、何もできないわけで、ただ、出来あがった書類にサインをするだけなら、何も、行く必要はない。それにしても、書類を書き換えて、或いは、新しく作って、費用はどれほど掛かるのでしょうか。全く、想像ができない。高いからやめるとう分けにもいかないことだから、どうなるのか分からない。見積もりを取るというものでもない。とにかく、お願いするしかない。

 

今日、新しい仕事の話が三社から入った。不思議な日である。私がインドネシアに戻るのを待っていたかのように、である。二社はMM2100、明日訪問する。もう一社はブキット インダー、金曜日に訪問する。四ラインが順調に稼働しているので、少し、余裕ができてきたところなのでタイミングは良い。どのくらいの量か分からないので、話を聞いてから、引き受けるかどうか、そして、どこの仕事を優先するか、を決めなければならない。日系の二社に、それらの話がきて、その二社の従業員の報告によると、いずれも、出来ないと、断ったとか。なるほど、その二社の日本人責任者では、出来そうもない製品ではある。私はこうして、新しい仕事を断らずに、何とかしましょうと、言ってしまうので、インドネシアから、いつまでたっても抜けられない。分かっているのに。

 

バイクとボックストラックの名義が前ダイレクター個人になっていて、会社の名義になっていないことを初めて知った。両方とも、頭金を会社が払って、残りのローンも月々会社が払っているが、名義は個人の所有になっている。経理の人間は、それを知っていた。どちらも、固定資産に載っていないのに、会社が払っている。妙な話だが、経理は、私に、その奇妙さを知らせないでいた。前ダイレクターが、昨日、バイクを返すと言わなければ、ずっと、知らないままだったでしょう。彼の所有になっているバイクを会社に返すという話、奇妙な事になっている。返すも返さないも、会社の物ではない。まったく、次から次へと、問題が出てくる。もう、無いでしょうねと、何度も、聞いたが、その都度、もうない、と言われていた。まだ、何かあるのかもしれない。

 

独立記念日17日が近い。道の両側には、赤白の旗や幟が現れている。間もなく、私のインドネシアの二十歳の誕生日が来る。

新製品 所有者 コンサルタント

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆何回目かの初日

2016-08-09 23:30:06 | 変!

 2762 出勤して直ぐに問題点をぶっつけられた。ディスナカル(労働基準監督署のようなもの)が、私の留守中に検査に来たそうで、問題は沢山指摘された。大きな問題の第一は、この会社、商社として申請してあったという。製造業ではないという。寝耳に水、会社の定款はどうなっているの、定款を提出してあるはずで、それが、商社と書いてあるという。滑稽である。8項目の改善や新規の書類を請求されたという。会社の設立時の定款についての、審査とOKが出るまで5年かかると脅かされたそうだ。今は商社になっているから、製造業に変えるには5年?冗談でしょう。それは、さておいて、とにかく、早く、問題点を消す作業に掛からなければならない。まった、初代のダイレクター、何を考えていたのでしょう二番目もだ。私も、オーディットがなければ、知らなかったことだ。

健康保険に私が加入していないということについては、初代にも二代目にも、伝えていた。義務だよと。労働協約の届け出についても、義務だよと、何度も、アドバイスしてあった。これについては。私が帰国する前にできていた、戻ったらすぐ、届け出をする段取りになっていた。

 

二代目ダイレクター、会社名義でモートルバイクを購入した。自分の趣味である、30ジュタもする、仕事で、客先に行くには、似合わないバイクを買ってしまった。月々、支払いを会社がしている。何か月か目に、彼に、会社の財産なんだから、あなたが、使っていないとき、会社の誰かが、そのバイクを仕事で使いたいときには、使えるようにしたら、と、話した。

そして、今日、このバイクのカギと車検カード(納税証明書)を私に受け取ってほしいという。自分はバイクを買ったから、いらなくなったという。普通の人間なら、変な話だと思うが、彼、全く、変だと思っていない。会社の財産のバイクを返したから、いいでしょ、っと、得意顔。私が、数か月前に話した後、誰にも貸していないし、貸してほしいと、言える従業員はいなかった。その、バイクは、彼の趣味で買ったもので、彼が、会社が必要だろうからとして買ったものではない。いわば、会社では必要としないバイクなのに、使わないようにするから返すという。それなら、そのバイクを自分が安く引き取ったらいいじゃないのと、誰もが思う。しかし、彼は、そう思わない。私は、開いた口が塞がらない。

 

コミサリスに、この青年、この会社にいることは間違いだから、そこか、彼に適した会社を紹介してやってほしい、ここにいたのでは、いつまでたっても、従業員が彼と話をするようには、ならないと、まったく、誰もが、彼を信用していない。

 

早速、朝の通勤状態の中、と、夕方、帰宅地中。渋滞の中、皆さんの服装を見てください、日本の真冬の寒冷地の服装ですね。だが、足だけは、靴下を履かないし、靴を履いている人は少ない。

呆れる 変 びっくり

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆また、インドネシア

2016-08-08 22:37:52 | 行動

 2761 6時、家から出発、8時10分頃、羽田に到着、早すぎ、余裕たっぷりというか、余裕が有り過ぎ。夏休み、日曜、静岡始発のこだまだったが、富士辺りで既に満席に近かった。空港も、相当な混雑になっていて、座って休もうと場所を探したがなかなか見つからず、出発ロビーのもっと上の階のそれも、外に出てやっと見つけたほどだった。家族連れ、日本人、孫とじいちゃんばあちゃん連れが多いような気がした。こういう風景を見ると、やはり、日本は豊かだと思う。

そして、ガルーダの乗客の大多数はインドネシア人、皆さん、沢山の大きな荷物を持っている。それらを、あまり問題なく預けている様子、明らかに、重量オーバーと思われる荷物も沢山ありそう。大丈夫なのが不思議だ。日本に来るインドネシア人はお金持ちだ。

 

昨日の今頃は、孫や妻と庭で花火をしていた。そして、今は、グラハ タマンの自室で一人、遅い夕飯を食べている。いったい、私は、何をしているのでしょうか。何者かと思う。明日から、会社で何が待っているでしょうか。不安である。いつも、思うが、日曜日到着は正解。とにかく、空港からチカランまでの渋滞が無い。今日は到着が、5時半ごろだったが、荷物の受け取りまで、50分以上かかった。多分、平均40分以上かかっていると思う。入国のスタンプを押してもらう行列が、今日の様子では30分以上かかっている。外へ出るまで1時間以上かかるのが普通。また、タクシー荷物チェック後、外に出たところのカウンターでタクシーを頼むと。メーターではないので、かなり吹っ掛けられる。なれない人にとっては簡単なので便利だと思うが、私は、そこを通過し、建て物の外に出てから、タクシー乗り場を探す。インドネシアに戻るたびに場所が変わっているような気がする。今日は、タクシー乗り場があって、そこで、行列ができていた。10人くらい並んでいたが、何台分かは分からない。ところが、私が行列の最後部に着くと、なぜか、かなり後ろにいるタクシー運転手が私を呼ぶ、そして、その行列を仕切っている係りの人間も、私に、そっちへ乗っていいよ、と、合図を送ってきた。待たずに乗れた。空港を出たのが6時半、そして、会社によって、車を受け取って家に着いたのが8時15分だった。早かった。タクシー料金は、ジャバベカ2まで、295000Rpでした。高速代が19000Rp。

 

羽田でバゲジは30kgという黄色い目立つ荷札を付けられた。そのうえ、ここが破れていますね、ここも、破れそうですね。と、言いながら、何やら、伝票を渡さて、ここに、サインをしてください、と言われた。自慢じゃないが、破損個所は言われた二か所だけではない。数カ所は破損している。破損の責任は航空会社ではないという誓約書みたいなものだった。

 

ちなみに私はガルーダシルバーなので合計45kgまで預けることができる。

 

インドネシアの荷物検査、全く問題なし、酒2L二本、米麹4KG、剪定鋏6丁、面取りバリ取り8個、丸テーパーゲージ、大小二本ずつ。プライヤーや精密組やすりやデジタルノギスなど、結構、値が張る工具などが入っている。白チョークでチェックがされていることを予想していたが、拍子抜けだった。

順調 日曜 バゲジ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆大浜プール

2016-08-07 23:17:21 | 生活

 2760 このプールはいつごろからあったのでしょうか。私が小学校の時には既にあった。偶に、友達から行ってきたという話を聞いた。それと、これも、行ったことがなかったが、初日の出を大浜海岸へ行ったという話も聞いた。私は、孫と行ったのが最初だから、子供のころの大浜プールを知らない。水泳は安倍川の安西橋近くと三番町小学校のプールという近場で十分だったし、初日の出は浅間さんに行っていたからだ。

そして、三年前から、孫と一緒に行きだした。海岸とは、隔離されているのが寂しいが、かなり、人気のプールになっているようで、この時期、駐車場を探すのも大変だ。かなり、離れた場所から歩くことになる。入場は無料だが、駐車料金が1000円、これが、入場料のようなもの。

私はプールにほとんど入らないで、ベンチに座っていたが、時々、居眠りをした。その居眠りが心地いい。何やら遠くから子供のはしゃぐ声、笑いこえ。そして、水の音が聞こえてくる。そして、それが聞こえなくなってきて、静寂になる。そして、多分、しばらくすると、監視員のメガホンからの声が聞こえて、ふと、我に返る。そして、それを繰り返したくて、また、目をつむる。

 

帰る途中、花火と私が明日持ってゆく、納豆と黒はんぺんを仕入れた。

この日は、それだけでは終わらない、長田体育館で新体操の練習があるという上の子を送り迎え、自転車で行けばいいが、おじいちゃんがいるのだから、送って行ってと言われ、しょうがないな、行ってやるよと、言った次第。

 

夜は花火大会、我が家の庭で、毎年、恒例の花火大会、最終日に実施した次第。

明日、早朝出発の準備ができた。

プール 花火 納豆

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆安売り子供服

2016-08-06 22:43:20 | 知識

 2759 孫の世話や一緒にいる時間は二日残すだけ、ということで、一緒に買い物に出かける。ホームセンターで、物干し台と散水ホースを皆のために買う。小さい金魚を買う。その後、子供服の安売り店で、ワンピースやスカートなどを買ってやる。彼女たち、学校の水着ではなく、自分の水着をほしいというので、静岡駅前のアピタ?まで、買いに行った。女の子の買い物、待ち時間が長すぎる、ああでもない、こうでもない、試着を繰り返す。おじいちゃん、待ちくたびれるが、付き合いだ。その後、本を買ってくれという。仕方がないから、すぐ隣の本屋へ、これが、また、選ぶといか、座り読みというか、なかなか、これと言わない。金を出して、我慢である。

 

本屋でふと、ホセ、ムヒカ大統領の本が目に入った。その本を開いて読んだわけではないが、ウルグアイの世界一貧乏な大統領と言われている人だとは、知っていた。

 

私はその本を見つけた時、私は外国で技術指導や経営指導をしている人たちの中で最貧の生活をしているかもしれないと思った。

 

小池さんがリオのオリンピック閉会式出席するために何人で、何日間行っているか知らないが、1000万円らしい。この金額は、本当にこれで収まるのか非常に疑問だが、ギリギリまで節約した予算らしい。舛添さんならいくら掛けたでしょうか。多分、人数もかなり多くして、数千万円以上は掛けたでしょう。

公務員の機外出張費用は私の想像をはるかに超えたものであることだけは知っている。そして、公共が仕切っている海外技術援助と言われているボランティアシステムの費用も民間から考えると優遇する予算になっているし、その機関の職員や関係者への金額も呆れるほどのお手盛りだと思う。

 

平均賃金を見れば、日本は依然として大金持ちの国ですね。借金が1000兆円を遥かに超えている国だとは、誰も意識していないでしょう。公務員の賃金や公務員に掛ける費用は、民間をかなり引き離して高額だと思う。公務員を半分にし、仕事や機構を民間に任せるなどという考えは、微塵もおきない。失業者、不定期雇用者を減らすには、素晴らしい方法だと思うが、公共というのはそういうものでしょうね。参議院の無駄な事、どんなメリットがあるのでしょうか。日本とは、そういう印象だ。

貧乏 金持ち 公務員

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆四回目

2016-08-05 21:15:28 | 知識

 2758 今回、日本での最終回、南部のOB会、牧が原茶畑の中になる。相良CC、ここも、山の中という感じで、上り下りや右往左往が多い。ラフが深い、真上から見ないとボールが見つからない。一度、見つけても、何か目印を置いておかないで、目を離すと、また、見失って、探さなければならないほどだ。

 

右肩と左脇したが痛む。右肩は50肩、左脇は首のヘルニヤからきているという。どちらも、普段、忘れていることが多いが、書き物をしているとき、マウスを動かいしているときや寝るとき右肩が下になるとき、深呼吸をしたとき、左脇が痛いと気づくくらい、酷く痛むというわけでもない。ゴルフをしているときも、ゴルフをしているから、その動きで痛むということもない。ただし、徐々にではあるが、痛みを感じる頻度が多くなっている気がする。

痛み止めの薬と膏薬を医者から処方されているが、飲んだり貼ったりすることを忘れているときが多い、だから、治らないのか、少しずつ痛む頻度が増しているにか、安静に近い状態にしていないから、そうなのか、分からないが、とにかく、生活で大きな障害になっている分けでもないので、真面目に直そうとしてもいない。成り行きに任せている。

何か、気になる痛みだが、深刻な病気からくる痛みではないと、勝手に思っていて、精密検査を受けようと思ってもいない。

 

日本での家族以外との付き合いは、今日で終わり。と、思っていたら、新たな用事を頼まれた。孫会社から、有る客先から、新しい図面が入っていて、それをできるかどうか返事をしなければならないので、私にアドバイスを求めてきた。何やら、私が扱ったことが樹脂での話だ。それも、初めて聞いた樹脂名だ。共重合樹脂は明らかだが,どんな特徴があるのか全く分からない。先日の軟質アクリルと同じように、なぜ、その樹脂でも製品を求められるのか、分からない。何も、そんな、私が聞いたことがない樹脂で作らなくても、昔からある樹脂で作って何が都合が悪いのかも、分からない。何か、日本では、些細な改良とか改質をして、売り込みの材料にしているような気がする。何も、その樹脂でなくてもいいじゃないの、と思う。

 

共重合樹脂やアロイは、樹脂の配合比率で無限大にできるのだから、知らないことを気にする必要はないし、知っても、仕方がないような気もする。

 

とにかく、安くできる方法を提案しようと思う。

最終 痛み 共重合樹脂

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆突然の訪問

2016-08-04 22:36:49 | 

 2757 昨日、出来なかった墓参りを実行した。インドネシアから持ってきたアラックバリやアラックアングレック ワインを渡すために、沼津ではなく清水町の会計事務所に行ってきた。私が独立する前にアルバイトのように夜勤専門で努めていた富士プラ精工で経理をしていた7歳年下の好青年で、経理の勉強をしつつ、税理士試験を受けていた。その後、私が独立した時に、ほとんど同時に、そこを止めて、会計事務所に勤めながらの試験を受けるようになった。まだ、資格を持っていなかったが、その勉強に材料の一つとして、私の会社の税務申告をしていた。実際には資料を作って、その経理会社の資格を持っている人に提出してくれていた。

その内、全ての科目のテストを通過し、税理士として、独立をした。私の会社の経理は彼が、面倒を見てくれている。今でも、太田化工の経理は彼が見ている。先日は、窓会社のような会社のことを書いたが、子供会社のような、沼津の“セピック“の社長とは、中学を同級生だ。40年以上の付き合いだ。

 

彼はアルコール類が大好きということを知っていて、15年ほど前に、インドネシアから持ってきたアラックバリを彼に渡そうと、自宅を訪問したが、家の前で、ビンを落として割ってしまい、家の前の地面に沁み込ませてしまった。匂いだけしか渡せなかったことを、私は、悔やんでいた。そして、そのことを忘れることはなかった。今日、この酒をやっと、ちゃんと、届けた。彼も、しっかり、そのことを覚えていて、その時は、かなり、ガッカリ、ショックだったと言っていた。

 

その彼ももう65歳、後継者の問題を抱えている様子。セピックの後継者の問題と併せて、そろそろ、真剣に考えなければならないという話だった。その点、私は、さっさと、譲ってしまってうまくやったなと思っている。

 

東名を使って行ったが、なぜかというと、途中、墓参りをするためだった。富士川楽座に駐車し、歩いて、外に出て、墓参りをした。ETCの出入り口の直ぐわきに、歩行者出入り口がある。歩きで10分、私たちの墓につく、お盆の墓参りとした。昨日もそうだったが、いつもは、この道、車でスーと通ってしまったが、今日は歩き、びっくり、太田石材店の工場が道の脇にあった。立ち寄ってみた。お孫さんがいて、私の対応をしてくれた。彼は、びっくりしたと思う、私も彼もお互いのことは知らない。自己紹介から説明した。10歳年上のいとこの会社だが、今は、勿論、家でくつろいでいるはずだという。よろしく、伝えてちょうだいということで、離れた。歩行者出入り口の直ぐそばだった。

 

清水町からの帰りは、非常に久しぶりに、千本松原の一号線を使った。富士市からバイパスに入った。日本の高速道代は高すぎる。静岡沼津千何百円、インドネシアならこの距離、300円以下だ。そこで、帰りは一般道を使った。

 

北海道から、全員帰ってきた。孫、一人は高熱ですぐ寝込んでしまった。もう一人も、鼻血が何回も出たと言いながら、会話をほとんどせずに寝てしまった。

中身の濃い一日でした。

会計事務所 後継者 墓参り

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆三回目

2016-08-03 21:08:19 | ゴルフ

 2756 今回、日本で三回目のゴルフ。大雨注意報が出ている中、半信半疑で富士川町のリバー富士ゴルフへ行った。9時スタート、7時前には出発、ちょっと、ルートを間違えた。何も考えずに、なんとなく,東名で、と思い込んでしまっていた。本当は、一旦西に向かって、バイパスで行けばよかったのだが、南から東へ向かってしまった。すぐ気が付いたが、遅かった。バイパスに入らなければならない、さあどこからと考えた。南幹線と途中で北に曲がって、行くしかない。そして、清水市街に入る前にバイパスに向かって入った。楚々て、入ったとたんに、渋滞になっていた。8時15分前。ここから、1時間で、到着できる場所で状況ではなさそうだ。もしかしたら、到着が遅れるかもしれない、遅れなくても、ぎりぎりになると思った。

 

富士川橋のずっと手前からも渋滞で、墓参りどころではなく、富士川楽座を通過したのが8時40分、ゴルフ場に着いたのが、9時10分前でした。幸いにも、かなり、混んでいて、スタート時間が少しずつ遅れていたようで、結局、十分、間に合って、9時10分スタートだった。メンバーは三人、天候はうす曇り、来る途中、富士山はほとんど見えず、到着ちょっと前に、やっと、ちょっと姿を現した。そして、スタートして10分くらいで隠れてしまった。このコースの、あちこちから、富士山を望むことができるはず、それを楽しみにしていたが、最後まで姿を現さなかった・このゴルフ場、富士山が見えなければ、何の特徴もない、只の山岳コースに過ぎない。楚々て、只の山岳コースのままだった。

 

日本でゴルフをすると、オリンピックはいただくことが多い、それも、一点100円なので、インドネシアの5倍以上、食事代は高いが、その費用くらいは出せる。今日もその通りだった。日本では、ハーフの後、必ずと言っていいほど、食事をしなければならない。一時間弱後のスタート時間を言われる。結局、終わったのが、14時半過ぎ、墓参りや沼津行きは明日にし、帰途についた。

 

平日の、中途半端に遅いスタートの場合、ゴルフ場までの所要時間は、渋滞を考えて、早めに出なければならないと、思った。ほとんど、そういう機会はないと思うが。

今回は往復の時間が三時間近く掛かってしまった。

 

ここはどこでしょうか、草薙競技場脇を通るところ。

 

私の故郷の家付近、旧国道を富士市で向かい富士川は個々の右側、ゴルフ場は真っ直ぐ、沿いて、この左側が太田石材店、今は、いとこの子供が継いでいる。子供のころ、夏休みには必ず一週間ほどこの家に泊まって、この辺りで、いとこと一緒に、遊んでいた。明日また、この辺りに来る予定だ。

 

スタート前、パット練習場の向こうに富士山、直ぐ、見えなくなってしまった。

故郷 ゴルフ 所要時間

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆孫会社

2016-08-02 22:34:27 | 押出成形

 2755 もう一週間を切った。静岡インター近くの孫会社へ行ってきた。開業三年目を迎えている。私の子供の歳だ。そして、彼の父親は、私と同じ年、脳梗塞で倒れ、今は命に別状はないし、見かけは普通に戻っているが、歩行は困難らしいし、言葉も不自由らしい。らしいというのは、そのお父さん、会社で仕事をしている。スパイラルチューブの生産ラインの最後の処、スパイラルカッターからスパイラルチューブが垂れて落ちてくるところに座り込んで、箱の中にとぐろ巻状態にしている。私が現場を見に行った時にやっていて、一時間ほど、医務所内で話したのち、買えりがけに挨拶をしたが、その姿勢は全く最初と変わっていないし、あいさつした時、私に方を見てくれるが、言葉は発してもらえなかった。

 

装置の一部は、私がインドネシアで作ってやって、日本に輸出したものを使っている。現在は二ラインになっている。開発新製品をいくつか作って、県だか市から、開発費の援助を受けているらしい、公共の工業試験所や技術研究所から仕事の紹介もあるらしい。良くやっていると思う。沼津の子会社が経営を止めたいと言っている状態で、新製品などと言った状態ではないし、太田化工自体も、新アイディアを自ら製品化しようという意欲はないようななおで、今のところ、この会社が、有望だと思っている。だから、私からのアドバイスにも力が入る。

 

PMMA(アクリル)の柔らかい樹脂、これについては、明らかに私は浦島太郎状態だったようだ。今日、その試作品を見せられながら、軟質アクリルのプロファイルの製造方法に着いて聞かれた。聞かれても、全く、その樹脂の存在を知らなかったのだから、先ず、データーシートを見せてもらった。そして、分かったことは、軟質PVCと似ていると分かった。製造が簡単だよ、価格は、1Kg、500円以上するという。高い!! 硬度が近い軟質塩ビで先ず。トライをしなさい。簡単だと分かる。サイジングはいらない、引き落としはほとんどないメルティングダイから出てくる樹脂そのものの形状でできるから、寸法のバランスが悪ければ、メルチングダイを修正するしかない、と、教えてやった。彼は、ソフトPVCを今まで扱ったことがない、太田化工でも軟質塩ビは扱っていないし、私自身が、塩ビ全般についての仕事は断っていたからだ。誰でもできる簡単の仕事は価格競争だけの話なので、今でも、その考えは変わっていない。頼まれて、インドネシアで何点かやっているが、価格の競争に参加するつもりはない。

 

ということで、その他にも、押出成形に関して、日本にもいろいろな新しい仕事はあるようだ。日本帰ってきてしまっても、私がやってやらなければならないという仕事はあると思った。ここでも、太田さん、いつまでインドネシアにいるの?と、言われた。

 

丸子のメインストリート。KOBANがる。スーパーがある。銀行もバスターミナルもある。

孫会社 S-PMMA S-PVC

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする