さらば夏の光よ!
という小説がある。
狐狸庵先生の呼称を持つ遠藤周作の作品である。
遠藤は11歳でカトリックの洗礼を受ける。
慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究した。
のである。
「さらば夏の光よ!」は仲の良い二人の少年と彼らが愛した少女をめぐって、青春の苦さを描いた小説である。
この小説は甘酸っぱい読後感をくれる。
「沈黙」あるいは遺作とも言うべき「深い河」は、読む者に深く、熱い印象を与える大作である。
キリストの愛とも真っ向から向き合っており、深い吐息をつかずにはいられない。
そして、自分が一段深くなれる小説でもある。
ぼくは「深い河」を数度読み返した。
読み返すたびに新鮮な感動に包まれたものである。
ぼくは今日、夏の光に別れを言おう。
さらば夏の光
~あなたへ捧げる~
夏の光がぼくの記憶から遠のいていく
さらば!
とも言わせずにだ
夏の光がぼくの掌から漏れようとしている
では!
とも言わせずにだ
夏の光はぼくの中に入り込み
ぼくのこころを鷲づかみにして
自分勝手に去ろうとしていく
ぼくは何の了解もしていないというのに
ぼくのこころをこぼれ落としていくかのように
夏の光はいまギラギラしてはいない
してはいないけれど
ぼくの中で燦々と輝きつづけている
夏の日差しの中で
密やかに交わしたベーゼの
驚きに満ちた甘さ
記憶が痺れるように揺れた記憶の刻印
せめて言わせてくれないか
さらば夏の光よ
と
そして新たな秋の木漏れ日の中で
ぼくは出会うのだ
すばらしく健康で
夏の光にも負けないあなたの瞳と
たおやかな視線
そして耳にささやくようなトレモロに
ぼくは秋の日差しの中で
ただひたすら
あなたを思い続けるのだ
ぼくは
チラチラと揺れ続ける葉陰の揺り椅子
に身をゆだねる
それが運命であったかのように
ぼくは問おう
そこにあなたはいてくれるのか
と
夏の光が去って
ぼくは
いま秋の叙情に染まっていくのだ
さらば・・・夏の光よ。
秋の木漏れ日が、ぼくの目の前にチラついている。
木漏れ日は、逃してはならない。
しっかりと記憶の中に捉えるのである。
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荒野人
という小説がある。
狐狸庵先生の呼称を持つ遠藤周作の作品である。
遠藤は11歳でカトリックの洗礼を受ける。
慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究した。
のである。
「さらば夏の光よ!」は仲の良い二人の少年と彼らが愛した少女をめぐって、青春の苦さを描いた小説である。
この小説は甘酸っぱい読後感をくれる。
「沈黙」あるいは遺作とも言うべき「深い河」は、読む者に深く、熱い印象を与える大作である。
キリストの愛とも真っ向から向き合っており、深い吐息をつかずにはいられない。
そして、自分が一段深くなれる小説でもある。
ぼくは「深い河」を数度読み返した。
読み返すたびに新鮮な感動に包まれたものである。
ぼくは今日、夏の光に別れを言おう。
さらば夏の光
~あなたへ捧げる~
夏の光がぼくの記憶から遠のいていく
さらば!
とも言わせずにだ
夏の光がぼくの掌から漏れようとしている
では!
とも言わせずにだ
夏の光はぼくの中に入り込み
ぼくのこころを鷲づかみにして
自分勝手に去ろうとしていく
ぼくは何の了解もしていないというのに
ぼくのこころをこぼれ落としていくかのように
夏の光はいまギラギラしてはいない
してはいないけれど
ぼくの中で燦々と輝きつづけている
夏の日差しの中で
密やかに交わしたベーゼの
驚きに満ちた甘さ
記憶が痺れるように揺れた記憶の刻印
せめて言わせてくれないか
さらば夏の光よ
と
そして新たな秋の木漏れ日の中で
ぼくは出会うのだ
すばらしく健康で
夏の光にも負けないあなたの瞳と
たおやかな視線
そして耳にささやくようなトレモロに
ぼくは秋の日差しの中で
ただひたすら
あなたを思い続けるのだ
ぼくは
チラチラと揺れ続ける葉陰の揺り椅子
に身をゆだねる
それが運命であったかのように
ぼくは問おう
そこにあなたはいてくれるのか
と
夏の光が去って
ぼくは
いま秋の叙情に染まっていくのだ
さらば・・・夏の光よ。
秋の木漏れ日が、ぼくの目の前にチラついている。
木漏れ日は、逃してはならない。
しっかりと記憶の中に捉えるのである。
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