エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

いつものユリの木

2015年07月04日 | ポエム
ぼくの思索を重ねるユリの木である。
様々な発想を頂ける。

この木は、ぼくの定点観測の聖木である。
愛おしくもあり、誇らしくもある。







「樹下に在る思索の果の道教え」







この樹の下のベンチに座っていると、来し方行く末を思う。
通り過ぎる人の群れは、時に忙しく時に穏やかである。
若き母親も居れば、老いた夫婦もいる。

ユリの木は、そうした人々をずっと見守ってきたのだ。
ぼくが聖なる木だと思うのは、そうだからである。

樹齢は、屋久杉には追っ付かないけれど少なくともぼくよりは高齢である。
木の高さ、枝振りでそれと知れる。



夏木立を従えた勇姿にぼくは、いつも胸がときめく。
鯉しているのかもしれない。

この稿は、R・ストラウスの交響詩ドンキホーテを聴きながら書いている。
正しく、来し方行く末を観がさせられる一曲である。



     荒 野人