エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

山梨県・新府の桃畑

2011年08月26日 | グルメ
新府の桃畑である。
韮崎の手前に位置する丘陵地帯である。



いま山梨では桃の出荷が最盛期である。
一宮の桃が知られているけれど、新府の桃もまた美味しいのだ。



一宮の桃は、丘陵全体を埋め尽くしている。
花の時期は、あたかも桃源郷の趣である。



だがしかし、ここ新府もまた山の斜面を桃畑が埋め尽くしている。
我が家では「水蜜桃」の柔らかくデリケートな甘さでなく、硬くシャリシャリとした噛みごたえのある、ほのかに甘い桃が好物である。



ここ新府の桃はそうした種が多い・・・かもしれない。
虫よけの白い袋をかけられ、しかもあまり日に焼けないような配慮が施されている。



加えて、木の下には銀色のシートが敷かれている。
満遍なく太陽の恵みを吸収できるように・・・との工夫である。

かくて、新府の桃は甘く熟成するのである。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

観音像・・・祈る

2011年08月25日 | 日記
信玄の棒道を引き続き歩く。
石仏を愛でながらである。



林の緑に包まれて鎮座する。
この石仏には、何が祈願されたのだろうか。

時代の末期、あるいは一つの時代が終わろうとする時代の踊り場にあるとき、人は神仏に依拠しようとするのである。



少し斜に建っている。
だがしかし、時間という接着剤が立ち一を明確にしている。
倒れないのである。



坂本藤右エ門と読める。
豪商でもあろうか。

誇らしげに刻まれている。

棒道を帰途に着き、塀の上に石仏が数体あるのに気づいた。



向こうの建屋は寺院の居住空間である。



石仏の上部が安置されているのである。



何か不可抗力だったのだろうか。
スパッと上部が切られている。
悲しい姿である。



そうそう、この破壊された石仏のある手前の別荘地で、こんな木の細工を見つけた。
トトロである。



それに、脇役の木霊が二体。



誰かのアトリエでもあろうか?
実に存在感のある木彫である。

それに、この林はトトロが棲んでいても可笑しくは無いのである。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

デジブック 『縄文のヴィーナス』

2011年08月24日 | 遺跡
国宝「縄文のヴィーナス」は、人の本能を表現しているのである。
女性こそが太陽であって、次の世代を生み育てる力の根源なのである。



妊娠した女性である。
夢と希望に満ちた姿となっている。




デジブック 『縄文のヴィーナス』







後ろ姿のフォルムも簡潔で美しい。
この曲線こそが「女」の究極の美であると主張しているのである。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

縄文のヴィーナスへ捧ぐ

2011年08月24日 | ポエム
縄文の時代から今日に至るまで、女性は常に太陽であった。
久しぶりに縄文のヴィーナスに会いに行った。






        縄文のヴィーナスへ


      生きものの気配が鼻を撃った
      と
      思いたまえ

      それは草いきれであったり
      男と女の営みの残滓だったりするけれど
      間違いなく深い暗闇から
      音叉のように縄文の響きが轟いているのだ

      かわらけのかけらを草の中から
      指を使って明るみに出すと
      共鳴するように震え
      音叉のように一定のリズムを
      刻んだ
      と
      思いたまえ

      それは尖り石の先端から発し
      女の豊かな肉置に結ばれるのだ
      その共鳴は
      時代の相克を顕在化するのであって
      時代の背景を映し出すのではないのだ

      草いきれが
      男と女を蹲らせ
      欲情させ
      交接させ
      深く深く吐息を吐かせるのだ

      その女は
      腰部といい太腿といい
      二の腕といい
      乳房といい
      男の脳髄を直撃して怒張させる

      その女は
      縄文のヴィーナスと呼ばれた

      男はその女に
      神を見て畏怖するのだ
      女は永遠の神であって
      その安らかな時も
      戦の艶めかしい時も
      女は
      男を鼓舞し続けた

      その女は
      縄文のヴィーナスと呼ばれた

      その女と相対していると
      生きものの気配がぼくの鼻を撃ったのだ
      深い暗闇の底から湧きあがるかのように






デフォルメされた臀部である。
シャープでかえって艶めかしいではないか。

目が吊りあがっているけれど、口はおちょぼで可愛い。
全体としてのイメージは、コケテッシュである。



このヴィーナスの棲家はこんな狭さであったのだろうか。
真中に切ってある炉を囲んで、男と女は酒を酌み交わしただろうか?



女は、大きな器から木の実を取りだし、齧っただろうか?
捨て置けない女である。







にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人








観音像・・・その祈り

2011年08月23日 | 日記
江戸時代の末期というから、前世を回顧する心や来世を希求する心が溢れた時代だったのだろうか。
時代の根幹たる「士農工商」が崩れ、商がより実質的な力を持った逆転の時代だったのだろうと推測できる。

だがしかし、商が形式として士分をネグレクトすることは出来ず、余った金銭的処理の手段として石像を奉ったのであろう。
とまれ、江戸時代末期1丁(109m)おきに30数基の観音像(石仏)が置かれたため、この棒道が現在に残されているのである。



小淵沢のウォーキング・マップに基づいて「信玄の棒道」を歩いたのであった。
ここは、湧水と棒道への分岐点である。

観音像の右側を選べば棒道である。
左は湧水へと辿り着く。

小淵沢は湧水が至る所にあって、水の故郷である。



この石仏(以下石仏)は半跏思惟像である。
羽衣をかけておられる。

30数基の石仏はそれぞれ違う観音様である。



棒道を歩きはじめるのだけれど、最初は人の生活圏である。
後ろには、畑があってネギ畑があった。
左のネット内にはブルーベリーの幼木である。



誰が積んだのか、小石が数個お供えしてあった。
願い事でもあったのであろうか。



途中の公園の一角にも石仏である。
この石仏は比較的大きい。



この公園を過ぎると、林の中となる。
ただし、所々には別荘があって、まだまだ人の気配が漂っているのである。

この石仏の右側の奥には、別荘がチラチラ見える。
この場所から数分歩くと、全くの山道となる。

いよいよ棒道の本番である。



合掌する千手観音様である。
続きは、明日改めて拝観としたいのである。

昨日、今日と寒いくらいの気候である。
雨がそぼ降っている。

まだ秋には早い。
石仏に手を合わせて、気候の正常化を祈念したのであった。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人