エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ギボウシ物語

2011年08月22日 | 
ギボウシである。
漢字では「擬宝珠」と書く。



この蕾を追ってみようと思ったのである。
ユリ科の多年草で、ギボウシ属(Hosta)の総称である。



実に味わいのある花である。
下から咲いていく、花序である。



山間の湿地などに自生し、また花が美しく日陰でもよく育つため栽培される。
比較的大きな木の下の葉影などでも咲いてくれるのである。

我が八ヶ岳の麓の茅屋では、大きなドウダンツツジの木の下で咲いている。



少しずつ咲いてくれるのである。



今度は蕊をアップしてお見せしよう。



雄蕊、雌蕊だけ見せる。



こんな感じはどうだろうか?



花粉を運ぶハチや蝶を誘う妖しさがある。



直ぐ横の物干しの金属に、秋アカネが止まっている。
もう秋なのである。



トンボは生きる限り秋を謳歌するのである。
その健気さが好きである。



八ヶ岳を引き払う前の日、雨が降った。



ギボウシが濡れていた。



しっとりとした一日である。
何をするともなく、一日を送った。



最初の日に比べれば、ここまで花が咲いているのである。
毎日、毎朝この花と付き合った。

花言葉は、
「落ち着き」
「沈静」
「静かな人」である。

この花とは、離れ難くもあるけれど明日は東京である。




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 荒野人

デジブック 『安曇野わさび田』

2011年08月21日 | ドライブ
安曇野は、道祖神の溢れる地域である。
それも優しい石仏である。



例外なく、男女が仲睦まじく刻まれているのである。

あるいは手を握りあい。
あるいは見つめあい、といった風情である。



デジブック 『安曇野わさび田』




山葵は、清冽な湧水を好むのである。
加えて、砂礫に根を張る。

水の透明な養分のみを吸収する、といった感じだろうか。
だからこそ、あの辛さが育くまれるのであろうと納得できる環境で育っているのである。



澄みきった凛冽な水の流れに浸っていただけると嬉しい。





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 荒野人

信玄の棒道・・・その2

2011年08月20日 | 遺跡
信玄の棒道をさらに歩いた。
今度は、山を貫く棒道である。



改めて言う。
北信濃攻略を進めるため、軍団を速やかに送る軍用道路として信玄が造った道である。

山中の棒道は、石がごろごろしているのである。



八ヶ岳の西麓をほぼ真っ直ぐに通っている。

「甲斐国史」「甲斐叢史」によると、棒道は上中下と三本が造営されていた。
現在残っているのは、上の棒道である。
穴山から若神子新町、渋沢、小荒間を経て、富士見町を通り、大門峠に出て長野盆地へと至るのである。

この道が実際に侵攻のため使われたかは定かではないのである。
だがしかし、武田の最強軍団がここを行軍したことに異議を差し挟まない。



いまこうして棒道を歩くことは楽しい。
歴史を横に置いても愉快である。

甲冑の触れ合う音。
激しい息遣い。
兵たちの熱情。
旗差し物が立てる風の音。
叱咤激励する馬上の武将。
夜ともなれば煌々と燃える松明。



山道では、雨が降れば水が流れ落ち、行軍する兵達の足を掬ったであろう。
そんな時代を思い起こされる棒道である。

江戸時代末期、1丁(109m)おきに30数基の観音像(石仏)が置かれたため、この棒道が現在に残されているのである。






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 荒野人

信玄の棒道

2011年08月19日 | 遺跡
信玄は山梨の英雄である。
「戦国最後の武将」と称される。

この冠が、評価されてのものか、あるいは揶揄されているのか定かではないけれど・・・ぼくは美しいものと捉えている。



信玄の棒道は、武田信玄が北信濃攻略のために作った古道、軍用道路である。
上中下と三本の棒道があったとされている。



現在確認されるのは、一本だけである。



棒道は、基本的にまっすぐに造営されている。
山道である小淵沢から富士見市あたりでは微妙にカーブしている場所もあり、結構細い。



だがしかし、山を縫って通る道はロマンに溢れている。



現在では、その道を物見遊山の人々が踏み固めている。
かつては馬や雑兵が犇(ひし)めいて北信濃を目指した道である。



いまぼくは往時の馬の嘶(いなな)く声や、甲冑の金属音、さらには号令の大音声を聞きながら古道を歩いている。



この道には、武田騎馬軍団の息吹が満ちている。
後顧の憂いを無くし、京を目指しながらも上洛を果たせなかった武田の怨念も垣間見えるのである。

ぼくもまた、武田軍団の末裔である。
甲斐源氏の誇りを胸に畳みこんでいる。



棒道の看板にトンボが停まっていた。
とまれ戦国の時代に回帰できる道は、この信玄の棒道くらいのものである。



棒道の通っている道は、静謐の中にある。







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 荒野人

爽やかな空間・・・木漏れ日を浴びて

2011年08月18日 | ポエム
爽やかな空間である。
ぼくは木漏れ日を浴びながら、林の中を歩いた。

夏。
この林を過ぎると、日差しはまだ厳しい。






        木漏れ日を浴びて


      チラチラと揺れてその日差しが足元に落ちる
      木漏れ日の午後のことである
      その空間は限りあるのかどうか
      ぼくには分からないけれど
      だがしかし
      爽やかな空間が限りなく広がるのだと
      ぼくは
      きみの指に触れたとき信じられたのだ
      木漏れ日はきみを変えてしまった
      あのときあの時間を共有したというのにだ

      木漏れ日は揺れながら枯葉の褥に舞い降りる
      舞い降りて
      静かに沈黙の彼方へと翔け上った
      その場所は
      おそらく天の端し
      ギリシャ神話の古里であるに違いなく
      きみはフローラの化身であったと
      ぼくはいま
      突きつけられたのだ
      その会釈のない鋭さは
      ぼくを絶望と希望の綯い交ぜになった
      踊り場に立ち尽くさせ
      激しく
      時間の織りなす経験の強さを知るのだ

      ぼくはいま
      爽やかでいて残酷な木漏れ日の中を歩いている






ここは八ヶ岳のふもとである。
「八ヶ岳倶楽部」の林である。



あの柳生 博氏の作り上げた空間である。
林全体に枕木が敷設され、歩きやすい空間になっている。

植生は複雑で、自然のままに逞しく放置されている。



それが良い。
柳生氏の努力に敬服する場所である。

八ヶ岳の空気は清浄であって、透明だからこそ実現したのかもしれない。





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 荒野人