エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

諏訪湖物語

2011年08月06日 | 旅行
諏訪湖は豊かな山水の只中にある。



まずは中央高速の下り線のPAからの諏訪湖である。

長野県中部の諏訪盆地に位置する、糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)である。また糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する地でもある。



このPAには、上下線とも温泉施設がある。



下りでは、この藤棚も有名である。
この藤棚から諏訪湖を見下ろすと、上り線のPAが見える。



かつては毎年のように分厚い氷が湖面をおおい、湖面ではワカサギの穴釣りをはじめ、アイススケートなども行われていたが、近年は全面氷結の頻度が減少している。
氷も薄くなっており、スケートなどを行うのは危険である。



下り線から眺める諏訪湖である。

冬、当然ながら諏訪湖は氷結する。
氷は、膨張した後に気温が下がると収縮する為、気温が下がる夜中に氷が収縮、亀裂が入る。
その亀裂の隙間に水が入り、薄い氷ができる。日中、気温が上がると氷は膨張する為、両側から圧力がかかって薄い氷が割れ、せりあがる。
これが繰り返され、御神渡り(おみわたり)になるのである。

しかし近年は、御神渡り(おみわたり)が確認できなくなってしまった。
やはり温暖化が原因であろうか。



これは上り線のPAからの諏訪湖である。

諏訪湖周辺では諏訪神社が有名である。
奇祭とも言える「諏訪大社の祭祀「御柱祭」の木落としは勇壮である。

けれど、諏訪湖には戦国時代のロマンが沈んでもいる。

諏訪湖には古くから戦国最後の武将と言われた「武田信玄の水中墓伝説」があるのである。
武田信玄が死に際して「自分の死を三年間秘密にせよ。遺骸は甲冑を着せて諏訪湖に沈めよ」と遺言したという説が広く流布されており、『甲陽軍鑑』にも同様の記述があるのだ。

諏訪氏を滅ぼし、信州一帯を支配下に置いた信玄ならではの伝記である。

諏訪湖はまた、古今から芸術の素材とされた。



とりわけ浮世絵の世界では何回か描かれたのである。
この浮世絵は、葛飾北斎 富嶽三十六景 信州諏訪湖である。



これは、葛飾北斎 景勝奇覧 信州諏訪湖である。



しかしいまでは、こうした標識もある。
「恋人の聖地」だそうである。

ブライダルファッション・デザイナーの桂 由美さんが建てたものだ。
ふーん、そっか!
若い恋人たちが記念の写真を撮っていた。

間もなく諏訪湖の花火大会だ。





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 荒野人

デジブック 『井戸尻遺跡と大賀ハス』

2011年08月05日 | ポエム
井戸尻遺跡には、蓮池が幾つかあって、大賀ハス、行田古代ハスなどの縄文時代の種子から開花した蓮が永遠の時間を刻んでいるのである。



幽かなピンク色がぼくたちを古代に誘う。




デジブック 『井戸尻遺跡と大賀ハス』





ゆっくりと古代ハスを楽しんで頂ければ幸いである。



蓮の芯に住みついてしまったら、可笑しい人生だっただろうか。



でも石を運ばなくてはいけない。
考えるだに、それはかなり辛い作業である。





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 荒野人

八ヶ岳の茅屋にて・・・スグリを摘む

2011年08月05日 | 日記
八ヶ岳の麓の茅屋で、畑の隅でスグリが色づいたのである。



それほど甘くはないのだけれど、結構食べられる。
だがしかし、我が家では焼酎漬けにして楽しむのである。



摘果第一陣。



知り合いに聞くとジャムにするのだとか・・・。
でも我が家では果実酒にするのである。

おそらくこのスグリは「グーズベリー」である。

花言葉は、
「私はあなたを喜ばせる」
「予想」とある。
けれど、もう一つの花言葉は、
「あなたに嫌われたら私は死にます」である。

情熱的な言葉と決意である。



いま近くの富士見高原では、百合の花が満開である。



緑の囲いに包まれて華やかに咲いている。
八ヶ岳の茅屋は、華やかであるのだ。



桔梗もその一つである。

花言葉は、
「やさしい愛情」
「誠実、従順」
「変わらぬ愛、変わらぬ心」
「清楚、気品、正義」
である。



紫式部の花も咲いている。
これが秋には紫の玉になるのだ。

花言葉は、
「愛され上手」
「上品」
「聡明」
である。

こう表現できる女性を愛してみたいものである。




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 荒野人

散歩道

2011年08月04日 | 日記
ぼくの散歩道を紹介しよう。
道すがらの風景である。



秋には金色に黄葉する銀杏並木である。
ここに、小柄なヴァイオリン弾きがが現れる。

エルガーの「愛の挨拶」などを弾く。
その音は銀杏並木にスッと吸いこまれるようで、耳に心地よいのである。

ぼくはベンチに腰かけて聴く。



少し進むと、木漏れ日を楽しめる場所がある。
若いカップルは、ここにビニール・シートを敷いて寝転んでいる。



原っぱは昆虫たちの天国でもある。
人も、小昆虫たちも気持良さそうである。

こうした自然が残されているのは人々の努力の賜物でもあろう。



さて今咲いている花たちは・・・。
嚆矢とするのは、やはり向日葵であろう。



最近、都会の向日葵は「おひさま」を向いて咲かない。
うなだれて咲く花すらあるのである。



芙蓉の花である。
中国では、芙蓉と言えば蓮であるけれど・・・。
日本では酔芙蓉は木の花である。

謝普監督の映画「芙蓉鎮」が思い起こされてならない。
文化大革命で引きはなされた夫婦の愛の履歴が、蓮池の花と共に描かれている。
素晴らしい映画である。



これはカンナ。
花ミョウガにも似て清楚に咲いている。
華やかさに欠けるけれど、芳香を持っている。



ムクゲである。
お隣の韓国の国花であると前に書いた。

だがしかし、ウルルン島を巡る動向や、竹島問題はぼくの胸を痛める。
親韓のぼくとしては、最近の韓国の動きは許容できかねるのである。

だがしかし、花には責任は無い。



デイゴカズラである。
垣根に咲く。



百日紅の花は、赤を基調としてピンクから白へと様々な色彩を持っている。
木によって色が違う。



紫式部の花。
秋の準備が進行している自然の世界である。

我が散歩道は四季折々に楽しい。
そして、何事かを考えさせるのである。




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 荒野人

セミが鳴いた・・・うれしい

2011年08月03日 | 日記
今、車軸を流すような雨が降っている。
スコールである。

午前中の曇天と蒸し暑さは無くなって涼しさが増している空気である。

午前中、散歩していたのである。
少し深い林の向こうでセミが鳴いてくれた。



うれしい。
上を見上げてセミを探して歩いた。
すると向こうの人も、黙ったまま上を見上げている。

だがしかしセミは見つけられなかった。
帰路、セミが死んでいた。



彼は十分に鳴いたのであろうか。
心配になってしまった。



横断歩道の脇の木陰にセミの抜け殻があった。
この抜け殻の主は鳴いているだろうか?

そうであってほしい。
いつもの散歩道の、短いドラマである。



そこらじゅうで「ヘクソカズラ」が咲いている。
花を摘んで、指先で潰してみると良い。

すさまじい臭さである。
「屁糞かずら」のネーミングに納得である。



朝顔のラッパの中で、ハチが蜜を吸っている。
そう・・・確かに甘いのである。

子どもの頃、花を摘んでチュウチュウ吸ったことを思い出した。
忘れていたことなどを思い出す時間が多くなった。

確実に、ぼくの生きる時間が短くなって来ている。
死に急ぐ事も無いけれど、生きのびることに拘(こだわ)ることもないのである。





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 荒野人