エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

昨日は立秋、今日はナガサキ原爆の日

2011年08月09日 | 日記
昨日は立秋であった。



しかし・・・秋風は立たなかった。
むしろ酷暑が戻ってきた。

暦の上では、今日からは「残暑」なのであるけれど「猛暑の只中にぼくたちは入った」のである。
昨日も、熱帯であるかのようにスコール(マスコミはゲリラ豪雨という)があった。



雨の後、涼しくならないし、むしろ蒸し暑くなった。



夏の雲はあくまでも天を覆った。
雲にさえ、目があって下界の苦しみを覗いているのである。



セミがアスファルトに落ち、ジタバタしている。
焼け落ちてしまったかのようにジタバタとする。

名実ともに立秋であってほしい。



さて、今日は「ナガサキの日」である。
あの日から66年目の夏である。



プルトニューム型爆弾の投下は、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分である。
この場所は浦上天主堂付近である。

この原爆によって、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。

毎年、経巡(へめぐ)ってくるこの日である。
ぼくはいつものように午前11時02分に黙祷を捧げるのである。



長崎の鐘である。
「こよなく晴れた青空」をいつまでも仰ぎたいものである。





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 荒野人


デジブック 『女が踊る、叫ぶ、祈る』

2011年08月08日 | 日記
女が踊れば、男は昂(たか)ぶる。
そうして祭りは、男女の出会いの場となってきたのである。
女は色めくのである。



半被であったり、上着の腕まくりであったり・・・煽情的に感じるのは男の精神回路の特性である。
いわゆるコスチュームに憧れるのであろう。



踊る女は美しいのである。



デジブック 『女が踊る、叫ぶ』





汗を滴らせて叫ぶ女もいる。



年齢では無い。
その躍動感である。



群舞する女もいる。
その統一された踊りが美しいのである。

舞う!
というのは祈りであり、神仏への捧げものなのである。




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 荒野人

平和観音は何を祈る

2011年08月08日 | ドライブ
大谷寺の門前にある平和観音像は、大谷石の石切り場跡に世界平和を祈り、総手彫りで1948年(昭和23年)から6年をかけて1954年(昭和29年)に完成、1956年(昭和31年)に開眼したものである。



全長は88尺8寸8分(26.93メートル)で末広がりを意識している。



観音さまとして大柄で、良いお顔をされておられる。
バランスのとれたお顔である。

ふくよかな「天平美人」の造作である。



大谷寺の山門から望むと、肩から上の後ろ姿である。



平和観音だけに、足元がしっかりと刻まれている。
大地に足をしっかりと着けているのだ。



衣の襞が風にそよいでいる。



足指は、大地を鷲掴みしている。
この観音様は、3.11の大震災も大津波も、そして福島の原発事故もすべて呑みこんでおられる。

人々に幸多かれと立ち上がっている。
そう思い込みたい。

共に祈りを捧げたいのである。





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 荒野人

安曇野、蓼川の清冽さよ・・・2

2011年08月07日 | 旅行
蓼川の流れの二回目である。



「ゆらぎ」は人を安心させる。
とりわけ水の「ゆらぎ」は穏やかで、ここまで生きてきた肉体の老廃物を捨象してくれ、新鮮な感動が沁み込んでくる。



たっぷりとした水の穏やかな流れこそが「ゆらぎ」を生むのである。
川が綺麗だというだけでも、この原風景は育まれない。



安曇野の田園風景が周りにあるからでもある。
稲の若い葉。
広い青空と雲。

この川が黒沢映画のロケ地であって、水車小屋もセットとして造られた。
映画「夢」の第八話「水車のある村」である。

近年では、NHK朝ドラの「ひまわり」のロケ地となった。
安曇野を歩くと、至る所に「ひまわり」と安曇野を結び付ける幟(のぼり)が立っている。

この蓼川のほとりにセットがある。



セットであるから、ベニヤ板と細いタル木で形が出来上がっている。



従って、窓の向こうに骨組が晒されている。
少し寂しい感じである。

セットをぐるりと回って「らしい」角度を見つけた。



いかがであろうか。
本当の一戸建てのベランダに見える。



セットの前の看板である。
井上真央の大きな目と、ふっくらとした顔の輪郭がいかにも「おひさま」である。

なんだ・・・二十四の瞳じゃないか!とか。
つまらない批判をする方もおられるようだけれど、あの時代どこの学校もこんな感じで「おなご先生」は厳しい環境の中で職業婦人を貫いたのであろうと思う。

ぼくは井上真央の「おひさま」大好きである。



因みに、大王わさび農場と蓼川周辺はこんな感じである。
グーグル・アースで訪問してみたのである。




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ヒロシマ原爆の日・・・鎮魂の一日

2011年08月06日 | 日記
ヒロシマに原爆が投下されてから66年目の夏が来た。
世界の共通語「ヒロシマ」「ナガサキ」である。

戦は非人道的な行為であり、原子力の驚異を知っているはずの人間はいまだに過ちを繰り返している。



1945年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂したのである。

これがその時の原始雲である。
この雲が広がり「黒い雨」を降らせた。



井伏鱒二が「黒い雨」という小説で描いている。
井伏は広島出身の作家であって、太宰治の師でもある。



原爆ドームが残ったのは、爆風が上から来たからである。
爆風が横からだったら、なぎ倒されていたのである。

原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達したという。
凄まじいエネルギーである。



原爆を投下したのは「エノラ・ゲイ」とニックネームのついた、このB29である。
真中でパイプを加えているのが機長である。



原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。
世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、特に「負の世界遺産」と呼ばれているのである。

ぼくは、原爆投下は戦争犯罪だと確信している。
だがしかし、戦勝国USAは二歩だけに戦争犯罪を問うた。
「極東軍事裁判」で裁いたのであった。

ぼくの気持はハーグの国際裁判所が裁いてくれないだろうか・・・などと思っている。
それは叶わぬ夢であろうか・・・。



出撃前のエノラ・ゲイである。
機長がにこやかに手を振っている。

でも、ぼくは個人的に彼を批判するつもりはない。
彼も、戦争の犠牲者であるからだ。

とまれ、ぼくは8時15分哀悼の誠を捧げた。
戦は再び繰り返してはならない。

今日は一日、鎮魂の静謐な時間を過ごしたいものである。





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 荒野人