「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12新改訳)
オリンピックにレスリングの種目があるが、体力、俊敏さ、相手の動きを読む知恵、決してあきらめない不屈の意志など、それらがもろにぶつかり合い、見ていて飽きない。▼信仰者の格闘もこれと似ている。ただし、レスリングは勝つか負けるかだが、私たちの戦いは「食うか食われるか」で、永遠の運命のかかる真剣勝負であるところが大きくちがう。▼たしかに悪魔は、主の十字架で人に対する支配を破られ、永遠の滅亡は決定的になった。だが実際に「ゲヘナに落とされる」のは未来であり、今は神の監視のもと、キリスト者と戦わせられる羽目になっている。▼これには神の深い御心があり、あたかもダイヤが選別され研磨されて輝くように、ほんものの花嫁が一層美しくなるために戦わせられているのだ。つまりそこまで追い込まれているのが、悪魔とその一味の現実ともいえる。
エデンの園でアダムたちが悪魔の奴隷とされて以来、彼はあらゆる人間の心を占領し、支配して来た。ところが十字架が成就してペンテコステの日に聖霊降臨となり、信じる人々の内に聖霊が来られて彼は追い出され、悪の牙城が神の住まいに代わった。▼かくてサタンの王国は次々と破られ浸食され、神の国を持った人々が絶えることなく増え続けている、これが福音時代の霊界の実相である。彼にしてみれば憎んであまりある教会とキリスト者だ。私たちが攻撃の的にならないはずがない。言ってみれば、宣教拡大によって彼の永遠の滅亡という「刑の執行日」が時々刻々近づいているのだから。▼ということで、キリスト者は油断せず、目をさまし、確信と喜び、希望と大胆に満たされて「天のレスリング」に臨むべきである。いかに厳しく激しい戦いであっても、最終勝利はキリストのはなよめたちのものである。「あなたがたは、世にあっては患難(試練、困苦、挫折)があります。しかし、勇敢でありなさい(堅く信じ、確信を持ち、臆せずにいなさい)。わたしはすでに世に勝ったのです(あなたたちのために、世からその害する力を奪い取った、世を征服したからである)。」(ヨハネ16:33カッコ内は詳訳参照)