しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <イスカリオテのユダ>

2025-01-12 | みことば静想
「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」(ヨハネ12:6新改訳)

イスカリオテ・ユダを見て思うのは、常習的に金銭を盗むことのもたらす結果の怖さである。▼主イエスと12弟子たち一行の金入れを預かるうち、欲望を抑えきれなくなり、少しずつ自分のふところに公金を入れていたのであろう。彼は主のなされる多くの奇蹟や不思議を目の当たりにしながら、罪のため心が曇り、神をおそれる敬虔さがなくなっていった。そしてとうとう悪魔の誘惑にはまり、主を敵に売り渡すという永遠の大罪を犯すに至った。▼「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた」(ヨハネ13:2同)とあるように、最期は完全につかまったのである。「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。」(ヨハネ13:27同)▼こうしてユダは、いわば、サタンに心を羽交い絞め(はがいじめ)にされた。それは恐ろしい光景であった。いのちの君を十字架に渡すため、実行役とされた彼はたとえようもない力で悪魔の設けた道を走り、目がさめたときはすでに遅かったのである。▼人はウソをついたり、だましたりすることの重大性を深く考えようとしない。しかしどんなささいなウソでも、だましでも、闇の支配者、悪魔に淵源性(えんげんせい)をもっている。だから、ついには思っても見なかった結果をもたらすのであり、気づいたときはすでに遅かったということになる。ユダは三年半の生活で、主イエスの絶対的正しさをよく知っていた。だから自分の計略で祭司長らに逮捕されても、侮辱されたぐらいで釈放されると予想していたにちがいない。彼は見えない悪魔の恐ろしさを知らなかったのだ。▼ああしかし、悪魔はイエスを死刑に定めるのに成功したとき、あとは用がないといわんばかり、ユダを放り出し、ユダは我にかえった。そのとき彼ははじめて悟ったのであった。「私は無実の人の血を売って罪を犯しました」(マタイ27:4同)と。もちろんユダヤ人たちもユダを相手にしない。結局彼は首をつって自殺した。こうして彼は永遠の滅びに落ちていったのである。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」(Ⅰテモテ6:10同)