「ダビデは主に伺って言った。『行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。』主はダビデに言われた。『行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。』」(Ⅰサムエル23:2新改訳)
ダビデのすぐれた点は、事あるごとに神に伺(うかが)い、その指示にもとづいて行動したことである。この章だけでも、三回にわたって(2,4,10)記され、そのおかげでペリシテ人との戦いに勝ち、またサウル王からのがれることができた。▼パウロはピリピ教会に「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6同)と書き送ったが、キリスト者はどのように些細(ささい)なことでも、いちいち主にうち明け、答えをいただくべきである。世の人であれば「うるさい、そんなに持ってくるな」と怒るが、主は反対に喜びたもう。不正な裁判官のたとえ(ルカ18:1~8)がそれをよく示している。▼いっぽう、サウル王は主に伺うことはほとんどなく、ダビデとは正反対であった。そのために両者の生涯には、祝福において天地の差ができたのである。