奈良県橿原市東池尻町で、歴史の舞台として文献に登場しながら場所が特定
されていない磐余池の可能性がある池の堤が見つかりました
金曜の朝刊に大きく取り上げられていました 17日に現地見学会があるということで
その日の予定に無理やり押し込んで、朝早く出かけました。
奈良は大阪以上に冷え込みがきついですが、8時半に到着しましたところ もう
人が集まっています
天武天皇の息子、大津皇子が謀反の罪で処刑される前に、この池の堤で詠んだ歌が万葉集に
おさめられています。


この写真の右側が池だったところです。
堤は砂質土や粘土を水平方向に深さ3.2以上にわたり積み重ねたものです。
堤跡の上に建物跡が複数あり、用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)
と同時期のもので、宮の付属施設ではなかったかと考えられる物です。


この堤の西側御厨子神社入り口に、大津皇子の歌碑が立っています


今回は見学会だけで説明はなかったので詳しいことはあまりわかりませんでした。
9時20分にここを後にして、京都に向かいます 近鉄喜志駅に戻り 阪急で河原町まで急ぎます。
五条にあるホテルサンルート10Fのレストランで昼食です

中央奥に見える塔が清水寺の山門と三重塔です

バイキングの昼食でおなか一杯になりました。
これから清水寺に向かいます ここから真っ直ぐに東に歩くと自然と着きます。
さすがに大勢の人で道路もいっぱいです




こんなゆるキャラがあったんです
されていない磐余池の可能性がある池の堤が見つかりました
金曜の朝刊に大きく取り上げられていました 17日に現地見学会があるということで
その日の予定に無理やり押し込んで、朝早く出かけました。
奈良は大阪以上に冷え込みがきついですが、8時半に到着しましたところ もう
人が集まっています
天武天皇の息子、大津皇子が謀反の罪で処刑される前に、この池の堤で詠んだ歌が万葉集に
おさめられています。


この写真の右側が池だったところです。
堤は砂質土や粘土を水平方向に深さ3.2以上にわたり積み重ねたものです。
堤跡の上に建物跡が複数あり、用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)
と同時期のもので、宮の付属施設ではなかったかと考えられる物です。


この堤の西側御厨子神社入り口に、大津皇子の歌碑が立っています


今回は見学会だけで説明はなかったので詳しいことはあまりわかりませんでした。
9時20分にここを後にして、京都に向かいます 近鉄喜志駅に戻り 阪急で河原町まで急ぎます。
五条にあるホテルサンルート10Fのレストランで昼食です

中央奥に見える塔が清水寺の山門と三重塔です

バイキングの昼食でおなか一杯になりました。
これから清水寺に向かいます ここから真っ直ぐに東に歩くと自然と着きます。
さすがに大勢の人で道路もいっぱいです




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