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働くママかぇるのジャンプ力強化ブログ!

いじめ熱

2006年11月17日 | 雑談(社会問題)
以前このブログでもいじめ報道が激化していると書いたが、

この勢いはさらにヒートアップしている模様。

しきりに、「いじめは絶対いけない!」「いじめをなくそう!」とメディアがあおっているが、

いじめは無くならないだろう(あっさり)

それを言っちゃあ、お終いだよ。

無くそうとしなければ無くならない。

そうかもしれない。

でも、「いじめの無い社会を」なんて非現実的なことを声高に主張すること自体、

いじめについて真剣に考えているとは思えないのは、私だけ?

こういう陰な話題を明るみに出して解決することは難しい。

明るみに出るいじめなんて、時既に遅し(自殺)か、

大したことないレベルなんじゃないかな。

深刻な現在進行形のいじめは、決して明るみには出てこないと思う。

それでも、言わないよりはマシ・・・なのかもしれない。

酷なようだけど、いじめられる子というのは、どこにいってもいじめられることが多いと思う。

ある学校でいじめに合い、転校したけどまたいじめられるケースなんてたくさんある。

まして、自殺するほど追いつめられるようないじめに遭っている子には、

少なからずその子にも問題があるのだと思う。

こんなこと言うと、極悪非道人扱いだろう。(自分でもそう思う)

でも、この事実から目をそらし「君は何も悪くない」なんてこと言えるかしら?

いじめる側を変えるより、いじめられている子を変えなければ問題解決はしないと思う。

ある番組で、いじめについて視聴者からFAXを受け付けていた。

「僕は今、いじめられています。いじめられる方が悪いなんてよく言うよ。
僕らがどれだけ傷ついているか知らないからそんなことが言えるんだ。
いじめるヤツは最低だ。あんなレベルの低いバカなヤツらに非がないわけがない」

なんて言ってた。

そんなことを言うからいじめられるんじゃないか?

と思った。

「何もしていないのになぜ?」

逆に言えば、自分は何もしないで、周囲にどうにかしてもらおうと思っても、限界がある。

「何も悪いことはしていない」と自分を正当化し、慰めるのは簡単だ。

でも、自分が変わらなければ状況は変わらない。

酷なようだけど。

「自分は悪いことをしていない」と思うなら、そう言えばいいのだ。

「なぜいじめるの?」と聞けばいいのだ。

黙って耐えることなんてない。

まぁ、言うのは簡単だよね。

そんなこと分かってるし、できたら苦労ないよね。

「いじめられた」というただそれだけで、どれほどの気苦労やら、

決心やら、勇気やらが必要になることか。

いじめられなければこれらの苦労はしなくてすむわけで、全く納得いかないだろう。

でも、世の中不公平なのだ。

これが現実。

現実を受け止めて、ふんばるしかない。

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ホワイトカラー・エグゼンプション

2006年11月14日 | 雑談(社会問題)
耳慣れない言葉?

ですね。

平たく言えば、「サービス残業合法化法案」のようです。


え?

耳慣れないからって、うっかりしていると、

「なんかさぁ、給与明細の残業代欄が無くなってない?」

なんてことになりかねませんね、こりゃ。

ポイントをまとめてみると、

① サービス残業の合法化
 雇用側は残業代を払う必要がなくなる。1日24時間労働も合法になる。
② 解雇の金銭解決
 会社側が所定の金額を払うことによって解雇できるらしい。
③ 雇用側が就業規制を一方的に決めることが可能
④ 過労死しようが自己責任。無理に過重労働させた企業の責任は一切なし。

労働者の就業時間制限がなくなるってことは、

さっさと仕事終わらせて帰ってもOKってこと?

悪いことばかりじゃないのねぇ・・・なんてちょっと思った呑気なかぇる。

だって、事務って忙しい時と暇な時の差が激しいし、ヒマな時ってほんと無駄に時間を過ごしてる感じなんだもの・・・。

でも、恐らくこの制度を取り入れようと思うような会社は、

従業員を働かせたくてたまらない現状を抱えた会社だと思われる。

かぇるのとこみたく、決まった範囲の事務しかないような所は採用すらしないかも。

仮に採用されても、することないからって会社休めるかは疑問だよね

っていうかムリ?

「優秀な人には高時給。だらだら働いていて成果を出さない人には安時給。」

というのが名目だとは思います。

でも現実は、

「もうできたの?すごいね。じゃあ、これもお願い

となることが安易に予測できる。

ここで、「同じ給料で仕事量が違う。不公平だ

と主張したとする。

会社:あっそう・・・・じゃあ、「②解雇の金銭解決」するしかないね

なんてことになるかも。

仕事が早い人も、可能な限り残業させられるほどの仕事量が与えられ、
当然、さほど優秀でない人は朝から深夜まで働く毎日。


さらに、「仕事をする人が自己責任で健康管理を行う」ことになっているために、

過労死がいくら発生しようが、全て自己責任で片付けられる。

過労死という言葉が世の中からなくなるということ。

ものすごいシステムや

まさに、自分の身は自分で守るしかないって感じ。

自分一人の身なら自分で何とかできるかもしれないが、家族を抱えている人は辛いだろうな。

家族のためと我が身を酷使する人が多発するだろう。

しかし、現実は「働けど働けど我が暮らし楽にならざりけり」

格差社会は確実に広がってます。

一体誰が得してるのか?経営者?

会社員なんてやってらんねぇよ、資本金1円からでも会社でけるし、会社でも起こすか!!

そんでもって、ホワイトカラー・・えぐぜんぷしょん?とやらを駆使して、

世のリーマンをこき使って金儲けするぞ!!

ってとこまで割り切る度胸と器量があれば勝ち組になれるのか・・・・?
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7月24日通りのクリスマス

2006年11月13日 | 映画(ネタばれ)邦画
舞台は長崎。
かぇるは、大学で4年間長崎にいたので、ほとんどのシーンがどこだか把握できた

それだけで、懐かしさアップ

満足指数アップでした

内容は・・・・・・微妙

女版電車男?・・・路面電車がよく出てくるので「路面電車女」って感じ。

でもねぇ・・・ちょっとインパクトが弱いのよね。

自分には縁がないと分かっているが、王子様を夢見る冴えない29才妄想女。

そのキャラには、共感できる。

でも、ストーリーに共感できず。

のっけのシーンで、さゆり(中谷美紀)が電車を待っていた時、

突然、指の影絵(ベタなオオカミとか)が現れ、それを見てさゆりが笑い、

(普通なら、変質者か異常者だと思うでしょう)

頭上からたかお:「笑ったほうがかわいいよ

って・・・・欧米か!!(ジャパニーズがこの台詞は言わないでしょう)

ストーリーが全体的にくさい。


最大のツッコミは、王子役の大沢たかおがさゆりを好きになる過程が読めず。

なぜその展開に?

ダサダサの冴えない女の子が、憧れの王子様とすんなりデートまでこぎつけ、

ちょっとお洒落したからって、たかおの部屋にもすんなり訪れ、

あれよあれよと言う間にキスしてた(゜д゜;)

都合良すぎないかい?


中谷美紀の変身も中途半端だし、真っ白で統一した衣装も微妙だと思う。

それに、それ1着しか持ってないのかよってぐらい同じ白いコートに白いバック。

クリスマスというロマンチックな設定で、あそこまでくさい台詞を並べた割に、きゅんとしなかった。

アメリと嫌われ松子を足して2で割って薄~く延ばしてペラペラにした感じ。

良かったところは、さゆりの実家の喫茶店の雰囲気。

YOUと小日向文世。

リスボンの街並み。

以上。

(★★☆☆☆)
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良い部下

2006年11月11日 | 雑談(社会問題)
「良い上司」ときたら、お次は「良い部下」でしょう。

かぇるは、あまり部下を持ったことがない。

万年下っ端だった(若かった?)

万年部下だったわけだけど、自分が良い部下かどうかは棚に上げることにする。

まず、「可愛げ」が求められると思う。

(のっけから自分にはないであろうアイテムで凹むわぁ

部下というポジショニング上、仕事面では察し当たっては期待されてないと思う。

そりゃ、言われたことが全くできないというのも困りものですが、

ある程度ミスは許されるし、まぁボチボチやっていってくれれば・・・

というのが現実じゃないかな。

では、「可愛げ」とは何ぞや?

見え透いた甘え声とか、きゃぴり仕草は男性上司には通用するかもしれないが、

女性上司には逆効果。

しかもこの「可愛げ」は年齢と共に確実に厳しくなってくる。

この路線で行くなら、早々に寿退職するしかない。

では、上司が求める「可愛げ」とは何ぞや?

とりあえず「聞き上手」であることは必須アイテムやも。

自分が自分がの人には可愛げを感じません。

意見を言うのは良いことだと思うのよ。

だって、何でも「うんうん」では逆に「何がうんなの?」なんて思ってしまうしね。

ここら辺、超ムズい。

「話し上手」は「聞き上手」。

なかなか的を得てる言葉だと思います。

一見相反する感じですが、根は「人とのコミュニケーション」ということで同じなのか。

とりあえず、一番タチ悪いのが、

屁理屈を言う人!!

「ん?」

と思うと、すぐさま「それって変じゃないですか!

「こうやったほうが効率的だと思います!」

なんて意見する人。

最初は「でもね、そうするとここで支障をきたしてくるのよ」

なんて大人な上司の対応でも、毎回だと「じゃあ、ご自分で勝手にどうぞ!!

なんて心境を招く。

なので、疑問に思っても、とりあえず受け入れる。

それからどうしても納得いかなければ、意見する。
(意見しないで済むならその方向で)

というのがベストじゃないかしら。

これも、難しいのよねぇ・・・・

得意気にご指導モードの上司の話を受け入れるのは正直ツラい。

うっかり、我慢できずに顔や態度に出てしまったりもするのよ

「良い上司」「良い部下」の定義なんて、客観的なものでしかなく、

「自分で完璧」と思ってても蓋を開けてビックリなんてことはままありそうで、

考えると怖ろしい

何事も、他人のことはよく見えるが、自分のことは盲目になりがち。

日々反省が必要です(←自分に言い聞かせ)

精進ですよ。修行ですよ。寺小屋ですよ。末は頭丸めるな。

最近坊主がブーム?だと思ってたら、お洒落じゃなくて反省ブームだったのね
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DEATH NOTE 

2006年11月09日 | 映画(ネタばれ)邦画
テレビで放送してました。

デスノートと呼ばれるノートに名前を書くと書かれた人は死ぬ。

呪いのノート?

な~んか、陳腐な感じ

もしも魔法が使えたら・・・なんて発想と同レベル?

でも、話題になってるのよねぇ・・・

ということで、見てみました。

ふむ。

面白いではないか

何が面白いのか。

どこが面白いのか。

恐らく、このノートがダメ男ののび太ではなく、IQの高い天才大学生がGETしたこと。

ドラえもん的役割のリュークが中立ということ。

勧善懲悪じゃないところ。

このグレーな感じが若者の支持を得るポイントなんじゃないかしら。

映画、観に行きたい

でも、一緒に観に行く人がいない

こういう続編的映画ってそれがあるから困る

木更津キャッツアイだってそうだ。

海猿だってそうだった。

ま、それが続編なんだからしゃあないけどね
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良い上司

2006年11月08日 | 雑談(社会問題)
仕事をしていると、いろんな人との関わりがある。

十人十色、(自分から見ればという意味で)個性的な人ばかりだ。

そんな中、良い上司ってどんな人だろう?と私なりに考えてみた。

まず、部下に対して謙虚な姿勢が持てる人

「お前には分からん」「お前にはまだ分からん」
「僕がどれかけ大変か知らんだろう」
「言うても分からん」

こういった「根拠のない上から発言」をする人は、人徳薄いと思う。

実際こう言われたり言ってる人を見ると、「あ、そう」「ふーん」

と、仕事に対する意欲が回れ右をしてスタスタ去っていく自分が見える。

上司の、発展性の無い会話の打ち切りは若者の向上心を削ぐ。

「最近の若い者は、やる気がない。」

なんて言ってる人は、自分が若者のやる気を削いでいることに気づかなきゃね。

このぼやきは、「自分は部下を指導できない人です」と言ってるも同じではないかしら。

と言っても、自分を卑下しろと言っているわけではない。

じゃあどうすれば?

ここで、具体的な事項として出てくるのが、

人の話が聞ける人

なまじっか肩書きがついてくると、人の意見に耳を貸さない人(貸せない人)が多い。

どんな(ジャンルの)人の意見も聞く。

別にその意見を聞き入れなくても、ただ聞くだけでいいのだ。

簡単なことなのになかなかできないのも事実(自分も含め)

そして、仕事の必要事項だけを伝える関係でなく、

普段から他愛のない話をしておくことで、意思疎通ができる関係を築いておく。

風通しを良くしておくのです。

お互いが、「この人はこう思ってるんだ」と分かり合うことで、

使う側も使われる側も「こういう言い方をすれば伝わる」と認識できてくるのだ。

はい、難しい。

本音とタテマエを使い分ける日本人にとっては、特に難しい。

でも、結果は置くとして、「聞く」ということは誰にでもできることだと思う。

上に立つと(年をとると)、間違いを指摘してくれる人も減るし、プライドもできる。

上になればなるほど「謙虚に」「人の話に耳を傾ける」ことが大切だと思う。


でもここでふと思う。

強引で、確固たる自分を貫いていく「オレの背中を見ろ」的な上司も良い上司と言えるのかもしれない。

高倉健のごとく、「不器用ですから」みたいな実直な人。

落合監督のような、「オレ流」な人。

ヒルズ族のような、「結果主義」な人。

どうだろう?

悪くないかも。

結局、成功すれば何でも良いのか?

こうという正解なんて無いのかもしれない

さっぱり支離滅裂、空中分解してきたので、この辺で

良ければ、みんなの意見も聞かせて下さい ←丸投げ
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冬到来

2006年11月07日 | 雑談(その他)
寒い

って、まぁこれは大げさだけど。

でも、最近めちゃ寒い

かぇるは、寒いのが大嫌い!!

でも、クリスマスとか、お鍋とか、シチューの宣伝とか、コタツとか、

なかなか乙女心をくすぐる行事があるのです

嫌なことばかりじゃないのね。

アメとムチ。

神様もイジワルだなぁ~



          
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おっ買い物♪

2006年11月06日 | 外食
前々から前を通る度に、行きたかったお店。

アップルパイを注文しました。

うん・・・・・普通やね。

「禁・買い物」を念仏のように唱える生活をしてるのだけど、

久々に高松でウィンドウショッピング

早々に可愛いニット帽を発見!!

カジュアルにもフォーマルにも合いそう

で、そのままショッピングを続け、この冬の注目アイテムは、

ニットのワンピースと、ショート丈七部袖のコートと、ゴージャスネックレス、

だという世の流れを感じた(感じただけ)

だって、お値段がお高いのよオーノー

「バーゲンまで待とう

とK様に言ったら、

「確実に残ってないな

かぇる「・・・・・そんなこと分かってるわい!」

で、散々ウロウロした結果、やはりニット帽を買おう!!

ということになり、元来た道を戻るハメに

疲労度MAXのK様は、

「ある程度気に入ったなら、6千円ぐらいなら買ってあげるからその時に言うて
かぇる「・・・・・さ、歩こう×②

で、店員さんに「お帰りなさい

なんて言われつつ、無事ニット帽ゲット

かぇるは帽子が大好きなのよねぇ~

帽子なんてかぶる機会そんなにないのにね~

でも、なぜか惹かれる・・・贅沢品やね
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いじめの定義

2006年11月01日 | 雑談(社会問題)
「いじめ」の線引きは難しい。

セクハラと同じで、受け手が「いじめ」と感じたらいじめなのだろう。


ひどく斜めな見方をすれば、「いじめられた」と言いさえすれば、

被害者になり、周囲が自分をいたわってくれる。

マスコミなんかで「いじめ」があまりに問題視された結果、

「いじめ」という言葉を便利に使ってしまう子もいるのではなかろうか。

セクハラだって同じことだ。

「それセクハラだ」なんて軽々しく口にする人も大勢いる。

もちろん、本当に辛い思いをして心を痛めた人が追いつめられることもある。

いじめの原因を解明し、今後起こらないように対策を立てる必要もある。

ここで問題になるのが、やはり「線引き」「意識」の問題。


昔だっていじめやセクハラはあった。

セクハラはともかく、いじめは子供に限ったことでもない。

3人寄れば大なり小なり存在するものとすら思える。

大人だって、自分の気に入らない人をけなしたり、仲間はずれにしたりする。

例えば、職場で遊びに行く計画を立てたが、そこにある人が呼ばれなかった。

意図的かどうかは別として、呼ばれなかった人がいじめだと感じれば、

れっきとした「仲間はずれ」の定義に当たるだろう。

でも、そんなのよくよくあることで、「同僚で遊びに行く時は、必ずみんなに声かけする」

なんて方がレアだろう。

単に「気が合う人達で行くことにしたらその人には声が掛からなかった」

だけなのら、それでも「いじめ」ということになるのか。

人間、全員が全員に同じように接することを求めても無理だと思う。

人間関係には相性、好き嫌いが付き物で、

子どもの頃からある程度それに慣れて自分で対処法を見つけて行くことは必要なことだと思う。

誘われなかった人は、「誘われたい」と思うなら、

誘われるように自分から行きたいと言うなり、興味のあることを示したりするだろう。

「誘われなくて結構」と思うなら、ある程度割り切った付き合いをする。

そういう風に、社会(人)との距離感を自分で悟っていくのだ。

原因を自分で考えて皆に受け入れられるように行動を工夫しようと思えば工夫し、

そんな努力の値打ちも無いと思えば周囲と距離を置いてマイペースで行くのも、

ひとつの方法だし、ある程度自分で腹をくくるしかない。

ま、この例はレベル的には軽いかもしれないけど、概ねそういうことなのだろう。

セクハラだって、「絶対にイヤだ」と思えば伝える努力をし、

「まぁ、これぐらいはいいか」と思えば笑って流す。

要は、曖昧な問題は、自分が納得できる方向に持っていくべく自分で世間と折り合いをつけていくしかないのではないか。

いじめられる側にも問題があるとまでは言わないけど、

ある人にとってはいじめだけど、ある人にとっては違ったり・・・

人の気持ちという曖昧なものを扱う場合、一概にはいかないのだ。

昔も今も。

傷つくことは辛いかもしれないけど、人として大事な経験にはなっているはず。

その時はイヤでたまらなくて、自分が世界で一番不幸かのように思えるけど、

過ぎ去れば、そうでもなくなるものなのだ(たぶん)

死ぬほどのことなんて、世の中にはないのだ。

って、言うのは簡単なのかしらね。
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