マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

少しずつ気持ちのままに不要品を処分している話

2020-10-07 | 日々の暮らし
現在、我が家にある大きな家具家電品は、全て使用中なので処分できる状態ではありません。
また、大量に何かを処分するといったことは、私の所有していたCDとDVDが最後となり、以降はごみ箱に放り込める程度の不要品しか処分していない感じです。
ですから、毎日本当に小さなモノを1つ2つとごみ袋へ入れていく、といった感じで、不要品を処分しています。

労力を使う不要品と楽に処分できる不要品
小さな不要品を処分できるようになってきたのは、集中して引き出しや収納の中を見られるようになってきたからだと思っています。
大きなモノや大量のモノを処分する場合は、とにかく、いつ、どこに、どのような方法で処分するか、ということを計画的に考えなくてはなりません。
そして、計画は小さなきっかけで崩れてしまうこともしばしば。
大量に処分した母の洋服などは、最初無料リサイクルボックスへ入れに行くつもりで計画していましたが、実際袋に詰めてみたら量が多すぎるし、1袋が重たいしで、いちいちリサイクルボックスへ持って行く苦労よりも、ごみステーションへ持って行くほうが断然楽だと思い、結局家庭ごみとして出してしまいました。
これまで処分してきた家具も、ずっと処分したいと思いつつも中身の整理が思うようにはかどらずに、何度も先延ばしにしてしまいました。

しかし、現在では処分したかった家具のほとんどは、家の中からなくなりました。
そうなると、今度は、今使っている収納家具に納まっているモノに、時間をかけて要不要を仕分けることができるようになりました。
ただ、そうやって集中してあちこちをみていると、

「まだあった。こんなところにもあった」

となり、まだまだ不要品は無くならないなあ、というのが現在の心境です(苦笑)
しかし、ほとんどのモノは片手でごみ箱へ入れられるものばかりですので、体力も計画も必要がありません。
思い付くまま、気の向くまま処分することができるので、気持ちとしてはとても楽です。

不要品がないわけではない
小さなモノは、日々の暮らしの変化や、これまで把握できていなかった適正数量がわかってきたことによって、ある日突然不要品になる場合もあります。
例えば、本日はカトラリーと食器の一部を処分したのですが、それは私と母が頻繁に使うカトラリーと食器が固定化されつつあるからです。
この先、もしかしたら、やはりアレは必要だった、ということになるかもしれませんが、その時は買えばいいだけのこと。
そして、大体は買わずに済んでいることが多いですね(笑)

調理器具も同じように、私が使う道具が大体決まってきたので、それ以外はとりあえずなくてもいい、というスタンスを取れるようになりました。
私は、数年前まではお菓子作りをしていました。
といっても、簡単に作れるケーキや、型抜きなしのクッキーや、材料がシンプルなプリンが中心でしたが、それでも泡だて器やヘラ、お菓子作り用の砂糖やバターや小麦粉が必要でした。
しかし、今はお菓子を無理に手作りするより、お金を少し多めに出してでも、プロが作ったお菓子が食べたいと思うようになり、お菓子作りをやめたので、泡だて器やヘラ、専用の材料はなくてもよくなりました。

今は、おろし金を処分するのに迷いが生じています。
何故なら、今から大根が美味しくなる季節がやってきて、どうしてもおろしたての大根でごはんが食べたくなるような気がしているから(笑)
実を言うと、半年以上おろし金は使っていないのですが、たまたま大根おろしを食べたくならなかっただけだと思っているので、それはまだ処分せずにいようと思っています。
しかし、長さの違う2種類の菜箸に関しては、もう一番長い菜箸があれば、あとは普通のお箸で十分だと思い、サクッとごみ箱へ入れました(笑)

本日も、絵が気に入っていた陶器製の豆皿(小さなカトラリーを置いたり角砂糖を置いたりする豆皿)5枚のうち、3枚をごみ箱へ入れました。
そもそも、そのサイズの豆皿は使ったことがなく、実は何度も使おうと思う割には、出し忘れて結局使わないということを繰り返していたので、もう使わないとは思いつつも、やはり絵が好きなので2枚だけ残しました。

他にも、工具の一部を見直したり、予備で持っているフック類も減らしたり、コースターも2枚処分しましたね。
ゼロになると、さすがに嫌なので(カップの熱や水滴でデスクやテーブルが汚れるのが嫌いです)それはやめました。
それから、趣味のモノもいくつか処分しました。
趣味のモノは、どうしても手放し難いので、少しでも未練が残っていると処分できません。
かといって、以前ほど部屋や収納を圧迫していることはないので、そこは自分で自分を許しているような状態です(笑)

好きなモノは役に立たなくても持っていたい
趣味のモノや思い出のモノは、処分するのが難しいモノの代表格です。
大好きなモノ、好きな人から貰ったモノ、思い出がいっぱい詰まったモノ、そして、それらは二度と手に入らない唯一無二のモノかもしれません。
ですから、モノを減らすことのメリットをいくら聞いても、少ないモノで暮らすことの心地よさを見ても、簡単には処分できません。

ですが、それでいいと、個人的には思っています。
たしかに、家具が減った我が家は見た目もスッキリしましたし、なにより動きやすい家にはなりました。
家具を減らしたデメリットは、今のところ感じていませんし、むしろ今使っている家具も、どうにかして処分できないモノかと、チャンスを狙っている状態です(笑)
しかし、自分の好きなモノや、思いがたくさん詰まったモノが目の前から消えてしまったら、果たしてスッキリした気持ちになれるだろうか、と考えてしまいます。

「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」とはいいますが、手放したモノに対する未練は、そう簡単にはなくなりません。
これまで手放した趣味のモノや思い出のモノは、処分してしまった後に後悔をしたモノは、ほとんどないのですが、それは処分する時点で、自分自身が納得していたからにほかなりません。
もし、まだ気持ちが強く残ってしまうモノを、不要品は処分したほうが運気が上がるとか、今よりも気持ちがスッキリして集中力が上がるといった理由で処分しても、おそらくすっきりもしないし集中力も上がりません。
逆に、何故処分してしまっただろう、あの時手放していなければ、こんな気持ちにならなかったのに、と考えてしまい、いつまでたってもスッキリしないし、集中力も「後悔」に持って行かれてしまいます。
ですから、気持ちが強く残るモノに関しては、そろそろ手放してもいい頃かもしれないな、と自然に感じられるようになってから処分することにしています。

今はまだ、処分できない趣味のモノがたくさんありますが、いずれ「もう大丈夫」と思える日も必ず来ると思っていますので、無理に処分することだけはやめようと思っています。

まだまだ残っている「他人の視線」
小さなモノを処分していると、自分の中に残っている「他人の視線」を強く感じます。
それは「これを持っていたら、見た目がかわいい」とか「これには、これが合うよね」といったようなことなのですが、全て「他人の視線」を意識しているのですよね。

絵がかわいい豆皿も、自分が好きだということに加えて、友達が遊びにきたらコレを出して「かわいいね」と言ってもらいたい気持ちがあったから、いつまでも持っていたようなところがあります。
また、例えば誰かが遊びに来てくれて、ケーキなどをお土産にもらったら、当然それをお茶の時間に出しますよね。
そのときに、出して恥ずかしくない食器で出したいからと、普段は使わない食器でも持ち続けていましたが、今となっては紙皿やアルミホイルでいいや、と思っています(笑)
そもそも、そこまで気を遣うような人は、我が家には来ませんから、食器にかっこつけても仕方がありません。
いつ来るかもわからない客人のためのモノではなく、自分が幸せにたのしく過ごすためのモノだけを持っていたほうが、毎日が充実するはずですよ。
だから、今後は自分と母が使っていて心地いいもの、たのしく過ごせるモノを優先的に残して、あとは気が向いたらごみ箱へ入れることにしています。

最近、知らず知らずのうちに「他人の視線」を気にして処分していなかったトートバッグを処分しました。
それは、ずっとスポーツ観戦専用で使っていたバッグで、好きなチームのロゴが入っていて、選手のサインもいくつか貰っているトートバッグでした。
観戦時には必ず持参していたのですが、今年スタジアムに行く機会が減ってしまったことで、私が今一番したいのは、スタジアムでLIVE観戦がしたいのであって、専用のトートバッグで出かけることではないな、と思ってしまった途端に「要らないか」と心境が変化しました。
思えば、サイン入りのロゴ入りトートバッグは、自分が嬉しくて持って行っていたわけではなくて、他の見ず知らずの同じファンに「私もファンだよ」と見せつけたかっただけでした。

誰にマウント取ってるの?
思い返せば、好きなアーティストのライブへ行くときに、前回までのツアーで手に入れたツアーTシャツや帽子を身につけて行ったのも、わざわざ見えるモノにサインを貰ったのも、特定されない誰かにマウントを取っているだけだったな、と気がつきました。
もし、自分がその身につけているモノが大好きだったら、いつまでもその身につけているモノを見て過ごすと思うのですが、そうではない自分がいましたよね。
逆に、大好きで毎日でも眺めたり手に取ったりしたいモノは、今でも大事に残してあります。

その中には、実はトートバッグもあるのですが、他人に見せたい気持ちより、他人がどういう風に見るだろうかということより、ただ自分がそれを使いながら楽しみたいだけのモノであって、むしろ他人が見たら引くかもしれません(笑)
ただただ好きなモノ、思い入れのあるモノというのは、他人にどう見られて、どう評価されるかなんてことより、まず自分が最高に楽しい、嬉しい、幸せだ、と感じられるモノなのですよね。
そういうモノは、他人には無価値でも、気持ちが変化するまでは持ち続けるつもりですが、誰かに見せつけたい気持ちが強いモノは、今後さっさと処分していけると思います。


一気に処分することがなくなったので、今は気負って「どこかに不要品はないだろうか」とは考えず、手に取るモノすべてに対して「これは、これからも使う?」と自問する癖をつけています。
毎日、処分することばかりを考えていても疲れるばかりですが、何気なく手に取ったモノに関しては、ゆっくり向き合う癖をつけて、本当に大事にしたいモノを見極められるようになりたいと思っています。
本当に、ゆっくりですが、確実に残したいモノだけにするために、この習慣は続けたいです。