(前回のつづき)この複製冊子に付録として「解説書」があり、それを読むと、何と!衝撃的事実が判明。原本は1709年に首里城火災のため焼失。今残っているのは王家の側近の家にあった「たまたま火災前に写してあったもの」を更に書き写したもの。つまり火災のあった1709年頃前後に手書きで2回書き写しているのだ。それで「書き写し間違い」が多く見られる事を、この解説書で研究者が指摘している。つまり、書き写しを命じられた当時の役人達は、恐らく、あくびでもしながら嫌々書き写していたのだろう。そこで私は思った。原本が焼失している今となっては手探りで想像するしかない。「あかいんこ」と書いてあるものを「赤犬子」と解釈しているのは勝手な「想像」だ。しかしながら、原本の内容からして「あかのこ」と「あかいんこ」が同一人物であると言う説は正しい。それならば、両方を結びつけるものは何か?「あか・・こ」は共通している。違うのは「の」と「いん」だ。そこで私は気付いた。「の」は「之」と書くことが出来る。しかも当時は当然手書きの縦書き。つまり「之」は縦書きで見ると「い」と「ん」がつながった文字に見えるのだ。書き写していた当時の役人も「之」が「いん」に見えたのだろう。嫌々やっていれば、確認もする余裕もないから、なおさらだ。つまり、今一般的に語られている「あかいんこ」は「あか之こ」の見間違いだろう。(つづく)