政府の「節電要請」で、「家庭では、重ね着などで暖房の温度を下げる」「不要な照明を消す」また、企業では「店舗執務室の照明減」「パソコンなどの電源を切る」などと、テレビや新聞で報道されている。しかし、これは、あくまでもニュースとしての「情報」であり、政府から直接要請があったわけではない。少なくとも私の家にはそんな要請は来ていない。ここが不思議なところで、私の家には今テレビは無いのだが、「テレビも無ー、ラジオも無ー、新聞も見ねー」と言う人には何の情報も無いのだ。テレビを見ていても「ふーん、そうか」だけで終わり、全く節電をしようと思わない人もいるだろう。本気で要請するなら、郵送で正式な書類を送らなければ、何の役にも立たない。皆さんドンドン電気を使いましょう。
1709年、首里城火災のため「おもろそうし」の原本焼失。 当時の琉球は薩摩の支配を受けていたため、琉球に日本文化を浸透させようとする薩摩によって「おもろそうし」による祭礼は怪しげなものとして禁止され、それを伝承している者はすでにおらず、単なる記録書としての要素が強かった。しかし王府は、過去の歴史を物語る重要な書物であるとして、なんとしても「おもろそうし」を復元させるため、その「焼失する前の原本の写し」(現在は行方不明)を見つけ出し、写本を命じた。その結果、今残るものは2度にわたり書き写したものになる。書き写す時に見間違いや、書き間違いが多く発生し、原本と食い違う点が多数見られた。 しかし、すでに伝承者も不在で、原本の内容を誰も見たことがなかったため、間違いはそのまま気付かずに放置された。例えば「あか之こ」を「あかいんこ」とするなどである。 この「おもろそうし」に記載されている言葉は難解で、当時でも解読できる人物は限られていたため、それ専用の辞書的な役割をもったのが、「混効験集」である。 この「混効験集」には「あかのこ」(アカヌクー)はあるが、「あかいんこ」という言葉は記載されていない。 その後の世に、この「おもろそうし」に興味を持った者が、「あかいんこ」という特異な記載を発見し、これに「赤犬子」という文字を当て、そこから空想される物語を創作した。これが、現在語られている「赤犬子」の物語の元になった。*以下*繰り返しになるが、赤犬子は、現存する最古の書物「おもろさうし」には、ひらがなで「あかいんこ」と記載されている。しかし、①その原本は1709年の首里城火災で焼失しており、現在保管されているものは手書きによる「二度写し」であること。②「あかいんこ」と同様の扱いである「あかのこ」という記載が大多数を占め、「あかいんこ」という表記はわずか。③もし当時の古琉球に「いんこ」という言葉があれば、ほかの書物にも登場するはずだが、これは「おもろさうし」に限定している。④当時は当然「縦書き」の「手書き」であり、「あかのこ」を「あか之こ」とも書くことが出来る。「之」を縦書きで見た場合、達筆な手書きでは「い」と「ん」がつながったように見える。⑤「おもろさうし」は当時首里城に保管された琉球王国の公文書である。以上の事から、「あかいんこ」は、「あか之こ」を見間違えて書き写したものであろう。したがって、現在の「赤犬子宮」に多数みられる石碑の文言や、一般的に語られている伝説などは、後の世に創作されたもの。*私的には「あかいんこ」では失礼なので「アカヌクー」という言葉に置き換えれば、全て解決すると思うのだが。
あかのこは、沖縄の発音では「アカヌクー」となる。