明日から新学年が始まる。もう、高学年の5年生…
中身はいつまでたっても幼稚園の時のままのような気がするのに。
上の子どもと11歳違うので、同じ小学生の親でも
ずいぶん違うことを考えるようになってきたと思う。
それが果たして、いいことなのかどうかはわからないが
年とった分だけ、物事に対し、ある種距離感を持って受け止めるように
なった気がしている。
最初の子のときは、初めて「担任」から『評価』をつけられる
そのことが、非常に重要で、かつ客観的なことと信じていた。
こころの底では「うちの子はそんなことはない」と思いつつ
担任の述べるわが子像に愕然とするのだった…
また、先生の意見に対して自分の子を擁護するという
『無駄な抵抗』をすることもできなかった

今はどう考えているかというと、
自分の見ている子ども像を第一義とし、そこに学校生活での様子を
付け加えてわが子の全体像を明らかにし
それを担任の先生と共有できるよう努力しようと思っている。
教師の資質として重要な要素のひとつである「洞察力」を
備えている先生はごく一握りで、大半は「われは生活者」と
胸張っているんだから、親たちもひるむことはないのである。
(利己主義は困るが)
先生も親も、背中に目はないのだから、
お互い協力し合って、不足しているところを補い合うことが必要だ。

中身はいつまでたっても幼稚園の時のままのような気がするのに。

上の子どもと11歳違うので、同じ小学生の親でも
ずいぶん違うことを考えるようになってきたと思う。
それが果たして、いいことなのかどうかはわからないが
年とった分だけ、物事に対し、ある種距離感を持って受け止めるように
なった気がしている。
最初の子のときは、初めて「担任」から『評価』をつけられる
そのことが、非常に重要で、かつ客観的なことと信じていた。
こころの底では「うちの子はそんなことはない」と思いつつ
担任の述べるわが子像に愕然とするのだった…

また、先生の意見に対して自分の子を擁護するという
『無駄な抵抗』をすることもできなかった


今はどう考えているかというと、
自分の見ている子ども像を第一義とし、そこに学校生活での様子を
付け加えてわが子の全体像を明らかにし
それを担任の先生と共有できるよう努力しようと思っている。

教師の資質として重要な要素のひとつである「洞察力」を
備えている先生はごく一握りで、大半は「われは生活者」と
胸張っているんだから、親たちもひるむことはないのである。
(利己主義は困るが)
先生も親も、背中に目はないのだから、
お互い協力し合って、不足しているところを補い合うことが必要だ。


