絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

奏者と聴衆

2006年04月10日 14時17分10秒 | 一絃琴
一絃琴を習うようになって、人前で弾くことがたびたびあり
以前にもまして、この「奏者と聴衆」ということについて
あれこれ考えるようになりました。

曲の理解を深めるのはもちろん弾き手として当然のことですが
では、聴衆も内容を理解していなければならないかというと
それはあまり関係ないように思います。
言葉の意味が分からなくても、その曲の醸し出す雰囲気、世界は
伝わるのではないかと想像します。
それは、外国の曲を聴いたとき、綿密に分からなくても
伝わってくる感じがあるのと似ています。
(文語といえども日本語ですから難解なものばかりではない)

また、それは、単に曲の感じだけではなく
奏者の発する『気』のようなものが
聴いている人に伝わってくるからではないかと思ったりします。
(それはよほど熟練した奏者の方の場合でしょうが)

自分がやっているボランテイアの「読み聞かせ」や「対面朗読」においても
同様のことがいえる気がします。
本読みの活動では、読み手の内面がなぜか(本の中身とは別に)
外に出てきてしまうという、興味深いことがあるのです。