ここ数年、興味の対象が年寄りじみたものに傾いていって
(実際自分も年取ってきたためか?)
どうも、若者よりも年配の方に接する機会のほうが多くなった。
そこで感じたことは…
よく「自己チュー」と若者がなじられることが多いかと思うが
この「自分勝手」ということは、何も若者だけのことではなく
年配者にも当てはまるように思う。
若者の場合は、自分の周囲への気配り不足ということがあるかと
思うが、年配者の場合はむしろその反対で、わかっていて自分を
押し通す、というところが見受けられる。
ある種、自己規制のタガが外れてしまった、とでもいおうか。
「ここまで生きてきたんだ、もう、何も恐いものはないぞ!」
みたいな開き直りだったり、あるいは、小学生のごとく駄々をこねる
自分中心だったり。
いくつくらいからそんなふうになっていくのだろう?
もちろん、全員がそういうわけではないけれども。
話し合いの場面などでは、いつも、それぞれが自分のことばかり主張して
他者の意見を聞き入れず、話がかみ合わない時間が無意味に流れていく。
そういう場面によく出くわした。
そんな人もきっと、20年位前には、もっと自分を押さえることもできていたのだろう
などと思って、ちょっと悲しくなるのだが。
『人生 五十年』とは信長もよく言ったものだ。
まあ、それくらいを境に、状況判断や抑制心というようなことも
衰えていくのかもしれない。
(実際自分も年取ってきたためか?)
どうも、若者よりも年配の方に接する機会のほうが多くなった。
そこで感じたことは…
よく「自己チュー」と若者がなじられることが多いかと思うが
この「自分勝手」ということは、何も若者だけのことではなく
年配者にも当てはまるように思う。
若者の場合は、自分の周囲への気配り不足ということがあるかと
思うが、年配者の場合はむしろその反対で、わかっていて自分を
押し通す、というところが見受けられる。
ある種、自己規制のタガが外れてしまった、とでもいおうか。
「ここまで生きてきたんだ、もう、何も恐いものはないぞ!」
みたいな開き直りだったり、あるいは、小学生のごとく駄々をこねる
自分中心だったり。
いくつくらいからそんなふうになっていくのだろう?
もちろん、全員がそういうわけではないけれども。
話し合いの場面などでは、いつも、それぞれが自分のことばかり主張して
他者の意見を聞き入れず、話がかみ合わない時間が無意味に流れていく。
そういう場面によく出くわした。
そんな人もきっと、20年位前には、もっと自分を押さえることもできていたのだろう
などと思って、ちょっと悲しくなるのだが。
『人生 五十年』とは信長もよく言ったものだ。
まあ、それくらいを境に、状況判断や抑制心というようなことも
衰えていくのかもしれない。