絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

今日で一月が終わる

2007年01月31日 10時37分26秒 | Weblog
はあ~、体調不良続きの1月が今日で終わる!
ごたごたしていたことも今日で終わりにしたいものだ。

この1週間とても暖かかったが、また本来の気温にもどっていく
予報が出ていた。
温暖化も人間の所業が原因というだけでなく、地球自身が
変わっていく過程なのかも。。。

体調悪くお琴の練習も全くする気にもなれず
そのまま稽古を続けていてもなにか意味がないような気がして
暖かくなるまで(というかしばらく調子がよくなるまで)
お休みすることにした。

そして、いろいろと冷静に考えてみた。
あと2,3曲で一応全部の曲を教えてもらうことになり
最後までやったということになる予定だが
はたしてそれは意味のあることなのか?
最後までやったからといって、この琴の場合は免状があるわけでもないし
試験があるわけでもない、ただ、その先生について
最後まで教えてもらった、というだけだ。
最後に大曲が残っているが、この曲だって、
どれをどのように弾かねばならぬということもないものだ。
譜面があれば(筝曲の人ならば)そんなに困らず弾けるだろう。
それに関心をもつかどうかの問題だけのような気もする。
そんな不遜なことを思ってしまうのもみなこの琴の現状が悲惨だからだ。

自分がもし何かを教える立場になったなら、
少なくとも教える内容を自分自身きちんと予習し
レベルを整えてからにするだろう。
それは、お金(月謝)をもらうもらわない、以前の
教える姿勢の問題であると思う。
また、人に何かを教えるからには、その分野について
常に自分自身研鑽していくべきであると思ったりする。

教える側からすると習う者は、自学を捨てて教えられるとおりに
するのが良い、というけれど
それは教える側が真摯な気持ちで対峙していてこそ、ではないのか?

学習塾の、宣伝はかまびすしいが実際は「自力で学力上げてって」みたいな
「場所だけ提供」してるだけのことなのと、よく似ている。。。