絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

自分が何をすきなのかわからない人間

2009年06月06日 09時22分44秒 | Weblog
そんな人いないと思うかもしれないが
実際存在する。
正確には「ほんとうに好きなものにいまだ出会ってはいない人」
というべきか。
なにをやっても長続きしないわたしがまさにそのての人間だ。
もちろん、飽き性とかいうことではない。

ほんとはどういうものが好きなの?とか
なにをやっているときが楽しい?とか
真顔で聞かれても困る。
興味がわいてもそれが10年と続かない。
努力が足りないから?
辛抱が足りない?
自分が好きなことをするのに「努力」「辛抱」の言葉は
似つかわしくない。
同じ行為をしても好きなことをしていて「辛抱」してるとは言わないだろう。

「血湧き肉踊る」ような充実感、それを一瞬でも感じられるようなこと
自分が自分であるということを確かめられること
果たしてこの先残り時間内に、わたしはそれを見つけられるか。
見つけられないまま終了になる予感がする・・・。

ひさびさに見た映画は

2009年06月06日 00時38分29秒 | Weblog
<重力ピエロ>です。
見ごたえがありました。
加瀬亮、でしたっけ、お兄さん役の人。
この役者さんはすごいです。

この原作はまだ読んでいないけど
やっぱり「神(GOD)」の存在抜きには語れないお話なのでは?
映画でも、事件が起こった後、次男の出産を決意して歩いていく場面に
ちらっと教会の十字架が写っていたように思いましたが
気のせいだったかな・・・

平凡でも暖かく幸せに暮らす人々を急遽襲う「悪」
どうしてわざわざこんな設定をするのだろうかと思ったが
人間らしさを踏みにじるような強烈な存在を登場させて
それでも、善意が愛情がその「悪」を乗り越えられることを
証明したかったのではないだろうか。
そうでなかったら、次男を出産することはないのだ。

映画には終わりがあったが、この話の最後はこれを観た人が
それぞれの胸の中で結論付けていく、そんな気がした。

文章教室

2009年06月06日 00時01分20秒 | Weblog
とある文章教室に入会した。
先生に指導していただくのは学生以来のことだ。
実に緊張し、また、書くこと自体悩む。
悩むくらいならわざわざそんなの習わないよね、とか思うが。。。

文章のジャンルもいろいろあるけど、そこでは「エッセイ」とうたっている。
「随筆」ともいう。
「随筆」って何なのかな、と思う。
ちょっといい話、とか、ほっとする話、クスッと笑いを呼ぶ話
読み終わった後にさわやかな風が吹いてくるような話、とか、とかとか・・・
そんな話かけないなあ、とのっけから困り果てた。
なぜって、わたしという人間がそもそも「ちょっといい話」とは無縁の人間だからだ。
へそが曲がっているからか?ものごと斜めに見てしまうからか?

そんなわたしの悩みなど関係なく会の方々はプロかな!?と思うような
作品をかずかず書いていらっしゃる。
ぜんぜん書けないわたしは落ち込む。
みなさん、どうしてそんなふうに「いい話」がいっぱいあるのだろう?
どうしてあんなふうにさらっと余裕たっぷりなコメントで
締めくくっていけるんだろう?・・・わからない。。。

「クレヨンハウス物語」のなかで落合恵子さんが書いていた。
<自分の中に、小さい頃の自分がまだいるのである>って。
へその曲がったわたしも同感だ。
自分は年をとってもう幼女でも少女でも乙女でもないけれども
ある日あるときの「少女」のわたしの感覚を覚えている。
そのときの悲しみや喜びもわたしといっしょに生きているのである。

大人らしく過去の出来事に余裕な感想で結論付けられない。
よって書くことが出来ない。
もっともらしいことは何も書けない。
文章教室、どうしよう。。。
書けませ~~~~~ン!


そういえば先生がおっしゃっていた「本当のことを書きましょう」というのが
どうしてもどうしても難しいのである。
「本当のこと」の意味はもちろん「作り話でないこと」ということなのだが
わたしには「本心を書きなさい」といわれているようなきがして
ものすごく悩んでしまうのである。
「本心」なんて軽々しくかけるものなのか?もうそこでくじけている。

ついこの前まで「なんでフィクションなんてあるのだろう?」と
思っていた。自分の考えていることをわざわざ虚構の世界を作り上げた中に
放りこんで検証したりなやんだり。。。なんだろうって、思っていた。
しかしブログに書いたこともあったかもしれないが
いまはわかる。つまり、本当のこと、自分という存在の奥深くに眠っている
真実の自己を探求する、あるいは自己を吐露するためには
フィクションという虚構が必要なのだ。
ありのままを書くのは苦しすぎるから、ではないだろうか。。。

そうやって考えてみると、作り話ではないジャンルのものを
書いている人は実に豪胆であるといえるのでは。。。
へそは曲がっているけれども豪胆には到底なれないわたしである。

ああ、これもまた挫折するぞ~~~~