「王の男」をもう3回も見てしまった。
はじめはジュンギだけを見ていたけど、
見終わって、どうしてこの相方のチャンセンが自由になっても
逃げていかなかったのか気になった。
そうか、チャンセンにとってコンギル(ジュンギ)はただの相方では
なかったのだ。
友情なのか愛情なのかはわからないが
彼にとってコンギルは大切な存在以上の者、
すなわち、彼自身の命だったのだ。
だから、死の危険を冒してもコンギルのいる宮殿を去れなかったのである。
ああ、そうだったんだ。
たとえ自分が助かっても、コンギルのいない世界はチャンセンにとって無と同じなのだ。
それに思い至ってから見る2回目。
冒頭の絵草子とともに流れる美しく荘厳な音楽が
チャンセンのコンギルに対する無償の愛を連想させて
とても切なく聞こえる。
そして、この狂気に満ちた王様の、秘められた悲しみや孤独に
改めて気づかされる。
コンギルが王に惹かれたとは思えないが、王の涙に感じるところがあったのは
間違いない。
芸人として、人を笑わせてきたコンギルが
芸が人を(王を)癒すことが出来ることに気づく。
そこで宮殿を出ようとするチャンセンとぶつかるのである。
チャンセンは嫉妬する。
王とコンギルの間に生まれかけたものに。
題名どおり王さまが男色か、といえばそうでないような気もする。
王さまは、ただ孤独だった、母親と離されて悲しかった、寂しかった、
それが精神のバランスを崩させていたともいえるからだ。
女官では得られない、高潔ななにかを求めていただけかもしれないのである。
いや~、語れば長くなってしまいますね~
ほんと、よく出来た映画って何回見ても面白いわ。
ィ・ジュンギは背も高く声も低めなのに
なぜかこう守ってあげたい女性に見えてくるからすごいです。
せりふはすごく少ない。
自分に降りかかってくる運命をそのまま受け入れる、
そういう感じがよく出ていました。
それに引き換え、「初雪の恋」はさ~~
お金の無駄使いだよ。
興行としては失敗だそうで、当たり前ジャン、と思ってしまう。
宮崎あおいがいかんよ。この人の得意技は元気な女、ですよ。
この映画と「フライ・ダディ」で、ジュンギはダブルパンチの失敗だったそうだ。
まあ、「イルジメ」がまたヒットしたので良かった良かった。
はじめはジュンギだけを見ていたけど、
見終わって、どうしてこの相方のチャンセンが自由になっても
逃げていかなかったのか気になった。
そうか、チャンセンにとってコンギル(ジュンギ)はただの相方では
なかったのだ。
友情なのか愛情なのかはわからないが
彼にとってコンギルは大切な存在以上の者、
すなわち、彼自身の命だったのだ。
だから、死の危険を冒してもコンギルのいる宮殿を去れなかったのである。
ああ、そうだったんだ。
たとえ自分が助かっても、コンギルのいない世界はチャンセンにとって無と同じなのだ。
それに思い至ってから見る2回目。
冒頭の絵草子とともに流れる美しく荘厳な音楽が
チャンセンのコンギルに対する無償の愛を連想させて
とても切なく聞こえる。
そして、この狂気に満ちた王様の、秘められた悲しみや孤独に
改めて気づかされる。
コンギルが王に惹かれたとは思えないが、王の涙に感じるところがあったのは
間違いない。
芸人として、人を笑わせてきたコンギルが
芸が人を(王を)癒すことが出来ることに気づく。
そこで宮殿を出ようとするチャンセンとぶつかるのである。
チャンセンは嫉妬する。
王とコンギルの間に生まれかけたものに。
題名どおり王さまが男色か、といえばそうでないような気もする。
王さまは、ただ孤独だった、母親と離されて悲しかった、寂しかった、
それが精神のバランスを崩させていたともいえるからだ。
女官では得られない、高潔ななにかを求めていただけかもしれないのである。
いや~、語れば長くなってしまいますね~
ほんと、よく出来た映画って何回見ても面白いわ。
ィ・ジュンギは背も高く声も低めなのに
なぜかこう守ってあげたい女性に見えてくるからすごいです。
せりふはすごく少ない。
自分に降りかかってくる運命をそのまま受け入れる、
そういう感じがよく出ていました。
それに引き換え、「初雪の恋」はさ~~
お金の無駄使いだよ。
興行としては失敗だそうで、当たり前ジャン、と思ってしまう。
宮崎あおいがいかんよ。この人の得意技は元気な女、ですよ。
この映画と「フライ・ダディ」で、ジュンギはダブルパンチの失敗だったそうだ。
まあ、「イルジメ」がまたヒットしたので良かった良かった。