絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

もういいかげんにしないと

2009年07月13日 13時41分16秒 | イ・ジュンギ
何度でも観てしまう「王の男」
いい加減にしないと日常生活が・・・
それにしても、観れば観るほど、チャンセンのコンギルに対する執着や愛情が
伝わってきて、男女間の恋愛なら進んでいくものを、と
すごく切ないのでした。。。
「初雪・・・」よりよっぽどこっちの方が純愛かもしれない。
王から逃れられないコンギル、コンギルをあきらめられないチャンセン、
またコンギルもチャンセンなくしては生きられないのでした。。。
王は王で、自分を癒すコンギルを手放すことは到底出来ない、
誰かがこの世から消えてなくなるまで、このトライアングルを断ち切ることは出来ない・・・

最終章の京劇で、コンギル演ずる「王の母」が毒を煽って
「アドラ~(息子よ)」とよびかけるシーンでは、
劇中劇にもかかわらず、なぜかじーーーーんとして涙腺が緩みました。
現実が虚構化されまた虚構が現実に反映されて行くという
まさに演劇のありようを体現しているかのような場面でした。
ほんとにイ・ジュンギが不思議に美しいです。

あーーーーー、早く返却せねば・・・・・・・・。




王の男、さらに

2009年07月13日 01時39分24秒 | イ・ジュンギ
いや~、この作品、それぞれの登場人物にスポットを当てて
考えてみるともっと面白いです。

コンギルという「女性より美しい」とされる芸人は
感情を露骨に表しません。せりふも少ない。
コンギルはどういう人物なのでしょうか?
(わたしもはなはだヒマ)

順にコンギルの様子を追っていくと
この人物が何を考えていたのか、少しわかるように思います。
明確に描いていない、言葉としても発していない、
となると、見る側の想像力がものをいうのかもしれません。
以下はわたしの勝手な解釈。

男色の愛かどうかはわからないが
コンギルは相方のチャンセンを大切に思っていた。
それゆえ、チャンセンの足をつぶそうとした親方を思わず鎌で刺してしまう。
これから先のことがみえないときでも
相方と芸をしてこころからうれしいのだった。
また、悪名高き王に呼ばれたときも
もって行った人形で表したのは
チャンセンと自分のこころのありようではなかったか。
そして、この暴君のなかにある寂しさや悲しみを感じ、
それを掬い取ることができるくらいの感受性をコンギルは持っていた。
だから王の下をすぐに去ることが出来なかったのだ。
コンギルの演技は、この感受性のためにより迫真のものになり
王は、現実とフィクションの混濁を起こしてしまう。
すべてが破滅に向かって進んでいく中で
コンギルはただひとりの芸人として、大切な相方とともに
嬉々として死を選ぶのだった。。。

ア~~~寝不足続くわ~~~