私の友人の1人にS君というのがいた。彼とは高等学校の
頃に同じクラブに所属していたことがあり知り合いになった。
その頃、S君の家は地方の小さなお寺の住職をしていた。彼
は兄3人、姉2人そして彼の6人兄姉の末っ子だった。
檀家の少ない小さな寺を継ぎたいという兄姉がいなかった
ために、彼が継ぐことになった。ご両親はS君にお寺のしき
たりやお経の読み方などを辛抱強く指導したという。しかし、
S君は高等学校で理科系の大学へ進学したいという希望を
持っており、そのための勉強に懸命であった。そのことを知
ったご両親は大変失望したという。
高等学校を卒業して東京へ出てきたが希望の大学の門は、
S君にとって固く閉ざされていて3年間も開かれなかった。そ
の間S君は仕事をしながら生計を立て夜間大学へでも入り
たいと懸命であった。しかしその夢も叶うことはなかった。
そんななか、S君のご両親が相次いでなくなってしまった。
S君はご両親の墓前で長い時間涙を流していたという。その
涙の中にS君は何を込めたのだろうか。それは誰にも分か
らない。 その後S君は生家にとどまり大型トラック(タンクロ
ーリー)の運転手になった。S君は岩手県で牛乳をタンクロ
ーリーに満載し千葉県の乳製品加工工場へ運ぶ定期便を
担当した。
まだ高速道路が開通していなかった時代に片道400Km
を運転するのは大変なことだったと思う。その後約40年間
その仕事を続けた。会社から絶対の信頼を得てきたが、定
年を迎えたS君は静かに農業をしながら過ごしたという。
S君の夢はとうとう叶うことはなかった。しかし、S君はご両
親の住んでいた生家で暮らし夢は一つとは限らないことを示
してくれた。S君は自宅に集まった近所の子供達に夢を大事
に育てることの意義を伝えてきたという。