寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

立冬を迎えて

2015年11月09日 23時28分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 庭ではまだ虫が鳴いています。最盛期とは違って何故か

かわいい鳴き声に聞こえます。でも今は2種類の虫のよう

です。庭の花も菊とキョウチクトウそして買ってきた鉢植えの

花が咲いているだけになりました。

 タブロイド判の週一回発行される”タウン ニュース”は我

が町と隣町のざる菊が最盛期に入ったと伝えていました。

昨年見に行ったときは、かなり広い敷地に沢山のざる菊が

植えられていました。種類も数種類ありましたが、見事な

できばえでした。我が町のざる菊の栽培者は、希望者に

は来春苗を分けてくれると言っていました。

  ざる菊の株は直径50~60cmほど、高さは約40cmほど

でざるを伏せたような形に見えます。ざる菊の由来ですね。

近日中にまた見に行こうと思っています。写真を写してきた

らブログに掲載しますのでお楽しみに。

 


未来を見つめた神宮の森 造園計画

2015年11月09日 22時39分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

  不勉強な私は知らなかったのですが、明治神宮の森は、

本多静六、本郷高徳、上原敬治氏を中心に多数の林学の

専門家達が1921年に「明治神宮御境内 林苑計画」を作

成したという。 その計画は、100年、150年、200年を見

据えた計画だったという。そこには現在の植生遷移という

概念を構想したという。時の首相は簡単に杉林にするよう

にと指示したが上記の構想に基づいた将来自然林にする

計画を譲ることはなかった。それは前述のように世紀を単

位とした広葉樹を中心とした極相林に到達するという計画

の中に自然の自己生産可能なように外部からあるいは外

部へ物質の移動をしないことそして下草刈りや枝落としな

どをしないことを決めたという。

 造園は全国から勤労奉仕隊が集まり植林の樹木も全国

から寄贈されたという。

 やがて100年になろうとしている神宮の森は武蔵野に広

がる自然林と同じ状態になった。世紀を超えた計画実行に

移し、成功した。これをもって日本における近代造園学の

創始と呼ばれることになった。

 例えばかって建設された各地のダムも計画から数十年を

経て完成するというのは珍しいことではないが、ダムの底部

に蓄積される土砂の対策は計画には入っていなかったのだ

ろうか。各地のダムは土砂の蓄積によってダムの機能に支

障が出ないという保証はどうだろうか。

 それは原子力発電所計画にも該当するのかも知れない。

特にモンジュ計画について言える。モンジュ計画は成功すれ

ばエネルギー問題に多大の貢献をするはずだった。しかしい

わゆる想定外の事故や支障が出ても一向に改善される見通

しが立たない状態のようですね。計画は将来を見据えた最良

のものと思われた。しかし計画当時はいろんな事態を想定し

たものと思うのですが、福島原発事故によって生じた幾多の

想定外な瑕疵を検討しなければならなくなってしまった。その

間にも各種の支障が生じ、管理団体が不適切と提言するこ

とになってしまった。

 この頃このような不祥事が多いような気がします。

 経済成長を極度に望む結果、人の心が失われてしまったの

だろうか。それとも責任ある立場にいる人達の能力が低くなっ

てしまったのでしょうか。何とかしなければいけませんね。