洋楽を聞き、歌舞伎を見、能楽を最後にして秋に購入したチケットで鑑賞し終えた。
古典芸能はテンポが遅いので、普段見かけない舞台上の小道具やら衣装に目を向けて想像を楽しんでいることが多い。
歴史の記述だけではわからない、おそらく当時の暮らし方が舞台に登場しているのだろう。 いったいあの衣装はどのように着付けるのか、
裃のぴんと張った状態は、どのように保ち、いつ頃からとり入れられたのだろうか、などと際限なくwikiに尋ねたくもなる。こうして書こうとするからこそ、
新たに調べる機会にもなり、知りうることになる。 裃の下に手を納め、座っている姿は、韓国の女性が上着の下に手を納めているのと似ている。
初めて「釣狐」を鑑賞したときに、能にもこんな演目があるのかと、楽しんだ。 夏の衣を着て出かけただろう。狐は白かったように思い出す。数年ぶりに再び見られると知り、
出かけた。二度目とあって、見るのにも余裕がある。 首を振りながら「クッシッ クッシッ」と叫び漏らしたり、
上下のあごを小刻みに振り合わせたりして、狐のコミカルなしぐさを楽しんでいる。 1時間ほどはあっただろうから、重労働な芸能だ。
能の立ち姿勢を見ていると、何やら腰がむずむずしてくる。初秋におこしたぎっくり腰の状態に似ているからだ。 独特な居立ち方で
こそばゆくないだろうか、腰を固定して重心を低くし、絶えず足裏を床から離れないようにして動いている。
が、武士が刀を挿して構えるような姿にも見えてくるし、重心移動が速そうだ。 昔と現代では歩き方が違うらしい話も思い出していた。
亡霊やら亡くなった魂の怨霊を静めたり供養するような、どこか陰気めいた題材が多いようにも感じた。 刀で人を切る時代だったから、
男性による人の心が求めた芸能かもしれない。狂言がセットになっているのは、料理に例えれば、前菜の役目を果たしているのだろう。
笛が鳴った。
陰陽師の映画でも、人と獣に入れ替わる場面にもやはり笛が作用した。 私が見ていた場面も、あちらの世界とこちらの世界に通じる
橋渡しになっているのだろうか、などと笛の音を聞きながら連想していた。
これもユネスコの文化財に登録された日本文化の遺産のひとつである。