for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

「ファンタジー

2013年11月21日 14時32分39秒 | 鑑賞

を読む」河合隼雄

大分汚れもあり、それでも自分で買った本を再び開いてみた。河合先生はとても含蓄のある文を書き残しておられる。

ファンタジーの概念を説明しながら作品の紹介を進めていく。 「夢想」とでもいう言葉に置き換えられるだろうか。形のないものを

改めて言葉に置き換えるには、どうにも私には自信がないのだが。 ファンタジーは、ユーモアよりも心の中での動きが発生して生まれるようだ。「床下の小人たち」は、宮崎アニメで製作されている。

ファンタジーの登場人物に、病んだ人がいる。お話が展開するうちにある人は病気が治って成長したり、ある人とは別離がおきたりする。 読者は読み進めながら、何によって癒されたのか

同じように共有していく。

抜粋  人間のアイデンティティは矛盾したり対立したりするものの巧妙なバランスの上に立っている。(人間は、杓子定規で計れない面もある。現わし方が絶妙です。)

「深める」とはどういうことか。・・「誰が正しいか」とか「どちらが悪いか」という問いにではなくて、その「意味は何か」という問いに応えようとするのである。(丸か×かではなくて、受け止めてみる。そして、考えてみよう。)

日本人はファンタジーを書くのが苦手なのだろうと思われる。・・・日本人は、意識と無意識の隔壁が西洋人に比して薄いので、ファンタジーをひとつの作品として結実させるのが

難しいのではないかなどと考えている。(これは、宗教・教会が介在し、浮遊する自分の行方を意味しているのだろうか、と私は思った。

書かれた当時の内容とは違って、現代を言い当てているとは言えない箇所もあるかもしれない。 

人間のマイナス局面要素は、お話になくてはならないだろうが、そんなものを抜きにして心を満たし、高揚させるファンタジーがあったら、知りたいと、思っている。

読み進めながら、材料で登場しただろうドールミニチュアを思い出したりしていた。著者のお国柄や背景に関心を寄せるのも楽しみに繋がるだろう。

 

 


冬物支度

2013年11月13日 08時52分06秒 | 日常の発見

急に寒くなって、セーターを出した。冬一番が吹いたそうだ。

タレントではないにしても、 季節に一度も手を通さずに元の場所に収める洋服もあるだろう。

昨日、マネキンの洋服の布を触ったけれど、 値段を見て、ずいぶん値が張っていると知ったが、

半ば白けて通り過ぎた。 もっとも素材からして温暖化に適した原産地使用か、ヤングエイジ使用にも見えた。

肩のこるような衣類は必要ないし、多くの品であっぷあっぷするより、快適なもので暮らしていた方がラクなのは、いうまでもない。

子育て中は必要なかった、ドルが360円の頃に買ったラムの乗馬スタイルのバックスキンは、腰丈まであるので、未だに、十分重宝している。

一番のアンティークといえるだろう。 

自然繊維の衣類は値段が上がったように感じる。けれど、 化学繊維は、動きやすい。

消費税アップの時流で、普段届かない商品が商戦になっているらしい。 きっと毛皮人口が増えるのかもしれない。急いで歩くと車内では暑いし、着膨れし、脱いで持つにしても

かなりがさばる。 ゴージャス感は期待できそうだ。

でも、車内では、適切温度で椅子がぬくぬくしていると思う。ああ、エコスタイルだったねえ。(コペンハーゲンで開催されていた、重量単位で持ち寄りの衣類を交換していた市の模様)


たぶん、気候が変動している。

2013年11月13日 07時05分20秒 | 日記

気持ちの良い、春秋の季節が短くなっているようだ。

ドイツでも早、カーニバルが始まったそうだけれど、昨日、今日と急に気温が下がり12月並だそうだ。

それでも太陽の光に体感がどこか呼び覚まされ、まだ慣れない気温に右往左往している。

 


まだ本調子でもなくて、

2013年11月11日 16時08分41秒 | 日常の発見

買い物ついでに散策を考えて外出する。

天気があまり芳しくなかったから予定を変更し、公園に寄った。ふたりの男の子が柵の杭に乗って歩いている。見ていて楽しそう。

「楽しそうだね!」「うん、あっちからずっと始めたんだ。」

やってみたいけれど、乗りあがる支えもない。 まだ不調だから体が自由にならないのだろう。 というわけで、

林の中の遊具に乗ってバランスをとることにした。

年増のぺけさんが、とでも思ったのかもしれない。 応援してくれたり、話しかけたりしてくる。

蜘蛛の巣が邪魔だったのがきっかけで、蜘蛛の巣払いを教えた。 散策中に、「あそこにあるよ」と声掛けると、

ふたりで競争して蜘蛛の巣払いに興じる。 遊ばせてあげようという気持ちがあったわけでもなかったけれど、

ふたりして、少しばかり退屈していたのかもしれない、まだ大人に着いてくる年齢の子供だった。 

眩しくて帽子をつけていた時刻から、チャイムがなった4時過ぎまでいただろう。

[蜘蛛って、話すんだっけ!」と子どもから聞かれて笑ったり、悪ふざけに泣きべそぶりをかいたりして、無邪気な時間を過ごした。

乗ってきた自転車のチェンーが外れて、手当てして手も汚れた。治らなかったので、あまり暗くならないうちにと、買い物袋からガムとミカンを取り出して

家に帰るように促した。