これも愛? 多分愛? きっと愛♪
いささか旧聞に属しますが・・・って、実は書こうと思いながらすっとばして、いつのことやら忘れてしまったというのがほんとなのです・・・。
あの、80代の癌を患っている夫が、認知症だか寝たきりだかの・・やはり80代の奥様を殺した、という事件がありましたよね?
夫は自分の余命がそれほど長くないと思い、自分が死んだら、この寝たきりの妻はどうなるのか? 誰が面倒を看るのか?と将来を悲観して。
確か、情状酌量ありありで、執行猶予付きの有罪という判決が下されたと思います。
まぁ、80代のご夫婦のことだし、奥さんを手にかけた夫の気持ちもよく分かります。
私は妥当な判決だと思います。
全然、ケースが違うとは思いますが、私は時々・・・そうね、例えば経営していた自分のちっぽけな会社が倒産して借金を抱えてやっぱり将来を悲観して、一家心中する事件も起きるじゃないですか。
ああいうのを見聞きするにつけ、単に、死にたいなら自分ひとりでさっさと死んで?家族を巻き添えにするものじゃない、というような意見が出るけれど、そうかな?なんて思ってしまうのです。
ごめんなさい。今頃・・・謝っておきますけど、事故でもそうです。飛行機の墜落や自動車同士の衝突事故でも、家族全員が亡くなるのでなく、一人生き残ったとか、そういうの、果たして幸せなのか・・・と思う人間です。
最初のケースに戻りますが、あの、妻を手にかけた夫は看病に疲れたというのもあるでしょうけれど、それより、ひとり残されるであろう奥さんをいたわったのではないか、なんて。 誰か、面倒を看てくれる人は現れるかもしれませんよ。でも、それには忍びなかったというか、自分が先に送ってやることが、最後の思いやり、愛情だと思ったんじゃないのか、なんて考えるんです。
私は・・・だから・・・こういう事件を知ると、「老後、大切な人を遺していっても安心して旅立てるよな社会を築け」と声高には叫べない。
もし私が寝たきりで認知症になっていたら、夫に殺されるのはひょっとしたらありがたいことかもしれない、なんて感じます。
だって、自分の死後、80代にもなっていてさえ俺が死んだら、残されたこいつが不憫だ、なんて思ってもらえるとしたら、もうそれは究極の愛情のように思えませんか?
いささか旧聞に属しますが・・・って、実は書こうと思いながらすっとばして、いつのことやら忘れてしまったというのがほんとなのです・・・。
あの、80代の癌を患っている夫が、認知症だか寝たきりだかの・・やはり80代の奥様を殺した、という事件がありましたよね?
夫は自分の余命がそれほど長くないと思い、自分が死んだら、この寝たきりの妻はどうなるのか? 誰が面倒を看るのか?と将来を悲観して。
確か、情状酌量ありありで、執行猶予付きの有罪という判決が下されたと思います。
まぁ、80代のご夫婦のことだし、奥さんを手にかけた夫の気持ちもよく分かります。
私は妥当な判決だと思います。
全然、ケースが違うとは思いますが、私は時々・・・そうね、例えば経営していた自分のちっぽけな会社が倒産して借金を抱えてやっぱり将来を悲観して、一家心中する事件も起きるじゃないですか。
ああいうのを見聞きするにつけ、単に、死にたいなら自分ひとりでさっさと死んで?家族を巻き添えにするものじゃない、というような意見が出るけれど、そうかな?なんて思ってしまうのです。
ごめんなさい。今頃・・・謝っておきますけど、事故でもそうです。飛行機の墜落や自動車同士の衝突事故でも、家族全員が亡くなるのでなく、一人生き残ったとか、そういうの、果たして幸せなのか・・・と思う人間です。
最初のケースに戻りますが、あの、妻を手にかけた夫は看病に疲れたというのもあるでしょうけれど、それより、ひとり残されるであろう奥さんをいたわったのではないか、なんて。 誰か、面倒を看てくれる人は現れるかもしれませんよ。でも、それには忍びなかったというか、自分が先に送ってやることが、最後の思いやり、愛情だと思ったんじゃないのか、なんて考えるんです。
私は・・・だから・・・こういう事件を知ると、「老後、大切な人を遺していっても安心して旅立てるよな社会を築け」と声高には叫べない。
もし私が寝たきりで認知症になっていたら、夫に殺されるのはひょっとしたらありがたいことかもしれない、なんて感じます。
だって、自分の死後、80代にもなっていてさえ俺が死んだら、残されたこいつが不憫だ、なんて思ってもらえるとしたら、もうそれは究極の愛情のように思えませんか?
殺人は絶対にしてはいけないこと、それは大前提にありますが、場合によってはなんてこともあるのかもしれません。
でもやはり殺人はいけません。
家族の中でひとりだけ残ったら・・。
微妙ですね。
私も楽母さんと同じような思いはあります。
辛いときなどは「なぜ自分だけ・・」なんて思っちゃうでしょうね。
こんなことを書いたら、どこからか非難されそうですね・・。
こういうの書くのは、確かにちょっと勇気が要る。
でも、良識ある人なら分かってくれるという事で。
憎いから殺す、というのじゃないでしょ?
この場合。だれだって人殺しなんてしたくないわけだし。それでも思い余るというのは分かるなぁ。
でも、あしなが育英金だっけ? それを貰って進学した子供の言葉を聞いたこともあるんだけど、やっぱり
すごく辛いし、自分を責めた、みたいな事言ってる子多いよ。まぁ、親が自殺しなきゃいいんだけど。殺人はもとより自殺だって、絶対によくないけど。それは分かってるけど・・・。
月曜からクリーニング屋さんが30%offになるので、コートなんてどっさり。
ほな、これからちょっと。。桜の花見ならぬ下見に
行って参ります。またね~。
朝から母の長電話に付き合って・・・。
うっとうしい内容だったので、気分もどんより。。。
子どもが巣立ったら、親の介護の問題が・・・。
で、選びようもないけれど、自分はどう死にたいか(?)なんて話になって・・・・。
「夜寝て、朝起きたら死んでいた」なんていうのが、理想なのですが・・・。
様々な意見があると思いますが、基本的に私は「死ぬなら、ひとりで死ね!」と思っています!
家族を巻き添えにする「一家無理心中」なんていうのは、言語道断だと思います。
辛いこと、苦しいことなどいっぱいあるかもしれないけれど、楽しい事だっていっぱいあるはず・・・。
自分の病気が分かり、残された妻の身を案じて、殺めてしまった・・と言うのは、切ないけど、気持がよく分かります。
あの事件で、夫が執行猶予が付いて、釈放になったけど、
我が家での会話・・・・
身寄りの無い病気の老人なので、かえって刑務所に収監されてた方が、3度の食事が共され、病状に合わせてお粥も炊いてくれ、病状が悪いとすぐに医者に診せてくれるので、そのまま刑務所の方が寂しくないのじゃないかな??って。
以前新聞で、老受刑者の生活振りを読んで、至れり尽くせりの感があったのです。でも、罪びとで逝くのは嫌でしょうね。
子供を道連れの無理心中は、親のエゴだと思います。
子供の人生は、これから何十年も続くのですから。