あたしが子供だった頃は、時々、停電や断水があった。
台風なんて来ると、それは多分、停電・断水とセットされていたのか(念のために書いておくけど、あまりに御幼少で記憶が曖昧)母が、いそいそ・・・・子供の目にはいそいそしているように見えたのだ・・・・準備をしていた。
いつもなら夕方から炊くご飯を「いつ停電になるか分からないから」と早めに炊いていた。
台風はほとんどが暑い時期なので、お茶も、早めに沸かして麦茶が薬缶に入っていた次第。
社宅の窓には木の雨戸が付いていて網戸袋?からガタゴト雨戸を引き出して最後の一枚だけはまだ閉めずにいて、ちょっとだけ灯りとり?になっていた。
母はご飯を炊く間に、懐中電灯や蝋燭もすぐ手の届くところに出していた。
小さな黒いラジオも食卓の上に出されていた。
父は、そんな日でも出勤していて、途中で一度帰って来たように思う。
ガタゴトの雨戸を打ちつけている時もあった。
そして、、、また職場に戻って行った。
紡績工場勤務の父は、家族よりも機械が心配だった??
台風の夜は、母の作ったおにぎりを食べていた・・・という記憶しか無くて、おかずってどうしてたんだろ??
社宅の天井には夜になるといろんな形に見えるシミがあったものだけど、そのシミがどうして出来るか、というのを知ったのも台風の夜だったと思う。
雨漏り。。。
母は洗面器やバケツをぽつんぽつん漏ってくる畳の真下に置いて、落ちた雨粒がはねないように中に雑巾も敷いていた。
暗くて蒸し暑くて、雨風の音が怖いのに、雨粒の落ちてくる瞬間が面白くて、バカみたいに天井を見上げて、洗面器に正確に落ちてくるそれを飽かず眺めていた(笑)
それでも子供だったからいつしか眠ってしまって、翌朝は、本当に『台風一過』そのもののような青空を見ることになる。
ま、一番ひどかった時は、社宅の各家を隔てている木製の塀がぜ~んぶ倒れて、数軒先の家まで見通せた、っていう思い出もあるけれど。 炊き出しがあって、その日も朝からおにぎりが配られていた、、、のは伊勢湾台風の時だったのか?
私も結婚してから、台風が来ると分かると母のように早いうちからご飯を炊いて、お茶もしっかり沸かします、というのが続いていたけれど、幸いなことに停電も断水も一度もなく、四神に護られた??京都の地には大きな被害も出ない。
なので、油断??してるのか、いつもと同じように過ごしている。
これを書いてる今だって(19日、16時51分)炊飯器のスイッチはまだ入れてないし、大雑把に料理の下ごしらえをしただけで、PCと遊んでる。
被害の出てるところもあるというのに、あたし、これじゃいかんね。
☆お知らせ~☆
GACKTのハリウッド進出記念すべき第1作目(2作目以降はあるのか?ww)『BUNRAKU』が来月14日、WOWOWで放送されるらしい。
観られなかったファンの皆様、乞うご期待!
7/14(土)午後4:45~どぇす。
台風なんて来ると、それは多分、停電・断水とセットされていたのか(念のために書いておくけど、あまりに御幼少で記憶が曖昧)母が、いそいそ・・・・子供の目にはいそいそしているように見えたのだ・・・・準備をしていた。
いつもなら夕方から炊くご飯を「いつ停電になるか分からないから」と早めに炊いていた。
台風はほとんどが暑い時期なので、お茶も、早めに沸かして麦茶が薬缶に入っていた次第。
社宅の窓には木の雨戸が付いていて網戸袋?からガタゴト雨戸を引き出して最後の一枚だけはまだ閉めずにいて、ちょっとだけ灯りとり?になっていた。
母はご飯を炊く間に、懐中電灯や蝋燭もすぐ手の届くところに出していた。
小さな黒いラジオも食卓の上に出されていた。
父は、そんな日でも出勤していて、途中で一度帰って来たように思う。
ガタゴトの雨戸を打ちつけている時もあった。
そして、、、また職場に戻って行った。
紡績工場勤務の父は、家族よりも機械が心配だった??
台風の夜は、母の作ったおにぎりを食べていた・・・という記憶しか無くて、おかずってどうしてたんだろ??
社宅の天井には夜になるといろんな形に見えるシミがあったものだけど、そのシミがどうして出来るか、というのを知ったのも台風の夜だったと思う。
雨漏り。。。
母は洗面器やバケツをぽつんぽつん漏ってくる畳の真下に置いて、落ちた雨粒がはねないように中に雑巾も敷いていた。
暗くて蒸し暑くて、雨風の音が怖いのに、雨粒の落ちてくる瞬間が面白くて、バカみたいに天井を見上げて、洗面器に正確に落ちてくるそれを飽かず眺めていた(笑)
それでも子供だったからいつしか眠ってしまって、翌朝は、本当に『台風一過』そのもののような青空を見ることになる。
ま、一番ひどかった時は、社宅の各家を隔てている木製の塀がぜ~んぶ倒れて、数軒先の家まで見通せた、っていう思い出もあるけれど。 炊き出しがあって、その日も朝からおにぎりが配られていた、、、のは伊勢湾台風の時だったのか?
私も結婚してから、台風が来ると分かると母のように早いうちからご飯を炊いて、お茶もしっかり沸かします、というのが続いていたけれど、幸いなことに停電も断水も一度もなく、四神に護られた??京都の地には大きな被害も出ない。
なので、油断??してるのか、いつもと同じように過ごしている。
これを書いてる今だって(19日、16時51分)炊飯器のスイッチはまだ入れてないし、大雑把に料理の下ごしらえをしただけで、PCと遊んでる。
被害の出てるところもあるというのに、あたし、これじゃいかんね。
☆お知らせ~☆
GACKTのハリウッド進出記念すべき第1作目(2作目以降はあるのか?ww)『BUNRAKU』が来月14日、WOWOWで放送されるらしい。
観られなかったファンの皆様、乞うご期待!
7/14(土)午後4:45~どぇす。
未だに台風がやってくるという日に普段通りお出かけする人に違和感を覚えたり、テレビの台風の実況中継に見世物的なものを感じてしまいます。昔はもっと切実な台風の迎え方?をしていたかな。通り過ぎるのをじっと我慢の子で。
ろうそく、缶詰、ラジオは必需品でしたね。
そうですね。平成も24年になりましたからね。
いま、原発を止めると停電だと騒いでいますが、戦時中は普通でしたね。
≪木の雨戸が付いていて網戸袋?から・・・≫
私たちは単に「戸袋」と呼んでいました。
寒いです!
同じ時代を過ごして来た私も、停電の暗闇でロウソクを灯してラジオを聞いていました。
台風接近中ってわかってて、外出する気持ちがわかりませんし、強風の中で傘をさして「きのこ」にしているのも理解不能です。
テレビ局の人が、防波堤のすぐそばでリポートしてるのが意味分かりません。
海がどれほど荒れてるか、うねりがどんだけすごいか、そんなもん体を張ってまで中継してほしくないです。
そんなことしているテレビが、危険ですから外に出ないように、っていうのっておかしいと思います。
そうそう、缶詰、こういう日に開けていたのを思い出しました(笑)
ippuさん
やっぱり『戸袋』でいいんですね?
時々、あまりに御幼少過ぎて、それで本当に良かったのやら、我が家特有の言い回しやらが判然としなくて、テキトーな事を書いてしまいます。
ちなみに、我が家、南側の2階には雨戸がありますが、アコーディオン式に折り畳むアルミ製(だと思います)で、戸袋なんてありません。
エーさん
風におされてムーンウォークしてるアホも見かけました。
傘も、コンビニビニール傘とか、折りたたみ傘とか、どう考えても耐久性ないでしょ、みたいなのをさす人とか、雪の日にハイヒールはいてる人とか、信じられません!
doriちゃん
ニュースで、浜松駅前の様子が映ってました。 木がものすごい揺れてた。
浜松時代も台風って大きかったよね。
私ね、あれから富山に引っ越して、富山は日本海側で山が防いでくれているのか、あまり大きな台風来なかったし、その後は京都でしょう? 京都ってさすが盆地だわ、ってつくづく思う。
風だって遠州名物から思えばそよ風よ(笑) 5号もね、、、来てるんだよね。。。