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飯塚事件:久間三千年(事件当時54歳)の死刑執行は正しかったのか? その1

2022年02月14日 | #福岡県・飯塚事件

飯塚事件:久間三千年(事件当時54歳)の死刑執行は正しかったのか? その1

 

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その2 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その3 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その4 ←クリック。

NHK・BS1スペシャル・「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮」 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行 底知れぬ闇 ←クリック。

 

 

 

 

飯塚事件とは、1992年2月20日に、

福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明になり、

翌21日に同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された事件です。

 

 

福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月23日に

死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。

その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。


久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、

福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。

最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。

そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。

 

2009年に久間さんの妻が再審請求しましたが、

2021年4月に再審請求棄却が確定しました。

2021年7月に久間さんの妻が【第2次再審請求】を申し立てました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 

 

「飯塚事件」で元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を行いました。

 新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言です。

 

「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えています。

目撃証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになります。

死刑執行後の第2次再審請求は異例の展開を見せています。

 

飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、

DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、

2006年9月に最高裁で死刑が確定しました。

 

久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していましたが、

死刑確定わずか2年後の2008年10月に死刑を執行されました。

 


2009年に妻が起こした第1次再審請求では、

再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定

の結果が実質的に証拠から排除されたものの、

「それ以外の状況証拠を総合すれば

久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」

と判断されました。

 


最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は今年2021年4月の決定で、

弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていました。

 

 


◆軽自動車にランドセルを背負った女子児童。

飯塚事件が起きたのは1992年2月20日です。

登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、

同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、

ともに遺体となって見つかりました。

 

 

確定判決では、首を絞められたのが死因で、

殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされました。


同日午前11時ごろに、

のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、

とする証言が状況証拠の柱になっています。

 

 

第2次再審請求書によると、

新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。

 


◆2月20日の午前11時ごろ、

飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、

後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた

白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。

 


児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。

運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。

児童のうち1人はオカッパ頭で、

ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、

うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。

 


もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。

軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、

後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に

「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」

との思いで男性のほうを凝視したそうです。

 

 

◆久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」。

Aさんは目撃した日の夜、

飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。

平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、

表情から家族連れとも思えなかったので、

不審に感じて翌朝、警察に通報しました。

約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。


その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。

Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、

運転していた男性が真犯人だと確信していた。

 

このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して

同一人物かどうか直接確認したが、

「まったくの別人で驚いた」としている。

 

ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、

「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。

今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が

(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。

 

 

「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」

との思いが湧き起こった。

この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。

 

 

◆「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く。

Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、

弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」

と記している。

それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。

 

Aさんは当日、

100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、

さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして

「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、

「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。

 


平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、

「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、

「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。

 

また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、

Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、

記憶が明確化されて維持されたと指摘している。

 

 

目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、

弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、

運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。

 

 

◆「事件のことがずっと頭に残っていた」

弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。

主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、

Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて

「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」

と捜査を批判した。

 

 

Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。

弁護団は2次再審で、

久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、

関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。

 

 

 

この証言をめぐっては、

目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に

久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、

証言内容を誘導した疑惑が浮上している。

 

 

弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、

Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと

立証するための課題を挙げながらも、

「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、

Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。

 

◎著者プロフィール

小石勝朗(こいし・かつろう) 

朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。

冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援などの社会問題を中心に幅広く取材し、

雑誌やウェブに執筆している 。

主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)。

(2021年08月27日公開) 

 

 

 

 清水潔・著 『殺人犯はそこにいる』新潮文庫。    ←クリック。

 ―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件― 新潮社   ←クリック。

 

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飯塚事件、2度目の再審請求 新証拠:新たな目撃証言 その3

2021年09月25日 | #福岡県・飯塚事件

飯塚事件、2度目の再審請求 新証拠:新たな目撃証言 その3

新たな目撃証言「別人の車に2女児」 

飯塚事件、2度目の再審請求   西日本新聞。

 

福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、

死刑が確定し、執行された久間三千年さんの遺族が2021年9月9日、

2度目の再審請求を福岡地裁に申し立てた。

 

確定判決が認定した遺体遺棄の時間帯に、現場から離れた場所で

「怪しい男が車に幼い女の子2人を乗せて走っていた」

とする目撃証言を「新証拠」として提出した。 

 

証言したのは福岡県内の男性(72)。

再審請求書によると、男性は女児2人の遺体が遺棄されたとされる

1992年2月20日午前11時ごろ、

飯塚市と福岡都市圏を結ぶ八木山バイパスを福岡方面に走行中、

追い越した軽ワゴン車の後部座席にいた小学生の女の子2人を目撃。

 

1人はランドセルを背負って「うらめしそうな、今にも泣きそうな表情」、

もう1人は横になっていたという。

運転手は元死刑囚とは特徴が異なる「丸刈りで色白、細い体の30~40代くらいの男性」

としている。

 

その日の夜、男性は「飯塚市内で女児2人が行方不明」というニュースを見て

翌21日朝に警察に通報。(警察は1週間もホッタラカシていた)。

約1週間後に警察官に事情を話したが、

聴取はその1度きりで供述調書は作成されなかったという。

(1週間後に警察が訪ねてきた。その時、手帳にメモしただけ)。

 

 

記者会見した男性は、目撃した女児は写真で見た被害者と「非常によく似ていた」と説明。

運転手は、一審の初公判の傍聴席から見た元死刑囚とは別人だったと話した。

 

弁護団は「印象的な表情や不審に感じた状況、事件に関心を持ち続けていたことなど、

記憶は定着しており証言の信用性は高い」と強調。

「久間三千年さんの犯行と結びつかない証拠として、無視されたのではないか」と指摘した。

 

久間三千年さんは一貫して無罪を主張。

犯行を裏付ける直接証拠はなく、

確定判決は

(1)DNA型と血液型鑑定

(2)遺留品遺棄現場で元死刑囚の車と似た不審車両を見たとする目撃供述

(3)元死刑囚の車から検出された血痕・尿痕

(4)繊維鑑定-などの状況証拠から有罪とした。

 

久間氏にアリバイがないことや、

久間氏の車内座席から微量の血痕と尿痕が検出され、

血液型が被害者の1人と一致したこと。

(久間氏の家族にも同じ血液型がいる。車の中で尿を漏らした家族がいる)。

 

被害者に付着した繊維片が久間氏の車座席シートと類似していること。

(久間氏の車だけを調べた。同じ座席シートの車は多数ある)。

 

また、被害者のランドセルなどが発見された場所での目撃された車の特徴が、

久間氏が所有するワゴン車の特徴と一致したこと。

(警察が久間氏の車を何度も見て、目撃者から聞き出している)。

 

そして、被害者の遺体から見つかった血液によって血液型とDNA型が判明したが、

それが久間氏と一致したこと。

(足利事件と同じ方法で同じ検査官がDNA鑑定を行った)。

これが有罪判決の何よりの決め手とされた。

 


そうして2006年10月に最高裁で死刑は確定。

わずか2年後の2008年10月28日に久間氏の死刑は執行される。

 

再審無罪となった「足利事件」と同じ手法のDNA型鑑定が問題視されたが、

第1次再審請求では福岡地裁、高裁ともにDNA型鑑定の証明力を否定しながらも請求を棄却。

最高裁も今年(2021年)4月、地・高裁の判断を踏襲し再審を認めない決定をした。

 (西日本新聞:森亮輔)。

 

 

【私の結論】

この事件は明らかに冤罪事件です。

しかし、日本の司法は行政に支配されています。

死刑執行が行われた殺人事件が無罪になることはあり得ません。

 

底知れね闇・飯塚事件 ←クリック。

 

 

 

 

 


NHK・BS1スペシャル・「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮」 ←クリック。


飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その1 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その2 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その3(この記事です)。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その4 ←クリック。

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飯塚事件、2度目の再審請求 新証拠:新たな目撃証言 その2

2021年09月23日 | #福岡県・飯塚事件

新たな目撃証言「別人の車に2女児」 

飯塚事件、2度目の再審請求   2021/7/10  6:00 西日本新聞

 

福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、

死刑が確定し、執行された久間三千年さんの遺族が2021年9月9日、

2度目の再審請求を福岡地裁に申し立てた。

 

確定判決が認定した遺体遺棄の時間帯に、現場から離れた場所で

「怪しい男が車に幼い女の子2人を乗せて走っていた」

とする目撃証言を「新証拠」として提出した。 

 

 

 

証言したのは福岡県内の男性(72)。

再審請求書によると、男性は女児2人の遺体が遺棄されたとされる

1992年2月20日午前11時ごろ、

飯塚市と福岡都市圏を結ぶ八木山バイパスを福岡方面に走行中、

追い越した軽ワゴン車の後部座席にいた小学生の女の子2人を目撃。

 

1人はランドセルを背負って「うらめしそうな、今にも泣きそうな表情」、

もう1人は横になっていたという。

運転手は元死刑囚とは特徴が異なる

「丸刈りで色白、細い体の30~40代くらいの男性」としている。

 

その日の夜、男性は「飯塚市内で女児2人が行方不明」というニュースを見て

翌21日朝に警察に通報。(警察は1週間もホッタラカシていた)。

約1週間後に警察官に事情を話したが、

聴取はその1度きりで供述調書は作成されなかったという。

(1週間後に警察が訪ねてきた。その時、手帳にメモしただけ)。

 

記者会見した男性は、目撃した女児は写真で見た被害者と「非常によく似ていた」と説明。

運転手は、一審の初公判の傍聴席から見た元死刑囚とは別人だったと話した。

 

弁護団は「印象的な表情や不審に感じた状況、事件に関心を持ち続けていたことなど、

記憶は定着しており証言の信用性は高い」と強調。

「元死刑囚の犯行と結びつかない証拠として、無視されたのではないか」と指摘した。

 

元死刑囚は一貫して無罪を主張。

犯行を裏付ける直接証拠はなく、

確定判決は(1)DNA型と血液型鑑定

(2)遺留品遺棄現場で元死刑囚の車と似た不審車両を見たとする目撃供述

(3)元死刑囚の車から検出された血痕・尿痕

(4)繊維鑑定-などの状況証拠から有罪とした。

 

再審無罪となった「足利事件」と同じ手法のDNA型鑑定が問題視されたが、

第1次再審請求では福岡地裁、高裁ともにDNA型鑑定の証明力を否定しながらも請求を棄却。

最高裁も今年4月、地・高裁の判断を踏襲し再審を認めない決定をした。

(西日本新聞:森亮輔)。

 

【私の結論】

この事件は明らかに冤罪事件です。

しかし、日本の司法は行政に支配されています。

死刑執行が行われた殺人事件が無罪になることはあり得ません。

 

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【私の結論】

この事件は明らかに冤罪事件です。

久間三千年さんは冤罪です。

しかし、日本の司法は行政に支配されています。

久間三千年さんの死刑が執行された事件が、無罪になることはあり得ません。

 

NHK・BS1スペシャル・「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮」 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その1 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その2  ←(この記事です)。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その3 ←クリック。

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飯塚事件(福岡県)元死刑囚の妻が第2次再審請求を申し立てました。その1

2021年09月22日 | #福岡県・飯塚事件

飯塚事件(福岡県)元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を申し立てました。

新たな目撃情報を根拠に2度目の再審請求を行いました。

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飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その2 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その3 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その4 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行 底知れぬ闇 ←クリック。

 

 

 

飯塚事件とは、1992年2月20日に、

福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明になり、

翌21日に同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された事件です。

 

 

福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月に、

死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。

その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。


久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、

福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。

最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。

そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。

 

2009年に久間さんの妻が再審請求しましたが、

2021年4月に再審請求棄却が確定しました。

2021年7月に久間さんの妻が【第2次再審請求】を申し立てました。

 

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「飯塚事件」で元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を行いました。

※新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言です。

 

「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えています。

目撃証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになります。

死刑執行後の第2次再審請求は異例の展開を見せています。

 

飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、

DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、

2006年9月に最高裁で死刑が確定しました。

 

久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していましたが、

死刑確定わずか2年後の2008年10月に死刑を執行されました。

 


2009年に妻が起こした第1次再審請求では、

再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定

の結果が実質的に証拠から排除されたものの、

「それ以外の状況証拠を総合すれば

久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」

と判断されました。

 


最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は今年2021年4月の決定で、

弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていました。

 

 


◆軽自動車にランドセルを背負った女子児童。

飯塚事件が起きたのは1992年2月20日です。

登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、

同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、

ともに遺体となって見つかりました。

 

 

確定判決では、首を絞められたのが死因で、

殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされました。


同日午前11時ごろに、

のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、

とする証言が状況証拠の柱になっています。

 

 

第2次再審請求書によると、

新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。

 


◆2月20日の午前11時ごろ、

飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、

後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた

白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。

 


児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。

運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。

児童のうち1人はオカッパ頭で、

ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、

うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。

 


もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。

軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、

後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に

「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」

との思いで男性のほうを凝視したそうです。

 

 

◆久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」。

Aさんは目撃した日の夜、

飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。

平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、

表情から家族連れとも思えなかったので、

不審に感じて翌朝、警察に通報しました。

約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。


その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。

Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、

運転していた男性が真犯人だと確信していた。

 

このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して

同一人物かどうか直接確認したが、

「まったくの別人で驚いた」としている。

 

ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、

「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。

今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が

(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。

 

 

「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」

との思いが湧き起こった。

この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。

 

 

◆「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く。

Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、

弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」

と記している。

それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。

 

Aさんは当日、

100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、

さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして

「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、

「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。

 


平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、

「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、

「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。

 

また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、

Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、

記憶が明確化されて維持されたと指摘している。

 

 

目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、

弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、

運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。

 

 

◆「事件のことがずっと頭に残っていた」

弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。

主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、

Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて

「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」

と捜査を批判した。

 

 

Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。

弁護団は2次再審で、

久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、

関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。

 

 

 

この証言をめぐっては、

目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に

久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、

証言内容を誘導した疑惑が浮上している。

 

 

弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、

Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと

立証するための課題を挙げながらも、

「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、

Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。

 

 

◎著者プロフィール

小石勝朗(こいし・かつろう) 

朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。

冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援などの社会問題を中心に幅広く取材し、

雑誌やウェブに執筆している 。

主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)。

(2021年08月27日公開) 

 

 

 

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その2 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その3 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行・・その4 ←クリック。

飯塚事件(福岡県)・久間三千年:死刑執行 底知れぬ闇 ←クリック。

 

 

 

 

 

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福岡県「飯塚事件」2通りのDNA鑑定。

2021年09月22日 | #福岡県・飯塚事件

福岡県「飯塚事件」2通りのDNA鑑定。

1992年に女児2人が殺害された「飯塚事件」で、

1994年の久間死刑囚の逮捕前、

捜査側を一時「足踏み」させた鑑定結果がありました。

 

それは、福岡県警の依頼で実施された帝京大の石山教授(当時)によるDNA型鑑定です。

警察庁科学警察研究所の鑑定では検出されていた久間死刑囚の型が、

石山鑑定では検出されなかったのです。

 

この結果をどう見るべきなのでしょか?

石山氏に話を聞くと、矛盾した結果に捜査当局が困惑した事実が端的に浮かび上がります。

 


当時の科警研のDNA型鑑定はMCT118法でした。

事件発生から約4カ月後の1992年6月、被害者由来の血痕から久間元死刑囚の型が出ました。

「これで逮捕できる」。沸き立つ県警に福岡地検が待ったをかけたのです。

 

「身内の鑑定は客観性が低い。外部機関でも鑑定を」。

検察の信頼が厚い石山氏が選ばれました。

 

石山氏はMCT118とは異なる「ミトコンドリア鑑定」を実施しました。

結果は「元死刑囚の型は検出されない」でした。

「確認試験」は一転して障壁になりました。

 

 

当時の捜査幹部も

「型が出ない理由をはっきりさせないと、前に進めなかった」と振り返ります。

 

取材班は石山氏を取材しました。

石山氏は公表しないことを条件に当時の警察庁高官の実名を挙げ、

その人物が訪ねてきたことを明かしました。

 

「『先生の鑑定は非常に困る。妥協してほしい』と言われた。

元死刑囚の逮捕(1994年9月)前だったと思う」。

 

科警研鑑定と矛盾する理由を聞かれ「自分が調べた試料はごく少量で、

元死刑囚の型が含まれていなかった可能性がある」

と伝えたという。

 

 
県警も動いた。

捜査員を東京に派遣して石山氏から元死刑囚の型が出なかった理由を聴き、

1994年9月20日に供述調書を作成。逮捕はその3日後だった。

 

血液型鑑定などより個人識別能力が飛躍的に高く、

「科学捜査の新兵器」と期待されたMCT118。


1991年から科警研に本格導入し、

1992年年以降、全都道府県警への拡大を目指していた警察庁にとって、

石山鑑定は二重の障壁だったといえる。


1999年の一審判決は「石山鑑定の試料は少量だった」と認め、

科警研鑑定を死刑判決の柱にした。


その後、科警研の初期のMCT118は再審無罪となった「足利事件」などで精度の低さが露呈。


再審請求を退けた2014年の福岡地裁決定も「直ちに有罪認定の根拠にはできない」

と証拠から事実上排除したが、

結論は「他の状況証拠で高度な立証がなされている」とした。

 

主任弁護人の岩田務弁護士は

「少量説は妥協を迫られた石山氏が警察に与えた口実。

科警研鑑定の証拠能力が否定された現状では、

石山鑑定は久間さんが犯人でない積極的な証拠になる」と主張する。

 

石山氏は科学者としての立場で科警研への不信感を隠さなかった。

 

「一番良い結果が得られたと思われる鑑定結果ですら、

型を示すバンドはゆがんで鬼の面のようだ。

私の研究室だったら、やり直しを命じるレベルです」

 


飯塚事件の真相究明を目指す上で最大の壁は再鑑定ができない点だ。

菅家利和さんが再審無罪になった足利事件では、

残された試料の再鑑定が決め手になった。


飯塚事件では「100回以上鑑定できる量があった」

(石山氏)とされた試料を科警研が費消。


石山氏に届いた時にはわずかな糸状のものだったという。

科警研は「鑑定が難しく何度も繰り返した」と説明。

残量はないとされている。

科学者集団としての信頼性に疑問の声も上がる。

弁護団の依頼で科警研鑑定を分析した筑波大の本田克也教授は、

科警研が鑑定写真ネガフィルムの一部をカットしていた点を

「説明もなく切り取るのは隠蔽(いんぺい)。

決定的に問題だ」と批判。

 

検察側推薦の鑑定人になることが多い大阪医科大の鈴木広一教授も

「包み隠さず提示した上で、不都合な点はしっかりと説明すべきだった」と語った。

 

カット部分に「真犯人の型が写っている」とする弁護側の主張に対し、

科警研は「鑑定を複数回行い、検査のエラーと確認した」と反論。

 

「データは鑑定書作成後に廃棄した。

実験ノートや写真は鑑定した技官の私物で退官時に処分された」

などと説明している。

 

米国の民間団体「イノセンス・プロジェクト」によると、

全米の半数以上の州では鑑定試料の保管を義務付ける法律がある。

台湾は2016年に再鑑定を受ける権利や試料保管を定めた法律を制定。

 


足利事件を担当した佐藤博史弁護士は

「再検証を担保しなければ科学の暴走は防げない」

と日本の法整備の遅れを危ぶむ。 

(飯塚事件検証取材班) =2018/02/03付 西日本新聞朝刊=

 

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