細川ガラシャ・藤井美菜。
NHK歴史秘話ヒストリアで細川ガラシャがありました。
ガラシャ役の藤井美菜さん、素敵な女優さんでした。
藤井美菜さんの細川ガラシャ。
女優、藤井美菜さん。
細川ガラシャの墓が熊本市の立田山・泰勝寺にあります。
細川ガラシャの墓。
細川ガラシャの墓。
【細川ガラシャ】
ガラシャは明智光秀の娘で本名を玉子という。
織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは、
1578年、16歳のときであったが、4年後の1582年の本能寺の変で、
父明智光秀が主人の織田信長を殺したため、
玉子は離別され味土野(みどの)の山中に幽閉された。
その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、
1587年にキリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
1600年に夫・忠興が、徳川家康に従い上杉征伐に従軍中、
石田三成が諸侯の婦人たちを人質として、大阪城内に入れようとした。
ガラシャはその要求を拒み、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
の辞世の句を残し、自死を許されないクリスチャンゆえに、
家来に胸を槍で突かせ、玉遣邸に火を放たせ38歳の生涯を終えた。
藤井美菜さんの細川ガラシャ。
「細川忠興夫人隠棲地」の石碑。
京丹後市弥栄町味土野には「細川忠興夫人隠棲地」の石碑が立っている。
味土野は、標高613メートルの修験の山、
金剛童子山の山裾の秘境にあり、絶好の隠れ家だった。
ここには女城と男城と呼ばれる屋敷跡が残っているが、
城というより粗末な砦のような建物であったと思われる。
女城跡は小高い丘の上にあり、細川忠興夫人の玉の住居があった所、
男城跡は女城から谷を隔てた突き出た場所にあり、
警護の武士たちが居たところと伝えられている。
明智光秀の謀反により一夜にして逆臣の娘となった玉。
忠興は玉への深い愛情から死よりも領外、味土野への幽閉を選んだ。
夫に離別され、三歳と四歳の子どもと引き離されて山深い味土野へ。
約二年間の味土野の厳しい自然の中で死を見つめ、
生きるとは何かを思索する日々の中、
後に、侍女清原マリアの手引きで、玉は洗礼を受けガラシャ夫人となるが、
その素因は味土野の幽閉の生活なくしては考えられないであろう。