「私には本当は夢があって…、学校へ行って勉強というものをしてみたかったなあ」
売春宿に売られた少女が、20歳で亡くなる前に漏らした言葉です。
売春宿に売られた少女が、20歳で亡くなる前に漏らした言葉です。
未成年の少女たちが、売春宿に売られる。
日本では考えられないことですが、
日本では考えられないことですが、
世界では年間100万人もの子どもが、
人身売買の被害者になっています。
東南アジアの貧しい農村に暮らしていた12歳の少女が、
東南アジアの貧しい農村に暮らしていた12歳の少女が、
家族の生活を支えるために働きに出た先で
人身売買の被害にあいました。
少女は毎日恐怖と暴力に怯えながら売春生活をして、
エイズを発症し20歳という若さでこの世を去ってしまいます。
この実話を、大学の国際問題の授業で配られた新聞記事で知った村田早耶香さん。
人身売買の解決を目指し様々な取り組みを行っている
この実話を、大学の国際問題の授業で配られた新聞記事で知った村田早耶香さん。
人身売買の解決を目指し様々な取り組みを行っている
認定NPO法人「かものはしプロジェクト」の代表です。
このことを知った2001年、村田早耶香さんは大学2年生でした。
「当時の私と1歳しか違わない人がこんな風に売られてしまう。
家族のために働く優しい親孝行な子が、
このことを知った2001年、村田早耶香さんは大学2年生でした。
「当時の私と1歳しか違わない人がこんな風に売られてしまう。
家族のために働く優しい親孝行な子が、
こんな風に深く傷つけられて亡くなってしまったということが衝撃でした。」
ごく一般的な大学生だった村田早耶香さん。
ファッションに興味があり、サークル活動を楽しむ毎日。
年間およそ100万円を親が出してくれて、
ごく一般的な大学生だった村田早耶香さん。
ファッションに興味があり、サークル活動を楽しむ毎日。
年間およそ100万円を親が出してくれて、
自分は大学へ行っている一方、
生まれた国が違うだけで、親孝行な彼女は勉強をすることを
生まれた国が違うだけで、親孝行な彼女は勉強をすることを
夢見ながら亡くなっているという、そんな現実を知ったのです。
当時、彼女が売られた金額は日本円で1万円だったそうです。
「私がそのとき着ていたワンピースは、
当時、彼女が売られた金額は日本円で1万円だったそうです。
「私がそのとき着ていたワンピースは、
ちょうど1万円で買ったばかりのものだったんです。
このワンピース1枚と彼女の命が同じ値段だったということ。
そんな、本当に不条理な現状があることを知りました。」
人身売買の現実を知るためにカンボジアへ渡った村田早耶香さん
ただ、生まれた環境が違うだけ。
それなのに、どうして与えられた運命はこんなにも違ってしまうのだろう?
そんな疑問にいてもたってもいられずに、
このワンピース1枚と彼女の命が同じ値段だったということ。
そんな、本当に不条理な現状があることを知りました。」
人身売買の現実を知るためにカンボジアへ渡った村田早耶香さん
ただ、生まれた環境が違うだけ。
それなのに、どうして与えられた運命はこんなにも違ってしまうのだろう?
そんな疑問にいてもたってもいられずに、
村田さんは大学の夏休みに、
カンボジアにある人身売買の被害者を保護している施設を訪ねました。
保護された子どもたちと片言で話し、遊び、
人懐っこい笑顔に触れ、
同時に彼女たちの哀しい過去を知りました。
そこで出会ったのは、6歳と12歳の姉妹。
施設の所長さんが、二人にはわからないように、
そこで出会ったのは、6歳と12歳の姉妹。
施設の所長さんが、二人にはわからないように、
英語で彼女たちの状況を教えてくれました。
12歳の子の腕には、保護されたとき、電気ショックによる火傷の跡が無数にあったそうです。
二人は抵抗できないように、電気ショックを与えられながら売春させられていたのです。
姉妹の親は、彼女たちが売られていく先が売春宿であることを知っていたそうです。
借金を背負っていたため、彼女たちを売るしかなかった…
「こんなひどいことは、絶対になくさなくてはいけない…」
「子どもが未来を奪われて苦しんでいる社会を、なんとか変えたい」
絶対にこの問題を解決する。
12歳の子の腕には、保護されたとき、電気ショックによる火傷の跡が無数にあったそうです。
二人は抵抗できないように、電気ショックを与えられながら売春させられていたのです。
姉妹の親は、彼女たちが売られていく先が売春宿であることを知っていたそうです。
借金を背負っていたため、彼女たちを売るしかなかった…
「こんなひどいことは、絶対になくさなくてはいけない…」
「子どもが未来を奪われて苦しんでいる社会を、なんとか変えたい」
絶対にこの問題を解決する。
その強い想いを持って、村田早耶香さんさんは本格的に支援活動をはじめ、
「人身売買」の問題解決に特化した「認定NPO法人かものはしプロジェクト」
を2002年、大学3年生のときに立ち上げたのです。
村田早耶香さんさんが衝撃を受けた12歳の少女の実話とは
カンボジアの貧しい農村地帯の家庭。
村田早耶香さんさんが衝撃を受けた12歳の少女の実話とは
カンボジアの貧しい農村地帯の家庭。
未だ多くの子どもたちが貧しさに苦しんでいます。
東南アジアの貧しい農村で暮らす少女ミーチャ。
東南アジアの貧しい農村で暮らす少女ミーチャ。
母親は病気で亡くなっており、父親は仕事がありませんでした。
そして彼女にはたくさんの弟、妹がいましたが学校には行けず、
そして彼女にはたくさんの弟、妹がいましたが学校には行けず、
皆お腹をすかせている状況だったそうです。
「私が働きにでれば、家族が助かる」
親孝行な彼女は、働きに出ました。
「私が働きにでれば、家族が助かる」
親孝行な彼女は、働きに出ました。
しかし、その先で彼女はだまされ、
たった12歳の若さで売春宿に売られてしまったのです。
毎日殴られながら、強制的に売春をさせられる日々…。
自尊心を傷つけられた挙句、彼女は「エイズ」を発症してしまいます。
「私には本当は夢があって…
学校へ行って、勉強というものをしてみたかったなあ‥‥
もし勉強をすることができたら、私みたいな子どもを売る人を捕まえる警察官になれるから…」
毎日殴られながら、強制的に売春をさせられる日々…。
自尊心を傷つけられた挙句、彼女は「エイズ」を発症してしまいます。
「私には本当は夢があって…
学校へ行って、勉強というものをしてみたかったなあ‥‥
もし勉強をすることができたら、私みたいな子どもを売る人を捕まえる警察官になれるから…」
その後彼女は、20歳という若さで亡くなりました。
年間100万人もの子どもたちが、
世界中のどこかで人身売買の被害にあっている現実。
人身売買は世界的に常態化している犯罪です。
犯罪ならば業者を逮捕し続ければ根絶できるのではないだろうか、
と思う人もいるでしょう。
しかしながら、業者を罰するには裁判をする必要があり、
被害者の子どもは大抵貧困層であることから
しかしながら、業者を罰するには裁判をする必要があり、
被害者の子どもは大抵貧困層であることから
裁判で証言をするための電車賃すら工面できません。
結果、未だに人身売買は野放しにされ、
世界では年間100万人もの子どもが、
性的に搾取されるために誰かによって売られ続けているのです。
村田早耶香さんさんの創設した
村田早耶香さんさんの創設した
「かものはしプロジェクト」の実績と目標とは?
2002年に立ち上げられた「かものはしプロジェクト」は、
2002年に立ち上げられた「かものはしプロジェクト」は、
カンボジアで「人身売買が起こらない仕組みをつくる」
ための活動を始めました。
活動をはじめたころは、日本人の大学生が、
活動をはじめたころは、日本人の大学生が、
この人身売買という大きな問題を解決するなんてできるわけない、
辞めた方がよいというアドバイスばかりだったそう。
辞めた方がよいというアドバイスばかりだったそう。
現に、カンボジアでは2001年まで人身売買に対して
警察はあまり積極的ではありませんでした。
しかし、「かものはしプロジェクト」は、
カンボジアで警察支援や貧困家庭の女性を雇用する工房の経営
を通じ、この課題の解決に尽力。
「かものはしプロジェクト」や多くの人の力により、
カンボジアでは「だまされて子どもが売られる」
という問題が解決したと言えるようになったのです。
人身売買の最大国と言われるインドでの挑戦とは?
カンボジアでの経験を元に、「かものはしプロジェクト」は、
現在はインドでの活動をしています。
インドでは、被害にあい、
インドでは、被害にあい、
なんとか助けられて生き延びたサバイバーに、
心の回復支援、生活を取り戻すための支援、
裁判支援なども行っています。
さらに、支援を受けたサバイバーが、グループをつくり、
社会や政府に対する働きかけを行うリーダーとなり活動をしています。
サバイバーリーダーに対しては、
サバイバーリーダーに対しては、
同じ経験をしていることから被害者も心を開きやすかったり、
「私もこんな風に輝くリーダーになれる」と
彼女たちのロールモデルになっています。