実は中学生のころ車のラリー競技にナビ(助手)として出たことがある
北海タイムスという新聞社があってそこが主催したファミリーラリー
一応主催者側の説明では 家族連れで楽しめるラリーでライセンス不要と言う事だった
ある土曜日の午後 中学校の校門のところで従弟が待っていた
「〇〇ちゃん(ワシの事)明日ラリーに出るんでナビやってくれないかい・・おかあさんには言ってあるから」
との事 ただドライバーズミーティングの時刻が迫ってるんでこのまままっすぐ
札幌の新聞社の会議室に行かねば間に合わないとの事
でそのまま従弟のホンダZに乗って急いでドライバーズミーティングをやってる新聞社の会議室へ行った
ギリギリ間に合ったか・・ちょっと遅刻だったか そんな感じ

参加ドライバーを見ると
ファミリーで参加なんて人はいなく 皆それなりの走り屋的な人ばっかり
今思えば本物のレーシングスーツじゃないんだろうけど
それっぽい服で胸にはTOYOTA やらDATSUNなんかの刺繍エンブレム
RH+O とか血液型のエンブレムなんかも・・
学生服のワシは完全に浮いてる状態 笑
ラリーの内容は
法定速度で普通に走っていれば理論上は主催者の指示通りの時間で走れるというもの
ただ実際はそうはいかず遅れや早く着いたりと
それによりポイントが加減算されるというものだったような気がする
(細かいルールは忘れた)
ちなみにチェックポイントはどこにあるかは隠されている
と競技の説明のあと 地図(コマ図)が渡された。
札幌を出発して苫小牧にある樽前山がゴールになる。
翌日(時間は忘れたが早朝 まだ薄暗かった)参加車50台ほどが 一定間隔で1台づつスタート
法定速度で走っているがチェックポイントごとに時間が早かったり遅かったりと減点される
札幌市内を出て 定山渓を過ぎ 中山峠で劇的なことが起きる
峠の頂上付近 けっこうな雪 何月だったか忘れたがまだ冬タイヤにする時期でもなかった
FR車はスリップしてまったく登れない
今でもあの光景ははっきり覚えている
ブル510やハコスカ カローラ サニーなどなど スリップする横を
わがホンダZ(FF車)はスイスイと抜いていく
おそらくスリップした車たちは大幅にタイムロスで減点だろう
正直 地図を見てただ走るのが精いっぱいのわがホンダZだったが
急に欲がわいてきた あのFR組が相当な減点をくらったら
適当に走ってるワシらのホンダZにもそれなりの順位が・・・
そうこうしているうちに スバルFF1に追いついた
ゼッケン貼ってるのでラリー参加車だ

3人組でレーシングスーツ風を着て計算尺でなにか計算しながら走ってる
(この当時はまだ電卓は一般的ではなかった)
ワシが従弟に
「単なる勘だけど前のスバルちゃんとしてるように見えるからあの車を信じて一定間隔を保ってついていこう」
と、そしてそのまま間隔を保ちながらゴールに着いた。
ゴール地点には今はないが樽前ハイランドというレジャー施設があった
そこで食事 カレーライスだったけどあんまり美味しくなかった 笑
その後順位発表 50台中 25位 学生服着た いい加減なナビの割にはいい成績 笑
ちなみに前を走ってたスバルFF1はたしか6位だった。
面白かったし 良い思い出になってる
その後高校生になって ミニクーパーという車を知る
モンテカルロラリーでは並み居る強豪をおしのけて優勝
普通では勝てないようなハイパワーの車に勝っちゃうのだから痛快
まあ 雪道なんでFF車が有利なんだけど
あの時のラリー中山峠でFR車をかわしたワシらのホンダZを思い出した。
画像は以下よりお借りしました
https://www.subaru.jp/onlinemuseum/find/collection/subaruff-1-sport/
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/meisha/light-special-car/21/10/27/
北海タイムスという新聞社があってそこが主催したファミリーラリー
一応主催者側の説明では 家族連れで楽しめるラリーでライセンス不要と言う事だった
ある土曜日の午後 中学校の校門のところで従弟が待っていた
「〇〇ちゃん(ワシの事)明日ラリーに出るんでナビやってくれないかい・・おかあさんには言ってあるから」
との事 ただドライバーズミーティングの時刻が迫ってるんでこのまままっすぐ
札幌の新聞社の会議室に行かねば間に合わないとの事
でそのまま従弟のホンダZに乗って急いでドライバーズミーティングをやってる新聞社の会議室へ行った
ギリギリ間に合ったか・・ちょっと遅刻だったか そんな感じ

参加ドライバーを見ると
ファミリーで参加なんて人はいなく 皆それなりの走り屋的な人ばっかり
今思えば本物のレーシングスーツじゃないんだろうけど
それっぽい服で胸にはTOYOTA やらDATSUNなんかの刺繍エンブレム
RH+O とか血液型のエンブレムなんかも・・
学生服のワシは完全に浮いてる状態 笑
ラリーの内容は
法定速度で普通に走っていれば理論上は主催者の指示通りの時間で走れるというもの
ただ実際はそうはいかず遅れや早く着いたりと
それによりポイントが加減算されるというものだったような気がする
(細かいルールは忘れた)
ちなみにチェックポイントはどこにあるかは隠されている
と競技の説明のあと 地図(コマ図)が渡された。
札幌を出発して苫小牧にある樽前山がゴールになる。
翌日(時間は忘れたが早朝 まだ薄暗かった)参加車50台ほどが 一定間隔で1台づつスタート
法定速度で走っているがチェックポイントごとに時間が早かったり遅かったりと減点される
札幌市内を出て 定山渓を過ぎ 中山峠で劇的なことが起きる
峠の頂上付近 けっこうな雪 何月だったか忘れたがまだ冬タイヤにする時期でもなかった
FR車はスリップしてまったく登れない
今でもあの光景ははっきり覚えている
ブル510やハコスカ カローラ サニーなどなど スリップする横を
わがホンダZ(FF車)はスイスイと抜いていく
おそらくスリップした車たちは大幅にタイムロスで減点だろう
正直 地図を見てただ走るのが精いっぱいのわがホンダZだったが
急に欲がわいてきた あのFR組が相当な減点をくらったら
適当に走ってるワシらのホンダZにもそれなりの順位が・・・
そうこうしているうちに スバルFF1に追いついた
ゼッケン貼ってるのでラリー参加車だ

3人組でレーシングスーツ風を着て計算尺でなにか計算しながら走ってる
(この当時はまだ電卓は一般的ではなかった)
ワシが従弟に
「単なる勘だけど前のスバルちゃんとしてるように見えるからあの車を信じて一定間隔を保ってついていこう」
と、そしてそのまま間隔を保ちながらゴールに着いた。
ゴール地点には今はないが樽前ハイランドというレジャー施設があった
そこで食事 カレーライスだったけどあんまり美味しくなかった 笑
その後順位発表 50台中 25位 学生服着た いい加減なナビの割にはいい成績 笑
ちなみに前を走ってたスバルFF1はたしか6位だった。
面白かったし 良い思い出になってる
その後高校生になって ミニクーパーという車を知る
モンテカルロラリーでは並み居る強豪をおしのけて優勝
普通では勝てないようなハイパワーの車に勝っちゃうのだから痛快
まあ 雪道なんでFF車が有利なんだけど
あの時のラリー中山峠でFR車をかわしたワシらのホンダZを思い出した。
画像は以下よりお借りしました
https://www.subaru.jp/onlinemuseum/find/collection/subaruff-1-sport/
https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/meisha/light-special-car/21/10/27/
中学生姿は記憶に残ったというより完全に浮いていた・・と表現するのが正しいでしょうね 笑
従弟が乗ってたのは最上級グレードのGSSでラジアルタイヤ標準でミッションが5速でした。
後年このミッションが人気になって中古がホンダステップバンなんかに積まれてましたね。
まあ 本文にも書きましたがこの後ミニクーパーを知ってモンテカルロで他の車が滑って苦戦する中
他の車を蹴散らし優勝するのですから「大人になったらミニ買うぞ」と思ったものでしたけど
残念ながら今日に至ってます
hanapapaさん どーもどーも 色々と書き込みおそれいりやす
なんか奥様すごいですね~。でもなんとなく状況理解しました。
野次馬的好奇心はまだありますが、超プライベートなんでこの辺にしておきますね 笑
半世紀以上前の貴重な体験、ラリー参加のいい思い出ですね。
中学生の学生服といえば実にオールマイティな服で、結婚式や法事で着ても様になるトラッドなスタイル。
とはいえモータースポーツでは珍しい光景、大会に参加した皆さんの記憶に深く残ったかもしれません。
ナビゲーターに学生服姿の中学生がいたことは、大会初の出来事だったろうと想像します。
ホンダZはその頃に同級生の兄さんが乗っていて、私もよく乗せてもらいました。
ネットで知る範囲ですが鉄が不足して樹脂で作られてたとか
当然ながらボディの剛性はね~デンジャラスかと 笑
今 ネットで シュチェチン市を見ましたがきれいな街ですね
いかにもヨーロッパって感じがします。
実は奥様とは何語で話してるのだろうと野次馬的疑問を持っていました
名古屋弁のみの将軍様ってことは日本語なのですね
ただ奥様は怒ったら母国語になるとか・・・笑
いや~ナビと言ってもただ地図読むだけですからね。私にもできました笑
ところでトラバント あの車は衝撃でした
片やBMWやポルシェを作ってるのに、同じゲルマン人がトラバント・・
環境の違いがこんなことになるなんてね~
しかし現車をみたのですね・・私も見てみたい
時計とかカメラも共産圏ではタイムスリップのような事が起きてました
大戦中に西側からぶんどった設備や設計をそのまま使って作ってたので
古いバルジューのムーブや ライカの古い設計のボディ、レンズ・・
ポレオットって手巻きのクロノグラフ買ったことがあります
デザインはクラシカルで良いのですがどことなく安っぽい感じがしましたね
最近のはそうでもないようですがね~