気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く2 その21 「涸沼川です!!」

2014年02月02日 | 大洗巡礼記

 「カワマタ」から「国井屋」の前を過ぎて南西に進みました。「国井屋」は、年末はお茶の大売り出し期間としてずっと営業していると聞きました。店先のアッサムも毎日頑張っていますが、TVシリーズではセリフすら無かっただけに、今後の劇場版などに登場して活躍してほしいものですね。


 次の交差路より南東方向を見ました。道が屈曲しつつ幅を減じているので、もとは裏路地であっただろうと推測されます。この道を下っていくと「江口又進堂」の脇に出て、「肴屋本店」の前に出る事が出来ます。
 劇中の第4話にて、西住みほ率いる大洗女子学園チームの戦車三台が大洗町の市街地内に入ってからとったコースは、未だに完全に解明されていないと聞きますが、なかにはこうした裏路地をかなり使用していたものと考えられます。そうしたシーンも幾つかありましたし、劇中には出なかった場所やコースもあることでしょう。


 同じ地点から、今度は北西方向を見ました。「国井屋」や「石福」の並びの向こうの丘上には、大洗町立第一中学校の校舎が見えました。第一中学校というから第二中学校がありそうに思えてしまいますが、大洗町にある中学校は第一中学校と南中学校の二校です。前者が磯浜、後者が大貫を学区としているそうです。


 山手の住宅地の中の屈曲した道を進んで、若見屋から北へ通じる道に出ました。まもなく右手に食品加工店「スガマ食品」の建物を見て、店先に吊るしてある戦車パネルを見ました。一昨日は戸口のウインドー内にセットされてあった黒森峰女学院チームのヤークトパンターです。


 11番の八百屋の「多満留屋商店」です。一昨日は閉まっていましたが、この日は朝から営業していました。地元の方が数人、買い物に来ていました。


 店先の隣の続きには、ウサギさんチームのM3中戦車リーがありました。発見時の姿です。


 店内の一角には、ガルパンコーナーもありました。店のおばさんが「ガルパンファンの方が色々寄贈して下さったので、こういうふうに拵えて下さったので」と笑っていました。コーナーそのものがファンの方々によって構築されているわけです。


 「この前のあんこう祭でね、これこの名刺も作って下さったのよ。いっぱいあったけど、配っていたら無くなっちゃったね」と笑いながら指さしたガルパン名刺です。あんこう祭のみの限定名刺の一枚であったと聞きました。一連の名刺はウサギさんチーム繋がりで6枚が作られたそうで、そのことは既に「榎澤輪業商会」の主人にも伺いました。


 「多満留屋商店」を辞して道を北へと走りました。この道はやがて「大洗駅入口」交差点にて県道2号線に合流し、北上して涸沼川を渡ります。水戸市と大洗町を結ぶ主要幹線路のひとつです。


 「大洗駅入口」交差点を直進し、鹿島臨海鉄道の高架下をくぐって涸沼橋へと向かいました。


 涸沼橋の左手を見ました。大洗町の境界線ともなっている涸沼川が、静かな水面をたたえていました。さかのぼれば涸沼に達する那珂川水系の支流で、水源は遠く笠間市の国見山に発し、涸沼の下流では水戸市と大洗町の境を流れながら、那珂川に合流して海門橋の下を流れて鹿島灘に注ぎます。
 上流が沼、下流が那珂川および鹿島灘に接しているせいか、河岸には漁船やレジャーボートや釣り船なども繋がれていました。


 涸沼橋の右手に移動して東側を見ました。鹿島臨海鉄道が涸沼川を斜めに跨いでゆくその下で、三艘の河船が漁をしていました。川には魚や多数の水生生物が生息しているそうで、釣りの名所にもなっていると聞きました。


 涸沼橋です。涸沼からの下流が大洗町の境目を成す範囲ににて架けられている橋梁は三つあり、そのなかでこの涸沼橋が最も東に位置しています。この下を流れる涸沼川は、那珂川に合流した後に海門橋の下に至るわけです。


 涸沼橋を渡ると水戸市域に入ります。上画像左手に「水戸市」の標識が見えます。橋を渡ってすぐのところに信号交差点があり、上画像では右端に見えます。この交差点名は「平戸」ですが、これを左折して、国道51号線および県道2号線が開通する以前の古い街道筋の一つに進みました。


 これが水戸市への古い連絡路の一つであった道の辺りにある道路です。古い集落や寺や神社がこの線に沿って点在していることからも、近世以前からの道が存在していたことがうかがえます。新設道らしくほぼまっすぐに延びていますが、車などの通行は全く見かけず、おかげでのんびりと走って周囲の長閑な景色を楽しむことが出来ました。現在の国道51号線は、この道路に沿った形で敷設されたそうです。


 やがて、道の左手に小さな杜が見えてきました。その辺りの地面が、道路や周囲の田畑よりも一段高くなっていました。ここかな、と思って自転車を停めました。


 その場所の木の幹には、赤い鳥居の形が打ちつけてあって結界を示していました。神社の飛び地または管理地などによく見られる標識ですので、この小さな杜そのものが神域なのだろうと思いました。


 北を見ると、広い杜が島のように見えました。その右端には鳥居も見えたので、間違いなく神社の社叢でした。地図を取り出して現在位置を確認し、コースが間違っていなかったことを確かめました。


 道を右に折れ、次いで左折すると農地のあぜ道に入りました。その道が、神社の鳥居の前を通っていました。この辺りでは、街道筋は東にずれていたのかもしれません。鳥居は東に向けられ、道の脇には水路もあって、神社のある場所が微高地であったことが理解出来ました。神社の名前は吉田神社といいます。 (続く)

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