
涸沼橋を再び渡って、大洗町に戻りました。そのまま「大洗駅入口」交差点まで戻り、角のセブンイレブンでお茶を買いました。自転車で長い距離を走っていると、とにかく喉が渇いてくるのでした。

次からは「ガルパン街なか戦車せいぞろい」のパネル巡りの続きをやりました。3番の洋品店の「maruai」へ行きました。看板が建物についていないので分かりにくいですが、場所は「あんず薬局」の隣です。

玄関横に、プラウダ高校チームのT34/85がありました。全国大会時の姿で、冬季仕様となっています。プラウダチームの全15輌のうちの6輌がこのT34/85で、実質的にはプラウダチームの主力として位置付けられ、隊長のカチューシャおよび副隊長のノンナの搭乗車になっています。

それから、大洗駅付近の南の街区へと入り、奥にマリンタワーが見える道を進みました。大貫商店街のやや東寄りの酒店「PLAZA」の横に通じる道です。11月11日の有賀祭にて、有賀神社御神体が磯下りする際の巡行ルートでもあります。

この道を、軽トラに載せられた有賀神社御神体が磯下りしていったわけです。11月の大洗行きの際には、曲がり松商店街の「鳥孝」の店先にて御神体を拝んだため、それに至るまでの巡行ルートを見ていなかったのでした。それで、今回はその道を一度たどってみたのでした。

右手にカラオケ施設「海猫」を見てすぐの交差点を左折し、少し進むと上画像の風景に包まれます。有賀神社御神体は、この地点で約30分間ほど休止し、付近一帯は住民の参拝で賑わいます。

この辺りは、近世期までの古い街道筋の分岐点にあたり、東へ進めば磯浜村、西にたどれば大貫村へ入る形でした。その名残は古い民家の多い景色にもうかがえます。

分岐点に鎮座する髭釜道祖神社です。有賀神社御神体はこの神社にて休止します。この髭釜道祖神社が、大洗磯前神社の神前郷でもあった磯浜村の入口にあたるため、有賀神はここで道祖神に挨拶して大洗明神への磯下りを報告し、道中安全を祈願するということなのだそうです。

髭釜道祖神社の鳥居前の少し北には、みつだんごのお店として知られる「白土屋」があります。普段は閉まっていますが、祭礼やイベントの時、または行楽シーズンの土日などに営業しているそうです。「たかはし」のみつだんごとはちょっと違った製法と味覚があるそうなので、いつか食べてみたいと思います。

「白土屋」の店先から、髭釜道祖神社の鳥居を見ました。

髭釜道祖神社の祭神は猿田彦命です。道祖神とは、本来は村の守り神として道の辻などに祀られる民間信仰の石仏または神体を指しますが、習合思想のもとで、同じ民間信仰の神である岐の神と習合しています。その流れで、岐の神と同神とされる猿田彦神と結びつくケースも多かったようです。髭釜道祖神社はその典型例の一つと言えます。
道祖神社は、また住民や旅人が道中安全を祈願する場でもあったため、大洗においては靴を奉納する習わしもあります。近畿地方の古い寺院などで山門に草履や下駄が奉納されているのと同じ考え方です。

拝殿の奥に、神体の覆屋があります。玉垣に囲まれているので、近づいて内部をのぞくことは出来ませんでした。遠目には、覆屋の中に小さな祠があるように見えました。神体なのか、石仏なのかは、外からでは判りませんでした。

境内地の裏手、本殿の背後にも鳥居があって、集落内の路地からも参拝出来ます。

境内地の裏手の鳥居から続く路地道です。細く曲がりくねっており、奈良県の中世戦国期の環濠集落内の路地を思わせます。

境内地の裏手に並ぶ摂社です。向かって左が神力稲荷大明神、右が水神宮です。

鳥居近くの二軒の古民家のうち、二階建ての方は焼き鳥屋で店名は「ぽんぽん船」です。角に建つ平屋は廃屋のようで、何のお店であったのかは分かりませんでした。

髭釜道祖神社から西へ道なりに進んで花池寺の墓地の角を左折して坂道を下り、次の角を左折すると、エルヴィンの居る「和泉屋米穀店」に着きます。このお店で休憩させていただきました。

プラッシーを買って、店の猫を相手にしながら休んでいると、商工会の方が挨拶回りに来て店のおばさんと色々話していました。主な内容は、来る正月からの缶バッジの配布などの扱い、ガルパン名刺に関する今後の取り決め、の二つでした。缶バッジの方は、2014年1月より商店街で配布するメインとして角谷杏会長の迎春デザインのものを使う、ということでした。見本が渡されていたので、後で見せていただいたところ、「丸五水産」で同じものを見たことを思い出しました。
ガルパン名刺に関する今後の取り決めは、各商店街に文書の形で配布されており、それも後で読ませて貰いました。昨夜に「ブロンズ」の女将さんが話していたように、ガルパン名刺に関しては今後は商工会経由で手続きをとってバンダイビジュアルの許可をいただいたうえで出す、という形になります。そして、今までのように配ったり、商品購入時にあげるのではなく、名刺交換の形で相手の名刺と交換する方法のみに限る、ということです。
それで「その相手の名刺というのは、今までのようなペンネームやハンドルネームではなくて、ちゃんと本名や住所を記している普通の正式なあれですね」と聞きましたところ、「そうですねえ、やはりそれが最も正しいあり方ですものねえ」とおばさんも文書を再読しながら頷いていました。御主人は「ファンの皆さんが下さった今までのような色んな楽しい名刺とかは、もうダメなんだろうかねえ」と残念そうに話していました。
大洗の各商店街に、ファンの方々が置いていった数々の名刺が展示されていますが、多くはペンネームやハンドルネームで作成されています。今後のガルパン名刺との交換の対象として、そういった名刺がふさわしいのか、については商工会や商店街のなかでもまだ定まった方針が無いようですが、いずれは何らかの基準を設けてくるものと思われます。
私自身は、本名を入れた普通の名刺しか持っていないので、いつか大洗巡礼向けのバージョンを作ろうと思っていました。ですが、今回の商工会の通達文書を読ませてもらって、今後の流れが大体理解出来ましたので、大洗巡礼向けのバージョンを作るのは止めにしました。今後のガルパン名刺が公式で正式に出される以上、それと交換する名刺がただのファン名刺でペンネームやハンドルネームのみ、というのは似合わないように思うからです。
その代わり、このブログ「気分はガルパン」の名を冠しての本名でのブロガー名刺のタイプで作る方向で検討してみることにしました。シンボルマークは、自身のサイトおよびブログ共通のマークがありますので、それを継続して使おうかな、と思案しています。

名刺の話が一段落したところで、店内に展示してあるサイン色紙などを見ました。エルヴィンの声を演じた森谷里美さんのサインや写真がありました。
森谷さんといえば、「イナズマイレブン」の浪川花子、「輪廻のラグランジェ」の葛原ともえ、などを演じていましたね・・・。

次は22番の寿司店「栗崎屋」へ行きました。

空腹であれば、このお店の「ガルパンファン特別メニュー」、特に「おすしで創ったⅣ号戦車D型」というのを食べに入るところですが、今回はパスして次回以降の楽しみにとっておくことにしました。このお店の弁当である「海鮮丼」はアウトレットの「まいわい市場」でも売っていて、以前にそれを買って食べたことがあります。

戦車パネルは、黒森峰女学園チームのティーガーⅠでした。隊長西住まほの搭乗車ですが、前年の全国大会では1年の西住みほが副隊長を任されて同じティーガーⅠに乗っていました。西住まほの搭乗車には212の番号がつけられていますが、これは有名なミハエル・ヴイットマンの車番と同じだそうです。

「栗崎屋」の次は、大貫商店街を通り抜けて、西側のまだ回っていないエリアまで一気に移動しました。その境目のような位置にある加波山神社に立ち寄って、ひとまず今回の道中安全をお祈りしました。
加波山神社は、周知のように常陸国では名高い加波山信仰の拠点で、本社は古くは中宮と呼ばれました。その公式サイトはこちら。ここ大洗の加波山神社もその系列末社の一つです。真言宗の西行院と道をはさんで向かい合う位置に鎮座するのは偶然の結果ではなく、加波山修験が真言宗系であったことに因みます。加波山の本社は、古くは「加波山大権現」と呼ばれましたが、それは弘法大師が号したことに始まると伝えられています。 (続く)