気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン7の8 「再び田内城跡へ」

2016年11月07日 | 倉吉巡礼記

 田内城跡の再探査は、10月14日に行ないました。以前に大洗行きを共にした、倉吉在住の知人Tさんが同行しました。Tさんは中世戦国期の城跡に行くのは初めてだということでした。


 再探査の目的は、遺構の範囲と現状の再確認でした。城跡の概要は既に鳥取県教育委員会によって把握され、2004年に刊行された「鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集 伯耆編」に収録されていますが、その記載図面が実際の遺構状況と一致していません。概念図だと受け止めれば良いかもしれませんが、記載されていない遺構があるうえに、全体の規模や高低差などが地形と合わないです。

 例えば、上図の郭は「鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集 伯耆編」の記載図面にあり、山頂の主郭から数えて三番目の郭に相当します。二番目の郭から伸びた土塁状の高まりに囲まれていますが、高さは三番目に位置するので、縄張図のうえでは三郭とするのが良いと思います。しかし、現地には「二の郭(二の丸跡)」の標柱が建てられています。


 そして、「二の郭(二の丸跡)」の標柱が建てられる平坦面の東側には、一段低い位置に三角形の平坦面があり、その南辺には石列が残ります。自然の露岩ではなく、人為的に据えられて並べられた状態であり、その内側に窪地が認められますので、城内の水の手の郭であった可能性が考えられます。
 この平坦面は、どういうわけか、「鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集 伯耆編」の記載図面には描かれていません。


 他にも、竪堀群の位置、北尾根上の郭群の高低差、土塁の有無など、幾つかの相違点があります。城跡の丘が墓地になっているために全体像が把握し辛いですが、北尾根までいっぱいに続く郭と堀は、実際には存在しておらず、鞍部に広がる墓地の南に、二段の平坦面と竪堀群が認められます。
 どうも、「鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集 伯耆編」の記載図面は、実際の地形にきっちり合わせていないようで、遺構の規模がオーバースケールになっています。丘陵全体に遺構が伸びるような描写ですが、実際に遺構面が認められるのは丘陵の南半分においてです。

 こうした状態ですので、機会があったら、いっぺん縄張図をオリジナルで描き起こして検証し直さないといけないな、と思います。山名時氏時代の守護所の遺構があるかどうか、という疑問どころではなく、田内城跡という遺跡の現時点での報告図面が果たして正しいのか、という問題です。
 とりあえず、冬を迎える前にもう一度現地に行って、半日ぐらい時間をかけて、自分なりに縄張図を描いてみようかな、と考えました。


 同行のTさんは、古い建物やアンティーク的なものに関心を持っておられるようですが、歴史的関心というより懐古趣味に近い傾向がある、という感じに見受けられます。前回の同行者Kさんとは異なり、歴史に関する認識や質問を一切しませんでしたので、歴史的な事柄には余り興味が無いのでしょう。
 なので、この日は、田内城跡や城下の見日千軒に関しての解説を私が一方的に述べたにとどまりました。


 そのTさんが、打吹山の西中腹に見える建物は何ですか、と訊いてきました。はじめは、長谷寺の建物ですかね、と答えたのですが、よく考えると長谷寺の伽藍域は森林に覆われていて、一番視界が開けている西麓からでも見えないのです。
 それで私も、自身のデジカメの望遠モードを駆使して対象を凝視してみたところ、打吹山城跡への登山路の途中にある櫓風の展望所だと分かりました。


 田内城跡の主郭に建つ模擬櫓です。


 Tさん撮影の写真をいただきました。模擬櫓の基礎に埋め込まれた説明板を読む私の後ろ姿が見えます。この時の様子は、Tさんがツイッターでも紹介されています。こちら


 主郭からの急な九十九折の坂道を下って山を降りました。眺望が良いので眺めていたいですが、細く急な道なので、景色に気を取られずに注意しないと滑り落ちる危険があります。


 城跡のある仏石山の南側は、御覧のような露岩の斜面になっています。城郭化に際して石材は豊富に調達出来たはずなので、遺跡の各所に残る石列なども、かつてはもっと立派なものであった可能性があります。
 こうしてみると、この田内城跡という遺跡は、まだまだ実際の姿が明らかになっていない、という感を強くします。発掘調査を行なえば、色々と判ってくる事柄が多いでしょうが、いまの倉吉市の文化財行政にそこまでの認識と余裕があるとは思えません。


 続いて、打吹山城跡へ登りました。前回と同じく長谷寺境内地を経由して越中丸の郭群まで行き、そこから大山連峰を眺めました。


 この雄大な景色が気に入ったらしく、Tさんは時間をかけて何枚も撮影していました。ツイッターでも紹介されています。こちら


 左手には蒜山の連山が続いています。中国山地の中核を成す高山帯の偉観が一望に見渡せます。このような景色が楽しめる場所は、鳥取県広しと雖も、ここだけでしょう。


 大山を望遠モードで引き寄せて撮影しました。独特の荒々しさをみせる南壁の様子がよく分かります。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする