今日は史蹟巡りとウオーキングの日です。今回は第8回で淨念寺からスタートし、淨念寺へ戻ってくると言うコースを歩きました。淨念寺は蘇原の大島町にある寺です。この寺は、かつて各務用水の事務所になっていました。当時の看板を見せて貰いました。
今回の資料です。
今日の集合場所、淨念寺です。
淨念寺の境内です。
横山忠三郎の遺徳を讃える碑です。
ウオーキングで歩き出す前に先生から、横山忠三郎について説明が有りました。
相当な苦難の末に各務用水を完成させました。
そして、完成と言う時期に濃尾震災と言う大震災に見舞われました。
建設当時の看板が今も保存されていました。
「各務郡芥見村他九個村用水事務所臨時出張所」の看板です。
用水の建設工事が行われた当時、この寺の本堂が事務所となっていたのだそうです。
説明で、各務郡他・・・・で、各務用水と呼ばれるようになったのが判りました。
こちらは看板の裏側に貼られている石碑の説明。
横山忠三郎の石碑の裏側にこの文章が彫られています。
こちらはコンクリート製の梵鐘です。
先の大戦で寺の鐘が供出となりピンチヒッターの役目をしました。
淨念寺から大島の街中を歩き始めました。
新境川の馬出橋のたもとの石碑です。
今のように、学校にプールが無かった時代です。
川で子供たちが泳ぐのが当たり前でした。そんな時代でも、時として事故が起たりしました。
亡くなった子を弔う目的で設置したのではと言う事でした。
先ほどの横山忠三郎に関連して、各務用水の見学です。
今は農閑期で水が流れていませんが、この用水が各務用水です。
ヒストリー各務野会と言う自主学習グループに参加しています。
その会で、2016年6月10日に各務用水の現地見学会を行いました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/d7332b930c1c706a7854f97f02426ecc
また、前年の11月27日には各務用水について学習しました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/ec85bffadebdc5a82f754ed153249b07
那加山崎町地内です。
前方の車が停まっている箇所に堰が築かれました。
境川が度々氾濫したので、新境川放水路が設けられたのです。
今は水が無くなって居ますが、夏期にはここから境川として水が長良川に向かって流れて行きます。
橋の上から新境川の下流を臨みました。
この先に堰が有ります。
今は冬期で水量が少なくなっています。
それに水門が閉じていて境川に流れて行くのを閉じています。
川の端に市川百十郎の石碑が有ります。
百十郎桜の碑です。
市川百十郎。
〇〇桜記念。
大島一同となっていますが、読み難くなっている箇所が有ります。
横山忠三郎の旧宅の前に来ました。
大島町内の馬頭観音です。
他所から持つて来て、安置したものですが、何処に有ったものか判らない様です。
下のかさまつやなごやだけは読めます。
小野木医院に来ました。
今は新しい建物となっていますが、長年続く、医院で先生もこの医者の世話になったそうです。
先代は軍医上りで往診に馬を使っていたのだそうです。
淨念寺へ向かっています。
淨念寺へ戻って来ました。
寺の前の碑について説明しています。
感想
各務用水は各務郡の用水から各務用水となったのが判りました。
各務用水を現地見学した事が有ります。その用水の完成に尽力した横山忠三郎の石碑を見学しました。習ってきた事と石碑が結びつく事が面白いです。
エンドウの苗を植えました。もともとは植える予定は有りませんでしたが、小松菜が大きくなってきたので収穫しました。その跡地を少し開けて植えました。
5株です。
エンドウの苗を5株買ってきました。
絹さやエンドウやスナックエンドウです。
家庭菜園に植えました。