今日はヒストリー各務野会がある日です。今回は岐阜県博物館で学芸員からお話しを聞きました。
タイトルは木曽川をめぐる問題 ~美濃・尾張の国境と治水~ です。学芸員の山田治彦さんが講義をしてくれました。
岐阜県博物館のマイ・ミュージアム棟に着きました。
こちらが入口になっています。
県博物館のエントランスが集合場所となっていました。
今日の参加者が揃いましたので、エレベーターで3階に上がります。
3階に上がりました。
この階に、けんぱくホールが有ります。
けんぱくホールの内部です。
200席から300席くらいの椅子があるホールです。
ここで、学芸員から講義を受けます。
講義を行って下さる山田治彦学芸員です。
木曽川をめぐる問題 ~美濃・尾張の国境と治水~
例えとして、区画整理で誰が何処の場所を取るかで揉めます。・・・利用地の問題となると・・・。
国境--木曽川が流れています。
今の時代なら境が変化するとは考えられない。
しかし、昔は度々、川の姿が変わっていました。
そのような状態から領地紛争が生じました。
パワーポイントを使ってのお話し。
広野川(木曽川の事)事件。
貞観8年。(866)木曽川筋の河道を付け替えを巡る事件を例にとって説明されました。今風に言うならば、各務原市長と岐阜市長が愛知県に行って乱暴狼藉を働き、死人まで発生させてしまったという事柄です。兵隊700人が行ってます。
スクリーンに映し出されているのですが漢文調で表示しています。
これは日本三大実録の1つだそうです。
木曽川が今のような流れになる前は、蛇行して墨俣の方に流れていました。
木曽川の北が美濃で南は尾張でした。それで、今の笠松町や羽島市は尾張領でした。そのような事で、ここを流れている川が境川で、今も残っています。
言うならば境川が国境で、その名残です。
「命輝く清流長良川」と言う冬季企画展が開かれていました。
山田学芸員の講義の後に企画展を見学しました。
命輝く清流長良川と銘打って開催していますが、長良川に関係なく、オオバキスミレやタチツボスミレなどスミレの解説のようなものでした。
この企画展に「長良川」の文字をつけていることに違和感を持ちました。
博物館には、有料で入館しています。
講義の後に冬の企画展である「命輝く清流長良川」を見学します。
女性の学芸員の説明です。
説明する学芸員。
資料として展示してあったスミレ。
左上。ツルタチツボスミレ。右上。スミレサイシン。
左下。ミヤマスミレ。右下。オオバキスミレ。
感想
この他にタチツボスミレ。ニオイタチツボスミレ。マルバスミレ。マキノスミレなど全般的にスミレの解説が並んでいました。
清流長良川のイメージと、この企画展の内容が乖離している印象がしました。